今日も畑で
子供達が畑で働き始め、テチさんは昨日の休憩所へと向かい、俺もまた休憩所へと足を向ける。
そうしてテチさんの向かいの席へと腰を下ろすと、テチさんがすっと一枚の紙を……大学ノートのページを切り取ったらしいものをすっと差し出してくる。
一瞬それが何なのかと訝しがる俺だったが、すぐに昨日話していた子供達の名簿だと気付き、
「ありがとう!」
と、声をあげながらそれを受け取る。
するとテチさんは肩にかけた大きな鞄から茶色の、子供の頃に学校で使っていた文房具箱みたいなものを取り出し、それをテーブルの上に置いてすっと蓋をあける。
するとそこには、安全ピンで止める形の、保育園などでよく見るようなビニールに包まれた名札が大量に入っている。
「流石に子供達に渡すものまでお前に用意させる訳にはいかないからな、名札はこちらで用意した。
ペンは貸してやるから、お前も一緒に名前を書け」
どんぐりの形をしていて、どんぐりの中央部分に名前を書くための白い長四角があるそれをテーブルにずらりと広げながらそう言うテチさんに、俺はサインペンを受け取りながら頷き、言葉を返す。
「どんぐりの形をしているのがまた良いなぁ。
子供達によく似合いそうだ……あ、テチさんは名簿の上から書いていってくれ、俺は下から書いていくから」
するとテチさんは頷いてくれて……ひらがなでの名前書きを始めながらゆっくりと話をし始める。
「……栗の木を育てる際に最も恐れる病気は、胴枯れ病だ。
一昔前、アメリカは世界有数の栗の大産地だったのに、この病気にやられてしまって栗の木が一気に減ってしまったんだ。
栗の木に巣を作るリョコウバトもこの影響で数を減らしてしまい……乱獲もあって絶滅してしまったそうだ。
……そしてこの病気に勝つためにある種の栗の木は、その中にタンニンという成分を溜め込む、この成分が病気を寄せ付けない訳だな」
そんな話をされて俺は、慌ててメモ帳を開き、今の話の中に出てきた病気の名前などをしっかりとメモする。
メモをし終えるなりに名札書きを再開しようとするが……テチさんは容赦なく話を続けてくる。
「そして日本の栗の木は……タンニンを多く溜め込む種だとされている。
古代の頃から栗の木が木材として愛用されていたのは、このタンニンのおかげという訳だ。
タンニンのおかげで腐りにくく傷みにくく、使い方次第では何十年も保つもそうだ。
……だがそれでも胴枯れ病になってしまうことがある、アメリカの栗の悲劇を繰り返さないためにもこの病気には気をつける必要があるだろう。
接ぎ木をする際には、切り口などに薬品を塗って病気が入り込むのを防ぐ必要があるし、虫が木を傷つけてしまわないように、病気が入り込むきっかけにならないように気をつける必要があるしで……それで今、子供達がああしているという訳だ」
木の上に登って病気になってないかの確認をして、虫がいたら棒で叩き落として、小さな傷もつかないようにして……。
更にテチさんが続けてくれた説明によると、もし薬などで胴枯れ病を防ごうと思ったなら、一年のうちの半分は薬を使い続けないといけないらしく、それにはとんでもない費用がかかってしまうんだそうだ。
それこそ収穫の3割では済まない程のお金がかかるそうで……その説明を受けて俺は「なるほどな」と深く頷く。
しかし、それならそうと昨日の……契約前の段階で説明してくれたら良かったのにと、そんなことを思いながらテチさんのことを見ていると、俺の視線に気付いたらしいテチさんが、何処か申し訳なさそうにしながら顔を上げて、視線を逸らし……その口を小さく開く。
「……昨日あの後、兄に叱られてな。
大事な説明をしないで契約するやつがあるか、お前が契約のことを不安に思って疑問に思って破棄しようとしたらどうするんだとか、長々とな。
……私としては何かのついでに説明したら良いとそれで良いかと思っていたんだが……すまなかったな」
「……な、なるほど。
ま、まぁうん、今の話で結構納得できたし、俺は別に……うん、文句を言うつもりも契約についてどうこう言うつもりもないから、気にしなくて良いよ。
……ちなみにだけど、クルミの木はそういった心配はしなくて良いのか?」
テチさんの謝罪に対し俺がそう返すと……テチさんは、頬杖をついて、クルミ畑がある、栗畑の向こう……奥の方を見やって説明をし始める。
「クルミもまた胴枯れ病になるのだが、クルミの胴枯れ病がそこまで酷いことになったという話は聞かない、元々病気に強かったのと、クルミもまた多くのタンニンを溜め込む木だからだろう。
栗の胴枯れは樹木の世界三大病害として数えられる程なんだがなぁ……クルミは本当に強い木だよ。
もちろんクルミの木材も重宝されていて、ウォールナット材として特に海外では人気があるそうだ。
日本ではもっぱら栗材のほうが人気だな、古代の頃から栗の栽培をしていたなんて話がある程に生活に根付いたものという訳だ。
……ちなみにだがリスを漢字で書くとどうなるか知っているか?」
そう聞かれて俺は短い言葉を返す。
「栗の鼠で栗鼠だろ?」
「ああ、全く……。
それらしい漢字を使ってくれたものだよな」
するとテチさんはそう言ってから名札へと視線を戻し、ペンを走らせ次々に子供達の名前を書き始める。
それを受けて俺は軽く……後でネット検索出来るよう、重要単語だけをメモしておいてから、テチさんばかりに任せていられないと、名札にどんどんと子供達の名前を書いていく。
そうして何十分か経って……名簿にあった名前全てを書き終えると、テチさんが子供達に向けて大きな声を上げる。
「おーい!
今から名札というものを皆にあげるから、仕事を一旦中断して、こっちに来てくれ!」
すると子供達は「はーい!」とか「わーい!」とか「やっほーう!」なんて声を上げてからこちらへと駆けてきて……テチさんの前にずらりと、一列に並ぶ。
するとテチさんはいくつかの名札を手に持って立ち上がり、名札に書いてある名前を読み上げて「はい!」と返事をした子のシャツなどに安全ピンをぷすりと刺して、名札をつけてあげる。
それを見て俺もやろうかと名前を読み上げると、その子が目の前へと駆け寄ってきてくれて……俺はミスしないよう気をつけながら名札をつけてあげる。
そうやって俺とテチさんは、子供達全員に名札をつけてあげて……どんぐりの形の名札をつけてもらった子供達は、満面の笑みとなって自慢気に、名札がキラリと輝くその胸をぐいと張って見せるのだった。
お読みいただきありがとうございました。