由貴とクルミ
スポンジやブラシでクルミの殻を綺麗に洗い、汚れを一切残さないレベルで綺麗にしたなら、それを鍋に入れての煮沸消毒をする。
しっかり消毒したなら、それを乾燥させて……そうして出来上がったのは由貴のためのクルミのオモチャだ。
オモチャというかおしゃぶりみたいなものというか……とにかくそれはリス獣人の子供には必須のものであるらしい。
リス獣人の子供はすぐに立派な前歯が生えてくるのだが、それがまた口の中をムズムズとさせるのだそうで、生えてからしばらくの間は口の中を掻き回したくなるレベルとなるらしい。
まさか本当に口の中を掻き回す訳にはいかず、ではどうすれば良いのか? の答えがこのクルミで……これを齧っているとムズムズが治まるんだそうで、ちょうど良さそうな大きさの、傷や汚れのないクルミを与えるのが定番なんだそうだ。
もっと大きくなるまでクルミを割ることは出来ないけども、それでも齧っていると歯茎がしっかりとしてきて、歯も大きく育つんだそうで……早速ベビーベッドで毛繕いをしている由貴の下へと持っていくと、クルミを見るなり由貴は両手をこちらに伸ばしてきて……そっと差し出すと両手でしっかりとクルミを抱えて、そうしてカリカリカリカリと齧り始める。
齧っても表面が少し削れる程度なのだけど、それでもそれが楽しいらしくカリカリカリカリと齧り続け、段々目が本気になってきて、手だけでなく足でもしっかりクルミを抱えて齧り始めて……夢中というか必死というか、鬼気迫る何かを感じさせるレベルとなっていく。
「おお、由貴は本能が強い良い子だな、元気に育つぞ」
すると一緒にベビーベッドを覗き込んでいたテチさんが、嬉しそうに弾んだ声でそんなことを言って……な、なるほど、これが獣人の本能かと驚いていると、テチさんが言葉を続けてくる。
「しかし本能が強い子はこれからが大変だぞ、もう少し大きくなると自分の足で駆け回るようになって……木登りの練習気分で、家のあちこちを登って周るからな。
タンスの上、冷蔵庫の上、梁やらの上、屋根や屋根裏。
それはもう元気に走り回って、体力が尽きるまで走りに走って、そこで寝たりするから厄介なんだ。
目を離した隙に子供がいなくなったと大騒ぎになって、散々周囲を探した挙げ句屋根裏で寝てました、なんてのはよくあることだからな……実椋も覚悟しておくと良い」
そう言われて俺はとんでもないことになりそうだなと戦慄してから……由貴がそうなる前に出来ることはやっておくかと作業を開始する。
タンスの上や冷蔵庫の上の埃を綺麗に掃除して、怪我しそうな物がないかの確認をして、それから変な所に行かれるよりはと、クッションを置いたりぬいぐるみやオモチャなんかを置いたりして、由貴がそこで遊んだり眠ったりしてくれるように工夫をしていく。
「……実椋、まだ早いぞ?」
なんてことをテチさんに言われながらも、いつ始まるか分からない訳だし、早めにやっておいて損はないだろうと、出来る限りのことをやってしまう。
という訳で作業を進めていると、コン君とさよりちゃんがいつものように遊びに来て……縁側から家に入り、洗面所で手洗いうがいを済ませ、居間に駆け込んでベビーベッドを覗き込み、由貴に挨拶をしてから俺の側へとやってきて……そして俺がやっていることを大体察してくれたのか、何も言わずに家の中を駆け回り始め、コン君達なりの安全チェックを始めてくれる。
コン君達もまた親戚の子供達とかでそういった光景を見たことがあるのだろう……もしかしたら自分がやっていたのを覚えているのかもしれない。
柱を器用にカシカシと登り、長押に足を引っ掛けて器用に天井近くを移動してみせて……それはもう本当に縦横無尽といった感じで家の中を駆け回り、汚れが残っているとかそういった部分の報告をしてくれる。
少し前にリフォームしたこともあって、ひどく汚れている場所などはないけども、それでも埃が溜まっているような場所はあり……そうした場所を丁寧に掃除したなら、屋根裏に繋がっている板の確認をしていく。
少し押せば動いてしまう、少し動けばそこから入り込めてしまう。
屋根裏全てを綺麗に掃除するのは、流石に現実的ではないのでこの板をどうにかして固定する必要があり……そこら辺のことは大工の熊獣人、タケさんに相談しようと決めてひとまず後回しにする。
そうやって作業を進めていると……作業の休憩でもしていたのか、ベビーベッドの縁に立って覗き込んでいたさよりちゃんが声を上げる。
「あ、すごい!」
何が? と、興味を惹かれて近寄ってみると、由貴に与えていたクルミが綺麗に割れていて……どうやら子供ながらクルミを割ってしまったらしい。
割れば当然中身が出てくる訳で、小さな手でクルミの実を持ってフンフンと鼻を鳴らしていて……取り上げた方が良いかな? なんてことを一瞬考えるけども、さよりちゃんも側でくつろいでいるテチさんも慌てた様子はなく、どうやら食べてしまっても問題ないようだ。
そして由貴は初めてのクルミを口の中に運び、本能がそうさせるのかモグモグっと咀嚼し、そして目をカッと見開き、割れた殻に身が残っていないかと猛烈な勢いで探り始める。
「……は、初めてのクルミの味に暴走している……。
ま、まぁ、曾祖父ちゃんの畑のクルミだから仕方ないのかな?」
そんな声を上げながらスマホを構えた俺は由貴の様子を撮影していく。
うちの畑のクルミはとても美味しい……他所で同じレベルのものを買おうとしてもまず無理だろうってくらいに味が濃くて風味が良くて、そのまま食べてもお菓子に使っても最高の味となる。
それを初めて食べたならこうなるのも当然で……新しいクルミを与えるべきかと悩んでいると、いつの間にか台所に行っていたテチさんが、用意してあったクルミを持ってきて由貴に与えて……由貴が新しいクルミに齧りついた所で、割れた殻や食べかすなどを丁寧につまみ上げていく。
子どもの世話に関しては手慣れたものというか流石というか……俺があれこれ手出し口出しする必要がないのではないか? なんて思うレベルだけど、それでもやれることはやっていこうと撮影を続ける。
カリカリカリッと新しいクルミを齧る由貴、その勢いは先ほどよりも増していて……しかしそれには結構な体力を使うのか、段々と動きが鈍っていく。
そして……クルミを抱きかかえたまま目を閉じ、齧るのをやめてスースーと寝息を立て始めて、それを受けてテチさんはそっとクルミを回収し、台所へと持っていく。
洗って消毒しておいて、また由貴が起きたら使うつもりなのだろうなぁと、その様子を見送った俺は……夢の中でもクルミを齧ってるのか、眠りながら口をモゴモゴと動かし続ける由貴の様子を、スマホでしっかりと撮影しておくのだった。
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