3・御剣走小学五年生10歳。神鷹真弓32歳。
「昨日はありがとうございましたー!
お礼持って来ましたぁ!だから開けてー!!」
今日は土曜日で学校は休み。
俺はお父さんとお母さんが昼過ぎに持って行くつもりだと用意しておいた真弓へのお礼の品を勝手にリュックに入れて担ぐと、朝の10時に自転車に乗って真弓の家まで来た。
ピンポンの無い真弓んチの引き戸をベシベシと手の平で数回叩いたらガララっと引き戸が開き、寝起き姿の真弓が出て来た。
「朝っぱらからうるせぇ!何だ!ボウズ!!
何しに来やがった!!」
布団から出てそのまま玄関に来たのか、寝起きの真弓はサングラスをしておらず、乱れたグレーの着物姿で険しい顔をして立っていた。
「家で着物を着てる人なんて初めて見たよ!
ナミヘイさんみたいだ!
真弓は、日本かぶれの外国人みたいだな!」
「…うっせぇ、俺は生まれも育ちも日本だ。
着流しはな、楽なんだよ。
つか、マジで何しに来やがった。
たかりに来た所で、ラファエル皇子に関する物はもうなんにも無いぞ。」
俺は引き戸の前で背中のリュックを下ろし、中から包装紙にキレイに包まれた親が用意したお礼の品を出した。
「高級チョコ菓子詰め合わせセット!これ昨日のお礼!」
「高級チョコ詰め合わせセットって…
お前この炎天下の中、リュックに縦にして入れて持って来たのか…これを。
こりゃ下手したら中でチョコのナイアガラが出来てそうだな…。
まぁ、ありがとうな…じゃあな……。」
包みを受け取り、俺の前でカラカラと閉められ掛けた引き戸に慌てた俺は、扉が閉まらないようにと足を突っ込んだ。
「閉めないでよ!暑い中がんばって持って来たのに!!
冷たい麦茶ちょーだい!」
「いきなり足を入れて戸が閉まらないようにするとか!
昨日も言ったが、お前は借金取りか!
俺に何の用があるんだよ!
麦茶が目的とか言うなよ!」
「また遊びに来なって、昨日ゆったじゃん!」
「ボウズ、社交辞令ってモンを知らないのか。
あの場で、二度と来んなとは言えねぇだろうが!」
引き戸を閉めようとする真弓と、無理矢理家の中に入ろうとする俺の攻防が始まった。
正直な所、真弓の体格だったら俺の事を猫みたいにヒョイと持ち上げて強引にどかすとか簡単に出来ると思う。
だけど真弓はそれをしないで、諦めた様に折れてくれた。
引き戸を開いて俺が中に入るのを許してくれた。
「チッ…また熱中症にでもなられたら面倒だからな。
茶を飲んで涼んだら帰れ。」
「おーじゃまーしまーす!」
満面の笑みを浮かべて真弓の家に入る。
この家の中をじっくり見たかったのも、ここを訪れた理由のひとつ。
俺の家や友達の家と違って、アチラコチラに木の柱がある。
廊下も全部木の板で出来てる。
木の模様が全部違う。
プリントされた木の柄でなく全部本物の木だ。すげえ。
そして草の匂いがする。
それはタタミの、イグサって草の匂いだと昨日お父さんが教えてくれた。
ショーワの家だぁ。
そんな家の中を、着流しという格好で歩く金髪の真弓。
日本かぶれの外国人みたい。
似合わない。
似合わなすぎて、とても良く似合う。
とても、かっこいい。
俺は前を歩く着流し姿の真弓の大きな背中を眺めていた。
真弓のあとを着いてくと、昨日俺が寝かせられていた部屋に来た。
ここは真弓が寝室にしている場所みたいだ。
昨日は閉めたまんまだった障子を真弓が開けると、細い廊下があって縁側があった。
初めて本物の縁側を見た。
縁側の外は小さな庭があり、そこから小さな虫の鳴き声が聞こえる。
「温泉旅館みたいだぁ。すげー!
よく大人が言うワビサビって、こーゆうの!?
俺んちには無いよ!
超、和室じゃん!」
「なんだ、超和室って。
……着替えてから茶ぁ持って来る。」
庭が見える様にと障子を開けた真弓が次はふすまの前に立ち、台所へ向かおうとした。
俺は反射的に真弓の手を掴んだ。
お父さんより大きなゴツゴツした手。
「待って!着替えないでよ!着流し楽なんでしょ!?
着替えなくていーじゃん!
俺、真弓のその格好、好き!
もっと見ていたい!」
「…………ボウズ…………」
「ッッたぁい!」
いきなり真弓にデコピンされた。容赦がない。
昨日も思ったけど、指一本でなんて攻撃力なんだ!!
「お前は何で、自分の父親ほど歳の離れた大人を呼び捨てにする。
どうゆーつもりだ、このがキャぁ。」
俺は両手で額を押さえて涙目で真弓をキッと睨んだ。
「俺だって、色々考えたよ!
真弓さん、真弓お兄さん、真弓おじさん!ミスター真弓とか!
どれもしっくり来ないんだもの!
真弓が一番呼びやすいし、しっくり来る!」
「確かに、どれもしっくり来ないが……
そもそもがだ、何でダチみたいな体になってんだよ。
今日一日、麦茶飲んで帰るまでの付き合いなんだしよ。
普通に神鷹さんで良くないか?」
「えええッッ!?」
俺は雷に打たれたんじゃないかって位、驚いた顔をした。
それは大袈裟な芝居をした訳ではなく、俺の素の表情だったんだけど、何でそんなにショックを受けたのか自分でも良く分からない。
ただ4年も好きだった人を、姿かたちが変わってたってだけで簡単に忘れる事が出来なかったし…
その好きだった人に、お前になんかに興味はないからさっさと縁を切る、みたいな扱いを受ける事が嫌だと思った。
これはもう、俺のただの意地かも知れない。
「なんだ、その大袈裟な驚き様は。」
「そんな他人みたいなのヤダよ!真弓!!
ッッぃったあぁい!!」
本日二度目のデコピンが来た。
僕は両手で額を押さえて、僕が来るまで寝ていたであろう真弓の布団の上でもんどり打った。
さっきのデコピンの痛みが引き掛けた所に再びデコピン。
連チャンデコピン。イッテェ…!!
「他人だろが。アホらし…。好きにしろ。
茶ぁ持って来るから、飲んだら帰れ。」
真弓は頭をガシガシと掻きながら部屋から出て行った。
額を押さえたまま涙目で真弓の布団に転がっている俺は、こんな目に遭ってまで、なぜここに居るのか分からなくなっていた。
だって俺が4年も好きだったって事を真弓は知らないし。
知った所で「ああ、そうですか。だから何だ。」って思われるだけだろうし。
そんな真弓が昨日会ったばかりの他人の俺に興味無いのなんか当然で……。
「お前になんか興味無い」
そう思われて当たり前なんだから。
俺、何を期待してんだろう。
今はもうラファエル皇子でも何でもない、ただのオッサンに。
「…ッ…」
「ボウズ、ほら茶を持って来たぞ。」
縁側の方を向いて布団の上で背を丸めている俺は、茶を持って来た真弓に泣きそうになった顔を見せなかった。
見せたところで、そんなにデコピンが痛かったのかよ位にしか思わないに決まってるし…情けない顔を見られたくなかった。
「……飲まない…飲んだら帰らなきゃいけなくなる。」
「……茶ならいくらでもある。
好きなだけ時間を掛けて飲んでいきゃいいだろう。
俺も今日は仕事休みだしな。」
それ、すぐ帰らなくてもいいって事!?
そう確認したかったけど…
そんな言葉を口に出して「違う」って言われたら嫌だと思った俺は、無言で真弓の方を振り返った。
真弓は着流しを着たままで、肩まである金髪は後ろで結ってまとめて、丸いレンズの薄いグレーのサングラスを掛けていた。
着流しは…脱がないでくれたんだ。
「真弓、着流しを着てるの凄く似合う。」
「そいつぁどうも。
ひとつ言っとくが、着流しは服の名前じゃねーからな。
俺が着てるのは着物で合ってる。」
そうなんだ?
浴衣みたいに着流しって名前の着物かと思ってた。
真弓はタバコを一本取り出し、口に咥えた。
でも火は点けない。なぜだろう。
真弓には不思議な所がいっぱいある。
俺は今、真弓の不思議な所をひとつひとつ知りたいと思い始めていた。
「そういや…ボウズはラファエル皇子が好きだと言っていたが…
城之内ヤスヒロには興味無いのか?
城之内がメタトロンの主人公で、ラファエル皇子本人だぞ。」
俺は涙も引き痛みも治まったので、四つん這いで真弓の方に近付いてから真弓の隣に座り、ちゃぶ台の上に乗ったコップを持ってごくごくと麦茶を飲んだ。
豪快に茶を飲む俺の隣で、火のついてないタバコを咥えた真弓が俺に聞いてきた。
「メタトロンはメタトロンで、出演者みんな好きだけど
俺、ラファエル皇子の子供時代を演じていた俳優の神鷹真弓を好きになったんだよ。
ファンとゆーかもう……
結婚したいと思ってたんだ。」
隣の真弓が、火のついてないタバコを口からブッと吹き飛ばした。
かなり遠くまで飛んだタバコを、さっきの俺みたいに真弓が四つん這いで取りに行く。
着流し姿の大きなお尻が何だか可愛い。
「あっぶね、火が点いてなくて良かった…。
ってゆーか、お前ナニ言ってんだ。」
「小学一年生の時はそう思ってたんだって。
本気で結婚出来ると思ってたし。
今はそんな事、出来ないって分かってるけど…
やっぱ好きになった人だったしさ…。
メタトロンは関係なく、神鷹真弓に会ってみたかったんだ。」
真弓が手の平を額に当てて苦しそうな顔をしている。
やがて真弓の口から低い唸り声が聞こえてきた。
「…うーん…そうか、何か色々とスマンなぁ…
もっと軽く考えていた。」
「軽く?」
「ヒーローの子供時代を演じてスゴイなとか、ヒーロー達を間近で見れて羨ましいだとか…
そんな憧れからのファンみたいなモンかと…。
悪かったな、思い込みだけでお前の気持ちを軽く見てしまって。」
「謝るような事じゃないと思うけど……」
大人って、自分が大人ってだけで子供より偉いと思っている人が多いし、子供の方が正しい事を言ってても認めてくれないし謝ってくれる人も少ない。
だけど、それが出来る大人はかっこいいってお父さんが言ってたな。
真弓は、こんな外国人の不良みたいな見た目してんのに謝ってくれるんだ。
かっこいい大人だな……。
お父さんの言ってた事、凄くよくわかる。
軽くまぶたを伏せた真弓は、かっこいいと言うよりキレイ……
「えっ…?」
「えっ?えってなんだ?どうした?」
「な、何でもない!」
俺は麦茶を飲み干したコップを持って真弓に背を向けた。
自分でも驚く位に、カァッと赤くなりかけた顔を見られたくなかった。
あんなオッサンを、キレイだと思った自分に驚く。
でも、キレイだと思った。
きっとそれは、外見だけじゃない。
俺は…やっぱり今も神鷹真弓が好きなんだ。
男でも22歳も年上でも、むさ苦しいオッサンでも。
キレイな少年ではなくなっても、この人はやっぱり俺が大好きな神鷹真弓のまんまだ。
俺を見る、水色と灰色の混ざった不思議な色の優しい目は
ラファエル皇子の物と同じで、ずっとキレイなまま変わらない。
あのキレイな目で、俺だけ見て欲しい……。
まだ冷たいコップを両手で握ってほっぺたに当てる。
キンキンに冷えたコップが心地良く感じる程に、俺の顔は熱く火照っていた。