毛繕い
ある日のこと、家事をさっと済ませて居間に戻ったタイミングで、なんとも面白い光景を目にした。
それはコン君とさよりちゃん、それと由貴が並んで毛繕いをしている様子で……どうやらコン君達が由貴に毛繕いの仕方を教えてくれているらしい。
動物の毛繕いは基本的にその舌でもって唾液を塗ることで行われている。
それはそれである程度の合理性があってのものらしく……獣人にもそうしたくなる本能が残っているものらしい。
そのせいでやりたくなってしまうし、幼い頃はやりそうになってしまうが……衛生的には推奨されないことで、幼い頃からの躾や練習で、そうしないように教えていくものらしい。
で、コン君達は今、唾液などを使わない毛繕いを教えていて……そんな3人の前には、毛繕い用の油が入った小瓶が置かれている。
その油を手にとって、手の中で揉んで、唾液をそうするかのように毛に塗り込んで……毛並みを整えていく。
両手で顔を洗うように、両手で服のシワを伸ばすように、丁寧にじっくりとやっていって……手が届く体のほとんどを整えたなら、届かない部分は隣にいる仲間にやってもらう。
その間、口は絶対に使わない、本能で使いそうになったら隣の人が注意することで止める。
由貴の場合は、両脇にコン君とさよりちゃんがいて、両脇からの制止が入るのでどうにか耐えられているようで……ちゃんと耐えられたなら「よくできたね!」「えらいよ!」なんて声が両脇から飛んでくる。
それだけでなく小瓶にも由貴が使いたくなるようにと、ちょっとした工夫がされていて……椿油入りのその小瓶には、由貴が大好きなテレビ番組のキャラクターシールが張られている。
幼児に見せるならこれという、国民的食料系のヒーロー……意外と武闘派な彼のデザインはリス獣人への受けも良いようで、時間になると由貴はテレビから目を離すことなく……瞬きも忘れてじぃっと見つめるのが常だった。
そんなキャラクターのシールを小瓶に張ってあげると由貴は、それが自分の瓶であると認識したようで……更にそれを使いたいとまで思ってくれたようで、正しい毛繕いの勉強にも前向きになってくれたという訳だ。
こうした手の毛繕いは初歩の初歩のことで、ここからブラシを使った毛繕い、ドライヤーを使った毛繕いと勉強していくことになるらしく……コン君達も未だに勉強中だったりする。
お風呂上がりにはテチさんにやってもらっているくらいで、まだまだ完璧には程遠いようだ。
まぁ、季節毎、その日の湿度毎、体調毎に変えていかなければいけないものらしいから、それも仕方ないのだろう。
そんな光景を眺めていると、花応院さんの宅急便が到着し……玄関に向かっていつもの雑談をしながら荷物を受け取り……そしてその中に、テチさん待望の品があることに気付く。
でもまずは食料品から処理していこうと、冷蔵庫に入れるべきものを入れ、冷凍庫に入れるべきものを入れ……それから荷物を一つ一つ片付けていって、最後の一つ、テチさんが欲しがっていたソレを居間へと持って行く。
その箱をテーブルの上に置くと、コン君達は一瞬興味を示すが、箱のデザインのおしゃれさから自分達には関係のない、テチさん関係の品だと察して毛繕いに意識を戻す。
今日のテチさんは仕事中で、帰ってくるまえに使えるようにしていくかと開封と組み立てを始めて……組み立てが終わったら説明書をしっかりと読んでいく。
そうしながらテチさんが帰ってくるのを待っていると夕方、仕事を終えたテチさんが帰ってきて、手洗いうがいを済ませてから居間に戻ってきて……綺麗に毛繕いを終えた由貴を抱き上げ、頬を擦り寄せ綺麗に毛繕い出来ていることを精一杯に褒め……たっぷりの愛情を注いでから、こちらに意識を向けて……そして居間の中央に立つ、スタンドライトのような代物に気付き声を上げる。
「……これは?」
「前に欲しいと言っていたドライヤーだよ」
スタンドライトのように長い棒の先に、色々な角度に曲げられるアームがついていて、そのアームの先にはスティックドライヤーと言われる、棒型で広範囲に熱風を出してくれるドライヤーがついていて……手を使わずに使えるドライヤーという触れ込みで売っていたそれを見てテチさんは満面の笑みを浮かべる。
大きな尻尾を持つテチさん達は、片手でブラシを持ち、片手で尻尾を持っての毛繕いをすることが多いので、どうしてもドライヤーを持つことが出来なかった。
ドライヤーを持てば尻尾のコントロールが難しいし、ブラシを持たなければ話にならないしで……ドライヤーをどこかに固定するなり、尻尾を足で挟み込むなりするという、結構面倒なことをしながら日々のブラッシングをしていたらしい。
そんな中現れたこのドライヤーは、スタンド型なために固定が楽で……それだけでなくスマホとリンクしていて、スマホでの角度調整が可能な上に、扇風機のような自動首振り機能つき。
更にはスマホで首振り機能の早さや角度などの細かい調整が出来て……当然のように吹き出す風の温度まで調整可能。
ハンズフリースタンドドライヤーというまんまな名前で販売されていたそれは、結構なお値段がしたけども、テチさん達にとってはお値段以上の価値があるようで……早速とばかりにテチさんはそれを使おうと電源ボタンを探し始める。
「電源ボタンはここ、熱風がこれで冷風がこれ。
首振りはこれで……このボタンを押すとスマホリンクでの操作モードになるよ。
とりあえず俺のスマホでリンクしておいたけど、後でテチさんのスマホも設定しておくよ。
……で、スタンド部分の高さは調整出来て、最大で2.5mで頭の上からの送風とかも出来るけど……テチさんのメインは尻尾だよね? だから一番低くしておいたんだけど、もっと高くしたいなら、ここのツマミ回してから引っ張ってみてください」
そんなテチさんに俺はざっくりとした説明をするとテチさんは、目を輝かせながら操作を始め……そして早速、そのドライヤーを自分の背後に立たせた上で、スイッチを入れる。
すると熱風が出始め……俺のスマホを手にとったテチさんは、角度やら熱量やらを色々と調整し、しながら手でもって尻尾を撫で始める。
簡易ブラッシングのつもりなのだろう、それは上手くいっているようで、しっかりドライヤーの風が当たる部分を撫でることが出来ていて……それを受けてテチさんの笑みが弾けて、本当に嬉しそうに「ん~~~~!」と声を上げ、ガッツポーズを作る。
獣人にとってかなりの画期的らしいハンズフリースタンドドライヤー、これから獣ヶ森でとんでもない需要増になることを確信した俺は、テチさんからスマホを受け取り……そこら辺のことを、増産した方が良いだろうという旨を、花応院さんへとメッセージで送っておくのだった。
お読みいただきありがとうございました。




