利用させていただきます、ヒロインさん
「ローデシア・タウンゼント公爵令嬢! この場を借りて其方に問いただしたいことがある!」
王立学園の卒業式。選ばれし優秀な若人の門出を祝う場で、王太子エルヴィスは壇上からそう言った。
隣には小柄な女生徒を連れている。
小動物のように愛らしい彼女は光魔法の素質を認められ、神殿枠の特待生として通学していたキャロルだ。怯えるように俯いて細い肩を震わせていた。
「ローデシア・タウンゼント、ここに。いかがなさいましたか、王太子殿下」
制服の裾を優雅に捌き、ローデシアは進み出る。
輝くような黄金の巻き髪に、刺すように鋭いアイスブルーの瞳。
王太子の婚約者として育てられた令嬢の中の令嬢。
婚約者同士が対峙する状況に、学生たちは固唾を呑んでいる。
「晴れがましい席でこのような騒ぎとなり、皆に詫びよう。だが、学生最後のこの日にハッキリさせねばならぬことがある。これは陛下も御承知のことだ」
王太子の言葉に来賓席の国王は重々しくうなずく。
それを見て王太子もまたうなずき、ローデシアに視線を戻した。
「ここにいるキャロル嬢からタウンゼント公爵令嬢にいじめを受けていたという陳情があった。誠か」
王太子の平坦な声に、ほとんどの学生たちは貴族らしく表面上冷静を取り繕うが、かすかに声が上がることは否めない。
親しい友人が動こうとした気配を察し、先んじてローデシアは口を開いた。
「お答えいたします。キャロル嬢をいじめたなどという事実はございません」
「うそっ!」
弾かれたように叫んだのはキャロル本人だった。
「嘘です! ローデシア様はいつも私に『平民が身の程をまきまえろ』とか『平民が目障りだ』とか『平民が馴れ馴れしい』とか酷いことを言ったじゃないですか! わ、私、本当に悲しくて、何のために頑張ってこの学園に入ったんだろうっていつも苦しくて、エルヴィス様がかばってくれなかったら……っ」
ポロポロと透明な涙をこぼし、体を震わせながらキャロルは必死に訴える。
庇護欲を誘う姿に絆された者が、軽蔑した目で、あるいは疑うような目で、ローデシアを突き刺す。
「確かにわたくしはキャロル嬢に多少の忠告をいたしましたが、そのような思慮に欠ける言葉を選択することはございません。……ですが、キャロル嬢がそう受け止められたということは言葉が足りていなかったのでしょう。意図せず傷つけてしまったことはお詫び申し上げます」
そう告げてローデシアは御手本のように一礼する。
「恐れながら陛下、殿下。発言をお許しください」
毅然と声を上げたのはローデシアの親友、王太子を破って主席卒業に輝いたシェリーだ。
王太子に視線で発言を許された彼女は深く一礼し、真面目な顔で言葉を発する。
「わたくしはローデシア様の近くに侍ることが多かったため、キャロル嬢の証言に対し反証させていただきます。ローデシア様は一度たりとも身分を理由に忠告なさったことはございません。また、あのように口汚く人を罵られることもございません。わたくしが耳にしましたのは『お互いの立場を考えて行動された方がよろしいと存じます』『今は殿下にお目にかかれる場面ではございません』『殿下には婚約者が定められております。節度を保って行動なさってください』などです。わたくし以外からも証言が得られると思います」
優秀なシェリーの証言にほとんどの生徒は納得したが、一部のローデシアに反感を抱いている生徒は厳しい顔のままだ。
キャロルは絶望したかのように顔を青くして、震えながらも言い募る。
「そんなはずありません! あ、あなたは、ローデシア様の取り巻きだから嘘を言っているんだわ! だって私と同じようにローデシア様と呼ぶことを強いられているじゃないですか!」
ありふれた茶色の髪に鳶色の瞳ではあるが、清楚な美貌をもつシェリーは感情のない顔で答えた。
「わたくしはタウンゼント領の特待生です。ローデシア様は主家の姫君であり、忠誠を捧げた主人でもあります。学内だからといって親しく令嬢と呼びかけるわけにはまいりません」
「ほら、やっぱり!」
キャロルは笑う。
底の知れた態度に、シェリーの顔が険しくなる。
「主人のためなら平気で嘘でもつくのよ。あなただって見てたはずだわ。私がローデシア様から無視され、平民と見下され、馬鹿にされているところを!」
「お黙りなさい!」
ビリビリと空気が震えた。
それまで冷静極まりなかったシェリーが露わにした怒りに、キャロルはポカンと口を開けている。
「ローデシア様に限ってそのようなことはありえません! まだおわかりでないようですが、わたくしは平民です。たとえ臣下でなくとも、貴族の御令嬢を親しくお呼びすることは許されません」
シェリーの言うとおりだ。多くはないが少なくもない平民の生徒は一様にうなずく。
この学園は学問の平等を謳っているが、身分を勘案しなくてよいわけではない。
当然卒業後のことを考えて自らの立場に応じた振る舞いをとる必要がある。
「幸いにもわたくしは努力が認められ、侯爵閣下の後援をいただきました。けれどそのきっかけは、孤児院で本ばかり読んでいたわたくしをローデシア様が見つけてくださったから。我が主人は身分にとらわれず公平に物事を評価することができる御方です。これ以上の侮辱はローデシア様がお許しになってもわたくしが許しません!」
シェリーの身分は周知の事実だ。なぜならば成績上位の生徒は学内の掲示板に氏名を公表されるからである。
平民であるシェリーには姓がない。そのため後援者であるタウンゼント侯爵が併記されている。
彼女自身の優秀さとタウンゼント侯爵家との繋がりを求めて友人扱いする貴族令嬢もいるほどだ。
「こ、こわぁい。エル様ぁ。ああやってあの人たちはいつも私をいじめるんですぅ」
我に返ったキャロルは泣き顔を作り、王太子へ縋りつこうとする。
やんわりと護衛騎士が間に入り、王太子も一歩距離を取った。
「在学中幾度と競い合ったシェリー嬢の発言を個人的には支持したいところだが、彼女の言葉にならってここは公平を期すべきだろう。他にこの件について証言できる者はいないか!」
王太子の言葉にパラパラと手が上がる。
順番に証言させたところによると、それらはほとんどがローデシアの無実を証明するものだった。
いくつかの例外はローデシアに何か言われたキャロルが泣いていたというものだが、それ以上の証言は出てこない。
王立学園で学んだ以上、王太子、そして国王の前で偽証を行うことがどれほどの罪になるか承知しているからだ。
「なるほど、あいわかった。どうやらお互いの意見に齟齬があるらしい。この件に関しては双方の意図するところが正しく伝わらなかったが故のすれ違いだろう」
「そんな!」
悲痛な顔でキャロルが悲鳴を上げる。無礼にもローデシアを指差し、王太子に詰め寄ろうとする。
「みんな嘘をついているんです! 信じてください! 私は本当に毎日暴言を吐かれて、仲間外れにされて、つらくて、寂しくて!」
間に入る護衛騎士が大変そうだと思いながら、ローデシアは王太子に視線を向けた。
「殿下のおっしゃる通りですわ。確かにわたくしはキャロル嬢に注意をさしあげました。それが正しいことだと思ってのことです。どうやらご迷惑でしかなかったようですが、それもわたくしが至らぬからでしょう」
王太子は目を伏せる。そして、意を決したようにローデシアを見つめ返す。
「ローデシア・タウンゼント侯爵令嬢。確かに其方は正しいことをしたのだろう。だが、相手に対する配慮が足らなかった。そうではないか?」
「返す言葉もございません」
ローデシアは深く一礼する。
王太子は溜息をついた。
「幼少の頃より長らく婚約者として支えてくれたことを感謝している。だがしかし、其方は正しすぎるのだ。国母となる者には寛容さも求められる。其方にはもっと他の道があるのではないか」
小さく悲鳴が上がった。これでは婚約破棄を告げたも同然だからだ。
護衛騎士にやんわりと拘束されているキャロルが期待に満ちた瞳で王太子を見る。
「元よりこの婚約は国王陛下の御命令によるもの。いかようにも従います」
ローデシアが貴賓席に向けて一礼すると、国王がゆっくりと立ち上がる。
学生たちは一斉に跪いた。王太子と、勝ち誇った顔のキャロルを除いて。
「面を上げよ」
国王の許可に、高位貴族から順にゆっくりと顔が上がっていく。
その間ずっと棒立ちのキャロルは悪目立ちしていた。
「学生時代の瑣末な出来事だ。タウンゼント嬢に咎となるほどの手落はない。何事も相手があることだ」
「なんでっ! なんでなんでっ! 私がヒロインなのに! なんでみんな悪役令嬢の言うことなんか信じるのよぉ!」
身分を弁えずに叫んだキャロルが護衛騎士に拘束される。速やかに応援が現れ、彼女は猿轡を噛まされた。
「しかし、王太子の言にも一理ある。幼い頃より成長を見守ってきたが、其方は夫を支えるよりも自らが主となる器の持ち主であろう」
王太子同様、婚約を破棄する方向の発言である。
しかし一方でローデシアの能力を称賛しているようでもあり、学生たち、特に平民や下位貴族の子息令嬢は困惑するばかりだ。
「お褒めのお言葉大変うれしゅう存じます」
ローデシアは頬を染めて微笑する。目を細めてそれにうなずく国王の目には慈愛があった。
「ローデシア・タウンゼント侯爵令嬢。これまでの王妃教育大義であった。これからは一臣下として国に仕えるがよい」
「かしこまりました」
完璧なカーテシーに国王は目を細め、着席した。
わざとらしく学園長が咳払いをする。
「これにて卒業式を閉式とします。卒業生、退場」
退場は成績順となる。
主席のシェリーが国王に一礼してから退場し、次に壇上を降りた王太子が同様に退場した。
その次がローデシアの番だ。講堂を出たところには泣き出しそうなシェリーと、苦笑している王太子が待っている。
「ローデシア様!」
とうとうシェリーは涙をこぼし、ローデシアの元へ駆け寄った。
「あら、まあ、シェリー。ごめんなさいね、心配をかけて」
自分よりも背の高いシェリーの肩を撫でながら、ローデシアは慰める。
「ローデシア様、なぜ、どうしてこのような……! 貴方様には何の落ち度もないというのに、陛下も殿下もどうして……っ」
悲嘆に暮れるシェリーにローデシアは眉を下げた。
「ここで口にするようなことではなくてよ。行きましょう、シェリー。全てお話するわ。だからもう泣き止んで。目が腫れてしまいますわよ」
ローデシアはシェリーの背を抱いて促す。自然と見守っていた王太子と向き合う形になり、お互いに苦笑する。
一方、泣きじゃくっていたはずのシェリーは主人を庇うようにキッと王太子を睨みつけた。
「私も同席させてもらっても?」
「ええ。その方がよろしいでしょう」
次の生徒が来る前にローデシアたちは歩き出す。
夜には卒業記念パーティーが開催されるため、卒業生たちは慌ただしく身支度を行うはずだ。
当然ローデシアとシェリーにもさほど自由になる時間はないが、忠実な家臣をこの状態で放っておくほどローデシアは非情になれない。
最も近いサロンに入るとお茶を用意させることもなく単刀直入に切り出した。
「計画通りだったのよ、全て」
王太子とローデシアの婚約は幼い頃に整った。国内の情勢を考慮してのことだ。
しかし3年前に隣国で大きな内戦があり、この国でも対応を余儀なくされた。
「貴方も知っているでしょう? 腐敗したサザン王朝が潰え、旧王家であるウェルトン王朝が復権したのを」
そう説明すれば優秀なシェリーのことだ。ハッとしたように王太子を見る。
「そう。ウェルトン王、元公爵には僕らと同じ年頃の娘がいる。彼女がこの国に輿入れすることになった」
元々隣国は鉱石の産出で力をつけた国だ。今は内戦後の混乱で国庫が空になっているが、運用資金さえあれば数年で回復するだろう。
それにウェルトン王は屈強な領軍を国軍とした。国を取り戻したばかりの彼らは士気も練度も高く、あまり敵対したい相手ではない。負けることはなくとも被害は免れないからだ。
もちろん彼の国にとってもそれは同じことのはずだ。農業資本をこの国に頼っている以上、今は友好関係を望んでいるだろう。
「そうは言っても今のあちらは戦後だからね。なまじローデシア嬢が完璧だったが故に、王女を娶ることに反発が出るのも必至だ。そこでローデシア発案の芝居を打つこととなった」
「しばい……?」
今度はこちらを見たシェリーにうなずいてみせると、シェリーの瞳にはまた涙が盛り上がった。
「わた、わたくしが、どんな気持ちで……!」
「ごめんなさいね、シェリー」
今だけは主従の垣根を超えてローデシアはシェリーを抱きしめる。
「貴方を利用したの。高位貴族ならばあの状況に何が起こったか察したはずだわ。けれど貴方は優秀であるけれど平民で、しかもわたくしを案じるあまり冷静になれないことがわかっていた。傍観者が必要だったのよ」
筋書きはこうだ。瑣末なトラブルを大きく見せかけ、ローデシアの王妃としての資質を問う。
そのトラブルがあまりにも瑣末すぎたのが問題ではあったが、王家と侯爵家ですでに話ができているのだ。自分がヒロインと思い込んでいる平民を利用することを、両家は躊躇わなかった。
これまで何ひとつ瑕疵のない婚約者が槍玉に上げられたことで、少し頭の回る貴族なら王家が既に隣国の姫を受け入れる意向であることを理解しただろう。
しかも納め方を見れば、これからもローデシアを重用するつもりであるのは明らかだ。ローデシアにもタウンゼント侯爵家にも不利益はない。
「もうひとつ言わせていただけば、殿下にとってもわたくしにとっても婚約破棄は都合がよかったのですわ。ねぇ、殿下。リアーナ姫は大変愛らしい御方ですもの」
頬を染める王太子にローデシアはクスクスと笑う。
「からかわないでくれ、ローデシア嬢。それを言うなら貴方だって初恋の君と結ばれるじゃないか」
今度はローデシアが頬を染める番だった。
「ローデシア様……?」
「すぐに、わかるわ」
ローデシアはぷいと顔を背ける。
「彼女が言っただろう。この婚約破棄は互いにとって都合が良いと」
「でも……」
シェリーは不安気に胸の中にいるローデシアを見下ろした。
「わたくしのような平民や、貴族でも頭の回転が悪い者はローデシア様に何らかの瑕疵があったと誤解します。それが心配でなりません」
「まあ、シェリー。本当に可愛いわね。でも大丈夫よ」
「キャロル嬢は虚偽で貴族を貶めようとしたことを理由に処罰する。それから、今月末に『生真面目令嬢と軽薄騎士』という小説が発売予定だ。そうとは明言していないが、それはローデシア嬢とユーインの恋物語になっている。読者は色々と深読みしてくれるだろうな」
「殿下!」
今度こそローデシアは真っ赤になる。
一方、それを聞かされたシェリーは真っ青になる。
「ユーイン? あのユーイン・ディールですか? 女性とみれば誰彼構わず声をかけまくり、弄んでは捨てているというあの軽薄男?」
「確かに彼は女性に対して気安いところがあるが、弄ぶようなことは決してない。流れている悪評はユーインが自分に靡かず腹を立てた女性によるものだ。私の名にかけて彼の名誉は補償する」
王太子にそこまで言われてしまっては、平民にすぎないシェリーに反論の余地はない。
「それに、彼の本命は君の主人だ。侯爵家の嫡男でありながら私の護衛騎士になったのも、王太子妃となったローデシア嬢を守り続けるためだよ。私としても二人の邪魔をしている自覚はあったからね。全ては丸く収まったということさ」
「シェリー」
ローデシアはシェリーの制服の袖を引く。
シェリーは溜息をつくと、手の甲で目尻を拭った。もう大丈夫と言うようにローデシアへ微笑みかける。
「取り乱すあまり御無礼をいたしました。申し訳ございません」
深々と王太子に一礼するが、彼はにこやかにうなずく。
「君の主人に対する純粋な気持ちを利用したのはこちらだ。謝罪は不要だよ。さあ、落ち着いたらそろそろパーティーの支度をした方がいいんじゃないかい? 女性にとっては十分な時間とは言えないだろうから」
「そうですわね、殿下。失礼いたします」
ローデシアとシェリーは改めて一礼し、王太子より先にサロンを出る。時間を置いて彼も外へ出るだろう。
二人は足早に寮へ向かう。そこでは今か今かとメイドたちが二人を待っていた。
優秀な成績を収めたシェリーは侯爵家からの褒章でパーティー用のドレスと宝飾品一式を与えられている。
もちろん侯爵家の姫君であるローデシアにも素晴らしいドレスが用意されていた。
白地に金糸の刺繍が美しい清楚なドレスだ。刺繍の密度が高いため、生地そのものがキラキラと輝いているように見える。
生地が凝っている分、デザインはシンプルに。上半身は体にフィットし、詰まった襟元は金糸で編まれたレースで肌の色を透かしている。裾は優雅にドレープを作ってやや長めのトレーンを引いた。
自慢の金髪はあえてゆるく編み上げ、シルクのリボンで作った花を飾った。
いつもの大人びた化粧をやめ、年頃の少女らしくやわらかい色彩でまとめる。するとキツいはずの吊り目が子猫のような印象になり、グッと親しみやすくなる。
ありのままの自分でいいと初恋の君は言ってくれた。
だからローデシアは自分を好きになれたし、道がわかたれた後も頑張って生きていけると思っていた。
「お綺麗です、ローデシア様」
既に身支度を終えていたシェリーがほうっと溜息をつく。
彼女がまとっているのはアイスブルーのスタンダードなドレスだ。細い金のネックレスと同じくシンプルな金の簪。これから長く使うことができる品ばかりである。
「ありがとう。貴方もとても綺麗よ」
ローデシアは微笑み、お先にと出ていくシェリーを見送った。
パーティーの入場は身分が低い順となる。大物ほど後に登場するというわけだ。
口を湿らせる程度にお茶を飲んで時間を潰し、最後にもう一度身支度を確認していると、ようやく入場の時間となった。
ローデシアは護衛と侍女を連れて講堂へ向かう。
重厚な扉の前にはドアマンが控えており、侍女が手渡した招待状を確認するとよく通る声で告げた。
「タウンゼント侯爵家、ローデシア様!」
既に入場していた生徒や保護者たちが一斉にローデシアを見つめる。
好意的なものばかりではないが、堂々とローデシアは進んで行った。
まずは貴賓席の国王に、次に来賓、最後に学園長へ淑女としてのカーテシーを披露する。
それから友人たちの元へ向かうと、最後の一人が到着した。
「エルヴィス王太子殿下!」
黒いサーコートを身につけた王太子はローデシアとは逆に大人びて見えた。
来賓席に座るリアーナ姫に少しでも良く見られたいという男心が見えて、扇の影で笑ってしまう。
王太子は挨拶を終えても皆の輪には入らなかった。
王族の一人として貴賓席に上り、国王の隣に座る。
国王が席を立ち、侍従が運んだグラスを持った。
生徒たちにも発泡酒が配られている。それを確認した国王は、短く祝辞を述べた。
「国を支える新たな人材を心より歓迎する。乾杯!」
「乾杯!」
唱和し、ローデシアは薄く割られた発泡酒をほんの一口飲んだ。グラスが空にならないうちはダンスに誘われることもない。
ローデシアは婚約破棄が決定した身で、今ならば安く買い叩けると愚かな男たちが寄ってくる可能性があるからだ。
「ローデシア様」
最初にやってきたのはシェリーだ。彼女も教え通りしっかりとグラスを持っている。
だがしかし、その背後にタウンゼント家家臣であるマッキー男爵家のメルヴィンがうろうろしているのを見つけてローデシアは苦笑した。
「シェリー。貴方の王子様がお待ちよ」
シェリーはパッと顔を赤くする。慌てて振り返るとそこには同じく顔を赤くしているメルヴィンがいて、たどたどしく手を差し出した。
「きれいだ、シェリー。すごく。……ファーストダンスを」
そこまで言った彼はシェリーの手にあるグラスを見て絶望したように顔色を青くする。
それに気付いたシェリーは通りすがった給仕にグラスを押し付けると、弾むようにメルヴィンの元へと向かった。
途端に笑顔になった彼はシェリーの手を取り講堂の中央へと向かう。
メルヴィンは前途有望な青年だ。孤児だったシェリーを妻に迎えるという覚悟を持ってもいる。
ローデシアは二人を応援していた。素敵ではないか。身分に囚われず、恋する二人が結ばれるだなんて。
クルクルとグラスを回しているローデシアの周囲ではファーストダンスを申し込もうと包囲網が敷かれている。
わたくしの王子様はまだかしら。そんなことを思っていると、一際高いところに金色の頭が見えた。
のらりくらりと人をかわして前に出た彼は、甘く垂れた目元をさらに甘く垂れさせる。
「ローデシア嬢」
もう1秒も待てないと言うように、彼、ユーイン・ディールはローデシアの前に跪いた。
「どうか私と結婚してください」
手を差し伸べながら告げられた言葉は、さすがに少々意外だった。
目を丸くしているローデシアに、彼も目を丸くして、すぐにまた柔和に微笑む。順番が違ったけどまあいいか、と小さく呟き。
ローデシアも微笑んだ。クイっと発泡酒を飲み干すと、通りすがりの給仕はいなかったので、手近なところにいた青年にグラスを渡す。
「ダンスのあとでよろしければ、前向きに検討させていただきますわ」
どよめきが起こる。
王太子の次なる相手はみな薄々察していても、これは予想外に過ぎるだろう。
「もちろん、ファーストダンスも、ラストダンスも」
ローデシアが伸ばした手の甲にユーインはキスをする。
そして騒然としている周囲を置いて二人は歩き出した。
ダンスフロアの中心には王太子とリアーナ姫がいる。ここで運命的な恋に落ちたという筋書きにするためだ。
そしてそれは、ローデシアとユーインも同じこと。
「すごく綺麗だ。誰にも見せたくない」
「まあ。ダメよ。それでは運命的な恋にならないでしょう?」
パラパラとカップルが集まってきたことで楽団が楽器の音合わせを行う。
向かい合ってポーズを取る。
ローデシアが家族以外と初めて踊った相手はユーインだ。
兄の友人である彼が遊びに訪れた際、たまたまダンスの練習をしていたローデシアを見かけ、軽い気持ちで相手を務めてくれた。
あの時も兄とは全く違う異性にドキドキしたものだが今はもっと落ち着かない。
ユーインの肩幅、大きな手、熱い体温、全てにときめいてしまう。
「恋ならもう落ちてる」
音楽が流れる。ユーインが一歩大きくリードする。
彼の長い金髪がシャンデリアの灯りにキラキラと弾け、歓喜の笑みを彩った。
「君と初めて踊ったあの日から」
わたくしもよ、とローデシアは心の中で返し、にっこりと笑う。
愛はなくとも信頼のある結婚ができると思っていた。
けれど、自分をヒロインだと思い込む少女のおかげで愛も信頼も手に入れた。
平民の彼女にとっては重い罰が下される可能性が高いが、口添えをしようと思う。
うまく利用されてくれた結果、ローデシアは幸せになれるのだから。
「俺と踊っているのに、何を考えているの?」
拗ねたように強引なリードを加えるユーインへ難なくついて行きながら、ローデシアは彼の琥珀色の瞳を見つめる。
「あなたのことよ」
ヒロインさんは取り調べを受けましたが、思春期特有の行き過ぎた妄想ということで退学処分に留まりました。
神殿へ戻された後は肩身が狭い思いをしながらも治癒魔法を使って病人や怪我人を癒しつつ、感謝されるうちに少しずつ現実を受け止めて更生していくと思います。