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「どうした?ペトラ?」


 リーンハルト様が困惑した様子で聞く。彼からしてみれば、突然私が何の脈絡もなくおかしな行動をし始めたように見えるのだろう。


「······リーンハルト様、それ、本気で言っていますか?」


 私は天を仰ぐことを止め、リーンハルト様の顔を見つめながら尋ねる。


「ああ」


 真面目な顔で頷きながらそう答えるリーンハルト様。


「そんなことあるはずがありません」


 だって私は――いや、そこまでは思ってない。思ってない、はずだ。思わず出かかったその想いを胸の奥に押し込める。


 私が彼を捨てる訳がない。だって捨てる理由がない。今の生活にも彼自身にも不満がある訳ではなく、幸せすぎる日々を過ごしている。


 それに、この国において貴族女性の離縁はかなりリスクが高い。


 この世界、貴族女性は結婚しなければ基本的に生きていけない。結婚できないあるいは離縁された貴族女性は何らかの問題があると見なされて、社会から冷たい目で見られるからだ。それに加えて、貴族女性は基本的に働けないし、親から領地や爵位を受け継ぐこともできない。娘しかいない貴族の家は養子を取るか、娘ではなく、結婚相手の婿養子に領地と爵位を継がせるのが一般的である。

 稀に娘にも領地や財産を遺す貴族もいるが、法的な書類を遺すだけでなく、慎重に親戚に根回しして置かないと、口達者な親戚の男にその遺産をぶん盗られる。

 ある貴族が娘のために、法的手続きに乗っ取った遺書に「○○領を娘に相続させる」と書き遺したにも関わらず、「女よりも男である俺の方が相続権がある」みたいな言いがかりをつけて、本来娘さんが継ぐはずだった領地を横取りしたみたいな事例がそこそこあるらしいのだ。


 法律よりも屁理屈がまかり通るっておかしくない?


 この国の女性の権利の現状について知ったときに、そう思ったが、この国、と言うよりもこの世界の価値観からしたら女よりも男の方が優先されるのはそれほどおかしい考えでもないらしい。


 このような事情があるため、貴族女性が貴族らしく生きるには、父親ないし夫に養ってもらう必要がある。そのため、女性側から離縁を言い出すことはまずない。しかし、男性側から離縁を言い出すことはある。妻の不貞や不妊が主な理由だが、それは表向きの理由で実際はただの性格の不一致であったり、愛人を正妻にしたいと望んだからであったりすることも多い。


 離縁された女性は実家に戻るか、修道院に入ることになる。しかし、一度離縁された女性が再婚するのは難しく、基本的に修道院に入ることになるだろう。婚家から捨てられ、恥さらしとして実家から見限られ、俗世から離された場所に押し込められて、質素で清貧な暮らしを強要される。

 そんな屈辱には耐えられないと、多くの貴族夫人は夫に従うのだ。


 まあ、私はそこまで離縁に抵抗はないが。前世の感覚がある身としては、たとえ修道院に行くことになったとしても、嫌いな男と一緒に暮らすことの方が耐えられないと感じる。実家から恥さらしだと言われようと、別に何とも思わないし、貴族らしい生活に未練もない。元々あってなかったものだ。


 リーンハルト様が、私を軽んじる方だったら、盛大に暴れて、屋敷から出て行くつもりだった。けれど、リーンハルト様は私を軽んじるどころか溺愛している。この状況でわざわざ離縁する意味がない。


 それに、リーンハルト様以外の男に靡くなんてこともありえない。この人以上の男がこの世界にいるものか。


「どうして、貴方は、そうネガティブなんですか。私は貴方のことを、立派な人だと思っていると伝えたはずです」

「ああ、だが······」

「私が貴方を愛することはないのだと決めつけるのはやめてください」


 言いながら、ツキンと胸が痛んだ。この人が私からの愛を信じ切れないのは、この人のせいではないと気が付いたからだ。


「私は、」


 私に拒絶されてあんなに傷ついた顔をしたのを見て、私のために青いものをかき集めたことを知って、友人に私を会わせることすら嫉妬していた彼の様子を見ていたのに、それでも、まだ、私は――――。


「·········私は、貴方に、感謝しています。だから、貴方を裏切ることはしません」


――――この人に、同じだけの言葉と想いを返すことができない。


 一体何様なんだ私は。「愛してます」の一言も言えないで。こんなのは、公平(フェア)じゃない。分かっているのに······言えない。たかが一言。でも、それでも、それを言ってしまったら、私はきっと戻れない。


 私が変わってしまった後に、リーンハルト様が冷めてしまったら、私はどうすればいいんだろう。


 それが怖くて、言えない。




「そんな顔、しないでくれ」


 リーンハルト様が私の頬を優しく撫でる。


「悪かった。お前を疑ったんじゃない。ただ、不安になったんだ」

「不安?」

「だって、あいつは、いい奴だろう······それに、目の色も緑色だ」


 その言葉に、私は目をしばたかせた。

 確かに、カスパル様は緑色の目をしていた。でも、その色はリーンハルトさまの色とは全然違う。

 リーンハルト様の目はペリドットのような淡い緑色であるのに対し、カスパル様の目はエメラルドのような濃い緑色だ。


「リーンハルト様。私、貴方の目の色が好きと言いましたが、目の色だけが好きな訳ではないですよ。むしろ、性格とか仕事に対する姿勢とかの方に重きを置いています」

「そ、そうか」


 リーンハルト様は、その言葉に少し複雑そうな顔をした。この言葉は彼にとって嬉しくないものだったのだろうか。もしかしたら、プレッシャーのように感じたのかもしれない。




「安心してください。私は貴方が望む限り、一生そばにいますよ」




 リーンハルト様を安心させるために、笑顔を浮かべて、そう言う。まだ、「愛してます」は言えない。でも、このくらいは約束できるはずだ。


「······」

「?」


 すると、リーンハルトさまが固まった。どうしたのだろう、と思った瞬間、つうっと彼の目から涙が流れた。


「!?!!?どうしました!!?」

「え······ああ」


 リーンハルト様は涙に触れて、ようやく自分が泣いたことを自覚したような反応をする。


「わた、私、何かいけないことを言ってしまったでしょうか!?」

「落ち着け。これはただの······嬉し泣きだ」


 動転してしまった私を宥めるようにリーンハルト様は私の頭を優しく撫でる。


 その手は、温かかった。

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