貴方には、何も聞かない
「すまない」
「何がです?」
「お前に不快な思いをさせた」
リーンハルト様は眉に皺を寄せて、悔しげにぐっと拳を握りしめる。
「守ってくれたじゃないですか。妹や殿下から。嬉しかったですよ、私を素晴らしい妻と言ってくださって」
それで十分過ぎるくらいだ。それに、相手は王太子殿下である。下手に噛みついても厄介なことになったはずだ。
「守れてない······すまない······あいつが絡んできたのは僕のせいだ······僕はあの男に嫌われているから」
あいつって······リーンハルト様、不敬ですよ。
そうは想ったが私も口には出さなかった。私も敬いたくない、あんな人。
うまく言葉で説明できないけれど、嫌な感じの人だった。陽気で明るいのに、他人を嘲っているのが滲み出ていた。
「嫌われている、とは何故?」
「······学園にいた頃、同じ学年だったのだが、僕はあの男に媚を売らなかったんだ」
「はい?」
「僕が入学したときには既に、奨学金や推薦制度によって平民も学園に入学するのも珍しくなくなっていたし、身分によって学園の成績が評価されることもなくなってはいたが······それでも、身分による格差はあった」
「それは、そうでしょうね······」
身分制度がまだまだ強い権力を持っている世界。
身分低い者は必死で身分の高い者との縁を結ぼうとするし、身分の高い者は自分と自分の家門にたかろうとする存在から身を守りつつ、自分の派閥を大きくしようと画策するのがこの貴族社会の常識である。
学園は、学びの場でもあり、社交の場でもあったはずだ。誰でも仲良くとはいかなかっただろう。
「僕とあいつは同学年で、あいつは僕に何度か同じクラブに参加することを誘ってきたんだが······それを断ったり、試験で手を抜かなかったり、政治的な意見で対立したり、まあ、色々と······」
「逆に周りは忖度してたんですかそれ」
「あの男の周りにいる連中はうまくやってた。あいつは、無能や馬鹿は嫌いだけれど、それはそれとして、自分より優秀過ぎる男も嫌いだから」
うーん。それは······。
「べつにリーンハルト様は何も悪くないですよね?それ?」
ちっせえ男だな。不敬だから口に出して言わないけど。
リーンハルト様が優秀なのは悪いことではない。むしろ、優秀な人間を妬み嫌い、自分の側に置けない人間が王太子の方に問題があると思うのだが?周りも何故そんなことをするんだろう?そんな人間が王太子だからか。そんなことをしても、将来的に自分のためにも、国のためにもならないような気がするのだが。
「······どうだろうな。本当に世渡りがうまいやつは、自分の有能さを示しつつも、王太子殿下に不快な思いをさせないように立ち振る舞っている。僕は手を抜くことも、配慮することもしなかったから、あいつやその取り巻きからは嫌われた。そうでない貴族からも調和的でないと煙たがられたし、きっと迷惑をかけただろう」
悪いことをした訳ではないけれど、空気読めない奴だと思われるようなことだったってことかな?貴族社会的な考えは向こうの方がスタンダードだと。······大丈夫かこの国?
「殿下から嫌われて、嫌がらせとかされませんでしたか?」
「それなりに。でも全然大したことなかった。僕が······」
リーンハルト様は何かを言いかけて、突然固まった。そして、「何でもない」とごまかして、口を噤む。
「私には言えないことですか?」
「······すまない」
「いえ、言えないならば聞きません」
結婚して数ヶ月。もう慣れたものだ。
彼が私に何かを隠していることについて、何も思わない訳ではないけれど、無理に問いただしたくない。
好奇心は猫を殺すと言うし、私に聞かせるべき話だったら、リーンハルト様は話してくれるだろう。
そうしないということは、私が知らなくてもいい、あるいは知らない方がいい話だということ。
だから、これでいい。
何も聞かない。聞かなくていい。
今の私は、幸せなんだから。わざわざその幸せを手放しかねないことをする必要なんかない。
······本当に、このままでいいのだろうか?
ツキンと胸が痛む。
これは、私の我が儘だ。私は、この人が隠そうとしているものを暴きたいと思っている。それが、彼を傷つけてしまうかもしれないと知っているのに。
でも、知りたい。
だって、納得したい。安心したい。
リーンハルト様は――――。
「私のことを、愛していますよね?」
――――私のことを捨てないって。
なんの脈絡もない私の発言に、リーンハルト様は真剣な表情で答えた。
「愛している。この世界で唯一」
この数ヶ月で聞き飽きる程聞いた言葉だ。最初は嬉しさよりも困惑が勝った。次第に困惑は疑念や不安に変わった。やがて、相反する感情は釣り合いのとれた関係になり――今では喜びが疑念や不安を打ち消す程大きくなっている。
さっきまでリーンハルト様に抱いていた不安や寂しさがすうっと消えていく。
それなら、まあいいか、と思った。
「······信じます。それが確かであるならば、貴方には、何も聞きません」
この人の「愛している」を信じよう。どうして、私が愛されているのかが分からなくても、その事実は疑いようのないものだと。それは揺るがないのだと信じることにしよう。
「······今更だが、本当にそれでいいのか?」
「今更ですね。いいんです。もう貴方の想いは十分伝わりましたから。それとも、今聞いたら何を隠しているのか教えてくれますか?」
「······」
「ふふっ」
申し訳なさそうな顔を浮かべるリーンハルト様を見て、何だかおかしくなって笑ってしまった。
「夫婦だからと全てを共有する必要はないですよ。貴方に嫌な思いをさせてまで、貴方の隠し事を暴こうとは思いません」
「······でも、気になるだろう」
「はい。でも、それ以上に、貴方が私を愛していることを信じようと思ったんです。これって結構凄いことですよ、リーンハルト様。私が人を信じるなんて」
私の人間不信は前世からの筋金入りだ。元カレに浮気されたり、上司に仕事押しつけられたり、同僚に手柄を横取りされたり、慕ってくれていると信じてた部下に陰口を叩かれたりしたら当然そうなる。
他人を信用するな。他人に期待するな。
いつの間にかそれが私のモットーになっていた。
でも、数ヶ月間この人と一緒に過ごして、この人なら、信じてみてもいいんじゃないかと思えたのだ。
この世界で、唯一、自分の味方になってくれるのは自分だけだと思っていた。でも、今なら、自分の味方は自分だけではないと思える気がする。
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