溺愛の理由が分からない
『嫌よ、嫌!!ぜーったいに嫌!!私はアドリクス殿下の妻になるの!!娼婦の息子と結婚するなんて嫌なんだから!!』
金髪を振りかぶりながら大声でわめき散らすのは、私の一つ年下の妹だ。
そして、彼女はビシッと私に指を指した。
『コイツが私の代わりに嫁げばいいじゃない!!性根が腐った者同士お似合いだわ!!』
妹が私のことを「お姉様」と呼ばなくなったのはいつ頃だっただろうか。思い出そうとしても、思い出せなかった。
『よかったじゃない、デビュタントもやってない貴女が結婚できるなんて』
妹は私にニタニタと意地の悪い笑みを浮かべる。
結婚はしたい。素敵な人と結婚して、子供を産んで、穏やかに人生を過ごせたらどんなにいいだろうと思う。
でも、そんな日は来ない。
だって、私は家族から嫌われた「名ばかり令嬢」。
でもそれは仕方ない。
私を産んですぐにお母様は亡くなってしまって、お父様は喪が明けるのを待つことなくすぐに再婚した。お婆様とお義母様の折り合いは悪く、お婆様は先妻の子である私だけを可愛がり、弟妹を無視し続けた。私だって本当は皆と仲良くしたかったけど、お婆様に怒られるのが怖くて、何もできなかった。お婆様が亡くなられてからは、お父様もお義母様も弟妹たちも皆私を無視したり、罵ったりするようになった。
食事も食堂ではなく自室で食べることを言いつけられ、ドレスも新調して貰えなくなった。夜会はおろか、お茶会に参加することすら許されない。デビュタントの準備だってして貰えなかった。
でも、仕方ない。
自業自得。
私がお婆様を止められなかったのが悪い。
私の結婚はそんな経緯で決まった。
お父様は最後まで渋っていたけれど、早く私を屋敷から追い出したいお義母様と妹に強く説得されて了承した。お父様は恐らく将来、妹が殿下と結婚できなかった場合、私より妹が下の身分になってしまうことを心配していたのだと思う。
この国で現在、未婚かつ婚約者がいない結婚適年齢の当主あるいは次期当主がいる公爵家はディルガー公爵家だけだから。
バルバト家は侯爵家。公爵夫人となる私よりも妹が高位に立つにはもう王族と結婚するしかない。年齢的に釣り合いがとれているのはアドリクス王太子殿下だが、他の貴族令嬢は勿論、他国の王女も王太子妃の座を狙っているのだから、その争いは厳しいものになるだろう。まあ、妹はよほど自信があるらしいが。
『いいか?嫁ぎ先でバルバト家の名誉を傷つけることを言うなよ?お前は長年病で静養していたが、回復したんだ。長年社交していなかった理由を聞かれたらそう言え。分かったな?』
結婚式が始まる直前、父が最後に私にかけた言葉はそれだった。私の扱いが外聞が悪いものだとは理解していたらしい。
別に言いふらすつもりはない。お父様たちが悪いとは思ってないから。······悪いのは、私。お婆様に贔屓にされていたのを気が付いていながらも、何もできなかった、この私なんだから。
あれ?っと思ったのは式の直前に、青いドレスを纏い、鏡の前でその姿を確認していたときだった。
どうして白のドレスじゃないんだろう?
自分でもどうしてそんなことを思ってしまったのか分からなかった。白なんて聖職者の服か喪服に使われる色なのに。そう思った瞬間、濁流が流れ込むように、頭の中に大量の記憶が雪崩れ込んできた。
日本という国で、生きていた記憶。その国では文明がとても発展していて、女性はこの世界と比べて遥かに自由だった。それだけでも十分すぎる衝撃を受けたが何よりもショックを受けたのは前と今とで私の性格がまるで違うところだ。その記憶の中での「私」は嫌なことは嫌だと主張するし、自分を高めるための努力を惜しまない気が強くて活発な女性だった。
今の、私とは、大違い。
『······マジか』
私は、ボソリと呟く。
······ああ、なんてことだ。いくら別人に生まれ変わってしまったからといって、こんな弱っちい女に成り下がるなんて!!
おい昨日までの私!!何やってんだ!!
何健気にドアマットヒロインやってるんだ!!反抗しろ!!
それとあの糞親父!!デビュタントもさせないとか何考えてるんだ!?基本貴族女性が結婚以外で生きられない世界なのに、そこサボるんじゃねぇ!!殺す気か!?つーか糞親父再婚早すぎるだろ!!そりゃお婆様怒るわ!!明らかに結婚中にも関係あっただろそれ!!お義母様と折り合い悪くて当然だわ!!
妹と弟無視すんのは違うけど、それだって私に責められる謂れはないだろうよ!!お婆様に言えよ!!文句があるなら直接!!お婆様が生きてるときに!!私悪くねーだろ!?と言うかお婆様から私一人だけ贔屓されてるって今まで思っていたけど、今振り返って見たら糞親父と義母が録に私を養育しようとしないから必死で私のこと代わりに育ててただけだな!?糞親父たちが私に何もしないからキレて無視して私をまともに養育してただけだわ!!
前の私を思い出した――いや、取り戻した私は段々腹が立ってきた。不甲斐ない自分自身と、自分に理不尽な悪意をぶつける奴らに。
『······やってやんよ』
私はもう、昨日までの私じゃない。
女嫌いの冷酷公爵だかなんだか知らないが、私はもうやられっぱなし、言われっぱなしにはならない。
婚約者を修道院に送ったとか、挨拶した貴族令嬢を侮辱したとか、実の父親を無理やり隠居させて、公爵家を乗っ取ったとか色々噂されているけど、知ったことじゃない。
例え相手が誰であれ、自分の矜持を踏みにじる奴はぶん殴る。
どうせ録な結婚にはならない。
なら、開き直って暴れてやる!!
『思いっきりざまあしてやる······!!』
············そんな感じで、結構身構えていたのだけれど。
「ペトラ、お前に似合いそうな宝石を買ったんだが受け取ってくれないか?」
「食事は口に合うだろうか?······それはよかった。苦手な食べ物があったら遠慮なく言ってくれ」
「庭園はもう見たか?どんな花が好きなのか分からないから色々植えてみたんだ。気に入ったものがあったら部屋に飾らせよう」
「もし使用人がお前に対して無礼を働いたらお前がその場で解雇しといてくれ。僕の許可は要らないから」
「愛している」
嫁いでから一週間、私は前世も含めた人生の中で最も居心地がいい生活を送っていた。居心地がよすぎて逆に居ずらいまである。
「············なんで?」
政略結婚のはずなのに、どうしてこんなに尽くされているのか、全く分からない。
女嫌いはどこに行った?
冷酷さはどこに行った?
前世で飽きるほど読んだざまあ展開の、ざの字すら見あたらないが?
本当に、どうして私溺愛されてるの?