害虫
翌日。
前夜の二度目の……俺からしてみると一度目のプロポーズが影響しているのか、いつもよりも気持ち、柔らかな態度となったテチさんとの朝食を終えて、すっかりとそうするのが当たり前になった見送りを済ませて……そこからは家事をしながらお昼までの時間を過ごす。
お昼が近づいてきたなら、さて今日の昼食は何にしようかとそんなことを考える訳なのだけども……まだまだ考えている途中のメニューが定まっていない、お昼には少し早い時間に、テチさん達の足音がドタバタと聞こえてくる。
「おや、珍しい」
そうやって足音を上げていることも珍しいのだけど、まだまだお昼休みには早い時間に帰ってくるというのもそれ以上に珍しいことで、一体何があったのだろうかと、そんなことを思いながらの独り言を呟いていると……汗をびっしょりとかき、髪をボサボサにしたテチさんと、いつも以上にその服や毛を汚してしまっている上に、何があったのか毛全体をボサボサにしてしまっているコン君がやってきて……何も言わずに真っ直ぐにお風呂へと直行していく。
それだけの状態になる『何か』があったらしいが、一体何があったのだろうか?
色々気になりはしたけども、緊急の要件ならそう伝えてくるはずだし、呑気にお風呂に入ったりはしないはずだし……自分に出来ることはバスタオルを用意することと、汗をかいた二人に丁度良い昼食を用意することだなと頷いて……まずはと脱衣所に二人分のバスタオルを持っていく。
すると俺の気配を感じ取ったらしいお風呂場のテチさんから、
「肉が食べたい!」
との、声があり……「了解」と返した俺は、さてどんな昼食にしたものかなと、悩みながら台所に向かう。
汗をかいた二人のために、薬味たっぷり野菜たっぷり特製麺つゆを作ってのそうめんが良いかなと思っていたのだけども……肉、肉か。
「肉ソバにするか」
なんて独り言を呟いた俺は早速その準備を進めていく。
長ネギを薄輪切りにし、水菜を小さめに刻み、ついでにセロリも小さめに刻む。
それが終わったら醤油、みりん、お出汁、料理酒を混ぜて煮立てて気持ち多めにつゆを作る。
そうしたなら肉を食べたいとご所望のテチさんのために多めの豚肉を用意して、軽く炒めてから、さっきつくったつゆをかけて煮詰めていって……汁気がなくなるまでしっかりと煮切る。
そうしたらソバを茹でて冷水で冷やしてから水気を切り……深めの器に盛り付けて、盛り付けたならゴマを散らし、輪切りネギを散らし、軽くソバを揉んでソバ全体にそれらを絡めて……。
しっかりと絡めたなら、その上にお肉をどっさりと乗せて、水菜とセロリもどっさりと乗せて……水菜とセロリの上にラー油をさっと垂らして完成だ。
後は食べる直前に冷蔵庫なんかで冷やしておいたつゆをかけて食べる感じで……暑い時期にはつゆにお酢やポン酢を混ぜて酸っぱめに調整しても良い感じになる。
柑橘の汁を絞ると良いという人もいるし、乗せる野菜を好みで変えても良いし……色々なバリエーションが楽しめるのが肉ソバの良いところだ。
それでいて調理は簡単で、その割に美味しくてさっと食べられるから結構好きな料理だったりする。
盛り付けが終わったならちゃぶ台の上に配膳していって、ついでに冷蔵庫で冷やしておいた麦茶も用意して……と、そうこうしているうちにお風呂から上がって着替えを済ませたテチさんとコン君が居間へとやってきて、いつもの席にどかんと座る。
座るなり麦茶をコップに注いでごくごくと飲み始めたテチさんとコン君の目はいつにない程に据わっていて、肉ソバのことを肉食獣のような目でじぃっと睨んでいて……そんな二人の様子を見た俺は事情を聞くのは後にしようと決めて……、
「食べる直前につゆをかけてね、量は自分好みに調整してください」
と、それだけの声をかけてから自分の席に腰を下ろす。
そうしたなら三人同時に手を合わせて「いただきます!」と声を上げて……箸を手にとって野菜を食べ肉を食べ良い感じに香りをまとったソバをすすっていく。
俺はゆっくりと食べ進め、テチさんとコン君は凄まじい勢いでもって食べ進め……そうして俺よりも圧倒的に早く器の中を空にした二人は……満足そうなため息を吐き出してから、ようやくいつもの穏やかな表情に戻ってくれる。
「……一体何があったんだい? 二人共まるで別人と思うような空気をまとっていたけど……」
そんな二人に俺がそう声をかけると……麦茶をごくりと飲んだテチさんが説明をし始めてくれる。
「害虫が出たんだ、それも一匹や二匹じゃない100どころか1000、2000をゆうに越える大量発生という有様でな。
栗の木は害虫に負けるような木ではないんだが、それでもあの数は異常でなぁ……放置しておく訳にもいかないとなって、子供達と協力しての駆除をしていたんだ。
数が多いのも大変だったが、動きは早いわ飛び回るわで……まったく、ここまで振り回されたのは何年振りのことやらな」
「えぇっと……それは一体どんな害虫だったの?
動きが早くて飛び回って、2000もいる……?
カミキリムシとか、なのかな?」
その光景が想像出来ず、どんな虫なのかが思い浮かばず、俺がそんな言葉を返すとテチさんは、首を左右に振ってからその答えを返してくる。
「クリオオアブラムシだ」
「アブラムシっていうと……あの、小さくてたくさんいて、テントウムシの好物だっていう?」
「オオアブラムシと呼ばれているように、想像しているだろうサイズよりもうんと大きいアブラムシだな。
この森のクリオオアブラムシは他の地域よりも特に大きい種類らしくてなぁ……他の地域ではテントウムシが食べてくれるらしいが、ここらのはテントウムシでは太刀打ち出来ないというか、テントウムシ如きではペシンと叩き潰されてしまうのがオチだろうな」
「た、叩き潰される!?」
アブラムシの天敵であるはずのテントウムシが如き扱いされた上に、叩き潰されてしまう。
それは一体どんなアブラムシなんだと戦慄していると……コン君がその両手でもって、抱える程の大きさの円を描いてその大きさを俺に教えようとしてくれる。
コン君の両手で描く程の大きさ、見た感じ直径20cmか30cmか、そのくらいの大きさの、1000を越える大群のアブラムシ……?
この森が普通ではないというか、扶桑の木の影響で色々と不思議なことになっていることは分かっていたのだけど……まさかそんな大きさのアブラムシまでが生息しているとは……。
「お、お疲れ様でした」
巨大アブラムシまみれという凄惨な光景を想像して戦慄した俺がそんな言葉を吐き出すと……テチさんとコン君は無言で肉ソバが入っていた器を持って俺の方へとぐいと差し出してくる。
おかわりが欲しい。
無言でそう伝えてくる二人の態度を受けて俺は……自分の器に残っていたソバをさっとすすって食べあげてから、器を受け取って、死闘を戦い抜いてきた二人のために、二杯目の肉ソバを用意するのだった。
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