すき焼き
「すき焼きはまぁ、野菜さえ下処理してしまえば簡単な料理だよねぇ」
牧場の台所を借りて、鍋何個分なんだろうという量のネギやハクサイをしっかりと洗ってから切り分けて……それぞれ両手で抱える程の大きさのボウルに移しながらそんな声を上げると、それぞれ持っていたハンカチをいつもの何倍も広い流し台に置いて、そこに座ったコン君とさよりちゃんが声を返してくる。
「そうなの? なんだか難しいイメージだけど」
「普通のお鍋より簡単なんですか?」
「俺の中では普通の鍋より簡単なイメージかなぁ。
野菜や豆腐、シラタキを切り分けて……それから割り下を作ったらもうほぼ完成みたいなものだね。
割り下は……色々こだわりがある人もいるみたいだけど、砂糖、醤油、みりん、水を良い感じに混ぜたらそれでOKだしねぇ。
旨味成分入れる人もいるけど……俺はお肉の出汁で十分と思っているから入れないかな。
野菜を少なくしたがる人もいるけど、実はしっかり臭み消しになっているから、野菜は多めに……後は焼き豆腐も多めに入れたい派かなぁ、味が染みて美味しいから」
そう返したなら具材が揃っているかの確認をしていく。
ハクサイ、長ネギ、春菊、焼き豆腐、シラタキ、エノキダケ、シイタケ……そして極上の牛肩ロース肉と明夫さん特製割り下。
うん、問題ない……量がかなり多いというか、一つ一つの具材が山盛りになっているけど、俺達以外にも明夫さんとフキちゃんと、外で働いているらしい従業員さんの分もあるのだとしたら、まぁこんなものなのかもしれない。
「すき焼きは肉の味が台無しになる、なんてことを言う人もいるもいるんだよね。
味が溶け出すとか割り下で味が潰されるとかなんとか……。
でも俺はそうじゃないと考えていて……実際安い肉と良い肉じゃ、全体の仕上がりが全く違ってくるんだよね。
溶け出した味が割り下と混ざってそれを野菜や豆腐が吸い上げて……野菜が出汁になってくれて臭みを消してくれて、そうやって出来上がるのがすき焼きの美味しさだと思うんだよねぇ」
なんてことを言いながら鍋を……明夫さんが用意してくれていた大鍋をコンロに置いて、火にかける。
鍋が熱くなってきたら牛脂を塗りたくり……しっかり馴染んだらまずは長ネギを焼いていく。
焼くと香りが出るのでしっかりと焼いて、十分に焼けたら肉を入れてさっと火を通す。
それから割り下を入れて弱火にして……各種野菜を丁寧に、出来るだけゾーンを分けて見栄えよく並べるように入れていく。
「こうする方が見た目も良いし、欲しい具材を取りやすいから適当に入れるのは個人的には無しかな。
それと豆腐は最後に入れるようにして……全部具材が入ったら中火にして更に煮込む。
煮込む中で焼き豆腐をひっくり返すと味がしっかり染み込むからオススメだよ、ひっくり返しやすいように最後に入れるって訳だね」
と、そんなことを言いながら作業を進めていると、鍋の中からコトコトと音がし始め……割り下だけではない、肉や野菜、キノコの香りが一体となったたまらない香りが周囲に漂い始める。
すると座ってみていたコン君達が身を乗り出してきて……少し離れた場所にあった椅子で休んでいたテチさんも、いつの間にか立ち上がってこちらにやってきて、鍋のことを覗き込んでいる。
「……もうすぐ完成だから、もう少し待ってね?
……というか、鍋は一つで良いのかな? この具材の量を考えると、鍋5・6個は使いそうな勢いなんだけど……でも鍋はコレ以外に見当たらないよねぇ」
なんてことを俺が言ってもテチさん達の耳には届かず、ただただ鍋の中を凝視する。
いつも食欲に正直な三人だけど、今日は特別食欲に支配されていて……特上牛肉の匂いにやられてしまっているらしい。
嗅覚の鋭い獣人だからかな……なんてことを考えていると、外での仕事が終わったらしい明夫さんが、またシャワーを浴びたのか別の服を着てやってきて……それからこちらを見て、声をかけてくる。
「おお、いい感じになってますなぁ。
……ああ、出してあった鍋はそれだけでしたか、いや失礼失礼。
こちらにいくつかしまってありまして……ま、後はこちらでやるので先に食っててくださいな。
そちらの……事務所とは反対側のドアの先が食堂になってますんで、そちらに行けば炊飯ジャーも茶碗なんかも置いてありますよ」
「ああ、ありがとうございます。
では先に頂きます」
と、そう返した俺は鍋掴みを装着してから鍋に蓋をして持ち上げ……そしてまるで護衛のように真剣な表情でキビキビと俺の周囲を動き回るテチさん達に誘導されながら、食堂とやらに向かう。
するとそこはほとんどレストラン……木造天井は高く、シーリングファンがあり、壁はほとんどなく大きなガラス窓があって……その窓から放牧地の様子を眺めることが出来る。
切り開かれた放牧地の向こうには当然木々が並ぶ森の光景があり……その向こうには扶桑の木が見えるという、なんとも豪華な景色となっている。
「……扶桑の木の向こうよりも、こういう場所の方が観光地になるんじゃないかなぁ」
なんてことを呟きながら足を進めて……テチさん達が木製テーブルにカセットコンロを置いてくれて、その上に鍋を置いたならささっと人数分の食器を用意し、ご飯を盛り付けていく。
その間にテチさん達が台所から生卵と、水出し豆茶が入ったガラスポットを持ってきてくれて、それで準備完了となる。
「よし、じゃぁ早速頂こうか……いただきます」
席につきながらの俺の台詞の途中で、シュバッと席についた皆を見てなんとも言えない気分となった俺は、とにかく早く食事を開始すべきだなと、さっさと「いただきます」を口にする。
『いただきます!』
間をおかず声を上げる三人、すぐさま箸を手に取り……鍋でコトコト揺れる肉をシュバッと取り、自らの取皿へと運び……たっぷりと卵をつける。
「あ、そうか、卵もこの牧場産なのか。
野菜もなんかとれたて新鮮って感じだったし……何から何まで豪華なすき焼きだねぇ」
なんてことを言いながら俺も肉を卵につけて食べると……今まで食べた中で間違いなく一番美味しいと断言出来る程の味が口の中に広がる。
肉は柔らかく割り下に負けないくらい味も香りも豊かで……そして割り下も卵も格段に美味しく文句のつけようがない。
よく卵がけご飯専用の卵、なんて触れ込みで売られている卵があるけども、この卵はすき焼き用……牛肉を引き立てる専用かもなぁ、なんてことを考えながら牛肉を堪能し、再度箸を伸ばそうとすると……もうほとんど肉が残っていない。
「えぇ……」
かなりの量を用意したはずなのに瞬殺で思わずそんな声が出る。
驚くというか呆れるというか……だけども野菜はほぼそのまま残っていて……。
「……野菜もしっかり食べないとお肉追加しないからね」
と、俺がそう言うと一同は一瞬動きを止めてから……渋々といった様子で野菜へと箸を伸ばすのだった。
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