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リーンハルトの想起③

 一週目のリーンハルトの話。

『失敗した』


 ――それが、僕を産んだ女の口癖だった。


『あんなジジイに、身請けされる気なんて、さらさら無かったのよ。なのに、あの男、社交辞令を真に受けて私を身請けしやがって。泣き付いてあの男だけは嫌だと言ったのに、あのマダム(ババア)、聞き入れちゃくれなかった······』


 女はよく、恨み言を吐き出すと、唇を噛み締め、窓を睨み付けていた。


 自分を閉じ込めるこの鳥籠が憎いと言わんばかりに。


『失敗した······私の人生こんなんじゃなかった』


 かつて自由になることを夢見ていた女は、その願いとは真逆の境遇に落とされた己の不幸と、その原因である僕のことを恨み抜いていた。


 この国では一夫多妻は認められていない。しかし、浮気や不倫は公然として存在している。また、嫡子に何かあったときの保険として婚外子を作る貴族もいる。(養子を取るという選択肢も当然あるので、この建前は自分の欲を言い訳するものであるのが大半だ)

 そして、子供を産んだ愛人は、妾と呼ばれるようになり、事実上の第二夫人として扱われる。それは、相手から自分や子供を扶養して貰える権利を得ると同時に、妻として夫に管理されることを義務付けられるということだった。


『お前さえいなければ、私の人生もっと違ってた。ここから逃げ出せたのに』


 美貌と若さで高級娼館の看板にすらのし上がった女は、初老の男に身請けされ、閉じ込められたことでその両方を失った。


『こっちに来んな。お前の顔、見てるとイライラするんだよ』


 女は口が悪かった。勿論、高級娼婦だったのだからそれなりに教養はあったのだろうが僕に対してはいつもこんな感じで貶すか悪態をつくばかりだった。


『何なんだよ、お前。何で産まれてきたんだ。嫡子じゃない――妾の子なんて、存在する意味もないだろう。お前のせいで、私は、あいつに飽きられたのに、どこにも行けない!!』


 そんなことを言われても、僕にはどうしようもない。産んでくれと頼んだ覚えはないし、彼女が飽きられたのも僕の知ったことではない。

 

 暴言や暴力を振るう女のことは嫌いだった。陰でクスクスと自分を嘲笑ったり、憐れむ癖に助けようともしてくれない使用人たちのことも嫌いだった。


 けれど、そう思っていても、やはり自分が悪いのだろう、と漠然と思っていた。


 自分は神に祝福された夫婦の間に産まれた子供ではない。間違いで産まれた子供だから仕方がないのだと。


 十歳のとき、顔も見たことのない腹違いの兄が亡くなったことで、環境は一転した。


 平民にすら「不義の子」として蔑まれる対象であった僕は一夜にして大貴族の後継者になったのだ。

 僕を産んだ女は公爵夫人となり、僕と共に王都の公爵家の本邸に住むことになった。そのときばかりはあの女も上機嫌になり、しばらくは公爵と仲睦まじい様子で過ごしていたが、やがて互いに飽き、それぞれ愛人を作って遊ぶようになっていった。

 そんなある日に女は馬車の事故で亡くなった。恐らく逢い引きに行こうとしていたのだろう。元々そういう人だと知っていたので、自分の母親が不名誉な死を遂げても、特に何とも思わなかった。最期まで、彼女のことを「母上」と、一度も呼ぶことはなかったからかもしれない。


 僕は公爵家の後継者としての教育を受ける傍ら、使用人いじめを楽しんだ。わざと食器を落として困らせたり、特に用はないのに何度も何度も呼び寄せたりして遊んだ。今まで父親から無視され、母親から疎まれる僕のことを静かに蔑み、傍観していた使用人たちがぺこぺこ頭を下げてくるのが爽快だった。


 権力の甘美を知ってしまった僕を止める者はいなかった。父親である公爵は酒と女以外に関心がなく、僕を諌めようとはしなかったのだ。


 十五歳のときに学園に入学してから、僕は更に堕落した。アドリクス王太子を筆頭とする、素行の悪い貴族子息とつるむようになり、賭博や女遊びにのめり込んだ。刹那的な快感に嵌まったのもあるが、平民の血を引いていることに劣等感や後ろめたさのようなものを感じていた僕は、より一層()()()()()なろうとしていたのだと思う。

 表面では友好的に接していても、内心では庶子だったことを見下されていると分かっていた。


 学園を卒業して間も無くして、公爵令嬢と結婚した。だが、僕は彼女のことを特に興味も持てなければ尊重すべきとも思っていなかったので、女癖を改めることはしなかった。そうして、一年も経たずして、一人目の妻は修道院へ逃げた。


 それから僕は反省した。いくら身分が高くとも、潔癖過ぎる女はいけない。互いに火遊びを許容できるような妻を選ぼう、と。そこで自分の素行を改めようと思えないのが僕だった。

 そうして迎えた二人目の妻は伯爵令嬢だった。恋多き女で、学園に在学中何度か噂を聞いたことがあった。奔放な女なら、奔放な男の気持ちを理解してくれるだろう、と考えたのだ。だが、二人目の妻は浮気性の癖に束縛が激しく、僕のことを支配しようと癇癪を起こして暴れまわるようになったので、子供ができないことを理由に家から追い出した。


 二回も離縁したとなると、流石に公爵と言えど再婚相手を探すのが難しくなってくる。外聞を気にする上級貴族は二度も離縁した男に娘を嫁に出そうとはしない。下級貴族ならばそれでも寄ってくるが、下級貴族では駄目なのだ。自分が薄めてしまった高貴な血を上級貴族で補わなければならない。公爵家の権威を落とさないためにも、身分が高い女性と結婚し、跡継ぎを作らなければならないのに。


 そこで目を着けたのがバルバト家だった。王太子が年上の未亡人である子爵夫人と秘密結婚したことで、廃嫡されたのと同時に、寝取られ令嬢と揶揄されるようになった令嬢――ビオラ・バルバトと結婚すればいい。王太子に捨てられた惨めな女を拾う寛大な男なんて僕ぐらいしかいないだろうし、バルバト家も涙を流して僕に感謝するだろう。そうだ。持参金も不要だとも言っておけばいいか。婚家への贈与金だと思われがちな持参金は、本来は妻が婚家で不自由なく過ごせるようにと用意される妻の財産だ。

 つまり、持参金のない妻は、婚家で不自由な生活を強いられたとしても、文句を言うことができない。

 これは中々いい考えなのではないかと思える。何せこっちは二度も離縁しているのだ。何としてでも跡継ぎを作らなければならない。逃げ出したり束縛したりしてくるような妻はごめんだ。ならば、最初から、逃げられず、従順にならざるをえない状況にしておけばいい。




 そんな経緯で僕は二十六歳にして、三度目の結婚を果たした。


 ただし、相手は、ビオラではなかった。社交界から忘れられていた――どころか認知もされていなかった、バルバト家の長女、ペトラ・バルバトが僕の三番目の妻だった。


 僕が結婚を申し込んだときには既に、ビオラは修道院へ行ってしまっていたらしい。そこで、ビオラの姉であるペトラが僕の妻として差し出されることとなったのだ。


 結婚式場で初めてペトラを見たとき、思っていたよりも顔は悪くない、と思った。髪と目の色が金や銀でないことが残念だが、顔立ちそのものは整っている。女にしては背も高いが、僕よりは低いので、隣に立って気分を害されることはないだろう。年は十九歳と子供を産むのに丁度いい年齢だ。


 これでいいか。このときの僕は傲慢にも、そう思った。


 結婚式だと言うのに、裾が足りない黄色のドレスを見に纏う彼女は、ひどく不恰好だった。バルバト家は領地経営が傾いているとは聞いていたが、結婚式のドレスも満足に買えない程なのだろうか。だとしても都合がいい。いくら夫が不誠実でも、優雅な公爵夫人の暮らしを捨て、貧しい実家に帰ろうとは思わないだろう。




『最初に言っておくが、身の程を弁えろ。僕はお前を愛してない。お前と結婚したのは跡継ぎとなる男児を産ませるためでしかない。僕の機嫌を損なうような真似はするな。跡継ぎさえ産んでくれれば、後は好きにすればいい』


 夜着を纏い、ちょこんとベッドの上に腰掛けていた彼女に向けて、そう言った。

 彼女に悪意があった訳ではない。ただ、自分は跡継ぎが欲しいのであって、愛だの誠実さだのを求められると困るのだ。それをありのまま伝えた。


 彼女は一瞬ぽかんとした表情を浮かべたが、すぐに吹き出して大声で笑い始めた。


『あっはははは!』

『何がおかしい』

『いや、何と言うか、白い結婚ですらないのかい!って思ってしまって······』


 意味が分からない。白い結婚なんてする意味がないだろう。これは跡継ぎをもうけるための結婚なのだから。


『想像の三倍くらい屑ですね、旦那様』

『は?お前のような大して美しくもない女を娶ってやると言っているんだ。お前は僕に感謝するべきだろ』

『そっちだって二度離縁した訳ありじゃあないですか』

『あれはあいつらが悪いんだ。何だ?お前も愛だ何だと言うつもりか』

『いえ、私は貴方を愛していないので。穏便に離縁していただけたらそれで』


 その言葉がやけに癇に触った。愛していないだと?この僕を?

 ぐっと奥歯を噛み締める。

 ――ああ。こいつもか。


『は、平民の血を引く僕には触られたくないと?』

『いえ、そこはどうでもいいです』

『······は?』


 何を言っているんだ、この女は。

 どうでもよくはないだろう。むしろ貴族にとって血筋(それ)は一番大事なことじゃないか。


『誰彼構わず関係を持つ尻軽を夫にしたくないんですよ』

『············』


 もう声もでない。尻軽って何だ。僕が?女じゃあるまいし。浮気は男の甲斐性だろ。女ならともかく、男が貞節を守って何になるんだ。と言うかお前数時間前に僕の夫になることを司教の前で誓ったじゃないか。サインもしただろ。「夫にしたくない」ってなんだよ。


『だから離縁しましょう!お互いの性格の不一致と言うことで!私はどこか適当な修道院で大人しく暮らします!さあ!"修道院送りの専門家(エキスパート)"と名高いリーンハルト様ならば簡単でしょう!?』


 ······どうやら知らない間に不名誉な二つ名を付けられているらしい。

 とりあえず僕は、笑顔で離縁を告げる女に、修道院に入るにも金が必要なのだということを説明することにした。

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