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【番外編】 特別なバレンタインデー

 バレンタインデー、という行事がある。

 それは、アキと同じように異世界から召喚された聖女が始めたもので、好きな人にチョコレート菓子を贈るというものだった。

 その聖女はアキのように我儘放題ではなく、聖女にふさわしい慈悲深い優しい女性だったので、かなり慕われていたらしい。

 だからこそ、この行事が今になっても続いているのだろう。

「友達とか、お世話になった人達にも渡すようになっていたけど、ここは原点回帰で、好きな人にだけ渡すことにしましょう。義理チョコも、友チョコもなしで」

 それが、聖女の残した言葉らしい。

「友チョコっていうのは、友達に渡すもの。義理チョコっていうのは、お世話になっている人に、お礼代わりに贈るものらしいわ」

 そう説明してくれたのは、ラネの義妹で、今や王太子妃となっているリィネだ。

 彼女は今、王太子妃として王城で暮らしているが、今日はラネと一緒にチョコレート菓子を作るために帰省していた。

 もちろん、リィネ専属の侍女となったサリーも一緒だ。

「聖女様の故郷では、そういう習慣もあったらしいの。でも本当は好きな人に告白するためとか、恋人に愛を伝えるために贈るものだったらしいわ」

 だからこそ、本来の目的である好きな人にだけチョコを贈る日として定めたのだろう。

 聖女が伝えた行事のせいか、バレンタインデーは庶民だけではなく、政略結婚が基本である貴族にも浸透している。この日だけは、婚約者以外の男性や、既婚者に贈り物をしても許されるようだ。

 きっと人気のある男性には、山ほどのチョコレートが贈られることだろう。

 それでも中には、婚約者や妻からしか受け取らない男性もある。

「兄様なら、ラネ以外から受け取ることはないでしょうね」

 リィネはそう言って笑った。

 ラネと出会う前は、誰からも貰うことはなかったらしい。

 だとすると、これは、アレクが初めてもらうバレンタインチョコなのか。

 ラネは緊張した面持ちで、手に持っていたチョコレートの箱を見る。

「だとしたら、もう少し綺麗に飾り付けた方が……。ううん、それよりも手作りではなくて、ちゃんとした有名店のチョコレートの方がよかったかもしれない」

 この日は、色々なチョコレートが店頭に並んでいる。

 もちろん、ラネとリィネが好きな有名店のチョコレートケーキも、今日は飛ぶように売れていることだろう。

「今から買いに行っても、まだあるかな?」

 慌てた様子で立ち上がるラネに、リィネは呆れたように笑う。

「もう、ラネってば。どんな有名店のチョコレートよりも、ラネの手作りの方が喜ぶに決まっているじゃない。それよりも、早く渡してあげて?」

 アレクが、朝からずっと落ち着かない様子でうろうろしていると聞いて、ラネは赤くなった頬を隠すように俯いた。

 そんなに楽しみに待ってくれているとは思わなかった。

「私も早くこれを渡したいから、もう王城に帰るわ。ラネ、兄様をよろしくね」

 そう言って、リィネは自分の作ったチョコレートを持って部屋を出ていく。

 きっと王城では、王太子が落ち着かない様子でリィネの帰りを待っていることだろう。

 ラネはそんなリィネを見送り、それからようやく覚悟を決めて、チョコレートの箱を持ってアレクを探した。

 結婚式のあとは一年ほど、ふたりきりでアレクの故郷の町で暮らしていた。

 海の見える綺麗な町は、住んでいる人たちも気さくで優しく、ラネもすっかり気に入っていた。半月ほど前に王都に戻ってきたが、いつかまた、あの町で暮らしたいと思う。

 リィネがこの屋敷を出たあと、アレクがラネの両親を村から呼び寄せてくれたので、今は一緒に暮らしている。だが今日は両親も、バレンタインデートだと言って出かけたので、不在である。

 だから今は、この広い屋敷にふたりきりだ。

「アレク?」 

 その姿を求めて探し回ると、彼は中庭にあるベンチにいた。

 リィネが帰るときに顔を見せないからおかしいと思っていたが、ここで眠ってしまっていたようだ。

 待ちくたびれた子どものような姿に、思わず笑みを浮かべる。

 あれほど警戒心の強い人が、ラネの前ではこんなにも無防備に眠っている。

 その姿を見ていたら愛しくてたまらなくなって、ラネはアレクの額にそっとキスをした。

「……ラネ?」

 ゆっくりと目を開けたアレクは、ラネの姿を見つけて手を伸ばす。

 抱き寄せられて、慌ててチョコレートの箱を高く掲げた。

「アレク、せっかくの箱が潰れてしまうわ」

「箱?」

 不思議そうにそう尋ねたアレクは、ラネが手にしている箱を見て、はっとしたようにラネから手を離した。

 ラネはあらためて、その箱をアレクに差し出した。

「バレンタインにチョコレートを贈るのは、初めてだわ」

「初めて? だが、エイダーは……」

 かつての婚約者の名前に、ラネは首を振る。

「王都から遠く離れた小さな村だったから、バレンタインの習慣がなかったの。だから、私がチョコレートを贈るのは、アレクが初めてよ」

 そう告げると、彼は本当に嬉しそうに表情を綻ばせた。

「俺も、貰うのはこれが初めてだ」

 そう言って、大切な宝物のように、両手で恭しく受け取ってくれる。

 満ち足りた顔で幸せそうに笑うアレクを見ていると、ラネの胸にも幸福感が満ちていく。

「これからも、アレクにだけチョコレートを贈るわ。だから、私以外の人から貰わないでね?」

 冗談っぽくそう言うと、もちろんだと抱きしめられる。

 今度はラネも逆らわずに、素直に身を任せた。

 きっと来年も、こうしてアレクの傍で幸せに暮らしていることだろう。






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