第1話 大賢者、赤子を助け養子としキーンと名付ける
私の他のファンタジー作品と同じく、簡単のため単位は、キログラム、メートル、トンなどを使用しています。
老人の名はテンダロス・アービス。齢は既に80を超えている。
大賢者としてこれまでサルダナ王国(注1)に軍事面、魔術面において多大な貢献をしてきた男である。
テンダロスの後に付き従うのはかつてテンダロスが東方の古代遺跡から発見したアーティファクト、マキナドール(注2)と呼ばれる人型戦闘機械のアイヴィー。
敵国からは悪魔、悪鬼と恐れられていたアイヴィーだが、テンダロスが王国魔術師団団長を高齢を理由に辞した後は、戦闘などは行っておらず、テンダロスの身の回りの世話だけをしている。
二人の住む屋敷は、サルダナ王国第二の都市バーロムの近郊にある。今二人はバーロムでの所用を済ませ、街道を屋敷に向かって歩いている途中である。テンダロスはこの歳になっても足腰はしっかりしており、徒歩での移動に差し支えはない。
テンダロスは一代限りではあるが、王国名誉伯爵を受爵しており、それにともない年金として王国金貨千枚を与えられている。当然馬車を自由に使うこともできる身分ではあるし、大金持ちと言っていい程の資産を持っているが、御者など雇う気が無いため、いつも移動は徒歩である。
一人っ子でもあり親戚もいなかったテンダロスは、両親を無くして以来家族はおらず、魔術以外に何も興味がなかったため、ひとり身を通している。
引退に伴い王都にあった屋敷を売り払ってここバーロム近郊に移り住んで以来、家事などは全てアイヴィーに任せており、屋敷にはアイヴィー以外の家人はいない。
テンダロスたちが青々と葉の繁った日よけのブナ並木の街道を屋敷に向かって歩いていると、前方から7月の陽気の中、黒ずくめの人物が小走りに近づいてきた。
テンダロスたちは何事かと身構えたが、男はそのままバーロム方向に走り去っていった。
男がやってきた方向、今テンダロスが歩いている街道をそのまま進めば、避暑地として有名なローム湖の湖畔に出る。今の季節は国内の多くの貴族や富裕な者が避暑に訪れている。周辺国からの避暑客も多い。
黒ずくめの人物とすれ違い、そのまま歩いていくと街道の曲がりを抜けたところで見通しがよくなった。このまま少し進んで街道から右に入った小路を百メートルほど進めばそこがテンダロスの屋敷である。
街道から小路に折れてしばらくしてテンダロスは後ろを歩くアイヴィーに、
「そこの木の先に女が血を流して倒れておる。おそらく先ほどの黒ずくめの人物の仕業じゃろう」
「今から私が追えば、先ほどの男を捕らえることができますがよろしいですか?」
「いや、女にまだ息があるかもしれぬゆえ、男は放って女の方を見てみよう」
「はい」
テンダロスはその木まで進んで、木の根元にもたれかかるようにして倒れている女の首筋に手を当てた。
「すでにこと切れておったか」
女は背中からおびただしい血を流しており、後ろからの斬撃により致命傷を負ったものと思われる。どういった理由でこの女が賊に襲われたのかは分からないが、賊が女の衣服を物色した様子はないので、物取りではなさそうだ。ということは、賊は刺客の類だった可能性もある。
「女の着ている衣服はかなり高級なものじゃ。妊婦のようじゃが、どれ?」
女の腹に手を置いたテンダロスが驚いて、
「腹の中の子はまだ生きておる! すぐに腹を裂いて中の子を取り出さねばじきに死んでしまう」
テンダロスは帯に差した鞘から大ぶりのナイフを抜き放ち、死んだ妊婦の着ていた衣服を切り裂いて下腹部をはだけ、妊婦の下腹部を慎重に裂いていった。
腹から取り上げられた小さな嬰児は血と羊水まみれでぐったりとしており、産声を上げない。
「アイヴィー、スタミナポーションを出してくれるか?」
「はい、マスター」
アイヴィーは肩から下げたカバンの中からポーションを一瓶テンダロスに手渡した。
テンダロスは渡されたポーション瓶の蓋をとり、嬰児に振りかけながら嬰児を抱いた片手でその尻を叩く。
「フギャー」
弱々しいが産声が上がった。
テンダロスはへその緒をナイフで切り取り、アイヴィーから渡されたタオルでまず自分の手を拭い、それから自分の着ていた上着を脱いでその中に嬰児を包みこんだ。
「街に引き返して官憲に告げても、犯人が見つかるわけでもない。母親とてどこかの共同墓地にほかの死体と一緒に埋められるだけじゃろう。この子のこともあるから急いで屋敷に戻らねばならぬが、このまま死体を放ってはおけまい。アイヴィー、儂が穴を掘るゆえ母親を運んで穴の底に置いてやってくれ」
『ディッグアース!』
地面に手を近づけ、一言テンダロスがつぶやくと、土が湧き上るように周りに移動して、小路の脇の地面に人一人が横になれるくらいの穴があいた。
「アイヴィー。母親を入れてやってくれ」
「こんな感じでよろしいですか? 手に何か握っているようです」
アイヴィーが死んだ妊婦の左手の握られた指をほどいて、彼女が握っていた物をテンダロスに手渡した。
「これは鎖は無くなっておるがペンダントじゃな。母親が死ぬまで放さなかった物じゃ、大事な物だろうから預かっておくか。この子にとって死んだ母親の形見になるしな」
アイヴィーから渡されたペンダントを懐に仕舞ったテンダロスが墓穴に手をかざし、
『レストアアース!』
と、つぶやくと、脇に除けられていた土が移動して女を底に入れた墓穴を塞いだ。そのあとアイヴィーが墓標とするため近くに転がっていた丸石をその上に置き、二人はできるだけ急いで屋敷へ戻った。
屋敷に帰り着き、すぐにアイヴィーは湯を沸かし、桶の中で綺麗に嬰児の体を洗ってやった。
「マスター、赤子の左手の甲にアザがあるようです」
「何かしらいわれのありそうなアザじゃのう。うん? これは何か魔術的なもののようじゃ」
「魔術的とは?」
「よくわからんが、魔術的につけられた何かの印のようじゃ。この子が母親の腹の中で死ななかったのはこのアザのおかげかも知れん。そういった感じじゃ」
そんな話をしながら、嬰児を洗っていたのだが、洗い終わってタオルにくるんだ嬰児が弱々しく泣き始めた。
テンダロスもアイヴィーも、もちろん子育てなどしたことはない。
「これはおそらく腹が減っておるのじゃ。アイヴィー、何か食べるものを作ってやってくれ」
「赤子は何を食べるのでしょう?」
「うーん。普通は母乳じゃが、儂もお前も母乳は出まい? 儂の嫌いな牛かヤギの乳でもあればのう。その他の物で間に合わせるとすると、よくは分からんが、歯もない訳じゃから、柔らかいもので代用するとして、麦がゆか何かでいいんじゃなかろうか?」
「分かりました、すぐに麦がゆを用意します」
アイヴィーが麦がゆの用意に厨房にたった。
嬰児はその間も泣いている。しかも、泣き声はだんだんと弱くなってきた。
「これはまずいかもしれん。そうじゃ!」
テンダロスは部屋の中のポーション棚から、スタミナポーションを取り出して、嬰児の口に持っていき、数滴たらしてやったところ、また泣き声が大きくなってきた。
「これじゃ! これを麦がゆに混ぜて食べさせればええんじゃ!」
それから二十分ほどでアイヴィーによって用意された麦がゆに、テンダロスがスタミナポーションを混ぜてやった。アイヴィーが嬰児の口の前に麦がゆの上澄みをスプーンですくって運んでやったら嬰児が吸った。
「どーんなもんじゃい!」
「すごいです。やはりマスターは偉人です」
「フォッフォッフォ」
テンダロスは、ご満悦である。
上澄みが無くなって来たので、アイヴィーは嬰児にスプーンで潰した麦がゆを与え始めた。さすがに嬰児では、固形物は無理だったようでいったん口の中に入った麦粥を吐き出した。
「アイヴィー、溶けるまで煮込まんとダメそうじゃな。今のところ落ち着いておるから今のうちに用意しておいてくれ」
「はいマスター」
アイヴィーが麦がゆの入った器とスプーンを持って部屋を出ていった。
「ところでこの子の名前はどうしようかの?
そうじゃ。赤子のくせに頭が尖っておるから、キーンとでも名付けるか。キーン・アービス。儂の最初の子じゃ!」
こうして嬰児はキーンと名付けられ、テンダロス・アービスの養子となった。
数週間後、ローム湖畔に建つある別荘で護衛とみられる武装した男女を含む10名近くが惨殺されていたという話がテンダロスに聞こえてきた。テンダロスはキーンの母親との関連を当然疑ったが、何もできることはないため、そのことを胸の中に仕舞っておき、屋敷周辺にいつも以上に注意を払うようアイヴィーに指示をするにとどめた。
注1:サルダナ王国
サルダナ王国は北をセロト王国、北西をローエン王国、西と南をダレン王国、東をギレア王国と接する中小国の1つ。ギレアを除く3国はいわゆる大国である。ダレン王国との関係は険悪とも言っていい状態が30年ほど続いている。
注2:マキナドール
太古の時代製作されたと考えられているアーティファクトの一つ。超高性能な近接戦闘用機械人形。その戦闘力は圧倒的。アイヴィーの姉妹機が存在する可能性があるが、発見されてはいない。