愛を受け取れない人
確かに驚きはしたが、不思議とそんな話を聞いても、彼を嫌いに思う気持ちは沸き上がってこなかった。
普通に考えたら、覗き見して幼女に一目惚れするとかちょっと犯罪者じみているし、そんなことをする人物とは距離を取りたくなるはずなのだけれど、リーンハルト様から距離を取りたくなる気持ちは生じない。
だからと言って勘違いしないで欲しいのだが、私は幼女をそういう対象として見る行為に生理的嫌悪を感じる真っ当な感性の持ち主であるし、盲目的に彼の言動の全てを肯定している訳でもない。
故に、私に一目惚れした経緯については心の中の三割くらいは「えぇ······」と、どん引いている。
しかし、残りの七割は「べつに子供のときに手を出された訳じゃないしな」とか「今の私は幸せだし」とかいう考えからリーンハルト様を許容しているのだ。
もしリーンハルト様が私以外の子供に一目惚れしてたなら流石に私も許容できなかっただろうが、リーンハルト様が惚れたのは私である。それも、特に何かする訳でもなく、ただ私が成長するのを見守っていただけである(この世界で覗き見がどれ程の罪かは知らないが大したものではないだろう)。
それならまあ、いいか。と、思ってしまったのだ。
それに、リーンハルト様は幼女趣味とは違う気がする。私が成人した途端に興味を無くすならばともかく、成人しても私のことが好きなんだから、異常性癖とかではないはずだ。うっかり私に一目惚れするタイミングが早過ぎただけで、この人は純粋に私のことを愛しているだけなのではないのだろうか。そんな訳で、リーンハルト様に生理的嫌悪は感じない。ただ、そんなにも長い間私のことを好きでい続けたという事実に、いっそ感心するくらいである。
前世でも元生徒と結婚する教師とかちらほらいたしね。それと似たようなものだ。流石に未成年に手を出すのはどうかと思うが、成人してからならべつにいいと思う。
今の私は十八歳!前世でも今世でも成人!つまり何も問題はないな、ヨシ!!
「今の私は成人なので、何も問題はありませんし、嫌いませんよ」
カスパル様にそう言うと、カスパル様は複雑そうな表情を浮かべる。
「だとしても、幼女に一目惚れするか······?」
カスパル様はリーンハルト様のことを親友だと思っているし、私と末永く幸せでいて欲しいとは思っているが、それはそれとして、その感性を理解できないのだろう。
カスパル様は、リーンハルト様から遊び人であるかのような紹介をされていたし、事実恋愛に対して軽い人なのだろうけれど、結構そういう意識については常識的だ。
「リーンハルト様は少し変わっているので、そういうこともあるんじゃないですか?」
「それは······そうかもなぁ······。変わってなきゃ、実家乗っ取りとか王太子殿下に喧嘩売ったりしないよなあ······感性が独特だよな、天才って奴は」
私の返答を噛み締めるような口調で、カスパル様はそんなことを言った。
······って、リーンハルト様王太子殿下に喧嘩売ってたんですか。大丈夫?次期国王に嫌われるとか洒落にならなくない?
まあ、大丈夫か、リーンハルト様なら。
いざとなったら二人で外国に亡命しよう。
それにしても感性が独特、か。······否定できない。
決して悪い方ではないのだけれど、他者に対しての感情の出力の仕方がおかしいと言うか変わっていると言うか。
リーンハルト様はカスパル様とエーファ様と友人関係であるはずなのに、結婚式に呼ばなかったり、名前を呼ばなかったり、意識的か無意識的な行動かは分からないが、彼らに対して距離を取っているような態度をしている。
一方で、話したこともない私に対してどこまでも献身的な態度をとり、溺愛してくる。それでいて、私から好意を抱かれることはないと思い込み、見返りを受け取ろうとしない。
恐らく、リーンハルト様は、人間関係について不器用な人なのだろう。仕事の関係ならばともかく、プライベートの関係では、変な思い込みから気遣いを空回りさせたり、逆に無配慮な言動をしてしまったりしていることが多いような気がする。
特にリーンハルト様は、人から好意を受け取ることに、妙に臆病だ。
多分、根幹的な部分の自己肯定感が低いのだろうな、と思う。
結婚した直後の私が、リーンハルト様からの溺愛を信じ切れなかったように、リーンハルト様は、自分が誰かからの好意を受け取っていい存在だと思っていない。
だから拒絶する。
親友という関係を。名前を呼ばせる信頼を。深い愛情の見返りを。
彼の自己肯定感の低さがどこに由来するのかは、私は知らない。勝手な想像だが、恐らく、家族と不仲であったことや、平民の血を引いている自身の出生に関しての劣等感に由来するのではないかと思う。
リーンハルト様は、若い頃から優秀だと褒め称えられ、美しいともてはやされても、決して驕ることはなく、自身を研鑽し続け、誰にも馬鹿にされない地位と財産を手に入れた。これは、並大抵の精神と能力でできることではない。
彼が人並外れたことをやってのけた背景には、そうでなければ安心できなかったからではないだろうか。
リーンハルト様は先代公爵が正式に公爵家の後継者として認めたが、それでも平民の血を引いているという事実は消えない。生粋の貴族から嘲笑されることもあっただろうし、分家の人間に後継者の座を奪われるのではないかという不安もあったはずだ。
リーンハルト様が、誰にも脅かされることのない、確固たる自身の居場所と権利を守るためには、己の敵と成り得る存在を全て排除し、自分の力で公爵の座を手に入れるしかなかった。
彼の庇護を保証してくれる存在はいなかったから。
誰も彼の味方には成り得なかったから。
今やリーンハルト様は国中の貴族から尊敬と畏怖を抱かれる人物であり、一部の保守的な貴族や王族を除いて、彼を軽んじる者は存在しない。
実父を強制的に引退に追いやり、自身に従おうとしない分家の頭をすげ替えた鮮やかな手腕により、悪政に苦しめられていた多くの領民が救われ、傾きかけていたディルガー公爵家は立て直り、リーンハルト様は名主として名が知られている。
しかし、それは彼の能力についての称賛や尊敬であり、彼そのものを肯定するものではない。
リーンハルト様は親から、「生まれてきてくれてありがとう」と言われたことがあるのだろうか。能力や実績とは関係なく、自分の命そのものを肯定したことがあるのだろうか。
······ないのだろうな。きっと。
あったなら、自身に向けられた信頼や好意を受け止められたはずだ。
そんなことを考えているとコツコツと足早にこちらに近づいてくる足音が聞こえた。
「ペトラ」
「遅かったですね」
「すまない。うるさい羽虫に煩わされた」
「······何か言われたのか?」
戻ってきたリーンハルト様はカスパル様の質問には答えずに、私が持っていた空のグラスを宮殿の使用人に渡し、私の肩を抱き寄せた。
「帰るぞ」
「もうですか?」
「ああ。気分が悪い。じゃあまたな、カスパル。妻の側にいてくれたこと、感謝する。······夫人の名誉を損なう真似はするなよ」
「少なくともお前よりは礼儀正しいよ、俺は。じゃあな」
カスパル様はリーンハルト様を引き留めようとすることなく、ひらっと手を振って別れを告げる。リーンハルト様が夜会の途中で抜けるのに慣れているのだろう。
リーンハルト様の顔色はもう良くなっていたが、その表情は怒りと不快感で険しいものになっていた。
うるさい羽虫······嫌な貴族にでも会ったのだろうか。
一体誰にどんなことを言われたのだろうと、気になった私は後ろを振り返った。
すると、遠くにいた、ストロベリーブロンドの髪を結い上げた女性と一瞬目が合った。
瞬間、リーンハルト様は私の体を自分の体に押し付けるように強く引き寄せる。「見るな」と言外で私に伝えていた。
「誰ですかあの······ストロベリーブロンドの人」
「······何度断ってもしつこく僕に言い寄る淫売だ。お前に危害を加えるかもしれないから近づくな」
リーンハルト様の体にしなだれかかるような格好のまま、私はこくこくと頷いた。
近づきたくないと本心から思った。
一瞬だけ見えた彼女の忌々しげに歪んだ表情に心底ぞっとしたのだ。
しかし、私はそんな風に恐ろしく思った彼女のことを、翌朝にはすっかり忘れてしまったのである。
それが思わぬ事態を引き寄せるとは、このときは想像もしていなかった。
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