魔王と聖女・6
なぜかルーカット王国側では、到着してすぐに帰国するラネたちを、引き留めようとしなかった。
思えばラネたちを迎えたのも、対応したのも、すべてエマ側の人間である。
王城の奥で、まるで主のように傅かれていたエマの姿を思い出す。
いくらエマが公爵令嬢で、聖女の記憶を持っているとはいえ、あり得ないことだ。
もしかしてこの国は、すでにエマの支配下にあるのではないか。
そんな考えが頭に浮かび、ラネはぞっとした。
今のエマは、聖女の記憶があると自称している、7歳の子どもに過ぎない。
魔法を使える年齢にも達しておらず、もし聖女の力を手にしたとしても、それを使いこなすことはできないだろう。
エマひとりならば、それほど驚異ではないのかもしれない。
だが、もしルーカット王国が敵になったとしたら、どうなのか。
村で暮らしていた頃は想像もできなかったが、貴族や王族など、国政に関わる人たちは、個人の感情だけでは動けないことがある。
そしてラネも、公爵家の養女となってしまった。
もしギリータ王国で、ルーカット王国とは争うべきではないという結論を出したら、どうなるのか。
(そうなったとしても、私は……)
自分の中に宿る聖女の力を確かめるように、胸に手を当てる。
清く輝く白い光を感じる。
間違いなく、聖女の力だ。
この力を失わない限り、ラネは間違っていない。
皮肉にもエマは、それを教えてくれた。
きっとこの力でアレクを守ってみせる。
そう誓った。
ギリータ王国の王城に帰還したのは、もう真夜中過ぎだった。
それなのに、リィネと王太子のクラレンス。そしてファウルズ公爵家の嫡男であり、ラネの義兄となったノアが出迎えてくれた。
「ラネ、兄様!」
リィネが駆け寄ってきて、両手でアレクとラネを抱きしめる。
王太子妃になる前の彼女のような行動だったが、ここには身内しかいないので、誰もリィネを咎めない。
「ルーカット王国に向かったばかりなのに、緊急で戻りたいって連絡が来たから、心配で。何があったの? ふたりとも、無事よね?」
そう言って、せわしなくふたりを見上げているリィネの手を、ラネもしっかりと握った。
たとえギリータ王国の王太子妃であろうと、リィネだけは、絶対にアレクの味方になってくれる。
ラネは心の底から、そう信じていた。
「ごめんなさい。少し、気分が悪くて。一度、出直すことにしてもらったの」
そう言うと、アレクが僅かに驚いた顔をして、ラネを見る。
彼としては、クラレンスやノアがいる前で、すぐにでもエマから聞いた話を伝えようと思っていたのだろう。
たしかにラネも、エマの話を一刻も早く、クラレンスに伝えるべきだと思っていた。
でもエマ個人ではなく、ルーカット王国そのものが敵になる可能性に気が付いて、まずは絶対にアレクの味方であるリィネに、この話を聞いてほしかった。
アレクはラネの意思を優先してくれたのか、何も言わなかった。まだ彼の中でも、整理がついていないのかもしれない。
「心配を掛けてしまって、ごめんなさい」
そう言ってリィネを見つめる。彼女は兄とラネの様子で、ここでは言えないことだと察してくれたようだ。
「酷い顔色だわ」
そう言って、心配そうにラネを支えてくれた。
「もう夜も遅いから、お話は明日にして、ラネを休ませても良いかしら?」
リィネが提案すると、クラレンスもラネの体調を気遣って、頷いてくれた。
「そうだな。そうしたほうがいい」
「兄様、ラネを運んでくれる?」
「あ……」
自分で歩ける、と言おうとしたが、きっとリィネが、三人だけになれるように気を遣ってくれたのだろう。
そう思ったので、素直に従うことにした。
「わかった」
アレクはラネを抱き上げ、クラレンスとノアに軽く挨拶をして、その場から移動する。
心配そうなふたりの様子に、罪悪感が湧き上がる。
リィネに話を聞いてもらい、心の整理がついたら、必ずふたりにも話そうと決意した。
アレクはラネを、そのまま滞在している部屋に運んでくれた。
「私が付き添うから、今日はもう下がってもいいわ。お茶の用意だけお願い」
リィネが部屋で待機していたメイドにそう言って、下がらせてくれる。
広い部屋に、ラネとリィネ、そしてアレクだけになった。
「ごめんなさい」
頭を下げて謝罪して、事情を話そうとしたラネを、リィネはそっと止めた。
「顔色が悪いのは、本当よ。着替えをして、少し落ち着いたほうがいいわ。兄様は、お茶を運んできて」
そう言ってアレクを部屋の外に出して、着替えを手伝ってくれた。
ゆったりとした服装に着替えて、ほっと一息つく。
「私も、まだドレスに慣れていなくて。少し具合が悪いときとか、緊張しすぎたあとは、着替えるとほっとしてしまうの」
そんなラネを見て、リィネはそう言ってくれた。
たしかに平民育ちであるラネにとっても、ドレスはまだ着るだけで緊張してしまうものだ。
貴族の養女となった以上、慣れなくてはと思うけれど、こうして気持ちをわかってくれる人が傍にいてくれるだけで、楽になる。
「ありがとう、リィネ」
「私も、ラネにはいつも助けられているもの」
そう言って笑って、リィネはラネの手を握る。
アレクをきっかけに義姉妹になったふたりだが、もしアレクとラネが結ばれなくても、きっとリィネとは親友になれたに違いない。
「ルーカット王国の聖女に、何か言われたの?」
「ええ」
ラネは心を落ち着けるように深呼吸をして、ひとつずつ話し始めた。
「……彼女は、聖女の記憶を受け継いでいると言っていたわ」
「記憶?」
代々の聖女は、すべてルーカット王国のリィース公爵家の血筋にしか生まれない。でもアレクが勇者に選ばれたとき、聖女エマはまだ3歳だった。力を使えない聖女の代わりに、ギリータ王国が聖女召喚を行い、そのときに呼ばれたのが、聖女アキだったと」
エマから聞いた話を、リィネに伝えていく。
アキが使い捨ての聖女だと言われたことを話すと、彼女と仲が良くなかったリィネも、さすがに顔を顰めた。
「たしかに、性格は悪かったけれど…・…。魔王討伐に貢献した功績は、本物なのに」
そう言ったあとに、何か考え込む。
「クラレンスは、このことを知っていたのかしら?」
王太子ならば、知っていて当然だとも思うし、あの頃の彼の立場を思えば、蚊帳の外だった可能性もある。
「聖女エマのことは、知らなかったと思う」
ちょうど茶器を持って戻ってきたアレクが、悩むリィネにそう声をかけた。
「兄様」
リィネは驚いた様子で振り返り、彼から手渡された茶器を、机の上に置く。
「聖女エマの存在は、ギリータ国王にだけ打ち明けたと言っていた。それにクラレンスは、アキの協力がなければ魔王討伐は成功しないと言い、彼女にとても気を遣っていた。それがアキを増長させてしまったと言えなくもないが、例え幼くても他に聖女がいると知っていたら、もう少し厳しい態度をしていたはずだ」
ラネも同意して頷くと、リィネはほっとした様子だった。
リィネが煎れてくれたお茶を一口飲み、心を落ち着かせたラネは、とうとうあのことを、リィネに伝えた。
「聖女の話は、本当かどうか、私にはわからない。でもアレクが嘘ではないと言っていたから、事実かもしれない。でもこの話だけは、私は受け入れることができなかった」聖女エマは自分が魔王討伐に参加できなかったせいで、大きな過ちが起きてしまったと言っていた。魔王は封印しなくてはならないものだった。討伐したのは、間違いだったと言ったの」
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