第158話 ギュネン戦2、戦闘開始
アービス大隊は街道から外れて灌木がまばらに立つ荒れ地を進んでいく。駆足ではなく速歩での進軍なので足元が悪くとも前進に支障はない。道なき道を進むにあたり、大隊の位置を把握するためキーンは適宜パトロールミニオンを頭上に上げている。そのため、大隊の位置も敵の位置も正確に把握できている。
10分ほど荒れ地の中を南南東に進んだところで大隊は大回りに西にコースを変えそこから直進すること10分ほどで前方2キロもない距離に敵軍のものと思われるかがり火が見えた。その右手にはギュネンの城壁が黒いシルエットとなって望まれた。
キーンは先頭を歩きながら、先に飛ばしていたパトロールミニオンを通じて敵情も観察しているが、目立った動きは今のところ見られない。敵兵はギュネンの南に東西3キロ、南北200メートルに渡って布陣して、今現在、多くの兵士たちは幕舎ではなく地面にそのまま横になって雑魚寝していた。
「全隊停止!
各中隊、横列隊形を作れ!」
ボルタ兵曹長の号令で、作戦通り各中隊が横1列の横隊を作り、それが3メートルおきに並んで5段の大隊隊形ができ上った。槍の長さは4メートルもあるので、後ろの列から槍を突きだせば、槍の合間を縫って、前の列に近づく敵を倒すこともできる。
今回の隊形は初めての試みだったが、兵隊たちは感覚が強化された目で敵を前方に眺めながらも落ち着いて素早く隊列を作った。アービス大隊の横列隊形では、隣の兵との体幹同士の間隔を1.5メートルとしているため、横幅は300メートルほど。敵陣の横幅の200メートルを超えている。
「大隊、前進速歩!」
最前列である第1中隊の前進に合わせてその左端の少し前を進んでいるキーンは『龍のアギト』を構え、その隣を進むボルタ兵曹長は腰に下げた鞘から『ボルタのカミソリ』を抜き放っている。各中隊の中隊長は短剣を、先任曹長たちは、長剣を抜き放ってキーンたちの後ろを自分たちの中隊の前進に合わせて前進している。
真っ黒い長槍を中段に構えた兵隊たちが、目元と口元をわずかに光らせ、かがり火の焚かれた敵軍の右翼にほとんど音もたてずにまっすぐ前進していく。前進する速さは強化中であるため、相当な速さになっている。
速歩で敵の野営地に接近していくと、敵陣の様子が直接見えてきた。パトロールミニオンでの観察したのと変わらず、野営地の周辺を見張りの兵が回っており、一般兵は地面の上に毛布か何かの布を敷いてその上にごろ寝している。幕舎はところどころに立っているが、おそらく指揮官たちがその中で寝ているのだろう。パトロールミニオンで幕舎の中を確認することは可能だが、この時間会議をしているとも思えないため、無視している。
敵陣中央の大型幕舎の上にはいろいろと旗が立っていた。幕舎の周りには警備の兵が複数立っていたので、パトロールミニオンは見つからないよう上空から観察している。
キーンは幕舎の上の旗が何の旗なのか何も知らないので漠然と敵の本営と思っていた。その幕舎の脇にはデクスフェロと思しきゴーレムは立っていた。かがり火と星明りで照らされたゴーレムの姿は白い石像のようにも見える。もちろん、ゴーレムに動きはない。
敵陣までの距離が400メートルを切った段階で、ダレン軍の見張りが暗がりの中で横に連なって揺れる多数の光に気づいた。ただ、その連なった光が何であるか見当もつかなかったため、目を凝らしてしばらく観察していた。どうもその光はダレン軍の野営地に近づいてきているように見えるが確信は持てない。
見張りがそうやって思案しているあいだにも、アービス大隊は前進してその距離が200メートルを切った。
連なる光でできた光の横筋がそこまで近づいたところで、見張りは夜襲であると気付き警告の叫びをあげた。その警告に呼応して野営地各所で警告の声が上がり、それまで地面に寝転がっていた兵隊たちも何事かと起きだして、鎧を着け始めた。
アービス大隊の兵隊たちの練度にムラがなかったのならば一気に突撃の場面なのだが、キーンは隊列の乱れを嫌って、これまでの速度を維持して敵陣に接近していった。アービス大隊の兵隊たちもそれまでと変わらず、黙して前進している。
ダレン軍の野営地まで100メートルを切ったところで、矢がパラパラと飛んできた。一瞬動きを止めた兵隊もいたが、たまたま命中した矢が鎧を貫通することもなく地面に落ちたことで、すぐに落ち着きを取り戻し、隊列に復帰した。
「接敵したら、訓練どおり槍を振るえ。矢が効かなかったのと同じで、お前たちをどうこうできる敵はいない。
特に新兵たちは敵を斃すことをためらうな。相手はお前たちを殺しに来ているんだ。そのことを忘れるな!」
ボルタ兵曹長が大きな声で兵隊たちに声をかけた。
キーンは大隊の進撃に合わせて、目に付く限りのかがり火に対して真上からウォーターアローを撃ちこんでかがり火ごと吹き飛ばしていっている。その後は引き続いて進軍の邪魔になりそうな幕舎に対してウォーターボールをこれも真上から撃ち込んでバラバラに破壊している。
一連の魔術攻撃で直接の被害はなかったものの夜間であったことと寝起きであったことで、野営地内に混乱が広がった。
それでも落ち着いて何とか素早く鎧を着込んだ敵兵がパラパラと向かってきた。その敵兵に対して、古参兵たちは黒槍を叩きつけていくが、新兵たちは突き出していく。古参兵の打撃は敵兵に致命傷までは与えてはいないようだが、敵兵はそのまま倒れて動かなくなっている。新兵たちの突き出した黒槍は簡単に敵兵の革鎧を貫通して敵に致命傷を負わせるのだが、引き抜くことに手間取っている。
初めての戦いで人に対して武器を振るえない新兵も相当数いるだろうとキーンもボルタ兵曹長も考えていたが、槍の長さが幸いしてか、敵兵を斃すことをためらう者はいないようだ。
「突きよりも叩く方がいい。叩いてみろ! 倒れた敵は放っておいても後ろの部隊がとどめを刺してくれる」
古参兵たちが新兵たちにアドバイスしていく。
何とか槍を引き抜いた新兵が隊列に戻って前進を続けていく。
怒号と悲鳴が敵の野営地の中で上がる中、アービス大隊はほとんど声を上げることなく敵を倒しながら前進していく。ただ唸りを上げて振り下ろされる槍の音が響くだけだ。
接敵して50メートルほど前進したところで、
「第1中隊はその場で停止。第2中隊以下はそのまま前進」
第1中隊の先任曹長のケイジ曹長が第1中隊に号令をかけた。すぐに第1中隊はその場に停止して、予定通り第2中隊以下の中隊が前面に出て、大隊は敵兵を倒しながら前進を続けていく。
今のところ、5列横隊の左端に位置するキーンたち指揮官の方には敵兵は流れてきていない。
さらに部隊が50メートルほど進んだところで、第3中隊が前面に出て同じように大隊は前進していく。アービス大隊の前面に立たされた敵兵は、アービス大隊に向かうことなく大急ぎで後退しそれが敵陣内で混乱をもたらしていった。結果的にダレン軍は陣形どころか隊列を組むこともできず、迫りくるアービス大隊に散発的な反撃しかできなかった。
距離を取った敵兵がクロスボウを撃ち始めたが、アービス大隊の兵士に命中したボルトもむなしく鎧に弾かれて地面に転がった。
意を決してアービス大隊に立ち向かおうとした敵兵は4メートルの長槍の前に接近することさえできず、倒されて行く。
ヘルメットや肩口を上から痛打され地面に転がって動けなくなった敵兵は、第2列の槍の餌食となっている。
アービス大隊は敵の反撃に構わず、一定速度でダレン軍の野営地の中を前進していく。接敵時にはやや隊列に乱れが生じたが、新兵たちも落ち着いたようで、もはや隊列に乱れはない。
敵の反撃も一時活発になったが、無傷のまま足取りを全く変えず前進してくるアービス大隊に対して接近戦は無理と判断したようで、槍や剣をもって直接向かってくる者はほとんどいなくなった。ダレン軍の兵士たちは散発的に遠方から矢を射かけたり、中距離からクロスボウボルトを撃ち込んでくるだけで、組織だった反撃は全くなかった。
キーンは大隊の整然とした進撃を横合いから眺めて、これなら心配ないと思い始めていたが、パトロールミニオンを通して見張っていたはずのデクスフェロが知らぬ間に白い石像から磨かれた鋼製の像になっていた。しかもその鋼製の像はゆっくりとキーンたちが戦っている東を向いて歩き始めた。
「ボルタ兵曹長、デクスフェロが動きだしました。ここからでもパトロールミニオン経由で攻撃できますが、目視できるようになったら、僕が仕掛けます」
「了解しました。大隊の進撃はどうしますか?」
「デクスフェロを倒すことができれば敵は総崩れしそうだから、このまま進撃していきましょう。
逆に僕がデクスフェロに歯が立たないようなら、大隊に被害が出ないうちに各中隊は左向け左をして、5列縦隊となり駆足で撤退しましょう。見たところ、デクスフェロの動きは遅いようですから、駆足で撤退すれば追いつかれはしないと思います。撤退時に近づく敵兵は僕が何とかします」




