決意
翌日。
朝食や朝の身支度を終えて畑へと向かい、休憩所に腰かけようとすると……先に腰掛けていたテチさんが、空になった密閉瓶をぐいとこちらに押し出してきて……一言、
「……程々にな」
と、そう言ってくる。
不承不承というか、少しだけ納得していないような雰囲気もありつつも、ジャムが美味しかったようで表情は柔らかく……無事に賄賂は成功してくれたようだ。
「また今度……5・6月になって露地栽培の苺が出たらたくさん作るから、その時にはいくらかおすそ分けするよ」
そう言いながら腰を下ろすと、テチさんは無言ながら軽く頷いての返事をしてくれて……そうしてゆったりとした時間が流れていく。
子供達が一生懸命に働いて、テチさんはそんな子供達から目を離さないようにと頬杖を突きながら視線を巡らせて……そんな中で一人だけ暇を持て余しているというのは、なんだか申し訳なくもあるけれど……かと言って何かやれることがある訳でもなし。
変に気を使わずにテチさんが言っていたように趣味に時間を費やそうと頷いて……倉庫の冷蔵庫に残っている残りの肉の使い道を考える。
テチさん達が半分持っていって、ボタン鍋パーティをやって、パンチェッタを作って。
それでもまだまだ肉は残っていて……さて、残りの部位はどうしたものだろうか?
保存食とか凝った料理にせずシンプルに焼いてしまうというのもありだろうか?
ニラとモヤシと一緒に茹でて、辛子醤油で食べるのも良いかもしれない。
それともやはり保存食に拘って、燻製とかにしてみるべきか……?
と、そんなことを考えながらスマホを操作しての料理サイト巡りをしていると……テチさんが、ぼそりと声をかけてくる。
「そう言えば実椋、富保が残した帳簿を見つけたんだって?」
「ああ、うん、見つけたよ。仏壇の奥に隠してあったんだ。
曾祖父ちゃんが何かを隠すならあそこかなと思ったけども……仏壇を動かして始めて視認出来る小さな隠し扉まで作って、結構本格的だったなぁ」
「へぇ……。
それでその帳簿には、その……何か数字以外のことも書いてあったか?
取引に関することとか……私達に関することとか」
そう言ってテチさんは頬杖を突いたままこちらに視線をやってくる。
その目には強い力が宿っていて……俺は頷いてから言葉を返す。
「ああ、うん、書いてあったよ。
曾祖父ちゃんも自分の寿命を察していたんだろうね……去年の夏に書いたらしい、遺書って程のものじゃないけど、曾祖父ちゃんの死後も畑を続けるならテチさん達を頼れとか、テチさんが教えてくれた樹木医さんの連絡先とか……それと付き合いのある業者の連絡先とかが書いてあったよ。
そして……うん、そこに曾祖父ちゃんがどうしてテチさんが言う所の、ロクデナシの業者に栗を卸していたのか、その理由も書いてあったね―――」
その理由はまぁ……よくある話というやつだった。
その業者の初代が曾祖父ちゃんの幼馴染で、戦中戦後という辛く貧しく大変だった時期を一緒に乗り越えた仲間で……仲間が興した店だから、仲間の孫ひ孫が相手だから、仲間が後を頼むとそう言っていたから……だから便宜を図っていたという、よくある話。
「―――で、最後に、誰が畑を継ぐかは分からないけど、その便宜まで継ぐ必要は無い、曾祖父ちゃんが亡くなった時点でその仲間との……随分前に亡くなったらしい親友との約束も終わりだって、そんなことが書いてあったよ。
……こんなことを書いて仏壇の奥に隠しておくくらいなら電話の一つでも寄越して、畑を頼むとか、継いでくれとか言ってきたら良かっただろうに……曾祖父ちゃんらしいというか、なんというか……。
……まぁ、一番継いでくれそうな俺がそれなりに良い会社に入っちゃったから、遠慮しちゃっていたのかもね」
そう言って俺が遠い目をしていると、テチさんは「ふんっ」と荒く鼻息を吐き出してから……更にぼそりと言葉を漏らす。
「確かに富保らしい話だな。
……そして富保もあのロクデナシのロクデナシ加減を認識してはいたんだな。
だがそれでも、とんでもない損を押し付けられても、仲間のためにロクデナシとの取引を止めることが出来なかった……か。
まったく……不器用にも程があるぞ」
その声はいつも以上に柔らかく、落ち着いているというか、何か胸のつかえが取れたというようなすっきりとしたもので……テチさんの方へと視線をやると、口元は綻び、なんとも嬉しそうな表情をしていた。
「まぁ、うん……そういう訳だから、その業者に対しては厳しい態度でというか、取引はしない方向で話を進めるつもりだよ。
……と、言っても、特に向こうからの連絡とかはないし収穫もまだまだ数ヶ月先のことだから、これと言って何をする訳でもないけどね」
テチさんのそんな表情を見やりながら俺がそう言うと……テチさんはぴくりと眉を動かし、こちらをじぃっと見つめてくる。
「まさか連絡も無しとはな。あの野郎なら独占を狙って真っ先に連絡してきそうなものだが……ふぅむ。
……ちなみにだが樹木医には連絡したのか?」
「ああ、うん、電話で挨拶をして定期来診の方もお願いしておいたよ。
安くはない出費だったけど……まぁ、俺は素人だしね、安全策というかなんというか、確実に収穫できるように打てる手は打たないとね。
それともう一つの、テチさんがまともな方って言っていた業者に関しては、先週の……木曜だったかな? そのくらいに電話が来て、丁寧な挨拶をしてくれたよ。
今後も変わらないお取引をよろしくお願いしますってさ、金額の方も市場を見て考慮してくれるみたいだし……何事もなければそこに全部を売ることになりそうかな」
「ああ、ああ、それが良い、それで良い。
あのロクデナシには虫入りの栗を売ることすら惜しいからな」
そう言ってテチさんは舌打ちをして、綻んでいた表情を引き締めて目を釣り上げる。
一瞬で変わってしまったその表情を見て俺は……テチさんに前々から抱いていた疑問を投げかける。
「……大事な栗を買い叩かれていたってことで嫌うのはまぁ、分かるんだけど……テチさんがそこまで露骨に嫌悪感を丸出しにするってのは多分だけど、それだけが理由じゃない、よね?
……もしかしてそのロクデナシ業者、他にも何かやらかしていたのか?」
するとテチさんはギロリと俺のことを睨んできてから……渋々といった様子で答えを返してくれる。
「……門からこちらは私達獣人達の領域だ。
富保がそこに家を持てているのは特例中の特例で、普通ではありえないことだ。
富保の生活のため、畑で暮らしていくため、取引のある業者とかが出入り出来るのもまた特例中の特例なんだ。
もし仮にその業者がこちら側で何かをやらかせば……自治区扱いと言えど国際問題になる訳で……大体の業者は良識のある者を送ってきて、問題を起こさないように自重をした行動を取っている。
……だがあのロクデナシは、根っからのロクデナシのあいつは、特例としてこちら側に入れることを利用して更なる金を稼ごうと考えたようでな、子供達の姿を盗撮しようとしたり……檻だのスタンガンだの、どう考えてもロクでもないことにしかならない物を持ち込もうとしたりした前科があるんだ。
盗撮は私が気付いたことで未遂に終わり、檻だのは門の職員が取り上げて、それなりの問題になったそうだが……それでもあのロクデナシはこちらに来続けて、ふざけた態度を取り続けた。
門の職員や富保が何度注意しても叱ってもその態度は変わらず……政府のほうから富保に取引を止めるようにと連絡があったりもしたんだが……それでも富保はその仲間との約束を守り続けたんだろうな」
つまり曾祖父ちゃんはその仲間の孫だかひ孫と、テチさんや門の職員、政府との板挟みに合っていた訳で……そんな状態のまま亡くなった訳で……曾祖父ちゃんがどんなに辛かったかと思うとため息が出てくる。
そんな面倒なことになっているなら俺達に相談してくれたら良かったのにと、そんなことを一瞬思うが……その話を聞けば俺達もまたソイツとの縁を切れと曾祖父ちゃんに言っていたはずで……そうなったら余計に曾祖父ちゃんは板挟みに苦しんでいただろう。
あるいは俺達に背中を押されたことにより親友との約束を破るという苦渋の決断をしていたかもしれないが……それはそれできっと、曾祖父ちゃんにとっては悔いの残る結果となっていたのだろう。
……テチさんが曾祖父ちゃんの最期を……笑顔で逝ったその最期を知って、俺に礼を言っていたが、それも納得だ。
意識があるのかないのかも分からない今際の際で、俺が家を継ぐことになって、畑を守っていくことになって……畑のことだけでなくそのロクデナシの問題も俺が解決してくれるだろうと、そう思って曾祖父ちゃんは笑顔になったのだろう。
最後の最後で板挟みから解放され、親戚の中で一番の出世頭なんて言われている俺なら大丈夫だと確信し、だからこそ曾祖父ちゃんは安心したと、安心してあの世に行けるとそう言ったのだろう。
……そういうことならあの世に居る曾祖父ちゃんを安心させるためにも、この畑をしっかりと守るのは当然として、そのロクデナシとやらにもそれ相応の態度で挑んでやる必要があるなと俺は心に決めて……テーブルの下でぐっと拳を握り込むのだった。
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