懺悔と赦し
「······僕の話は、これで終わりだ············」
リーンハルト様の告白を聞き終えた後、私は、何も言うことができなかった。部屋の中に異様な緊張感と静寂が満ちる。
一気に消化するには情報量が多過ぎる。妹が王太子に振られたショックで出家する?それで王太子は未亡人と秘密結婚して廃嫡される?
そんな未来があると言うのか。
しかし、荒唐無稽なホラ話かあるいは妄想だと、切り捨ててしまうことはできなかった。
私に前回の話をした彼の悲痛な表情は本物だったし、何より――私が納得してしまっている。
私が転生者であるように、リーンハルト様が逆行者であっても、何もおかしなことはないだろう。
それに、話を聞いて、私ならそうすると思った。
そんな状況になったら、私は間違いなく自分の首を絞めるだろう、とそう思った。
「······酷い話だろう?」
リーンハルト様は自嘲の笑みを浮かべる。その美しいペリドット色の瞳から涙を流しながら。
「······僕はずっと、ずっと、お前を、騙していたんだ」
「騙してなんて······」
「騙したんだ。本当のことを言わなかったんだから」
リーンハルト様は「それは騙しているのと同じことだ」と言って、床に膝をついて座り込み、項垂れる。
「過去に戻ってきてすぐに、お前の屋敷へ行ったんだ。そこには、子供の頃のお前がいて、子供の姿でもお前だと分かって······僕は、自分の記憶が妄想の類いでないと確信した。それからは、同じ間違いをしないように、付き合う相手も、立ち振舞いも変えた······そんなことをしていたら、いつの間にか『女嫌いの冷徹公爵』だとか言われるようになった······笑ってしまったよ。前は『女狂いの享楽公爵』とまで呼ばれていたのに」
リーンハルト様はそこまで言うと、少し黙って、また口を開いた。
「そして、これは、何て地獄だろうと、思った」
「地獄?」
続けられた言葉の意味が理解できず、私は聞き返した。
「そうだ、地獄だ。僕は······このまま何食わぬ顔でお前に会いに行くか、お前を諦めて贖罪に生きるかの選択肢を突き付けられたのだから」
その言葉に、かつてのカスパル様との会話を思い出した。
リーンハルト様はずっと私のことを想い続けながらも、私に求婚することは最後まで迷っていたと。
「お前を想う気持ちが色褪せたことは一瞬だって無いが、それでも――お前の幸せを願うなら、僕みたいな人でなしじゃなくて、ちゃんとした男と結婚させるべきじゃないか」
その言葉に、ぎゅっと胸が締め付けられる。
――ああ、この人は本当に······私の幸せだけを願い続けてくれたのだ。
「本当は、お前と結婚してはいけないと、分かっていたんだ······お前を殺した僕に、そんな資格は無いと······諦めようとしたんだ!!でも、でも!!」
その瞬間、ばっと、リーンハルト様が顔を上げた。彼が話の最中にかきむしっていたせいで乱れた細い髪の毛の隙間から、真っ赤に充血した目が私を射貫く。
「どうしても、諦められなかった······!!」
その声の悲痛さは、懺悔の響きを帯びていた。そして、同時に、叶わない恋を独白するかのようだった。
不意に、彼と初めて会話した夜のことを思い出した。
あのときとは全く違う状況なのに。
初めて彼の視線に射貫かれたとき、私は見定められているか、あるいは睨まれたのだとばかり思っていた。
そうではなかったのだ。
あの瞳は、長い献身と葛藤の末に、罪悪感をも呑み込んで、私を求めずにはいられなかった彼の執愛が籠められていた。
「すまない、本当に、すまなかった······また、お前を傷つけて、死なせてしまうところだった······己の浅ましい欲に溺れた僕のせいだ、僕が、お前を、一人にさせたから······」
それ程までに、私を必要としてくれた人が、今、まさに私から離れようとしている。ひとえに、私の幸せのために。
······それは、余りにも寂しいじゃないか。
「貴方は、ずっと――」
鼻がつんとして、声が震える。それでも、言わなければならなかった。
「――ずっと、私に償ってくれていたんですね」
「っ、」
リーンハルト様のペリドット色の瞳が大きく見開かれる。そして、ふるふると頭を振った。
「違う、そんなんじゃ、ない。こんなのは、償いにはならない。だって······僕は、あのとき、安堵した。お前が前のことを覚えてないと知ったとき、安堵した。そして、今の今まで、素知らぬ顔でお前の側に居続けたんだ!!」
「リーンハルト様」
私は、彼に近寄って、彼と同じ視線になるために膝をついた。
「私は、貴方を赦します」
リーンハルト様が、小さく息をのむ音が聞こえた。私は、そのまま彼の首に腕を回してしがみつく。
「だから、もう、いいんです」
ぴったりと身体を密着させていると、ドクン、ドクンとリーンハルト様の心臓が鼓動しているのを感じた。きっと、彼にも私の鼓動が伝わっているだろう。
「今まで、ずっと、一人で、悩んで、苦しかったですよね?」
「もういいです。貴方は私に、十分、償ってくれました」
「だから、これ以上、自分を罰するのはやめてください」
「自分自身を、どうか、赦してあげて」
そう言い終えると、彼は力強く私を抱き締め返した。
「······ペトラ。お前は、覚えてないから、そんなことを言うんだ。僕がお前に何をしたのか、覚えてないから」
「貴方が話してくれました」
「言葉だけじゃ伝わらないこともある!!僕は、僕は全部覚えてる。お前の、あの、苦しげな顔も、冷えきって固くなった身体の感触も全て!!」
「リーンハルト様」
「僕では駄目だ。二回目でようやく分かった。僕ではお前をどうしたって不幸にする」
「リーンハルト」
リーンハルト様、いや――リーンハルトの身体が硬直する。
彼のことを敬称を付けずに呼ぶのはこれが初めてだ。私の覚えている限りでのことだが。
こうでもしないと、トラウマを呼び起こしてしまっている彼の耳に、私の言葉は届かないだろう。
「前の私が死んだのは、貴方のせいじゃない」
「!!」
「だって、私、自分で首を絞めて死ぬことができるなんて、ついさっきまで知らなかったんですもの」
前の私が、リーンハルトの言葉に傷ついたのは、事実かもしれない。でも、それは私の自殺した理由にはならない。
我が子を死なせてしまったことに絶望し、自分を痛めつけようと思ったのは確かだろう。でも、自殺をするにはその方法は余りにも不確実だし突拍子もない。
「きっと、衝動的な自傷行為でしかなかったんじゃないでしょうか」
「っ、でも!!だとしても!!お前を追い詰め、死なせてしまったことは変わらない!!僕は赦されるべきじゃない!!」
「······少なくとも、私はそうは思いません」
私はリーンハルトの濡れた頬に手を当てて、その顔を正面から見つめた。
「貴方は、迷ったんでしょう?やり直す機会を与えられて、何食わぬ顔で何も知らない私とやり直すことを手放しに喜ぶことはしなかった」
「······当然だ。お前が覚えてなくとも、僕は覚えているんだから」
「それに、私と結婚した後も、私を幸せにすることを第一に考えて、見返りを求めようとはしなかった」
「それも······当然だ。僕はもう、貰い過ぎるくらい貰ったんだ」
「そう思えることって、中々できることじゃあないですよ」
訳が分からない、と言いたげに困惑した表情をリーンハルトは浮かべる。
······本当に分からないのだろう。彼は私を幸せにすることは考えていても、自分が幸せになりたいとは思わなかったのだろうから。
「自分の罪と向き合い、そしてそれが誰にも暴かれない状態でもその償いをし続けることは、並大抵のことではありません」
彼の犯した罪は、この世界では存在しないのだ。
彼の怠慢により苦しんだ領民はいないし、彼の不誠実に弄ばれた女性もいない。私だって死んでない。
そこまでしても、彼は、自分を赦さなかったのだ。赦せなかったのだ。
でも、もういいじゃないか。
この人だって幸せになるべきだ。
私が死に、彼も死んで過去に戻り、そして今この瞬間に至る長い時間、彼は贖罪に生き続けたのだから。
もう、十分だろう。
私の幸せのために、彼の幸せを捨てさせるなんて認めない。それに、私が彼の隣にいると不幸になると、彼に思い込ませたまま終わりにしたくはない。
私は彼に自分の顔を近づけて、こつんと額を合わせた。お互いの鼻がくっつきそうになる。
「リーンハルト。私、貴方のことを赦します。······今の私は何も覚えていないけど、でもきっと、全てを覚えていたとしても同じ選択をします。だから、どうか――貴方が貴方を幸せを赦してあげてください」
「貴方が貴方の幸福を赦さないと、私も幸せになれない」
少しの間をおいて、彼は「そうなのか」と呟いた。
「僕が僕を赦さないと、お前も幸せにするなれないのか」
「はい」
「お前は、僕を、赦すと言うのか」
「はい」
「······なら、もう一度、ちゃんと、謝らせてくれ」
彼はすぅっと息を吸い込むと、まっすぐ私を見た。
ずっと影を落としていたその目には生気が戻っている。
「······ペトラ。すまなかった。お前に、『愛している』と言わなかった」
「はい」
「お前を愛していることに、気が付けなかった」
「はい」
「お前の子供が死んだとき、側にいなかった。守れなかった。子供を死なす原因をつくってしまった」
「はい」
「お前と一緒に泣かなかった。泣いているお前を更に追い詰めた。お前に責められるのが怖くて逃げて······お前を、一人にさせた······!!」
「っ、はい」
「本当に、すまなかった······!!」
「······はい、赦します」
その言葉を契機に、リーンハルトが再び私を強く、抱き締めた。私も彼を抱き締め返す。
何故だか目から涙がとどめなく流れた。
彼の深い傷に自分も傷ついてしまったからか、彼が彼自身を赦してくれたことに安堵したからか、あるいは両方か、自分にも分からない。
「――ああ。やっと言えた。······ペトラ」
彼は私の肩に顔を埋めながら幸せを噛み締めるように言った。
「僕は、ずっと」
「ずっと、お前に、謝りたかったんだ」
久しぶりの投稿です。遅くなり申し訳ありません。あともう少しで完結です。
これはドアマットヒロインが結婚を契機に幸せになる物語…………に見せかけた、人でなしの贖罪の物語。




