どんぐり豚
家事を終わらせ、肉丼の試作をしてみたところ、なんとも微妙な仕上がりになってしまった。
いや、美味しいは美味しいし普通に食べられるのだけど……イノシシ肉のクセが強すぎて凍み大根が負けてしまっている。
今回の趣旨は凍み大根がメインであり、こんなに負けてしまうと普通の大根や、味の薄い安物大根でも大差はなく……うん、これでは駄目かもしれない。
しかし牛肉という感じでもないし、鶏肉では肉が負けすぎる……。
いや、しかし凍み大根の旨味を吸ってくれるなら鶏肉でも良いのかな? なんてことを考えていると……玄関の方から車の音が聞こえてくる。
レイさんかな? なんてことを思うが……いつものエンジン音とはまた違った音がしていて、一体誰だろうと首を傾げながら玄関へと向かうと……長森牧場との文字が書かれた白いバンが止まっていて、運転席からこれまた長森牧場との文字が書かれた大きなエプロンをしたフキちゃんが降りてくる。
「御衣縫さんから電話もらって配達に来たよ!」
そう言ってフキちゃんは車の後ろに回り込み、両開きのバックドアを開けて中から大きな発砲スチロール箱を引っ張り出す。
「……配達? えぇっと……色々聞きたいことあるんだけど、まずフキちゃん車運転出来たんだ?」
と、俺が声をかけるとフキちゃんは、玄関に箱を運びながら、
「うん、昨日練習したから」
なんて言葉をさらっとした態度で返してくる。
そっかー……練習かぁ、免許じゃなくて練習かぁ。
……まぁ、うん、獣ヶ森の司法に俺があれこれ言っても仕方ない。
獣人は人間より目が良いし、耳が良いし、反射神経も運動神経も良いのだから、ちょっとの練習でも安全に運転出来る……のかもしれない。
「……えぇっと、次に聞きたいこととしては御衣縫さんから電話? 御衣縫さんが何か依頼してくれたの?」
あれこれ悩むのを止めてそう問いかけると、箱に伝票か何かを貼り付けたフキちゃんが、満面の笑みで答えを返してくれる。
「そうそう、ついさっき電話あってね。
どんぐり豚の肉が欲しいって……実椋さんがなんか凄い料理作ってくれるんでしょ? その料理には良いお肉が必要だからってうちに依頼があったんだ。
ち・な・み・に、どんぐり豚っていうのはどんぐり食べさせて育てた豚でー、お肉にすると臭みがなくて甘くてすっごく美味しいんだよ!
まぁー、うちの方針でどんぐり以外にも色々……栄養がある飼料も食べさせるから全部がどんぐりじゃないんだけどね。
そういう意味では半どんぐり豚って感じかな」
「へぇー、イベリコ豚みたいな感じかな。
あっちは完全にどんぐりだけらしいけど、長森さんは色々とこだわっているんだねぇ。
……なるほど、御衣縫さんが先読みして色々準備してくれた感じなんだねぇ」
「そそ、実椋さんとこのお肉は美味しいけど上品じゃないから、うちの肉の方が良いってさ!
……という訳で配達でーす、支払いは御衣縫さんがするみたいだから受け取りのサインだけお願いしまっす!
……それとアタシも後学のためにどんな料理になるのか食べてみたいんだけど、仕事終わったら来て良い?」
「ああ、うん、それは全然構わないよ。
テチさんも喜ぶだろうし……フキちゃんも良い勉強になるだろうし、遠慮せずにおいでませ」
と、俺がそう返しながらサインをするとフキちゃんはにっこりとした営業スマイルを浮かべてからお礼を言って、車に乗って牧場へと帰っていく。
速度は出さず、丁寧にハンドリングをし……運転に問題はないようだ。
若い子が始めて運転したとなったらもう少し荒くなりそうというか、スピードを出しそうなものだけど……仕事中だからか、しっかり自重出来ているようだ。
しかしまだまだ冬休み期間だろうに、もう配達をしているなんてなぁ……それだけやる気があるってことなのだろうか。
なんてことを考えながら箱を抱え、台所に持っていき……ガムテープでしっかり目張りしてある封を破り、中に入っている氷の中から真空パックを発掘する。
キレイな赤身、まるで牛肉みたいにサシが入っていて……うん、かなり美味しそうだ。
これなら凍み大根と良い感じになってくれるはずと、少しだけ切り取って試作をしてみると……うん、悪くない。
これなら悪くないと、本格的に大人数となった皆の分の肉丼を仕上げていく。
フライパンで豚肉を弱火に近い中火でじっくりと焼き……両面に焦げ目がついたら取り出し、溶けた油に水と砂糖を加える。
軽く煮詰めたらみりんと醤油を加えて……更に煮詰めたなら肉と一口サイズに切った凍み大根とゆで卵を入れて、タレを絡めながらもう少し煮詰めて……これで完成。
あとはご飯に盛り付けて、お好みで刻みネギなどの薬味をふりかけてどうぞ、という感じだ。
とりあえず刻みネギ、いりゴマ、それと刻みショウガなんて用意しておくかな……と、更に作業を進めていると、テテテテッと激しい足音が響いてくる。
どうやらテチさんの部屋で勉強をしていたはずのコン君達が匂いを嗅ぎつけて駆けてきたようで……やれやれと思いながら作業を進めていると、まずコン君がいつもの椅子に、そしてさよりちゃんが隣の椅子に腰掛け……そして圧倒的な気配、食欲の気配を漂わせたテチさんが俺の背後に立つ。
「えぇ……さっきたっぷり食べたでしょ? もうそんなにお腹空いたの?」
振り返らず包丁を動かし、言葉だけをテチさんに向けるとテチさんは何も言わず俺の後頭部をじぃーっと見つめてきて……そんなテチさんに俺は更に言葉を続ける。
「さっきフキちゃんがこのお肉の配達に来てくれて、それを依頼してくれたのが御衣縫さんで……フキちゃんと御衣縫さん夫妻が来るまでは駄目だよ。
コン君達もそのつもりでね」
俺がそう言うとコン君とさよりちゃんは、よだれを口にいっぱいに溜め込みながら『はーい』と返してきて、テチさんはいつになく渋々の「……はい」を返してくる。
その声の力の無さに何かつまめるものを用意すべきかと思うが……うん、すでに結構な量を食べているし、今食べるとお腹が変に膨れてせっかくの肉丼が楽しめなくなるだろうし、ここは我慢してもらうしかないだろう。
そう決めた俺は、それからも続いた三人の視線に耐えて耐えて耐え続けて……大量にも程がある肉丼と、サラダや味噌汁を作る間も、ずっと耐え続けて……それは御衣縫さんやフキちゃん達がやってくるまで続くことになるのだった。
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