告白
「離縁しよう、ペトラ」
その言葉は、まさに青天の霹靂だった。
あの後、私たちは予定を変更して、宿泊していたホテルに戻った。今日は聖夜祭だったので医者を呼び出して診てもらうまでには時間がかかったが、大した怪我はなく(軽い打撲程度だ)、診察はすぐに終わった。こんなことで呼びつけてしまったお医者さんには申し訳なく思う。
そうして、医者が診察を終えて部屋から退出し、二人きりになった瞬間の、これだ。
「え······?」
「勿論お前に一切の瑕疵はない。お前の名誉に傷つけないように配慮するし、慰謝料も言い値で払おう」
「何を、言って······」
「今までありがとう。本当に、幸せだった」
「待ってください!!話を――」
「僕と一緒にいたら、お前が幸せになれないんだ」
·········は?
言われた言葉の意味が理解できない。私が貴方と一緒だと幸せになれないって?
「そんな訳、ないじゃないですか!!」
私は堪らず声をあらげる。だが、リーンハルト様は真剣な表情で続けた。
「今日お前が死にそうになったのは、僕が原因だ」
「違います!!貴方のせいじゃない!!」
「僕のせいだ······僕はあいつが僕と関係を持ちたがっていたのを知っていた。あいつがお前に危害を加えるかもしれないと気が付くべきだったんだ」
「無茶ですよ、そんなの!!だって今日のことは完全に予想できなかった!!」
あの女と私が出会ったのは完全な偶然だ。取り調べをした憲兵の話によると、お忍びで愛人と聖国に旅行に来ていたあの女は、旅行中にその愛人と喧嘩別れしたらしい。そうして落ち込んでいたところに偶然私が声をかけ、一方的に私を目の敵にしていた女は、被害妄想と私への恨みを一気に爆発させたと。
正直話を聞いても理解できなかった。お前リーンハルト様のことを一方的に慕って独占欲抱いていた癖に、愛人いるのかよ。今回の公爵夫人殺害未遂事件で確実に今の夫からは離縁されるだろうが、同情はしない。堂々と愛人と旅行に行けるくらいの夫婦仲だったと言うことだし、ナイフを当然のように人に向けるような女だ。私が関わらなくとも、いずれ何らかの形で破滅していただろう。
「貴方のせいじゃない。全部、あの女が悪いんです」
「······違う。僕のせいだ。僕のせいでお前を殺してしまうところだった」
「私は平気です!!それに、リーンハルト様は私を守ってくださいました!!」
「お前をそういう状況に陥らせてしまったのが問題なんだ、ペトラ」
「元はと言えば、私が二人きりで聖夜祭に参加したいと言ったからです!!」
「だとしてもだ。······お前をまた一人にしてしまった。·········ペトラ、お前は死ぬところだったんだ」
リーンハルト様が私の目を見つめる。その目は優しくて穏やかなのに、ひどく悲しげで痛々しかった。
「お前は、死ぬところだったんだ」
ぐ、と言葉につまる。確かにそうだ。死んでもおかしくなかった。一歩間違えれば死んでいたかもしれない。
でもそれは、彼の責任ではないはずだ。
そんな私の内心を読んだかのように、彼は言った。
「······お前が僕を赦しても、僕は僕を赦せない。僕は、お前に相応しくないんだ。······分かっていた、そんなことは。でも、認めたくなかった。······すまない、僕のせいでお前を危険な目に遭わせた。······本当に、すまない」
リーンハルト様は、すっと頭を下げた。
公爵である彼が、こうして頭を下げるなんて、普通はあり得ないことだ。ましてや、その相手が彼の妻である私だなんて。
「嫌です」
私はブンブンと首を横に振りながら言った。
「離縁なんてしません」
「ペトラ」
頭を上げたリーンハルト様が、幼子に言い聞かせるような口調で私を宥める。
「僕はお前に相応しくない。僕は、お前を幸せにできない」
「······相応しくない、て、何ですか」
「······ペトラ」
「······幸せにできない、て、何ですか」
声が、震えて、鼻がつんとする。じわりと歪む視界の中で、私は必死に声を紡いだ。
「私は、貴方と結婚してからずっと、幸せでしたよ······?貴方はずっと、優しくて、誠実で、頼もしくて······相応しくないのは、私の方です」
「そんなことはない。お前以上の女がこの世にいるものか」
「だったら!!私を捨てないでくださいよ!!」
リーンハルト様は、ぐっと唇を真一文字に結ぶ。
それを見た私の目から一筋の涙が零れた。なんで。なんで。どうして?リーンハルト様。
どうしてそこで何も言ってくれないの?
「愛しています」
リーンハルト様が、大きく目を見開いた。
「私は、リーンハルト様を愛しています」
涙がぼろぼろと零れる。
ああ、こんな風に、伝えるつもりじゃなかったのに。もっと幸せな気持ちで、この想いを告げるつもりだったのに。
どうしてこんなことになっちゃんたんだろう。
「だから捨てないでください······」
「······すまない」
リーンハルト様は目を伏せた。私は目の前が真っ暗になる。
どうして、そんな言葉が言えるの。
あんなに、私に「愛している」と言った癖に。あんなに、私を愛おしげに見つめていた癖に。あんなに、私に優しくしてくれた癖に。
「嘘つき」
ひゅ、と彼の喉が鳴った。
「『愛している』って、言ったのに――」
「ペトラ」
「私って、その程度だった?貴方にとって、簡単に手放せるものだった?」
自然と自嘲の笑みがこみ上がってきた。泣きながら嗤う私の姿に、彼は激しく動揺する。
「違う!!僕は、僕はただ、お前に、幸せになって欲しくて······危ない目にも遭って欲しくなくて······本当に······」
「······」
「本当に、お前の幸せを願っているんだ。その気持ちは、嘘じゃない」
「······」
「嘘じゃ、ないんだ。ペトラ。僕はお前を愛している。お前以外は愛せない。僕がお前を幸せにできたらきっとそれが一番良かった。でも、それはできないんだ」
「······」
涙を流しながら無言でリーンハルト様を見つめていると、リーンハルト様はますます焦ったように言葉を重ねた。
「ペトラ、お前は――幸福になるべき人間なんだ。そしてその幸福が、僕によって阻まれることなんかあってはならないんだ」
「······」
「すまない。本当は、お前は僕なんかと結婚するべきではなかった。僕なんかよりもずっと素晴らしい人がいたはずなのに、お前を無理やり妻にした。それでも、お前を幸せにしようと、守ると決めたのに――結局できなかった。本当にすまない。こんなことなら、最初からお前と結婚なんてするんじゃなかった。お前を愛し守り抜いてくれる誠実な男にお前を任せるべきだった」
「いいっ加減にしろよてめえ!!!!」
バチン、と私は思い切りリーンハルト様の頬を叩く。
もう限界だった。丁寧な口調をかなぐり捨てて、思いのままに叫ぶ。
この人は本当に――どうして、私が欲しい言葉を言ってくれないんだ。
「さっきから黙って聞いてりゃ何だよ!!『僕はお前を幸せにできない』?『相応しくない』?ふざけんな!!」
頬に手を添えて、何が起こったのか理解できないでいるリーンハルト様の胸ぐらを掴む。
「聞いてなかったのか!!お前!!私が!!『幸せ』って言っただろ!!『捨てないで』って言っただろ!!――『愛している』って言ったじゃないか!!」
「ペト――」
「お前は!!どうして!!私からの愛を信じてくれないんだ!!」
その言葉に、完全にリーンハルト様は固まった。
「ずっと、そうだ。お前は、私を信じてない」
「そんなこと――」
「あるよ!!そうでなきゃ······離縁しようとする訳ない······私がそれで幸せになれると思う訳がない!!」
「······ペトラ」
「私のことを思うなら、『側にいてくれ』って言えよ!!」
ずっとずっとそうだった。リーンハルト様の愛は一方的だった。私に「愛してくれ」なんて言わなかった。むしろ、「愛さなくてもいい」とすら言った男だ。
身勝手な人だ。自分の好意を受け止めて貰えないことが、どれ程悲しいと思っている。
いつまでも片想い気分でいるのはやめて欲しい。だって、私は、もう彼のことが好きなのに。「愛している」って言ったのに。
「これだけ言っても、まだ、私が貴方を愛しているって、分からない?貴方以外の誰か?······貴方としか幸せになれないよ、私」
私は彼の胸ぐらから手を放し、ぼすん、と彼の胸に顔を埋める。
「貴方がいいんです。一生貴方の側にいます」
「······ペトラ。お前は、僕のことを知らないから、そんなことを言うんだ。僕は、優しくも誠実でもない。人でなしだ。お前が愛した男はただのはりぼてだ」
「······どうして、そんなこと言うんですか?」
貴族らしからぬ口調で色々ぶちまけておかげで、少しは怒りが落ち着いてきていたのに、また沸々とした感情が込み上げてくる。
「いつもそうやって私の言葉を否定して······そんなに私と離縁したいんですか?」
「違う!!僕だってお前と離れたくない!!」
「なら離れないでよ!!」
「それでもお前が死ぬよりはマシだ!!」
彼の言葉に、しん、と部屋が静まり返る。
妙な言葉だと思った。
この人は、私がリーンハルト様のせいで死ぬとでも思い込んでいるのだろうか。でもどうして?
リーンハルト様がやんわりと私を引き剥がす。ほの暗い緑色の瞳が、ここではないどこか遠くを見つめていた。
「僕は、僕では、駄目なんだ」
「······リーンハルト様。説明してください。そうでなければ、私、納得できません」
「僕は······もう、お前を······殺したくない······」
一瞬、彼が何を言ったのか分からなかった。
だって、私は生きているのに。
「何を、言って······?」
「ペトラ」
リーンハルト様が、くしゃりと顔を歪ませて、言葉を詰まらせながら続けた。
「気が、触れたと思うかもしれない、信じられなくてもいい、僕だって何がなんだか分からないんだ」
彼の目からもぼたぼたと涙が零れ、床に落ちる。
「僕は、一度死んでいるんだ」
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