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溺れて、浮かれて、沈んでく

〈注意事項〉


過度なアドリブはお控えください


台本を使用する際は、タイトルと作者名を記載の上で上演お願いします。


課金制・無課金制問わず自由に使用してもらって結構です。


使用の際の連絡は不要ですが、作者にDMを送ってくだされば、聴きにいけたら行きます!


アーカイブも残っていたら、送ってくだされば聴きます!



Twitter(X):https://twitter.com/manaosoda_

サムネ画像:https://pbs.twimg.com/media/F9d8pg7XwAAJ4Sl?format=jpg&name=large


ーーー


全25,000文字


上演時間:約100分

(前編:45分、後編:55分。分けて上演しても可。)


ーーー


BGMイメージ:


中学聖日記より『First Love』

純愛ディソナンスより『Love dissonance』『Unchosen Path』


(モノローグM・ナレーションNの時に流したらとちょっと臨場感ますかもしれません。)


ーーー


ーーー


田村紀穂たむらきほ 女。与一の妻。個人でネイルサロンを経営している。普段は穏やかで優しい大人の女性。子供がいないことがコンプレックス。


田村与一たむらよいち 男。紀穂の夫。普通のサラリーマン。ひょんなことから俳優伊澤俊と知り合い、徐々に蜜な関係になっていく。


伊澤俊いざわしゅん 男。国民的俳優、伊澤俊。いつも明るく、盛り上げ役だが、どこか寂しい目をしている。幼少期に何かトラウマが?本文では触れられていない。


沖詩織おきしおり 女。新人の清純派女優、だが実際の性格は清純派とは言い切れない。


ーーー


ー前編ー



紀穂N「あの時、泣き崩れる貴方を見て、何があってもこの人のことを守ろうと誓った。」


与一N「あの夜、君が僕に寄りかかってきた時、君のためならなんでもできると思えた。」


俊N「あの朝、太陽に照らされる貴方の微笑みが、あまりにも優しすぎて、独占したいと思った。」


詩織N「あの瞬間、私はただ、まだ死にたくないと、それだけを必死に願ってた。」




紀穂N「あの年の私たちは、愛に溺れて、」


俊N「恋に浮かれて、」


与一N「深い深い暗闇の底へと」


詩織N「沈んだ」



【間】




(1年前)


紀穂「あ、与一さん!お弁当、忘れてる」


与一「あれ、本当だ、ありがとう」


紀穂「今日もお仕事頑張って」


与一「うん、紀穂さんも」


紀穂「うん、ありがとう。いってらっしゃい。」


与一「いってきます。」



紀穂N「結婚して6年。子供には恵まれなかったけど、夫婦二人、普通に、平凡な幸せを送っていると思ってた。


与一さんは普通のサラリーマンをしていて、平日は朝から晩まで働いてる。それでも週2日の休みはもらってるし、残業も少ないし、夜ご飯だってほとんど毎日一緒に食べれるし、


そんな普通の、平凡な毎日が続くんだと思ってた。


私は3年前にネイルサロンを隣の部屋に開業し、常連さんも、SNSの反響も着実と増えてきていた。ご近所の奥様方がお客さんのほとんどだけど、たまにインスタの投稿を見てきました、って言うお客さんが来ると、はじめてよかったなと思える。


ネイル以外の、日常の投稿もしたりして。主にお弁当が反響よかったりして、


子供がいなくても私たちの生活はこんなにも充実しているんだと、


幸せな「二人」の夫婦生活なんだと、世界に証明するために。」



与一「見たよ、レビュー。あっという間に人気ネイリストだね」


紀穂「ご近所さんが優しいだけだよ。」


与一「紀穂さんは本当に器用で丁寧だし、お世辞なんかじゃないと思うよ。ほら、これとかすごく素敵だよ。僕でもわかるくらい、群を抜けて上手。」


紀穂「ありがとう。そんなに褒めても何も出てこないよ。

明日のお弁当のメニューも決まってるし。」


与一「ありゃ、褒めたら、明日は僕の好きなだし巻き卵にしてくれるかなって思ったんだけど」


紀穂「与一さん、お医者さんから塩分は控えなさいって言われてるんだから、そんなの作りません。」


与一「そんなー」


紀穂「毎日の健康バランスも味もきっちりと考えたメニューにしてるから、美味しく食べてよね」


与一「美味しくいただいてますよ。周りからも好評で、具とか取られそうになるから、猛スピードで食べてる(笑)」


紀穂「だめよ、ちゃんとゆっくりと噛んで食べなきゃ。喉につっかえて窒息しても知らないからね」


与一「冗談だよ。ちゃんと一品一品、味をじっくりと噛み締めて食べたますよ。」


紀穂「そうしてちょうだい。ふふ、あはは」


(与一もつられて笑う)




与一「ごちそうさまでした。はぁ〜美味しかった!紀穂さんももう終わり?」


紀穂「うん。」


与一「じゃあ、お皿片すね。」


紀穂「ありがとう。あ、流しにおいといていいからね。まだお鍋とか洗えてないから。」


与一「じゃあ、デザートのあとに僕が全部洗うね」


紀穂「え、デザート?デザート買ってきたの?」


与一「え?あ!くそ〜サプライズにしようと思ったのに!!」


紀穂「あはは、なに買ってきたの?」


与一「うーん、じゃあそれは出てきてからのお楽しみ」


紀穂「ええ〜わかった。」


与一「はい、お皿並べて。」


紀穂「はい。…え、ねえその箱って」


与一「ふっふっふ」


紀穂「え、なんで?高かったでしょ?え?」


与一「じゃーん!」


紀穂「ええ!すごーい!ええ!」


与一「驚きすぎだって(笑)」


紀穂「だって、だってさ!ラ・ルミエールのケーキだよ!驚くよ!高級スイーツだよ!そんな誕生日でも結婚記念日でもないのに」


与一「感動?」


紀穂「感動通り過ぎて、感激だよ。ええ!冬限定の柚クリームチーズタルトじゃん!ねえ本当になんで?宝くじでも当てたの?」


与一「まあ、それに近しいけど、お店の抽選に当たって、ただでもらった。」


紀穂「ええ!すごいじゃん!強運だ!」


与一「うん、どうせケーキ買って帰るつもりだったからラッキーだったな。」


紀穂「え、なんでケーキ?何かあったっけ?」


与一「だって、ほら…」


紀穂「ん?」


与一「…ネイルサロン、オープン3周年記念でしょう?今日。」


紀穂「…へ?……あ!」


与一「もしかして、覚えてなかったの?」


紀穂「うん、完全に忘れてた。ていうか、逆に覚えてたの?」


与一「当然。ちゃんとカレンダーにも書いたし。」


紀穂「ああ、ほんとだ〜気づかなっ…た………っ(涙ぐむ)」


与一「で、どれにする?柚クリームチーズタルトか、フレジエか。」


紀穂「…っ(鼻を啜る)」


与一「?紀穂さん?え、泣いてる?!どうして、ねえどうしたの?」


紀穂「大丈夫…ただ、嬉しくて…与一さんの優しさが、暖かすぎて…いい人すぎて…私、なんて幸せ者なんだろうって…」


与一「紀穂さん…」


紀穂「…あれから、いろんなことがあったなとか…悲しい時も、苦しい時も、嬉しい時も、いつも、与一さんが一緒にいて…本当に幸せだなって…色々思い出しちゃって…」


与一「紀穂さん…おいで。」


(与一、紀穂を抱きしめる)


与一「紀穂さんが世界一幸せだとしたら、僕は紀穂さんの旦那さんになれて、宇宙一幸せだよ。こんなに一生懸命で、思いやりがあって、可愛い紀穂さんは、僕の自慢の奥さんです。紀穂さん、ネイルサロン、オープン3周年おめでとう。これからも、ずっと応援してる。紀穂さん、愛してるよ。」


紀穂「与一さん!大好き!」


与一「さ、ラ・ルミエールのケーキ、食べちゃおう!」


紀穂「うん!私、柚クリームチーズタルトがいいな」


与一「そうだと思った。はい。お皿貸して」



紀穂M「私たちは、宇宙一幸せな夫婦だと、心から、そう思ってた。」



(場面転換、数日後の夜)



与一「よし。今日も定時で終わり。お先失礼します!」


与一「ああ、すみません、妻がご飯作って待ってるんで、飲みはまた今度でお願いします。」


与一「はは、惚気じゃないですよ!んじゃ、お疲れ様でした。」



与一「ふぅ、『今から帰ります。今日のご飯はなに?』と。」


与一「お。はは、相変わらず返事が早い。カレーか!『楽しみ』スタンプは、あった。


定時終わりのカレーは最高だな〜」



詩織「ねえ、ねえ待ってよ!」


俊「うるさいな!もう俺に構うなよ!」


詩織「ねえ行かないで!!!」



与一M「わ〜痴話喧嘩かな〜堂々とドラマみたい」



詩織「そんなに、私のことが嫌いなら、私、死ぬよ!」


与一M「え?!ドラマチックだな〜」


俊「は?関係ねえし!」


詩織「今、ここで、死んでやるんだから!」


与一M「え、ちょっと、え?!ナイフ?!どうするべきなんだ、こういう場合」


俊「勝手にしろよ。もう俺とお前は、関係ねえだろ。」


詩織「…そう…わかった。本当に私のこと、嫌いになっちゃったんだね。そんな私に生きてる価値ないや。…さようなら」


与一M「え?!なんで周りの人誰も反応してないの?ああもう、こうなったら」


俊「っ!!待っ…!」


与一「(被せて)ちょっと待った!」


(詩織の腕を押して、ナイフを落とさせる)


詩織「え?」


(詩織の手を握りしめて)


与一「お姉さん、早まるのはやめましょう。あなたのことを愛してくれる人はたくさんいます。家族とか、友達とか、あなたが死んで悲しむ人は他にいると思うから、あんなクズ男のために死なずに、他に大切に思ってくれる人のために、お姉さんは生きるべきです!!」


詩織「え…あ、あの…」


与一「(息切れ)」


俊「ぷ、ははははは!!」


与一「大体あなたも!って、なに笑って-」


俊「(遮って)お兄さん、エキストラさんじゃないよね?もしかして、現場に迷い込んじゃった一般人さん?」


与一「へ?」


詩織「あの、そろそろ、手離してもらってもいいですか?」


与一「ん?え?」


俊「今、ドラマの撮影中。」


与一「え、えええええ?!」


俊「ははは、お兄さん最高。」


与一「あ、え?!あ、あなたは、」


俊「俳優の伊澤俊です。そして、こっちが」


詩織「沖詩織っていいます。」


与一「ああ、はい。見たことあります、テレビで。あの、妻が好きで…え?ドラマの撮影って…はっ、大変!申し訳ありませんでした!!」


俊「ははっ、僕たちに謝らなくても、あっちの方がだーいぶお怒りになってるので。」


詩織「監督が、呼んでますよ…(笑)」


与一「そ、そうですよね……本当にごめんなさい。」


俊「いいえ〜、逆にやっと休憩入れてありがたいです。」


与一「いやいや、そんな…、あ、監督さんに謝ってきます。」


俊「はーい(笑)」



与一「大変!申し訳、ありませんでしたあああああ!!!!」



紀穂「あはははは、はははは」


与一「紀穂さん笑いすぎだよ。」


紀穂「はぁーお腹痛い(笑)まさか、ドラマの撮影現場に土足で上がっていくなんて、ふふ


しかも、演技に割って入っていって、あははは!最高!最高だよ与一さん!!あはは」


与一「すごい恥ずかしかった。監督さんにはすごく怒られて、他のスタッフさん達から、なんか馬鹿にされたし。『名演技でしたよ』っ鼻で笑われてさ。」


紀穂「ははは、私もその場にいたかったな〜」


与一「本当にびっくりしたんだから、女性の方が「嫌われるくらいなら死んでやる」って叫んでて、カバンからナイフを取り出して、自分に刺す寸前で、どうすればいいかわからなくて、咄嗟に出た反応が」


紀穂「『ちょっと待ったー!』と。ふふ、でもそのナイフって小道具でしょう?本物じゃなかったんでしょう?」


与一「そんなの、遠くからじゃわからないし」


紀穂「そっか」


与一「紀穂さんだって、もし街中で、自害しようとしてる人がいたら止めに入るでしょう?」


紀穂「…まあ、うん」


与一「そう、僕はあくまで、心のある人間がすることをしたまでのことであって。逆になんで周りのエキストラが反応しないのかって、脚本に問題があると思うな。」


紀穂「ははは、与一さん逆ギレ〜(笑)


与一「(カレーを食べてる)ん。カレー美味しい。」


紀穂「へへ、不貞腐れてる〜」


与一「おかわり!」


紀穂「はーい」



紀穂N「もしも、本当に自害をしようとしている人を目の前にして、私も夫のように、止めに入ることができるかと聞かれた時、正直戸惑った。その時は「うん」と言ったけど、今となっては、その返事は嘘になってしまったな。」



俊「お疲れ様でーす。あ、詩織ちゃんも。長丁場お疲れ様。」


詩織「伊澤さん、お疲れ様でした。」


俊「いやー今日は傑作だったね」


詩織「ああ、あの割って入ってきたお兄さんのことですか?」


俊「そうそう。ふふ、今思い出しても笑っちゃう。」


詩織「そもそもどうやって現場に入ってきたんですかね、閉ざされていたはずなのに。」


俊「それが、なんか田村さんの会社のビルが、ちょうど閉めてた区域の間にあって、制作側が、会社に連絡入れるの忘れてたらしいんだよね。」


詩織「そうだったんですか。じゃあ、こちら側の不手際だったんですね」


俊「そう。ふっ、でも、田村さんもよく気づかなったよね、カメラもあんなにたくさんあったのに」


詩織「確かに(笑)あ…ていうか、田村さんって。」


俊「ああ、あのお兄さんの名前。田村与一さん。」


詩織「聞いたんですか?」


俊「監督が名刺くれた。いらないって言うから、なんなら僕がもらおうと思って。」


詩織「そうなんですか…」


俊「あ、そうだ!詩織ちゃん、あの時、田村さんに手握られたよね?」


詩織「え?!」


俊「田村さんイケメンだったし、いいな〜イケメンさんに手握られるなんて。僕も握って欲しかった〜」


詩織「伊澤さんこそ、イケメンじゃないですか。この間の全国投票で、4年連続、国宝級イケメン認定されたそうで」


俊「そうだけどさ、この業界、イケメンは女の子の手しか握らないようになってるんだよね。それしか需要ないっていうか?あーあ、僕もイケメンの手を握りたいな〜。そして優しく抱きしめられたい!」


詩織「…」


俊「ははっ、なんてのは冗談で、詩織ちゃんも早く帰るんだよ〜夜道は危ないからね〜」


詩織「あ、はい。…あの!伊澤さん!」


俊「ん?」


詩織「もしよかったら、ちょっと飲みに行きませんか?」


俊「…。いいよ!」




詩織N「伊澤俊が好きだ。明るくて、いつも現場を盛り上げてくれる。

初レギュラーで緊張してた私を、自然と周りに溶け込ませてくれて。まだ、完全に全員と打ち解けたわけじゃないけれど、伊澤さんとなら、なぜかスラスラとお話ができて。

居心地の良さと、ドキドキが合わさって、憧れと恋が入り混じる。

心の火照りを、お酒のせいにして、


伊澤さんも少し、寂しそうな目をしてたから、

彼の優しさにつけ込み、朝まで過ごした。


例え二人の想いが、誠実なものでなくても、私の人生の中で一番幸せな夜になった。」





俊「朝ごはん、作ったのに。」


詩織「雑誌の撮影があるので、行かないと」


俊「そう」


詩織「伊澤さんは今日はオフですか?」


俊「うん。だから、今日はゆっくりする〜」


詩織「いいですね。いつもお忙しいですもんね。」


俊「そうだね〜。だから大切な休みは、ちゃんと疲れを取らないと」


詩織「それでは、私は行きますね。昨日はお付き合いありがとうございました。」


俊「こちらこそ。」


詩織「また、ても


俊「また、現場でね。」


詩織「…はい。また、現場で。」


俊「(微笑む)



…はぁ。全然清純派じゃないじゃん(笑)


寝よ。」


俊N「僕は誰とでも寝れる。女でも、男でも、誰とでも。

でも心の方は、幼い頃から男性にしか惹かれなかった。いや、多分身体もどちらかと言うと、男性の方なんだろうけれど。


かっこいい男の子が好きだった。正義感の強く、スーパーヒーローみたいな男の子が。

最初はただの憧れだけだと思ってたけど、

歳を重ねるごとに、それは限りなく恋なんだと気づいた。


野球部のキャプテン。生徒会長。先生。

そして、」


俊「田村…与一、さん。ふふ。


会いに行っちゃおうかな…」



(午後)


与一「今日は、撮影は、してないな!よし!


『今日は撮影なし!素早く帰りま』」


俊「たーむらさん!」


与一「うわっ!え?伊藤、じゃなかった、井田…」


俊「伊澤です。あ、でも大声出さないでくださいね、今日はお忍びできてるので。」


与一「今日も撮影ですか?ごめんなさい、建物に戻ります。」


俊「違いますよ。お忍びって言ったじゃないですか。今日、オフなんです。」


与一「ああ、そうなんですか。え、伊澤さん、こんなところにいていいんですか?」


俊「田村さんに会いにきました。」


与一「え?」


俊「だから、田村さんに会いにきました。」


与一「なんで?」


俊「仲良くなりたくて。」


与一「…ん?なぜ?」


俊「かっこいいから。」


与一「ほう。…は?!」


俊「昨日の台詞感動しちゃったので。」


与一「はっ! う、思い返さないようにしてたのに…」


俊「ははは、でも本当に、かっこいいと思いました。正義感、強いんですね。」


与一「ああ、そうなんですかね?」


俊「そうです。こんなクズ男と比べたら、それはとてもかっこよかったです。」


与一「クズ…あ!ごめんなさい!あの時は、」


俊「役に向けてですよね。」


与一「あ、はい…」


俊「で、どうでしょう?お茶でもしませんか?」


与一「え?」


俊「近くに、僕のよく通ってる喫茶店があるんですけど」


与一「はあ」


俊「お忙しいですか?」


与一「え、ああ、じゃあ…少しだけ。」


俊「はい!」


与一M「紀穂さんに連絡入れとかなきゃな。『伊澤さんとお茶してから帰るね』と」


俊「奥さんですか?」


与一「え、ああ、はい。」


俊「すごいですよね。ネイルサロン営んでるなんて。」


与一「知ってるんですか?」


俊「はい。SNSで話題になってますよ。今度僕も行ってみようかな。」


与一「伊澤さんもネイルを?」


俊「まあ、役によっちゃダメな時もあるんで、あまり長くはできないんですけど。例えば、昨日撮影してたドラマの役柄、あいつは、ネイルはダメですね。」


与一「そうなんですか。大変そう。」


俊「まあ、見た目の自由は効きませんね。役のためにガリガリになって、1週間で鍛えろ!とかありましたし」


与一「ええ!すごいですね。尊敬します。」


俊「ええ〜そう言ってもらえると嬉しいな〜はは。あ、ここです。この喫茶店。」


与一「ああ、ここ」


俊「え、知ってました?」


与一「はい。よく、妻と来てました。付き合ってた時とか、結婚当初とか、。」


俊「…へえ、そうなんですか。じゃあ、どこかですれ違ってたかもしれませんね!僕も愛用してる喫茶店なんで!昔ながらの雰囲気でいいですよね〜」


与一「はい。落ち着きます。」


俊「いつもどの席に座ってるんですか?」


与一「ここの窓際の席が定位置でした。」


俊「え?!僕、そのすぐ横のカウンター席です。」


与一「じゃあ、すごい近くにいたかもしれませんね!」


俊「ですね!はは、でも今日は田村さんの定位置に座りましょう」


与一「え?」


俊「あ、ダメですか?奥さんとの想い出が詰まったとか…」


与一「あ、いや、たかが席ですし、他にもいろんな方が座られてるので、」


俊「…そうですか。二人だから、カウンターよりもこっちの方がいいかなって思ったんですけど。」


与一「はい。それがいいと思います。」


俊「(笑顔で)ありがとうございます。」



与一N「今思い返せば、裏切りの始まりは、ここからだったのかもしれない。


紀穂さんとの淡く、儚く、切ない思い出を、他の人と入れ替えた。

この一歩を許してしまったことが、一番の裏切り行為だったのかもしれない。


紀穂さんの席を上書きしてしまったこと。」



俊「化石博物館巡りって、マニアックな趣味ですね」


与一「紀穂さんにも言われます。あ、紀穂さんって言うのは妻の名前なんですけど、

なかなか興味持ってくれなくて、いつも一人寂しくめぐってます。」


俊「お友達は?」


与一「この町に友達がいなくて、まあいたところで、あいつらも、化石に興味ないんですけど(笑)」


俊「そうなんですか。じゃあ、今度展示がある時、僕を誘ってください。」


与一「え?」


俊「一緒に化石巡りするお友達になります。」


与一「あ、そうじゃなくて」


俊「お友達、ダメですか?」


与一「それは、全然、嬉しいことですけど、伊澤さん、お忙しいのでは」


俊「だから、まあ、もしオフの日が重なったらですけど。」


与一「そうですよね。」


俊「はい。あと、俊でいいですよ。」


与一「いや、それは流石に、俳優さんを名前で呼ぶのは…」


俊「お友達。でしょう?僕も、与一さんって呼んでもいいですか?」


与一「え、ああ。じゃあ、俊くん。」


俊「はい!」


与一「っ…(少しときめく)」


俊「ふふ、今日は与一さんのことをたくさん知れたな。


小さい頃、スーパー戦隊のレッドに憧れていたこと。」


与一「俊くんだって憧れていたでしょう」


俊「はい。僕はブルーに憧れてました。


高校時代、野球部のキャプテンをしていて、全国大会まで行ったこと。

そして、趣味は化石巡り。」


与一「僕だって、俊くんのことたくさん知ったよ。


タヌキが架空の生き物だと思っていたこと。」


俊「だって本物見たことないし」


与一「台本、一回読めば覚えられるって言うのは嘘で、本当は隠れて夜通し練習していること。」


俊「これ、他言無用だからね。営業妨害になるから、与一さんと僕の秘密。」


与一「はいはい。それから、初恋は、小学校の時に甲子園を見に行った時の、野球部のキャプテン…」


俊「なんか野球に縁があるのかな、僕。ふふ」


与一「え…」


俊「お会計してきます。」


与一「…(胸に手を当てる)はっ、あ、僕が」


俊「いいよ、いいよ。僕が誘ったんだし。」


与一「そんな」


俊「じゃあ、今度、与一さんが出して?」


与一「…上手いね。俊くん。」


俊「ん〜?何が?」


与一「今度は、うちに来てよ。」


俊「え?」


与一「紀穂さん、きっと喜ぶから。」


俊「…そう?いいの?」


与一「紀穂さんがきっと、栄養バランスを考えた、豪勢な手料理を振る舞ってくれると思うよ」


俊「はは、与一さんじゃないんだ。」


与一「僕も作れるけど、紀穂さんの方が器用だから。」


俊「じゃあ、お言葉に甘えて。オフの日がわかったら教えるね。あ、そうだ、連絡先、交換してもいい?」


与一「…うん。」




与一N「家に帰ると、紀穂さんは、僕に靴を脱ぐ暇さえ与えず、喫茶店での出来事を全て吐けと言ってきた。伊澤俊のファンだからというか、普通に芸能人とお茶をしてきた夫、というにわかに信じがたい話に食いつくように聞いてきた。


僕は多少省略して話した。


例えば、窓際の席に座ったことは言わなかった。紀穂さんの席に俊くんが座ったこと。


言っても、紀穂さんは「関節お尻だ」とか言って興奮するだけだったかもしれないけど、

なぜかその情報を、自然と省いた。


俊くんと呼び始めたことと、俊くんの初恋が、野球部のキャプテンだったからかもしれない」




詩織「伊澤さん、なんか最近テンション高いですね。」


俊「ええ、そうかな〜僕は生まれつきテンション高いよ?」


詩織「ここ数週間でです。何かいいことありましたか?」


俊「へへ〜わかっちゃう?」


詩織「もしかして、好きな人ですか?」


俊「…。」


詩織「役者のくせに、隠すの下手ですね」


俊「うるさいな〜」


詩織「…好きな人なんですね。」


俊「誰にも言わないでよ。」


詩織「さあ、どうしようかな〜」


俊「言ったら、詩織ちゃんが僕と寝たこと話して、一緒に底に落ちてもらうから」


詩織「うわ〜ブラック〜」


俊「今更、そういう業界でしょう」


詩織「…確かに。じゃあ、誰にも言わないので、私ともう一回寝てくれますか?」


俊「…おぉ。なに〜?詩織ちゃん僕のこと好きなの?」


詩織「はい。」


俊「こんなちゃらんぽらんな人好きとか言っちゃって、清純派女優の名前が廃るよ〜」


詩織「私、清純派じゃないです。」


俊「知ってる。」


詩織「…(返事を待ってる)」


俊「僕意外と、一途なんだよね。好きな人ができたら、その人を手に入れるためになんでもする。」


詩織「それって一途なんですか?」


俊「そうでしょう?その人を一番に思ってるってことなんだから。詩織ちゃんは?僕に一途?」


詩織「…っ」


俊「僕のために、なんでもしてくれる?」


詩織「…はい。」


俊「そっか〜そうなんだ〜


あっ、(メッセージをみて)…今日って何時までだっけ?」


詩織「20時までって言ってましたけど。


私の一途に振り向いてくれることはあるんですか?」


俊「それは、わからないけど、頑張ってみたら?僕も、今頑張ってるし。


よし!今日は巻いてこう!目指せ1時間巻き!ふふーん」


詩織「……そんなに幸せモード出してて大丈夫ですか?今日の撮影、だいぶ病んでるシーンですけど…」


俊「大丈夫大丈夫。スイッチ入る時は入るから。」


詩織「流石。プロですね。」


俊「この仕事何年やってると思ってるの?」


詩織「そうでした。何年…何人と……」


俊「ん?なんか言った?さ、今日も頑張ろう!なんなら2時間巻いて行こう〜!」


詩織「…」


俊「もう元気ないな〜詩織ちゃんも!おー!」


詩織「おー!」



詩織「…」




(田村家にて)


紀穂「伊澤俊って何が好きなんだろう〜!もうメニュー考えちゃったけど、食材も買っちゃったけど!ええ〜どうしよう〜もし口に合わなかったら〜…そもそも芸能人って普段なに食べるの?絶対五つ星レストランとか、どっかの地下にある隠れ家的高級店だよね!そんな人がうちに来るなんて…ヒィぃ!緊張してきた!!


(DM通知)


ん?予約申請かな?


え、何このアカウント…


『伊澤俊には気をつけろ』…?


なにこれ。不気味〜…ブロックブロック。



なんで、このタイミング…気をつけろ、ってどういう意味?」




与一「ふぅ、ちょっと定時超えちゃったな…


俊くんが来ちゃう前に早く帰らないと。紀穂さんにも連絡入れて…


…っ


はい、もしもし」


俊「あ、与一さん?僕頑張って、撮影巻いたんだけどさ、早く着きすぎちゃって、最寄り駅にいるんだけど、与一さんもうすぐ?よかったら、一緒に向かおうかなって。」


与一「え?あ、そっか。ごめん、今、会社を出る頃だから、あと30分くらいかかる。」


俊「そっか。さっきまで詩織ちゃんと一緒にいたんだけどさ〜」


与一「詩織ちゃんって、女優の」


俊「そう!沖詩織ちゃん。あ、でも勘違いしないでね。別にやましいことは何もないし」


与一「っ…」


俊「ああ!与一さんもしかして嫉妬しちゃった?奥さんに怒られるよ〜」


与一「違うよ!僕たちそういう関係じゃないし」


俊「そうだよね〜、仲良いだけだもんね」


与一「もう。待つのあれだったら先に向かってていいよ。紀穂さんも喜ぶと思うし。」


俊「え?それは違うでしょ?だって僕は今日、与一さんに誘われて行くんだから、与一さんよりも早く行っちゃ変だって。それに、紀穂さんだってまだ用意してるかも知れないし。そんな時にお客さんきたら、一人で用意しながらのおもてなしも大変でしょう?」


与一「それもそっか。」


俊「うん。だから、駅で与一さんのこと待ってるね。」


与一「あ、じゃあ寒いから、どこか入って待ってて。すぐ向かうから」


俊「うん、わかった。じゃあ、あとでね。」


与一「うん。」



紀穂N「その時はまだ、一緒に来た二人になんの違和感も覚えなかった。」



俊「あ!与一さん!」


与一「お待たせ。行こうか。」



紀穂N「伊澤さんが与一さんに向けてた視線も、与一さんが伊澤さんに向けてた視線も。違和感に、気づけなかった。」



俊「本日は、お招きありがとうございます。俳優の伊澤俊と申します。これ、大したものじゃないんですけど。最近差し入れとして流行っている、羊羹です。」


紀穂「あ、ありがとうございます。妻の紀穂です。夫がお世話になっております。…あ、あの、狭い家ですけど、ぜひ、ゆっくりしていってください。」


俊「はい。ありがとうございます。」


紀穂「あ、スリッパ、お使いになられますか?」


俊「ご親切に、ありがとうございます。」


紀穂M「さ、爽やかああ」


紀穂「あ、では、どうぞ、こちらに。」


俊「はい(爽やかスマイル)」


与一「紀穂さん、リラックス、リラックス。すごい緊張してるよ。」


紀穂「だって、あんな爽やかイケメン、今まで見たことないもん。与一さんもよく直視してられるね」


与一「緊張するけどね」


紀穂「やっぱり?爽やかすぎて眩しい」


与一「うん、そうだね」


俊「これ、二人の結婚式の写真?紀穂さん美人〜」


紀穂「ええ?!そんな、…いえ、あ、はい…あの」


俊「はは、緊張しすぎ。職業柄、画面に映るだけで、僕も中身は普通の人だよ。王族とか、貴族とか、御曹司とかじゃないし。」


紀穂「は、はぁ…」


俊「あ、ねえ与一さん。与一さんの化石コレクション、見せてよ。」


与一「いいよ。あ、でも、」


紀穂「まだ少し時間かかるから、大丈夫だよ。用意できたら呼ぶね。」


与一「わかった。」



紀穂N「そうして、寝室に向かった二人は、きっと化石なんか見ている余裕などなく…


なぜあの時の私は、あんなあからさまなことに気づかなかったのだろう。


食事中にも、不可解な発言が、何度も飛び交っていたのに。」



与一「明後日クランクアップのあとどうしたい?」



紀穂N「とか」



俊「ああ、また与一さんグリーンピース残してる。僕には食べろっていうくせに」



紀穂N「とか」



与一「いつもそれ言うよね。」



紀穂N「また?いつも?自分の家なのに、自分の夫なのに、なぜか、話の輪から追い出されたかのような、私のいない、二人の世界が広げられたかのような…私の方を見ていないような…


今思えば、あの時のモヤモヤは、すでに不信感だったのかも知れない。


『伊澤俊には気をつけろ』、あの時もっと気をつけていれば。


「仲のいい友達」という枠以上の関係を見抜くことができていれば。


もしかしたら、」




ー前編【完】ー


ー後編に続くー


ーーー


ー後編ー



(半年後)



紀穂「はーい!いらっしゃい!沖詩織様でお間違い無いですか?」


詩織「はい。13時に予約しました、沖詩織です。」



詩織N「田村与一と伊澤俊の出会いから半年間、私は二人の関係性を疑った。


というか、伊澤さんのことをもっと知りたくて、近づいたら、とんでもない証拠を手に入れてしまい、思わず私が向かった先は、」



紀穂「お待ちしておりました。どうぞこちらへ。」




詩織N「この日、私は一線を超えてしまったことによって、私の生死を決定した。」




詩織「すごい、素敵なところですね。」


紀穂「そうですか?ただアパートの一室を借りただけなんですけど。」


詩織「だからなのか、アットホーム感があって落ち着きます。」


紀穂「それは、よく言われます。お飲み物、冷たいのとあたたかいのどちらにいたしますか?」


詩織「冷たいので。」


紀穂「冷たいのですと、緑茶、麦茶、烏龍茶、それから、カルピスも、ございます。」


詩織「ふふ、じゃあ、カルピスで。」


紀穂「かしこまりました。では用意してきますね。ご自由におくつろぎください。」


詩織「カルピスってお子様みたいですかね?」


紀穂「いいえ〜、私もその4択でしたら、カルピスを選ぶと思います。」


詩織「ですよね」


紀穂「はい。美味しいですよね。カルピス。」


詩織「美味しいです。」


紀穂「はい。こちらに失礼します。」


詩織「ありがとうございます。」


紀穂「今日はマニキュアのジェルデザインでお間違いありませんか?」


詩織「はい。それでお願いします。」


紀穂「ご希望のデザインがございましたら、お伺いいたします。」


詩織「ああ、デザインブックとかってありますか?」


紀穂「はい。今、お持ちしますね。」




詩織「この、『海底』ってデザインにします。」


紀穂「大人っぽくて素敵だと思います。」


詩織「ありがとうございます。職業柄、清純派っていう枠にはめられてるので、普段は淡いピンクとかなんですけど、今回は久しぶりに長い休みが取れたので、かっこいい大人のデザインにしてみたくて」


紀穂「いいと思います。もう撮影は終わったんですか?」


詩織「はい。先日クランクアップして、って、私が女優だって知っていたんですか?」


紀穂「そりゃあ、有名ですから。今観てますよ、『飛行姫』。なんなら録画もしてあるので、今流しましょうか。」


詩織「ああ!それはいいです!」


紀穂「ふふ、冗談です。準備が整いましたので、椅子にお座りください。」


詩織「もう…


でも、すごく落ち着いた反応してくれて、こっちも落ち着きます。」


紀穂「そうですか?」


詩織「はい。他のところだと、沖詩織だってバレた瞬間に辿々しくなったり、「作品観てます」とか「ファンです」とか、他の俳優さんの話や業界の話に一気になって、あまりリラックスできないというか。」


紀穂「そうですか。プライベートで来てるんだから、仕事とは関係ない話したいですよね」


詩織「はい。」


紀穂「あ、でも、私も『飛行姫』観てますって言ってしまいました。」


詩織「それくらいならいいですよ。」


紀穂「よかった。まあ、うちには他に俳優さんがよく遊びに来てくださるので、芸能人も普通の人なんだって、思えるようになっただけなんですけど」


詩織「そう、なんですか。」


紀穂「はい、誰かとまでは言えませんけど、夫が馬鹿して、仲良くなってしまったんです。」


詩織「もしかして、撮影現場に乱入した?」


紀穂「え、よく知ってますね?あ、そうだ!沖さんもその現場にいたって夫も言ってました。そうだったんですね。その節は、夫がご迷惑おかけしてしまい、申し訳ありませんでした。」


詩織「いえいえ、面白かったです。新鮮でした。驚きましたけど。すると、その仲良くなった芸能人って言うのは…伊澤俊さんでしょうか?」


紀穂「はい。夫は、この町に友達が少ないので、ありがたいんですけど、伊澤さんに迷惑をかけているんじゃないかってたまに心配になりまして。」


詩織「…そうですか。それは、心配になりますよね。(小声で)また違う意味で」


紀穂「え?」


詩織「いえ、なんでもありません。ところで、このスクラブ、なんの匂いですか?」


紀穂「松です。」


詩織「ですよね。だと思いました。落ち着きます。」


紀穂「そうなんです。タオルで巻いていきますね。熱かったら言ってください。」


詩織「はい。」


紀穂「でも本当にお綺麗ですね、沖さん」


詩織「え?」


紀穂「指先までとても整ってて、透き通るようなお肌で羨ましいです。私なんて、ネイリストなのにガサガサな手で、お見苦しいです。」


詩織「でも、それは一生懸命仕事している証です。母も言っていました。苦労人の手は、家族を支えている証だと。」


紀穂「ありがとうございます。ふふ。休みの日はどこか旅行でも行くんですか?」


詩織「特に決めてないですけど、とりあえず実家に帰って、家族に顔を出そうかなって」


紀穂「それはいいですね。」


詩織「旅行にも行きたいですけどね」


紀穂「例えばどこに?」


詩織「そうですね、アイスランドの温泉に入ってみたいです。」


紀穂「あそこ、美肌にいいって言いますもんね。」


詩織「そうなんです。」


紀穂「恋人はいないんですか?一緒に海外旅行にいく、特別な人とか」


詩織「いませんよ。好きな人はいますけど」


紀穂「へえ〜」


詩織「って、なんで紀穂さんに話しちゃってるんだろう」


紀穂「誰にも漏らさないので名前も教えてくれてもいいんですよ〜」


詩織「流石に名前までは言えません。」


紀穂「ええ〜そうですか〜、案外伊澤さんだったりして。共演してらっしゃいましたし。」


詩織「さあ〜どうでしょう〜」


紀穂「わあ、女優さんのポーカーフェイスは流石に見破れませんね〜」


詩織「本職ですから」


紀穂「ふふ、で?好きな人には振り向いてもらえそうなんですか?」


詩織「…それが、全く。」


紀穂「そうですか。その方のどういうところが好きなんですか?」


詩織「…落ち着くところですかね、一緒にいると」


紀穂「大事ですよね、落ち着くことって」


詩織「全然落ち着きのない人だし、安心するわけでもないんですけど…」


紀穂「でも落ち着くんですか?」


詩織「はい…多分、同類だから」


紀穂「同類…」


詩織「は〜あ!なんか温泉に入りたくなってきました。アイスランド行こうかな〜」


紀穂「温泉なら、日本にもたくさんあるじゃないですか。」


詩織「そうですね。家族を連れて温泉旅行っていうのもいいかも知れません。」


紀穂「一家団欒、いいんじゃないですか?」


詩織「ただ、あまり目立ちたくないので、そこが海外に行きたい理由でもあります(笑)」


紀穂「芸能人特有の悩みですね。そうなると、早くしないと世界進出して、海外でもゆっくりできなくなってしまいますね」


詩織「世界進出は流石にまだまだですよ」


紀穂「そうですか?(笑)お湯に腕を入れてください。」


詩織「紀穂さんこそ、ご家族と旅行とか行かないんですか?」


紀穂「うーん、夫が休み取れたらですかね〜」


詩織「お子さんも学校ありますもんね」


紀穂「…子供は…いません」


詩織「…あ、ごめんなさい。勝手に」


紀穂「ああいえ。もしかしてSNSをみて思いました?」


詩織「はい、ごめんなさい。紀穂さんの作るお弁当いつも見てて」


紀穂「いつも、見ててって、なんか芸能人になった気分です(笑)女優さんに言われるとさらに」


詩織「あ、ふふ」


紀穂「でも、ごめんなさい、勘違いさせるような投稿で。


子供欲しかったけど、できなかったから、お弁当作る時、子供用にも作るならって仮定して、写真撮ってるだけなんです。


あ、でもちゃんと食べてますよ。私が。」


詩織「そう、なんですか。


養子とかは?あ、すみません。不躾なこと聞いてしまい。」


紀穂「いえ、大丈夫ですよ。でもそうですね、養子はとらないと思います。」


詩織「それはなぜ…って聞いてもいいですか?」


紀穂「…ツミキに、悪いから。」


詩織「ツミキ…」


紀穂「生まれるはずだった、私と与一さんの子供です。」


詩織「…っ」


紀穂「予定日の、1週間前です。飛び出してきた車にびっくりして、転んでしまい、ツミキを失ってしまいした。」


詩織「事故…?」


紀穂「うーん、まあ事故と言ったら、事故なんですかね?車も信号無視しようとしてましたし。でも、別に当たってないです。私が驚いて、勝手にこけて、勝手に、ツミキを…」


詩織「…辛いこと、思い出させてしまってごめんなさい。」


紀穂「こちらこそ、暗い話をしてしまってごめんなさい。」


詩織「いえ…」


紀穂「まあ、だから、私がツミキの分まで幸せに生きないといけないんです。私が勝手に奪ってしまったツミキの人生を、他の子供で代用するなんてできませんし。

事故の影響で、子供を産めない身体にもなってしまって、ちょうどよかったです。天罰だって。おかげで、ちゃんと最後まで罪を忘れることはないと思うので。


旦那にも辛い思いをさせているのはわかるんですけどね。一緒に背負わせてしまってるなって、でも、そう決めたことなので。」


詩織「そうですか…でも夫婦二人生活も充実してますよね?夕飯の写真もすごく素敵で、いつも観てます。今晩の投稿も楽しみです。」


紀穂「ありがとうございます。でも、ごめんなさい。今日は更新されません。与一さん…旦那は今日は出張なので。私のひとり飯です。


食べてくれる人がいないと、やっぱり、雑になってしまうんですよね(苦笑)」


詩織「あ、…その…私また、何度も無神経に、ごめんなさい。」


紀穂「いえ…気にしないでください。」



詩織M「それからの間、気まずい沈黙が続いた。やらかしたと、思った。


次、何を言おう。どうやって今日の目的を切り出そうかと、着実と、海の底が描かれていくなか、考えた。」



紀穂「はい。出来ました。どうでしょうか?」


詩織「素敵です。ありがとうございます。」


紀穂「あの、もしよかったら、SNS様に写真だけとってもいいですか?」


詩織「え?」


紀穂「あ、ネイルの写真だけです。顔は写しません。」


詩織「それなら、大丈夫です。」


紀穂「ありがとうございます。」




詩織M「いい人なのに、悪くないのに、傷つけたくないのに、どうやって、切り出そうか考えた結果、私は爆弾を落とすことしかできなかった。」



紀穂「お会計7,500円になります。1万円頂戴いたします。」


詩織「紀穂さん。」


紀穂「はい。」



詩織M「鉛の様に重い爆弾を、彼女と共に海の底に押し潰すかのように」



詩織「この写真、旦那さんですよね。」


紀穂「え?」



詩織N「彼女の顔が青ざめていくの見るのが、辛かった。」



詩織「一緒にいるの、伊澤俊です。」


紀穂「…へ?」



詩織N「でも、真実を伝えるのが、使命だと、感じたから。」



詩織「田村与一さんは、俳優、伊澤俊と不倫しています。」


紀穂「…」



詩織N「正しかったのかは、わからない。多分、正しくはなかったのだろう。」



詩織「きっと、今日の出張も…疑わせたくはないですけど…


伊澤俊という男には気をつけてください。」


紀穂「っ……教えてくださり、ありがとうございます。」



詩織N「知らぬが仏とはこのことだ。」



詩織「いえ。また来ます。」


紀穂「はい…。お待ちしております。」



詩織N「私を見る彼女の目から、光が消えた。」




【間】




与一「俊くん、明日仕事は?」


俊「行きたくないな〜」


与一「僕も、行きたくない」


俊「ふふ、一緒だ」


与一「一緒だね」


俊「…与一さんといると落ち着く。」


与一「そう?」


俊「うん。なんか落ち着くオーラがある」


与一「よく言われた」


俊「紀穂さんに?」


与一「うん。」


俊「ちょっと嫉妬するな。でもなんで過去形?もう言われなくなっちゃったの?」


与一「うーん、今も言われるかな…?」


俊「もう!」


与一「ははは。でも前よりは言われなくなったよ。だいぶ落ち着いてきたのかも」


俊「落ち着く?」


与一「うん。色々あったからさ。

不安定だった頃に、よく言われてた言葉だったんだよね『落ち着く』って。

だから僕が支えてあげなきゃって思ってた。」


俊「ふーん」


与一「また嫉妬した?」


俊「うるさい。不安定って?」


与一「子供のこと。前にも話したことあったでしょう?」


俊「ああ…可哀想に…」


与一「うん…それで、紀穂さん、自分のことを責めすぎて、精神的に不安定になっちゃって」


俊「それで、落ち着く与一さんが精神安定剤になっていたと。」


与一「そう…なのかな?はは。でも、あれからもう3年だし、紀穂さんも自分を取り戻してきていて、嬉しいよ。」


俊「そう…じゃあ、紀穂さんと別れるの?」


与一「え…?」


俊「だって、今日だって、嘘までついて、僕と一緒にいてくれてるんでしょう?」


与一「っ…」


俊「それに、紀穂さんももう、与一さんという精神安定剤はいらないみたいだし」


与一「俊くん…」


俊「僕の方が、今、与一さんのこと、必要としてるよ。」


与一「…」


俊「…ねえ、与一さん。僕のことも助けてよ…」


与一「え?」




詩織『伊澤俊と言う男に気をつけてください』




俊「与一さんしか、頼れなくて…」




詩織『欲しいものがあったら、どんな手を使っても、奪いに行きます。』




俊「だめ?与一さん」




与一M「人助けが好きだった。というより、人に求められるのが好きだった。だから幼い頃からヒーローになるのが夢で、誰かの支えになりたい。誰かに必要とされたい。その思いだけで生きてきた。だから、あの夜も、僕は戸惑わなかった。」



与一「いいよ。僕に何ができる?」




詩織M「ねえ、紀穂さん。


人って本当に自分勝手で欲張りなんです。注目が大好物で、人に頼られ、もてはやされ、求められたら、なんだってしてしまう。自分の価値を証明するために、嫌われないように好かれるために。また、話しかけてもらえるために、またのご利用しに来てくれるように。


どれだけ不恰好でも、『愛』という言葉で包んでしまえば、なんでもしていいと思い込む。


誰かが言ってたんですけど、「愛とは、知ってしまったら、自分が変わってしまいそうで怖いもの」だって。本当だなって思いました。私も今の自分が怖いです。『愛』という言葉で包む、私の無意識の行動が、怖いです。


あとこれも。「愛とは、求めるものではなく、与えるもの」


これは私は少し違うと思います。与えるだけが愛じゃないでしょう?人間は少なからず、求めてるから、与えるんですよ。たまに与えるだけになることもありますけど。


私みたいに、与えるだけで、乾き切ってしまっていると、求めれているのかもという微かな雫でさえ、こぼさないように、必死に喰らいついてしまうんです。そして後悔をします。必ず、後悔します。


だから、紀穂さんも気をつけてくださいね。


私が、紀穂さんから光を奪っておいて言うのもあれですが、『愛』に溺れないで。」



紀穂「…」



紀穂N「沖詩織から、というか、名無しアカウントからのDMを見たのは、事が全て終わった後だった。ブロックリストを解除した頃にはもう、手遅れだった。


あの時、ブロックしていなければ。もっと早くにこの文を読んでいたら、また結果は違ったのだろうか?」



俊「与一さん、僕たちって愛?」


与一「愛。」


俊「ふふ…与一さん、好き。」


与一「僕も愛してる。」


俊「本当に?」


与一「うん。俊くんのためならなんでもするよ。」


俊「ありがとう…嬉しい。」


与一「もう朝だ…」


俊「帰っちゃうの?紀穂さんのところに」


与一「大丈夫。またすぐ会いに来るから。」


俊「寂しいな…」


与一「僕が、俊くんのヒーローになるからね。」


俊「待ってる。」



(撮影現場にて)



俊「ふふ」


詩織「伊澤さん」


俊「っ…どうしたの?詩織ちゃん」


詩織「これ…どういうことですか?」


俊「何この写真?」


詩織「ここに写ってるの、伊澤さんですよね?何してるんですか」


俊「僕たちのことつけたの?」


詩織「…こういうのよくないと思います。」


俊「なんで?芸能人だって人だし、普通に恋愛してもいいでしょ?」


詩織「普通じゃないから言ってるんです」


俊「もしかして、男同士だからとかいうの?詩織ちゃん、その考えはもう古いし、問題だと思うな」


詩織「じゃなくて!お相手、田村与一さん!既婚者なんですよ」


俊「うん。」


詩織「え?」


俊「だから?僕は既婚者じゃないよ」


詩織「え、でも、田村さんは、紀穂さんという素敵な奥さんがいて」


俊「奥さんが大事で、既婚者としての責任を感じてるなら、与一さんは僕にはっきりと断るべきでしょう?でもそうしないってことは、僕と会ってくれてるってことは、与一さんは奥さんとの法的絆よりも、僕を選んだってこと。だったらそれは、僕にとっては喜ぶべきじゃないかな?」


詩織「…なに、自分は悪くないような」


俊「だってそうでしょう?本当に奥さんが大事なら、何度誘われても断るべきでしょう?じゃあ責める対象は僕じゃなくて、与一さんじゃん」


詩織「…それでも、好きなんですか?」


俊「うん。好きだよ。逆にさらに好きが増すよ。悪いことしてまで、僕に会いたいって思うなんて、それこそ一番強い愛じゃない?」


詩織「…なに、言ってるの?」


俊「詩織ちゃんだって、まだ僕のこと好きでしょう?」


詩織「え?」


俊「僕が今、詩織ちゃんのことが好きです。デートしようって言ったら、断る?」


詩織「…っ」


俊「やっぱり詩織ちゃんが一番。他の誰と寝ても、詩織ちゃんのことが忘れられない。って言ったら?」


詩織「…」


俊「気持ち、靡いちゃうでしょう?そう、言われたいでしょう?言われるために頑張ろうってなんでもしようって思っちゃうでしょう?」


詩織「…それは」


俊「そんな思い詰めることないって。人間そういう生き物。結局一番欲しいものって、他の人が持ってるものなんだよ。他の人を見つめている人に、自分を選んで欲しい。


例え、元々存在する繋がりを壊したとしても、自分と繋がって欲しい。

欲張りなんだよ。


詩織ちゃんも同類でしょう?」


詩織「っ…」


俊「きっと…この写真だって、奥さんに見せるか、もう見せたりしたんじゃないの?」


詩織「!」


俊「あれ?もしかして図星?」


詩織「(悔しくて泣き出す)」


俊「…あらあら、なに泣いてるの、詩織ちゃん。さすが女優。泣き顔も可愛いね」


詩織「…なんで…こんな人…」


俊「本当、僕みたいなクズ、好きにならない方がいいよって忠告したのに。」


詩織「…悔しい…っ」


俊「でも、びっくりした。詩織ちゃんの根深さ、惚れちゃうかも」


詩織「っ…」


俊「いつも僕好みの差し入れくれるし、現場違うのに挨拶しにきてくれるし、優しい書き置きもくれるし、本当に健気だなって。嬉しくなる。

でも、詩織ちゃんのためにも、もう最後にした方がいいよ。


だから、最後になんでも一つだけお願い言って。なんでも叶えてあげる。」



詩織「…最後に…もう一度だけ」


俊「うん」



詩織N「私は最悪だ。愛に溺れて、沈んでく。」



詩織「…抱いて。」




与一「ただいまー」


紀穂「…」


与一「…?紀穂さん?いないの?


うわっ!こんな暗闇の中で何してたの紀穂さん。」


紀穂「瞑想」


与一「瞑想、って。はい。出張からのお土産。買ってきたよ。」


紀穂「…」


与一「ねえ、本当にどうしたの?」


紀穂「…裏切り者」


与一「え?」



(電話が鳴る)



与一「っ、ごめん!ちょっと出るね」


紀穂「…」




与一「もしもし、なに?もう寂しくなっちゃった?」


俊「助けて与一さん!」


与一「え?どうしたの!何がったの、今どこ!」


俊「今、ホテルにきてて、僕、」


与一「落ち着いて、どこのホテル?」


俊「…ごめん、与一さん…」


与一「いいから、どこのホテルにいるの俊くん!」


俊「…いつもの…509号室」


与一「わかった、今いく。」


紀穂「私も行く」


与一「え?」


紀穂「私も行く。与一さん、『出張』で疲れてるでしょうから。私が運転するよ。」


与一「…わかった」




紀穂「『俊』くん、大丈夫かな?心配だね」


与一「…う、うん。あの、紀穂さん」


紀穂「『お友達』の助けてにすぐ駆けつけるなんて、与一さんは本当にいい人だね」


与一「…うん」


紀穂さん「愛、」


与一「っ」


紀穂「素敵な、友情愛だね」


与一「…」




俊「はっ!与一さん!!と、紀穂…さん」


紀穂「どうも」


与一「それで?俊くんは大丈夫なの?怪我は?っ!肩、血出てる!」


俊「ごめん、与一さん。ごめん」


与一「なんで?俊くん今一人なの?」


詩織「(泣き声)」


紀穂「一人じゃないみたいね」


与一「誰といるの?」


俊「…詩織ちゃん…」


与一「っ…」


俊「諦める代わりに、最後に、抱いてって言われて。だから」


与一「…」


紀穂「最低」


与一「それはいいよ。この傷は?沖さんに?」


俊「…うん」


与一「沖さんは今どこ?」


俊「上。2階のバスルームに。


怖かったよ…与一さん…」


与一「俊くん…」


紀穂「んな大袈裟な。私、みてきます。」


与一「あ、一人じゃ危ないよ紀穂さん」


紀穂「大丈夫。与一さんは伊澤さんについててあげて」


俊「与一さん…」




紀穂「沖さん。聞こえますか?ネイリスト田村です。田村紀穂」


詩織「っ(泣き声)」


紀穂「沖さん、ここ開けてください。話しましょう?」


詩織「(泣き続ける)」


紀穂「泣いてちゃ何にもわかりません。」


詩織「どうして、紀穂さんが」


紀穂「夫が、伊澤さんに呼び出されて、その付き添いで」


詩織「紀穂さん、ごめんなさい。本当にごめんなさい…」


紀穂「なんで詩織さんが謝るんですか?」


詩織「私、本当に醜くて、汚くて、気持ち悪い。紀穂さんを勝手に傷つけて、紀穂さんの幸せをぶち壊して」


紀穂「あけてください」


詩織「紀穂さんは何も悪くないのに、紀穂さんが一番可哀想なのに、なんで、紀穂さんがまた一番傷ついて」


紀穂「あけてください」


詩織「紀穂さん、ごめんなさい。(ドアを開ける)」


紀穂「っ!!」


詩織の身体のあちこちが赤くなっており、ところどころ打撲跡になってきてる


紀穂「これって…(小声で)伊澤…さん…」


詩織「(頷く)」


俊「怖いよ、与一さん」


与一「大丈夫だよ。僕が守から」


紀穂「なんで…?」


詩織「私がバカだから…それでもあんなクズ男が好きだから」


紀穂「なんで?」


詩織「…」


紀穂「理解できない。あなたも、伊澤も、与一さんも…」


俊「っ…」


与一「立たなくていいよ」


俊「詩織…ちゃん…」


与一「俊くん…わかった。捕まって。」


詩織「…本当に、私、バカなんです。…巻き込んじゃって…本当に、ごめんなさい…」


俊「詩織…ちゃん」


詩織「っ!」


紀穂「…(守ように)」


俊「詩織ちゃん…。大丈夫だよ。」


詩織「…ごめんなさい。」


紀穂「なんであなたが謝るの?」


俊「愛なんだよね」


紀穂「…は?何言ってるの?」


詩織「…はい。」


俊「好きが裏手に出ちゃっただけだよね」


詩織「…はい。ごめんなさい」


俊「大丈夫だよ」


紀穂「…わけわかんない。信じられない。何が起きてるの?」


与一「(詩織の姿をみて)っ!!」


紀穂「与一さん、帰ろう。こんな腐ったところ、いられない。」


与一「…」


紀穂「与一さん!!」


与一「…」


紀穂「私、下で待ってるから。」


与一「俊くん…何があったの?これ、詩織さんのこれ、俊くんのせいなの?」


俊「…え?だって、詩織ちゃんが頼んだから。ねえ?」


与一「……」


俊「僕はこの傷頼んでないけど、詩織ちゃん、お返ししようと思ったんだよね」


詩織「…」


俊「詩織ちゃん、僕は、許してあげるよ。」


詩織「っ…」


俊「でも、僕には与一さんから、ごめんね、君とは一緒になれ-」


詩織「っ!!!(手に握りしめた刃物を持って、俊に襲い掛かろうとする)」


俊「っ!!(手で防御するが、立ち往生になってしまう)」


詩織「アンタとなんか!!一生一緒になりたくない!!!」


俊「くっ!!(堪える)」


詩織「アンタみたいなクズ!!好きになった私が愚かだった!アンタも、アンタのことを求めた私も!胸糞悪くて吐き気がする!!!!」


俊「落ち着いて…詩織ちゃんっ!!」


詩織「アンタなんか!!死んじまえ!!!!」


俊「っ!!!助けて!!与一さん!!!」



与一N「気づいたら、身体が動いてた。何も考えずに、その声に、甘えてくれた、頼ってくれた、彼の声に、操られるように。」


詩織N「気づいたら、身体が動いてた。何も考えずに。この時をずっと待っていたかのように、一瞬で、身体が引き離され、」


与一N「片方を突き飛ばした。『助けなければ』、『守らなければ』と、咄嗟に身体が動いた。その先が何かも、考えずに…」


詩織N「彼の流し目と目が合い、色々な記憶が流れた。ああ、これが走馬灯ってやつなのか。初めてのオーディション、初めての役、初めてのキスシーン…あんなにボロボロになったのに、やっぱりまだ好きなんだ…


最低だな。本当に。


あーあ、まだ、死にたくない…」



SE:ドサドサっと、階段から落ちる音。



紀穂「っ!!なに?」


与一「…」


俊「…」


紀穂「はっ!!沖さん!!ねえ、沖さん聞こえる!わかる?!」


俊「…は、はは…あはは…与一さん、ありがとう、守ってくれて」


与一「なにぼーっとしてるの!救急車!!」


俊「…もう、ダメなんじゃない?首、変な風に曲がってるし。」


紀穂「アンタねえ!!いい加減に!!」


俊「僕じゃないよ?与一さんが、押したんだよ?僕を守ために」


与一「…」


紀穂「っ…与一さん…」


与一「…はぁ、はぁ、はぁ」


紀穂「与一さん!!!」


俊「ありがとう。僕が助けてって言ったから、守ってくれたんだよね?」


紀穂「伊澤さん、あなた狂ってるわ。与一さんから離れなさい。離れて!!」


与一「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」


俊「でも、どうしよう、このまま死体を置いとくわけにもいかないし」


与一「…はぁ…はぁ…」


俊「ん?与一さん…どこ行くの?」


与一「(階段を降りる)ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」


紀穂「与一さん。救急車…と、警察。」


与一「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい (泣きながら)」


紀穂「っ、与一さん」


与一「(紀穂にしがみつきながら)ごめんなさい、紀穂さん。ごめんなさい、ごめんなさい。」


紀穂「謝っても、何も変わらないよ」


与一「僕、ひどいことをした。たくさん間違えて、たくさん紀穂さんを傷つけた。紀穂さんを、苦しめた。紀穂さん、紀穂さん、ごめんなさい…ごめんなさい…僕、変わってしまって、ごめんなさい…」


紀穂「…」


俊「なんでそんなに謝るの?僕のためにしてくれたんでしょう?僕に会うために、僕が好きだから、ねえ与一さん!!」


紀穂「あなたは黙ってて!!!」


与一「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…突き飛ばすつもりはなくて、咄嗟に、身体が動いて、気づいたら、詩織さんが、倒れてて」


紀穂「落ち着いて。これは事故。口論を止めようとして割って入ってしまったことによる、不運な事故」


与一「どうしよう、紀穂さん…どうしよう…」


紀穂「大丈夫だから…」


与一「本当にごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」


紀穂「何が?」


与一「…」


紀穂「私にひどいことをしたとか、傷つけたとか、言ってるけど、何が?何をしたの?ねえ、与一さん、何をしたの?」


与一「…」


紀穂「本当に、伊澤さんと、不倫…してたの?」


与一「…」


紀穂「答えてよ!」


俊「そうだよ。与一さんと僕は、愛し合ってた」


紀穂「っ…なんで…いつから…」


俊「撮影現場に乱入してきた時に、僕が一目惚れして、声かけた」


紀穂「なんで、断らなかったの?なんで、流されちゃったの?…男の人が…好きなの?」


与一「…わからない…話しかけられて、魅力を感じて、どことなく寂しそうな目をしてて、守らなきゃって思って、それで」


紀穂「女の私のことは…もう、好きじゃないの?」


俊「そうだよ」


与一「(重ねて)それは違う!紀穂さんのこと好き。」


俊「っ…」


与一「初めて会った時、二人でよく行った喫茶店に行った時、紀穂さんの席に座らせてしまったこと、すごく後悔した。すごくモヤモヤした。紀穂さんとの思い出を、プロポーズを、上書きしてるみたいで、ひどい裏切り好意をしてるって、罪悪感が消えなかった…」


紀穂「じゃあなんで…」


与一「…わからない…ただ抗えなかった…」


紀穂「私が悪いの?私が、もう魅力ないのがいけないの?若くないし、子供いないし、産めないし、」


与一「…紀穂さん…」


紀穂「ねえ、与一さん、私たち、二人で幸せだったよね?」


与一「うん…」


紀穂「二人だけでいいって、ずっと二人がいいって、3年前も言ってくれたよね。」


与一「うん…」


紀穂「なのに、なのにさ」


与一「…ごめん。本当にごめんなさい…」


紀穂「…本当に、なんなの…」


与一「もう、よそ見しないから。もう、紀穂さんから離れないから…


許してもらえると思ってないけど…


今までごめんなさい…


でも、やっぱり、紀穂さんと、一緒がいい。」


紀穂「…っ」


【間】


俊「与一さん…」


与一「…」


俊「与一さん!!僕の方みてよ!!」


与一「…」


俊「与一さん!!!僕のこと愛してるんだよね?僕のこと可愛いって好きって言ってくれたよね?デートだってたくさんしてさ、出張だって嘘までついて会いにきてくれたじゃん!


僕のこと、助けてくれるって言ったじゃん!!


僕、寂しいんだよ。愛してくれる人が必要なの!与一さんが必要なの!!」


与一「…」


俊「ねえ、与一さん?なんで黙ってるの?僕のことの方が好きって言ってくれたじゃん!


もう奥さんに与一さんは必要ないから、必要としてる僕のそばにずっと一緒にいてくれるって!」


与一「…」


俊「与一さん!!」


紀穂「っ…」


俊「…そう…わかった。僕のこと、もう嫌いになっちゃったんだね…。そっか…


そんな僕に生きてる価値、ないや。


(ベランダへ行く)


紀穂N「もしも、本当に自害をしようとしている人を目の前にして、私も夫のように、止めに入ることができるかと聞かれた時」



俊「今までありがとう。」



紀穂N「その人が誰かにも寄るだろうけれど、私の答えは」



俊「さようなら」



紀穂N「ノーだ」





紀穂「帰ろう、与一さん。」


与一「うん…あ、でも、」


紀穂「なに?」


与一「詩織さん…」


紀穂「早く行かないと警察も救急車もきちゃう」


与一「(過呼吸になりかけてる)…だから、隠さなきゃ…詩織さんの遺体を、隠さなきゃ…」


紀穂「なんで…」


与一「隠さなきゃ、」


紀穂「…わかった。」





(車の中。トランクの中には詩織の遺体が。ずっと沈黙で走っていた中、紀穂さんが沈黙を切る)


紀穂「ねえ、与一さん。子供がいたら、何か違った?もし、私に子供が産めてたのなら、与一さんは、他の人にはいかなかった?もし、ツミキが生きてたのなら…」


与一「…それはわからない。でも、これだけは知って欲しい。紀穂さんは一切悪くないから、自分を責めないで。僕が、僕だけが、悪いから。」


紀穂「そう。」


【間】


紀穂「着いたよ。」


与一「…」


紀穂「詩織さんのネイル、まだ海底のままだ…。旅行、行かなかったんだ、あの子」


与一「…」


紀穂「いっせーので投げるよ。」


与一「本当に大丈夫かな…」


紀穂「大丈夫。この当たり誰も泳ぎにこないし、船もあまり通らないから。」


与一「…わかった」


紀穂「じゃあ行くよ。いっせーので!!」




紀穂M「詩織さん、もっと早くにあなたのメッセージを読んでいたら、何かが変わっていたのでしょうか?読んでいたところで、あなたの言う通りになっていたと思います。


愛を知ってしまったら、変わってしまう。実にその通り。


与一さんもまた違う愛の形を知ってしまい、人が変わってしまった。私もまた、そんな与一さんのことも愛せると思い、また人が変わった気がします。


いつも私は与一さんに支えられてきていました。でも、あの夜、泣き崩れるあの人を見てから、今度は私が支えないといけないと感じた。そう求められたから。裏切られたのに、また好きと言われ、愛を求められたら、与えずにはいられないのです。


愛している人のためならば、なんの疑問を抱くことなく、行動に移す。

例えば、なぜあの時、与一さんは、あなたを隠したかったのでしょうか?もしかしたら、あの人もまた愛していた彼に頼まれていたのかもしれません。


つくづく愚かですね。

果たしてそれは、本当に「愛」なのでしょうか?


詩織さん、ごめんなさい。

私もまた、愛に溺れてしまいました。

私もいつか、あなたみたいに沈んでしまうのでしょうか?


それまでは、我々夫婦、仲良くやっていることでしょう。『二人』だけの夫婦生活を。


ネイルの写真、投稿してくださり、ありがとうございます。

またのお越しをお待ちしております。」


アナウンサー(詩織)「続いてのニュースです。」


紀穂「あ、与一さん!またお弁当、忘れてる」


(アナウンサーと紀穂、与一同時に話す)


アナウンサー(詩織)「国民的俳優、伊澤俊の自殺から2週間が経った今もまだ、SNSで悲しみの声が多く上げられています。俳優仲間や、有名監督も次々とお悔やみの言葉を投稿しており、伊澤さんがいかに愛されていたかがわかります。ご遺体が発見された現場にも、たくさんのファンが駆けつけ、花をお供えしている模様です。

また、同時期から行方をくらましている女優、沖詩織はまだ見つかっておらず、事務所側も捜索願いを出すと供述。なお、沖さんの出演する予定だった、映画『海の底で会うまで』は制作を延期すると発表しました。」


与一「ああ、ごめんごめん、うっかりしてた。今日はなに?」


紀穂「ふふ、だし巻き卵。」


与一「え?!いいの?」


紀穂「企画コンペ採用おめでとう。」


与一「え、知ってたの?」


紀穂「うん、ずっと見てたから。はい!今日もお仕事頑張って」


与一「うん、紀穂さんも」


紀穂「うん、ありがとう。いってらっしゃい。」


与一「いってきます。」



(アナウンサーの台詞のあと)


紀穂N「あなたを愛した私。あなたが愛した彼。

彼を想う彼女を、あなたが殺して、私が沈めた。」


紀穂N「これからも私たちは、愛に溺れて、」


与一N「愛に浮かれて」


俊N「愛に沈んでく」


詩織N「これからも、永遠に、海の底まで、」


紀穂N「沈んでく。」



【完】


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