第116話 モーデル聖王国、王女セルフィナ
キーンが付属校との交流戦に参加した日よりおよそ1カ月前。
モーデル聖王国の聖王都モデナはモーデル山地の山々に囲まれた盆地にある。モデナの中心にある王宮内に建つ宮殿奥の王族居住区画内、聖王ロベルタンの私室。おそらくこれが娘にかける最後の言葉になるだろうとロベルタンは思いながら、一人娘、セルフィナ王女を呼んで話をしている。
セルフィナはロベルタンがある妾室に産ませた子だ。セルフィナの母親はすでに他界している。ロベルタンには他の妾室に産ませた子も幾人もいたが幼いうちにみな他界しており妾室であった子どもたちの母親もセルフィナの母親と同じように他界している。報告では様様な理由で亡くなったとされていたが、おそらく全て変死だったとロベルタンは考えている。
「ギレアの南西部がエルシンに割譲されたことにより、わが国はエルシンと国境を接することとなった。わが国周辺の中小国を糾合したモーデル連合は先のエルシンとの戦いで大敗後瓦解しており、この国は早晩エルシンに飲み込まれる。セルフィナ、お前はその前に国を出ておけ」
「わが国には他国にあるような軍事アーティファクトはないのですか? それがあればエルシンを退けることができるのでは?」
「ないわけではないが、誰も動かすことができないのだ。アレ(注1)を使うことさえできればエルシンを退けるだけでなく、わが国に過去の栄光、モーデル帝国の栄光を取り戻せるだろう。それができずすでに300年。モーデルはこの山奥に細々と続いている過去の権威だけにすがる国に成り下がっているわけだ。アレもエルシンに奪われるだろうが誰も扱えないのでそのうち捨て置かれるだろう」
「……。
それで、お父さまは?」
「私はこの国を最後まで見届ける義務がある。
セルフィナ。サルダナの地方都市バーロムの近くにロームという湖に面した避暑地がある。そこに王室所有の別荘があるのでそこを当面使用するのが良いだろう。お前が生れる1年ほど前に不幸な出来事があったが、前正妃派はもういない。今なら問題なかろう。
今となっては、サルダナがモーデル連合に参加しなかったことは逆に幸運だったかもしれんな」
「……」
「サルダナへ連れていく人数は控えた方がよいので、護衛としてノートン姉妹を付ける。あの二人なら大丈夫だろう。当面必要なものは二人に持たせている」
「……」
「サルダナの都セントラムの商業ギルドに口座を作っている。この札を持っていけば金を引き出せる。役立ててくれ。この国のことは忘れて幸せになってくれればよい。身分を示す必要が来るかどうかはわからぬが、これがお前の身分を示すものだ。このように手をかざしてわが王家、いや皇家の姓を名乗ればこのペンダントはこのように輝き、皇家の紋章が現れる。そしておまえ自身の身体能力が10分ほどだが格段にあがる。この国に伝わるアーティファクトだ。実は、このペンダントは双子でその片割れを、昔ある者に渡したのだが、今ではその者はおそらく亡くなっており、ペンダントも失われている」
ロベルタンはペンダントの蓋を締めプラチナ製の鎖の着いたペンダントをセルフィナに渡した。
「お父さま。……」
3日後の払暁、銀色のペンダントを首から下げたセルフィナは護衛のサファイヤ・ノートン、ルビー・ノートンの二人を連れ誰の見送りもないまま宮殿を発ち、人目を忍んで一路サルダナ王国第2の都市バーロムを目指した。バーロムまでの道のりは約900キロ。ノートン姉妹は、まだ12歳のセルフィナを連れての徒歩の旅では、目的地であるローム湖への到着は早くて7月末、遅ければ8月中旬になると見込んでいた。
旅の荷物はノートン姉妹が手分けして背負い袋に背負っての旅だが、やはり旅慣れていないセルフィナの足では最初のうちは1日10キロが限度だった。セルフィナは一度だけ歩きが辛いときペンダントの力を借りたのだが、父の言った通り疲れが一気に取れそれから10分の間だけだったがずいぶん軽い足取りとなった。ノートン姉妹が大いに驚いたため、セルフィナは委細を二人に説明しておいた。その際二人から今後は安易にペンダントは使わないようにと注意された。そのため、セルフィナは首からかけたペンダントを上着の下に隠すようにした。
当初1日10キロほど進んでいた3人だが、セルフィナの足が旅に慣れたおかげでそのうち1日15キロから20キロ進むことができるようになった。
自分のことを旅の重荷になっていると思っているセルフィナは、ことあるごとにノートン姉妹をねぎらっていた。
「私は荷物を持たずに、二人に全部持ってもらっているけれど、ほんとにごめんね」
「姫さま。それも含めてのわれわれの仕事です。お気になさらずに」と妹のルビー・ノートン。
「姫さまに頼られることが、私たちの喜びですから、お気になさらずに」と姉のサファイア・ノートン。
ノートン姉妹は幼い時から武装侍女としての訓練と教育を受けており、姉のサファイア・ノートンは細剣の達人だ。細剣を腰に下げてしまうとかなり目立ち自分が要人の護衛だということが簡単に知れてしまうため、それとわからないように細剣を細長い箱に収めて荷物と一緒に持ち運んでいる。妹のルビー・ノートンはナイフの達人で、常時複数のナイフを衣服に忍ばせて携帯している。もちろんナイフの投擲も極めている。
モーデル聖王国を西に抜けた3人はさらに西進し、宿場町で宿を取りながら旅を続けギレアを横断。その後、ダレン領内を西進後、北に回りサルダナ領に入った。
「姫さま、バーロムまであとわずかです」
「ここはダレンとサルダナとの国境の城塞都市ギュネンです。ギュネンの北門前からバーロムまで駅馬車が出ており、2日でバーロムに到着します。そのバーロムからローム湖畔へ馬車が出ていますので、乗り換えて数時間で別荘に到着です」
「今ごろ、モーデルはどうなってるのでしょう?」
「これまで泊った宿場町ではモーデルやエルシンのうわさを何も聞いていませんから何事も起こっていないのではないでしょうか」
「そうだといいのですが」
「姫さま、悲観しても仕方ありません」
「そうよね。ありがとう。わたしたちは前を向いていきましょう。そういえばダレンからサルダナに入ったらずいぶん明るい感じがしますね」
「そうですね。サルダナは中小国とはいえ、ダレンと比べ国が豊かなのでしょう。
われわれが目指すローム湖畔は避暑地で、この季節には近隣の裕福な人たちが訪れるそうですからにぎわっているのではないでしょうか。そこには観光客相手の高級店があるようですから、モーデルでは手に入らないようなものも多いでしょうし、見て回るだけでも楽しいと思います」
「そうね。それは楽しみだわ。でも私だけそんなことをしていては」
「姫さま!」
「ごめんなさい。前を向いて生きていかなくてはいけないわね」
注1:アレ
モーデルの軍事アーティファクト。扱える者が絶えて久しくモーデルが帝国と呼ばれていた時代の遺物。その力は圧倒的で各国の持つ軍事アーティファクトでは太刀打ちできない。まさに無敵のアーティファクトと考えられている。
ここでやっと本作の名目上のヒロイン?セルフィナが登場しました。ここから、キーンが『帝国の藩屏』への道を歩き始める?
「アレ」:正式名は一応あります。リンガレングと名付けようかと思いましたがさすがに思いとどまりました。




