再会
リーンハルト様と結婚して早数ヶ月が経ち、とうとう、このときがやってきた。
いつも以上に着飾った私は、ごくりと唾を飲んで、目の前にそびえ立つ建造物を見つめる。白い城壁は月明かりで銀色の淡い光を放ち、窓からは建物内の蝋燭による金色の明かりが漏れ出ている。庭園は広く、左右対称なデザインで色鮮やかな花々が咲き誇っている。まるでベルサイユ宮殿のような建造物だと思った。
我が国、リアス王国最大の宮殿にして、王族が住まうアリステラ宮殿。今夜、この場所で、王家主催の夜会が開かれる。
「緊張しているのか?」
「はい、少し」
嘘である。少しではない。物凄く緊張している。心臓はバクバクとさっきから早鐘を鳴らし続けているし、お腹がきゅう、と縮こまってしまっている。
私はデビュタントをしていない。デビュタントとは、十六歳になる年に、貴族令嬢が父親や兄などのエスコートを受けて、王家主催の夜会で国王陛下に挨拶をし、社交界デビューを果たしたことを周囲にアピールすることである。
基本的にどんなに落ちぶれた貴族の家でも、デビュタントだけはきっちりする。ドレスが買えないなら借金してでも用意するし、体調が悪くなってしまったら這ってでも行くのがデビュタントだ。
で、私はこのデビュタントをしていない。普通ならば家族あるいは後見人の手を借りて行われるものだが私を疎んじる家族はそれすらもやってくれなかった。これがどれ程非常識なことか分かってんのかね、あの糞親父どもは。
デビュタントとはその貴族令嬢が結婚相手を探す場でもある。デビュタントできない女性とは健康上問題があるか、精神疾患を抱えていると言っているようなものだ。
貴族令嬢は結婚しなければ生きられないのに、結婚の機会を奪うなんて。私はリーンハルト様が結婚を申し込んでくれたからよかったものの、本当に私をどうするつもりだったんだ、あの男は。修道院に入れるつもりだったのか?あるいは金のあるどこかの好色家にでも売りつける算段だったのかも。それとも······何も考えていなかったのかもしれない。単純に私のことを忘れていただけの可能性も十分にある。
話が逸れた。つまり、何が言いたいのかと言うと、私が夜会に参加するのはこれが初めてだと言うことだ。
お婆様がご存命だった頃はきちんとマナーの勉強をしていた私だが、実戦経験は皆無。
恥を忍んでリーンハルト様に頼み込み、改めてマナーの講師をつけてこの日のために数週間みっちり仕込んでもらったが、それでも不安が拭い切れない。
これが、侯爵令嬢のデビュタントならば、多少失敗しても、お目こぼししてもらえる。
しかし、今の私は公爵夫人。万に一つ、億に一つも、失敗は許されない。何故ならば、私の原動はディルガー公爵家とリーンハルト様の名誉に直結するからだ。
そもそも、公爵夫人にデビュタントもしてない令嬢が選ばれるのなんて異例中の異例の出来事である。ディルガー公爵家に好意的な貴族は公爵夫人に相応しい人物なのか私を見極めようとするだろうし、ディルガー公爵家に敵愾心を抱いている貴族は私の粗を見つけて、公爵家の名誉を貶めようとするだろう。そうでなくとも、今まで社交界に一度も出なかった小娘なぞ、好奇の目で見られることには違いない。
う~ん、責任重大!!分かってたけど!!
公爵婦人としての御披露目と社交界デビューを同時にやる羽目になったのは私くらいじゃないか?
だが、逃げる訳にはいかない。これは貴族として生まれた者の定め。リーンハルト様と結婚するまで忘れかけていたが、私は貴族令嬢なのだ。社交界デビューを果たし、家柄のために結婚して、貴族婦人としての務めを果たすのは当然のことである。
別に実家の連中が私のせいでどう思われようが知ったことではないが、リーンハルト様に迷惑をかける訳にはいかない。彼の名誉のために、私は絶対に何かやらかす訳にはいかないのである!!
「大丈夫だ。僕のそばにいて適当に相づちを打ってたら終わる」
「そういうものですかね······」
リーンハルト様が私を安心させるように、私の顔を覗き込みながら言った。
「何かあったら僕がフォローする」
「······ありがとうございます」
大丈夫、大丈夫。リーンハルト様がここまで言ってくれるんだから。
息を大きく吸って、吐き出す。まだ心臓は落ち着かないけど、少し気が楽になった。
「リーンハルト様の妻として、認められるように、頑張ります」
ぐっと拳を作って、自分を鼓舞するように宣言した。
すると、リーンハルト様は真面目な表情で口を開く。
「ペトラ。お前は誰が何と言おうと僕の妻だ」
「!」
「僕の妻だと、僕はもう認めているし、何かあっても絶対にお前を助けると約束する」
「!!」
前世も含めたこれまでの人生で、ここまで真摯に私の味方でいると誓ってくれた人がいただろうか。
「本当に、ありがとうございます」
感動にも似た、じーんと胸に沸き上がる温かい感情を、何と言い表していいのか分からず、ただそんなありふれた言葉を繰り返すことしかできない。
ふと、自分のドレスに視線を移した。
初めて一緒に劇場へ行ったときに、約束して作ってもらった淡い緑色のドレス。······リーンハルト様の色のドレス。
「リーンハルト様」
「どうした?」
「私、綺麗ですか?」
我ながら自分らしくない発言だと思う。屋敷で既にリーンハルト様は褒めてくださったのに、繰り返して聞くなんて、面倒な女だと思われてしまうかもしれない。
でも、今、彼からその言葉を聞きたかった。
「綺麗だ。この世界で、一番」
欲しかった言葉と同時に、ちゅ、とこめかみにキスが贈られる。
「~~~っ!!行きましょう!!」
キスまでは想定に入れていなかった私は、一瞬呼吸を忘れてしまう程の衝撃を受けたが、気恥ずかしさから逃げるように、その勢いのまま突き進んだ。
心臓の音はむしろうるさくなったくらいだけど、でも、もう、怖くない。
私には、リーンハルト様がいる。
そうして、私はリーンハルトと共に夜会会場に入場し、国王陛下や他の貴族の方と無事に挨拶をすることができた。最初は緊張していたが、だんだん会場の空気感にも慣れて、自然体で会話を楽しめるようになっていった。
社交界って、もっと怖いものだと思っていたのに、そうでもないな。なんて、考えてたときだった。
「元気そうね」
鈴を転がすような、聞き慣れた声が聞こえてきたのは。
「随分楽しそうじゃない」
優雅に、親しみを込めた笑顔で、しかしその裏に嘲笑を隠しながら、彼女は私に近づいてくる。
ビオラ・バルバト。
こうして私は、腹違いの妹と数ヶ月ぶりに再会を果たした。
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