思ってたのと違う
初投稿です。
何とか完結目指して頑張ります。
ほの暗い瞳でスッと射貫かれたとき、ぞわりと背筋を冷たい何かがほとばしった。
······落ち着け。ペトラ・バルバト······今はディルガーか。······大丈夫。今まで何度もあっただろう、こういうのは。
理不尽な悪意に晒されるのは。
ベッドの上で座っていた私は舐められないように、背筋を伸ばした。
何しろ最初が肝心である。この機会を逃せば彼と会話する機会は二度と与えられないかもしれない。
もはやテンプレと言っても過言ではないほどの異世界転生、姉妹格差からの身代わり政略結婚ときたら、やることは一つ。
ざまあである!!
「お前を愛することはない」とのたまい、自分だけが政略結婚の犠牲者であるかのように振る舞う顔だけ男を、思いっきりざまあしてやるのである!!
前世を思い出すのが今日でなければ、実家で健気にドアマットヒロインやってないで思いっきり暴れまわってやったというのに、くそう。
まあ、過ぎてしまったことは仕方ない。
目の前に佇むこの男は、つい数時間前に式を挙げたばかりの私の夫である。
プラチナブロンドの髪と、ペリドットのような美しい瞳を持つ、文句のつけようがないほどの美丈夫だ。
名をリーンハルト・ディルガー。先代当主を強引に隠居させ、若くしてディルガー公爵家当主になった、女嫌いで冷酷無慈悲な性格だと聞いている。
そんな男が政略結婚で私みたいな貧相で背の高い男女を押し付けられるなぞ、さぞ気に食わないことだろう。
そんなことを考えていたら、男は緩慢に口を開いた。
「ペトラ」
「はい」
きたぁ!!
さあこい!!「お前を愛することはない」と言え!!白い結婚の準備はできているぞ!!
「僕はお前を愛している」
「······はい?」
えっとぉ、聞き間違いかな?今「愛している」って聞こえたような気がしたんだけど、気のせいだよね?あと貴方一人称「僕」なんだ。意外。
「僕はお前を愛している」
「二回言った······」
「大事なことだからな」
どこかで聞いたことのあるフレーズだ。いや、そんなことを考えている場合ではない。これは一体どういうことだ。結婚初夜とは夫から「お前を愛することはない」と言われるものではなかったのか。
「······ペトラ」
「······っ!!」
彼はベッドの上に腰かけていた私の隣に座ると、するり、と私の頬を撫でた。くすぐったさと気恥ずかしさが体を駆け抜けていく。
「僕はお前を愛している」
まさかの三回目。もう驚きの余り言葉もでない。しかも今度は頬に手を添えられながら至近距離でそんなことを囁かれているのだ。顔がすこぶる美しい男に!!夜着を纏い色気を醸し出している男に!!至近距離で!!低く厚みのある声で!!「愛している」と囁かれているのだ······!!
「っ、ぁ、ひゃわ······」
前世今世含めて録な恋愛経験がない私には耐えられなかった。
鏡を見なくても顔が真っ赤になっていることが分かった。しかも、口からは言葉にもならない声が溢れるばかり。
いけない。このままでは普通の初夜になってしまう。ざまあではなくなってしまう。落ち着け、正気に戻れ、ペトラ!!このままだと、このままだと············あれ?べつにこのまま流されてもいいのでは?
私に酷いことする人にざまあするのは復讐だけれど、私のことを大切に思ってくれる人を蔑ろにするのはただの悪いことでは?逆にざまあされるんじゃない、それ?
「って、騙されませんよ!!」
私は飛び退いて、相手を睨み付ける。
「今日会ったばかりなのに、『愛している』も何もないでしょう!!」
危ない危ない、流されるところだった。そうだ、そんなことあるはずがない。
こいつは、今日初めて出会ったばかりの男。私が彼について知らないように、彼も私のことを知るはずがない。
だからこれは嘘だ。私を騙して弄ぶための。
「······お前から見たら、そうだろうな」
ポツリ、と男がそんなことを溢す。
「······どこかでお会いしたことが?」
「······いや、僕が一方的に知っているだけだ」
一方的に知っているって何だよ。そう思ったけど、そんなことはすぐにどうでもよくなった。
彼が、泣くのを堪えるかのような、何かを思い出しているような切なげな表情をしていたから。
「······私、人の顔と名前を覚えるのが苦手でして······いつ頃お会いしましたか?」
「いや、会ったことはない。······今日が初対面だ。知らないのは当然だ」
だったらそんな顔はしないだろう。そう言おうと思ったけれど、言葉にはしなかった。
聞いたら、彼の柔い部分を傷つけてしまうような気がした。
「こんなことを言ったら余計にお前を混乱させるかもしれないが············お前は僕を愛そうとしなくていい」
「はい?」
「僕がお前を愛するのが当然であるように、お前が僕を愛せないのも当然だと思っている」
「いや当然じゃないです。全然そんなこと思ってないです」
「お前は、僕を愛さなくていい」
一体、何が起こっているんだ。愛されないと思っていた相手に「愛している」と言われ、そのくせ、私には「愛さなくていい」と言う。
唖然とした。こんなことは全く想定に入れていなかった。
何だこれ。
私の頭はその言葉で一杯だった。
「ただ······僕のそばにいてくれ······ペトラ」
俯きながらそう懇願する彼の声は、かすれ、震えていて、酷く頼りなかった。
泣いているのかもしれない。
そう思った私は何だか落ち着かない気分になって、思わず彼に近づいて手を伸ばした。
瞬間、私の体は彼の腕の中に捕らえられた。
「ちょっと!?」
「······ペトラ」
咄嗟に逃げ出そうとした私を、彼は強く抱き締める。まるで、逃がさないとでも言うように。そして、私の耳元で、もう一度こう言った。
「愛している」
だから、何でだよ。
もう何が何だか分からない。ただ一つ分かることがあるとするならば、どうやら私が思い描いていたざまあはできなそうだということだけだった。