スキンシップに慣れません!!
リーンハルト様の態度に疑問を抱きながらも、何も聞くことができないまま一ヶ月が経過した。
リーンハルト様は相変わらず私を溺愛してくる。でもその理由を話してはくれない。
「どうして私を愛してくださるんですか?」
「愛しているからだ」
何度か聞いてみたけど、大体こんな感じ。理由になってないんだわ、それは。
納得できない。信用できない。こんなうまい話がある訳がない。
甘い言葉を囁かれる度、優しく触れられる度に、私の冷めた部分がそんなことを言い出す。でも、同時に胸の奥がじわじわと熱を帯びるのを感じていた。
優しくて、若くて、美しい夫に、愛されている。
幸せだ。何度も夢に見ては諦めた、今世の私の理想そのものだ。
だからこそ、恐ろしい。いつか掌を返されるのではないかと。
私は理不尽な悪意に慣れている。前世も今世も。
前世は、そんなものに負けてたまるかと真っ向から反抗した。今世は、私が悪いと無理矢理理由をつけて自分を納得させた。
そういった経緯があるので私は、理不尽に対する処世術は知っている。
でも、幸せに対する処世術は知らない。
怒鳴り声も、冷笑も、暴力も暴言もない、どこまでも私に優しい世界。
······気がおかしくなりそうだ。
今までの環境の方がおかしかったのだとは理解しているけれど、私にとってはそちらが正常だった。
自分にとって都合のいい夢を見ている。あるいは、この美しい男に騙されているのではないかという疑いを捨てきれないでいる。
「ペトラ」
············この人はこんなにも私によくしてくださるのに。
ここまで尽くされても、彼からの愛を信じきれない私はなんて卑屈なんだろう。
「準備はできたようだな」
「はい」
彼は自然な動作で私に腕を差し出し、私はそれに応える。
結婚するまでエスコートなんてされたことがなかったのに、この一ヶ月でこの人の腕に手を置くのが自然にできるようになった。これも、リーンハルト様が何かにつけて私をレストランやカフェといった場所に連れていってくれたおかげだ。
今日は演劇を観に行く。リーンハルト様がご友人からチケットを頂いたらしい。
······大丈夫だろうか?劇場へ足を運ぶのは数年ぶりであり、あまり覚えていない。劇場内での特別なマナーとかあったっけ?私の立ち振舞いは公爵家の名誉に直結するので、何かやらかす訳にはいかないのだが。
適当なタイミングで劇場内で気を付けるべきことはあるかどうか聞けばよかったのに、教養がないと思われたくなくて黙ってしまった。
教養がないと見なされたら、リーンハルト様を失望させて見捨てられてしまうかも············いやいや何を考えているんだ私。そんなことくらいで見捨てられるはずがないだろう。······でも貴族に教養は必須。私が認識している以上にそういった素養は求められているかもしれない。
そうなったら、どうしよう。
「······ああ。やっぱり、よく似合っている」
「······っ!?」
そんな言葉と共に、不意に、リーンハルト様が私の耳をするりと撫でた。その仕草が私の意識を唐突に現実に戻す。
叫び声を上げて反射的に飛び上がりそうになるのを必死で抑え、何とか肩を震わすくらいに留めた。
「今日のドレスに、よく似合っている」
彼の白くてやや角ばった手が私のピアスに触れ、ついでとばかりに耳や頬もさわさわとくすぐられる。
「あ、の、············」
「ん?」
「不意打ちは······不意打ちは止めてください·········」
私の心臓がもたないから······!!
そのお美しいご尊顔で!!その低くて色っぽい声で!!不意打ちで!!私に触るの止めてください!!ドキッとしちゃうから!!女の子になっちゃうから!!
そう叫びたいのを必死で抑え込む。私は淑女。私は公爵夫人。叫んではいけないし、暴れてはいけないのだ。
「不意打ち?」
そう私に聞きながらも、リーンハルト様のすりすりと耳をくすぐる手は止まらない。
「何が?」
「その手!!触るの!!急に触るのびっくりするから止めてください!!」
「へえ?」
リーンハルト様は面白がっているのを隠そうともしない顔で、真っ赤になっているであろう私の顔を見ながら、喉の奥でくつくつと笑う。それどころか、私の反応を面白がっているのか、ぐいっと顔を近づけた。
「事前に言えばいいのか?今からお前に触れる、と?」
「··················それなら、まあ?」
別にこの人から触られるのが嫌なんじゃない。ただ、急にくるとびっくりするのだ。
前世では一度だけ彼氏ができたが長続きしなかったし、今世では箱入りのお嬢様だ。(軟禁されていたとも言う)
それ故に、私は異性に対する免疫がない。全くと言っていいほどない。リーンハルト様の軽いスキンシップが致命傷だ。
······いや、軽くねえな!!前世基準のカップルだとこのくらいのスキンシップはおかしくないけど、この世界だとおかしいのでは!?貴族たる者、たとえ婚約者や夫婦といった関係でも、人前で過度に触れ合ってはならないとかお婆様言ってたな!!
「リーンハルト様!!ほら!!行きますよ!!」
「もう少し堪能させてくれ」
「~~っ、駄目です!!」
ばっと、リーンハルト様から体を離す。
······ふう。リーンハルト様から離れたらちょっと落ち着いた。
このままだと周りからバカップルだと思われてしまう。どの世界でも人前でいちゃつくバカップルは呆れの眼差しで見られるものだ。
貴族なんて名誉······すなわち評判が命。
このまま私が流されていては、リーンハルト様の評判に傷がつく。ここは心を鬼にして節度の大切さを説かなければ。
「いいですか?リーンハルト様、これからは······」
「············そんなに嫌だったか?」
「そんな傷ついた顔しないでください!!」
思わず叫んでしまった。
淑女らしからぬ行いではあるが、これは致し方ないだろう。リーンハルト様の絶望顔にはそれくらいの威力があった。
故郷の村を焼かれ、親類縁者全てを失い自分一人だけ生き残ってしまった、と言われても信じるくらいの表情だ。これを見て心を鬼にできる人はいない。
「そう、だよな。お前は僕なんかに触られたくもないよな······すまない、調子に乗った······もうしない······」
「いや思ってません!触られるの自体は問題な······いやちょっと問題かもしれないですけど別に貴方のことが嫌いとかそんなんじゃなくて、ただ恥ずかしいから人前ではしないでほしいというか!!」
「いや、······無理しないでいい······僕が血も涙もない人でなしで、金がなければ僕に触れるどころか近づこうとする人もいないとは分かっている」
「そんな訳ないでしょう!!」
そんな訳ないでしょう!!
こんなに顔がよくて性格もよくて若くて有能な公爵閣下が女にモテない訳がないでしょうが!!
貴方がもうちょっと性格が悪いとか女にだらしないとかの欠点があったら、いくら顔が整っていたとしても、私はここまで貴方に翻弄されてませんよ!!完璧無欠のイケメンだからここまで照れてるんですよ!!