遭遇
三日間も同じお祭りに参加するなんて、飽きてしまうのではないかと、聖国に来る前は危惧していたが杞憂だった。
聖国は以外にも広く、そして数え切れない程の屋台が街路の両脇にずらっと並んでいるのだ。じっくりと街中の風景や雰囲気を楽しむのには、三日くらいかけて少しずつ街中を巡る方が丁度良い。
一昨日は南部の街、昨日は北部の街を巡った。今日は、アーヴェン大聖堂へ続く中央通りの屋台を巡りながらアーヴェン大聖堂へ行き、そこから花火を見る予定である。
アーヴェン大聖堂は小高い丘の上にある。
何千という蝋燭に灯された街を見下ろしながら夜空に打ち上がる花火を見るのだ。きっと綺麗に違いない。
「花火が打ち上げられるまで時間はたっぷりある。ゆっくり回ろう」
「はい!あ、あの屋台のお肉買ってもいいですか?」
「勿論」
「ありがとうございます!おば様、二本ください!」
「まいど!」
私は早速、目についた焼き串を買う。遠目だと焼き鳥のようだと思っていたが、どうやら鶏肉ではなさそうだ。荒く切り落とされたであろう肉の塊がゴロゴロと串に連なっている。豚か牛かどちらだろう、と串を両手に持ちながら考えていると、リーンハルト様が横からぱくりと片方の串に刺されてあった肉を食べてしまった。
「!?」
私はリーンハルト様らしからぬ行動に驚いて固まった。私が持っている食べ物を断りもなく食べるなんて、普段のリーンハルト様は絶対にしないのに。
「食べていいぞ」
「はい?」
「問題ないから」
一口目を咀嚼し終えたリーンハルト様の言葉を聞いて、私はやっと彼が毒味をしてくれたのだと気が付いた。
「貴方が毒味役をしては駄目でしょう」
貴方はディルガー公爵閣下だぞ。私は彼の行動を窘なめる。
「毒味役なら私がするべきです」
「嫌だ」
「嫌だって······」
子供の駄々のようなことを言わないで欲しい。それを言うなら、私だって貴方にそんな役割を押しつけているみたいで嫌だ。
「お前を守ると言っただろう?」
当たり前のようにリーンハルト様はそう良い放つ。
「大切な妻を毒味役にする訳にはいかない」
「私だって大切な夫を毒味役にしたくないのですが」
「心配するな。こういう屋台で毒が盛られることはまずない。たまに腐りかけの食材を使う所もあるから念のためだ」
まあそれはそうだろうと思う。政争などで対立が起こる貴族社会であっても毒が盛られることは滅多にない(もしかしたら誰にも気が付かれずに病死として処理されているのかもしれないが)。
ましてやこんな風に不特定多数の人々が購入する食べ物に意図的に毒を混入させる者がいる可能性は限りなく低いだろう。
「それでも貴方に損な立ち回りを押しつけたくはないですよ······」
「損?まさか。大袈裟に捉えすぎだ。危険なんてないようなものだから安心しろ。僕のこれはただの気持ちの問題だ」
そう言われて、私は渋々引き下がる。
確かにこのお祭りで毒殺されるリスクはほぼない。毒味役と言っても、おままごとみたいなものだ。本当にリーンハルト様が毒味役をしようとすることがあれば私が全力で止めるが、今回はくらいはそこまでうるさく言わなくてもいいだろう。
ちなみにお肉は豚肉だった。
その後は、クッキーのような焼き菓子や麦酒を飲み食いし、守護天使の人形やカラフルな蝋燭や髪紐などを見て歩いた。屋台だけではなく、路上で歌を歌ったり踊ったりする人々を見るのも目を楽しませてくれる。
そうしている内に、段々と日が落ちて暗くなり始め、ぽつぽつと街中の蝋燭に灯りがつき始めた。気温もさらに下がり、私はかじかむ指先を息で温める。
「ペトラ」
「!?」
その様子を見ていたリーンハルト様がするりと私の手に指を絡ませた。俗に言う恋人繋ぎというやつだ。
「手が冷えてる」
「~~っ!!」
男らしいごつごつとした手にどきどきしてしまう。それに、こんな風に指を絡め合わせるのは初めてだ。
彼からしたら、冷えた私の手を温めようとする以外の意味はないのかもしれない。でもこうして手を繋いでいると、彼の熱い体温や男女の性差を否応なしに理解してしまう。
ぎゅっと握られた彼の手の温度と力強さに応えるように私も握り返す。私の手が一回り大きい彼の手に包まれる感覚に多幸感と安心感を覚えた。
ずっとこうしていたい。
浮かれてしまい、周囲への注意が散漫になったのが原因だったのだろうか。
ドンッという強く身体を押された衝撃を自覚したときには、私は地面につんのめりかけていた。
「ペトラ!!」
リーンハルト様が私を抱え込むように倒れそうになる私を受け止めた。
「大丈夫か!?」
「は、はい」
ただ人にぶつかったにしては随分な衝撃だ。視線を前に向けると若い男が振り返りもせずに走り続けている。
なんて無礼な人だ、と苛立ちが込み上げたが、その男が持っている手鞄を見たときにさっと血の気が引いた。
あれは、私の手鞄だ。
「引ったくり!!誰か捕まえて!!」
スラれたと気が付いた瞬間私は思わず叫んだ。手鞄なんかは正直どうでもいい。だが、その中身は――リーンハルト様への結婚指輪が他の誰かに渡ってしまうのは嫌だった。
「待て!!」
リーンハルト様は男を追いかける。
「きゃあっ!!」
「何だ!?」
男は街路を歩く人々を突き飛ばしながら逃げる。異変に気が付いた通行人たちから悲鳴や困惑の声が上がった。
「待てと言っているだろう!!」
素早い身のこなしで逃げる男をリーンハルト様は少しずつ追い詰めていく。だが、男はしぶとく走り回り中々捕まらない。二人を追いかけていた私は段々と二人のスピードに追い付けなくなり、やがて二人の姿は完全に見えなくなってしまった。
はあ、はあ、と呼吸を整えながら私は一人で呆然と立ち尽くした。
ここはどこだろう。男は大通りからそれた細いグネグネと入組んだ脇道を逃げるから、すっかり道に迷ってしまった。
迷子。まさかこの年で。なんてことを面白おかしく言ってもしょうがない。これは笑えない事態だ。
はぐれないように、とはリーンハルト様から事前に何度も言い聞かされていた。けれど、万が一はぐれてしまったときの対処法を私たちは全く考えていなかった。
私もリーンハルト様も付き人を付けずに外出することに慣れていない貴族であることの弊害だ。こうした事態に陥ってしまうことを事前に予想できなかった。
「あ"~~どうしよ」
そんなことを呟いても、誰も応えてはくれない。今の私は一人なんだと自覚する。私は一気に心細くなった。
はぐれてしまった場合の待ち合わせ場所を事前に決めておくべきだった、と後悔してももう遅い。これからどうしよう。街を巡回しているであろう憲兵に「迷子だから保護してください」とでも言えばいいのだろうか。
引ったくり犯を追いかけているときは血が上って冷静さを欠いていた頭も、段々と冷静さを取り戻してくる。
さっきまで引ったくり犯を捕まえようと躍起に成っていたが、もしかして自分はとんでもないポカをやらかしたのではないか。あの男は武器を隠し持っているかもしれない。仲間がいるかもしれない。それなのに、あの男をリーンハルト様に追わせて良かったのだろうか。リーンハルト様を危険な目に逢っていたらどうしよう······。
不安になってしまっているからか、嫌な想像ばかりが頭によぎる。
あのとき、どうして「捕まえて!!」などと叫んでしまったのだろう。確かに結婚指輪は大切だが、リーンハルト様の身に何かあったら本末転倒ではないか。
このままではいられない。早く人通りの多い通りに出て、巡回中の憲兵を探し、事情を話さなければ。この聖国に在中している憲兵ならばこの辺りの街道にも詳しく、自分よりも効率的にリーンハルト様を見つけ出してくれるはずだ。
空を見上げ、月の位置を確認する。月の位置から方角の大体の目安をつけ、大通りの方角へ走った。
しばらく走っていると、私の足音だけが響いていた薄暗い路地裏に、人の話し声と漏れ出た蝋燭の光が差し込み始める。
私は一層明るい通りに飛び出した。
中央通りだ。私が引ったくりに遭った場所からは少しずれているけれど、おおむね元の場所に戻ってくることに成功したらしい。
やった!
私は暗闇と静寂の中で失いかけていた気力を取り戻す。
さあ、憲兵を見つけないと、と足を踏み出した瞬間、自分の脇に蹲っている人影を見つけた。
身なりからして、自分と同じお忍びの貴族か商人の者だろう。マントは目立たない色だが上質なものだし、ストロベリーブロンドの髪は艶があり、毛先も整えられていて、小まめに手入れされていることが分かる。
「大丈夫ですか!?」
思わず私は側に駆け寄り声をかける。
具合が悪くなって人が動けなくなっていると思ったのだ。
「······あんた」
若い女性だ。二十代前半か半ばくらいだろう。しかし、その頬には涙の跡があり、目は充血していた。
私は、自分が余計なお世話をしたのだと悟る。
「あの、大丈夫ですか?具合が悪かったり······」
違うだろうな、と思いながらも一度話しかけてしまった以上無視もできず、気まずさを隠すためにそんなことを尋ねた。
具合が悪くて蹲っていた、と言うより、これは、失恋して気落ちしていた、と言う状況ではなかろうか。
彼女は黙って私をじっと見つめる。責められている気分になった私は、そそくさとその場から離れようとした。
「あの、大丈夫でしたら私はこれで。失礼しました」
「楽しい?」
「え?」
「私のこと馬鹿にしてるんでしょ」
ひどい被害妄想だ。気分を害してしまったのは申し訳なく思うが、言いがかりをつけられる覚えはない。それに今はそんなことに構う暇はないのだ。
「すみません、急いでいるので――」
「どうやってリーンハルトを手に入れたの?」
ピタ、と足が止まる。
今、彼女は何と言った?リーンハルト?リーンハルト様を知っているの?
「あ······」
そのとき、私はようやく思い出した。
私を睨み付けている目の前の女性のことを。
あの夜会で、一瞬だけ目が合ったあの女性のことを、思い出したのだ。
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