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日本語名詞の複数形表示についての提案

作者: 長光一寛


日本語名詞の複数形表示についての提案


その1


私の今の仕事は英語翻訳ですが、英語の複数形名詞を和訳するとき、日本語には名詞の複数形が通例ないので、訳に複数の意味をあえて明示すべきか否か、するならどのようにするかについて悩むことがある。


日本語においては英語のように名詞を単数形と複数形に区別することが稀である(あるいは日本語では単複同形の名詞が普通であるというべきか)。私は、複数であることを明確にしたいときは、冗長な「複数の・・・」とするか、ものものしい「・・・群」を使う。科学技術や法律分野ではこれで問題ないが、より日常的な分野では躊躇される。英語のさりげなく使われる(s, es)のシンプルさエレガントさがうらやましい。


日本語で単複を区別する名詞例をいくつか挙げてみよう。人と人々。これらはしかし単数と複数の意味の差以上のものがありそうだ。例えば二三人しかいないときは人々とは言わない。人たちになる。私と私共。これも単数と複数の意味の差以上のものがありそうだ。「私ども」には仲間意識のようなものの存在を感じる。私ら、我ら、という言い方もある。我と我々。二人称の君と君たち。三人称の彼と彼等、あのかたとあの方々・・・


普通名詞になると単複区別するのは少ない。名詞の後に「々」をつける例をあげてみる。島と島々、山と山々、日と日々、木と木々、家と家々、神と神々・・・しかしこれらは例外的である。犬と犬々、本と本々、目と目々のように「々」を付けても複数形としての市民権を得ていない場合が一般的である。


なお、「々」には若々しいとか重々しい、騒々しい、憎々しい、神々しい、自信満々、喧々諤々、長々と、という場合のように、複数化させるのではなく意味を強めようとして用いられることもある・・・否々、「々」はもともと、英語の「s」や「es」のような複数表示のための手段でも、意味を強めるための手段でもなく、実は単に同じ漢字が二つ連続するときに後者を略記するだけのために考案された繰り返し記号に過ぎないことに思い至る(例、佐々木寿々江さんへ)。


それはさておき、私の複数形表記の提案は、上記の「家々」などの例外を例外でなく普遍化することが発想の起点になっている。すなわち、この「々」に、英語の複数表示に使う「s」や「es」と同等の役割をあまねく演じさせてはどうか?


「私はきょう友達と旅行に出る」というときこの友達は一人なのか二人以上なのかわからない。一方、単複をぼかすこともまた重宝だ。英語ではfriendかfriendsの使い分けをするので、すぐにばれてしまう。単数と複数を明確にしない日本語には、オブラートを掛けてプライバシーを保つ妙技ができるという旨味がある。だから私の「その1」の複数形提案は会話における複数形を提案するものではないし、筆記においても従来の方法を撤廃しようというものでもない。


しかし日本語の曖昧さの妙技は、言語グローバル化の中で正しく使い分けをしないと、外国人に、Why Japanese people?!と言われかねない。特に名詞が複数であるか単数であるかの区別が大きな意味を持つ科学分野や法律分野で、読む人によって単複の解釈が変わるような記載法は生き延びることはできない。だから「々」を複数形接尾辞として起用し、普及させることを提案したい。報道記事、商業的宣伝あるいは文学作品でもさりげなく単複の区別をすることが望ましいことが多々あると思うので、一文字でこれができる本提案の「々」が重宝されると思う。


私の場合、特許出願明細書やマニュアルなどでこの「々」を使いたくなることが多いが、まだ使う勇気がない。「口々」があるからといってexitsの訳として「出口々」が理解されるとは思わない。「マンホール々」などとすると誤字あるいは消し忘れと思われるのがおちだ。


そこであらためて提案する。


この一筆書きも無理でない「々」に複数形接尾辞としての大役を任じよう、すべての「名詞+々」に複数形としての市民権を与えようではないか。


「私はきょう友達と旅行に出かける」これを「私はきょう友達々と旅行に出かける」とすることにより、友達が複数であることを明確にすることができる。


しかしなお諸氏の異論が聞こえてくる。その一つは「『ともだちたち』なんて誰が言うもんか!」でしょう。わたしだってそんな言い方はしたくない。


そこで、言い遅れましたが、私の提案の新奇な点は、この「々」という字をそれを含む文を黙読あるいは音読するときにスキップすることを許すことです。読者が頭の中でこれは複数なのだと理解するだけのための文字です。すなわちこの提案により導入される「々」は黙字となります。(従って幸か不幸かこの提案は会話においては適用しえない)。ただ発音してはいけないというものでもない。読者のその時々の判断にゆだねられる。いうまでもなく、従来の、人々や道々などにおける「々」は今まで通り発音する。(この方法は日本語同様名詞の複数形が無く、さらに私の知る限り「々」に相当する字もない中国語においてはもっと重宝されるはずだ。)


また、複数であることが文脈からわかる時には、あるいは「諸氏」のように複数の意味を内包している名詞の場合、あるいはあえて単複をぼかしたいときなどには「々」をわざわざ用いない。例えば、缶が二つあるとき、「二つの缶々」とはしない。従来通り「二つの缶」としていい。この点英語のtwo cansより経済的である。(日本語の名詞は一般に単複同形であり、「々」を付けても付けなくても複数形となりうる、と宣言するなら「二つの缶」は文法的にも誤りでなくなる。)


私は、自分のオリジナル作品にはすでに名詞の複数接尾辞として「々」を使っています。二つだけ拙作「宮古島再訪記」http://p.booklog.jp/book/91124/readから引用してみます。


『さらに今回持参する楽器は、10月12日に参加を予定している江戸川区民まつりにて演奏する曲々に使う楽器であるということも条件だ。』


『この本を入手したのは偶然だった。私の住む練馬区の図書館々では放棄することになった本を「リサイクル資料」というスタンプを押して、無料で好きな人に持ち帰ってもらっており、』


今、Google Translateで「I will take a trip with my friends today.」を機械翻訳してみる。すると「私は今日、私の友達と一緒に旅行をします。」となる。上記英文の情報量と和訳のそれを天秤にかけると英文に軍配が上がる。同胞よ、これは日々の国際競争において大きなハンディキャップとなっていないか?


しかしもっと憂うべきことは、日本語から英訳する時だ。作者が「友達」を複数のつもりで書いているのを a friend と訳すと誤訳になり、単数のつもりで書いているのにfriendsと訳すのも誤訳となる。「私は今日、私の友達と一緒に旅行をします。」これは日本語としては正しいが、英語圏の人から見れば一部にモザイクがかかったままの舌足らずの隠語の類である。


さらに、「Please choose donuts you like from the basket.」とあるのをGoogle Translateで日本語に訳すと、「バスケットから好きなドーナツを選んでください。」となり、遠慮深い日本人は一個しか取らないであろう。ちなみにこの日本語をやはりGoogle Translateで英語に訳し戻すと「Please choose your favorite donut from the basket.」となる。 


まだ異論々がおありかもしれないが、世界で言語淘汰(極論すると英語への収束)が加速しようとするとき、日本語が国語として存続するためには、少なくとも英語との双方向の翻訳においてハンディを負わない言語であることが肝要で、英語をはじめとした外国語を、品を保ちつつも消化不良することなく丸飲みできる利便性をもたせることが必須と思う。実用段階に入ろうとしている機械翻訳にうまく乗り切れない言語を国語とする国は先頭集団に残れまい・・・このAI技術が着々と再現しつつあるバベルの塔の螺旋回廊を駆け昇り天空をめざすレースにおいて!



補足:

以上の提案は、日本語名詞が複数であるとき、これを明確にすることを目的としたものであるが、一方、単数であることを明確にしたい場合もあるので、次の提案を補足する。単数であることを明示したい場合は、名詞の前に一を意味する文字(好ましくは常用されてない文字)を黙字として添えることが合理的と考える。試しに「弌」を使うと、「私はきょう弌友達と旅行に出かける」となる。「弌」は略記および速記するとカタカナの「ヲ」に近づかないこともない。さらに「ヲ」を強いて一筆書きしようとすると「ə」となる。こうして「私はきょうə友達と旅行に出かける」は、「I will take a trip with a friend today.」という意味にできる。(əは黙字であるが、この場合例えば「ひとりの」と読んでもいい)。この「ə」は、もし実用されるなら、英語等からの和訳、特に機械和訳、で作成される日本語において頻繁に見られることとなろう。一方翻訳されることがあらかじめわかっている和文を作成するときにも使うと誤訳を防ぐことができる。(例、「今日ə生徒が来て本々を借りていった。」)


上記例で「今日生徒が来て本を借りていった。」とするなら、単数・複数関係について4通りの英訳が可能であるが(すなわち75%の誤訳の確率)、「ə」と「々」を用いることで一つに絞れる。 


追記: 上記提案の「々」を含む種々の和文をChatGPTに英訳させてみたところ、下記のように高い確率で「々」を英語の「s」や「es」と同じものと理解することが分かった。


私の住む練馬区の図書館々では放棄することになった本を「リサイクル資料」というスタンプを押して、無料で好きな人に持ち帰ってもらっている。

ChatGPT訳: The libraries in Nerima Ward, where I live, stamp books that are to be discarded as "recycling materials" and allow anyone to take them home for free.


私の住む練馬区の図書館では放棄することになった本を「リサイクル資料」というスタンプを押して、無料で好きな人に持ち帰ってもらっている。

ChatGPT訳: The library in Nerima Ward, where I live, stamps books that are to be discarded with a "recycling material" stamp and allows people to take them home for free if they like.


川に帽子々が浮かんでいる。

ChatGPT訳: Hats are floating in the river.


川に帽子が浮かんでいる。

ChatGPT訳: A hat is floating in the river.


山の上に太陽々が輝いている。

ChatGPT訳: The sun is shining on top of the mountain.


山の上にバルーン々が掛かっている。

ChatGPT訳: Balloons are hanging on top of the mountain.



その2


日本語には外来語が怒涛のごとく流れ込んでいる。そのためか、適当な日本語への訳を当てず、そのまま原語をカタカナ,あるいはアルファベットで表記する傾向が高くなっている(例えば運転席と助手席の間の小物入れをそのままコンソール(ボックス)という)。また日本語に同じ意味の単語が既に存在していてもこれを押しのける勢いだ。例えば、「便所」はハイテク化した「トイレ」に流され、「衣文賭け(えもんかけ)」は「ハンガー」に干された。


このような状況では、外来語単語(カタカナ単語)の場合に(特に英語由来の単語の場合に)、日本語記載において、英語の複数形表記法を拝借使用することが適切と思われる、いや、これを利用しない手はない。昔は2人でも「ピンクレディー」と言っていたが今では例えば、「アンガールズ」と正しく言うようになった。「その1」で、「マンホール々」と例示したが、「マンホールズ」としたら会話においても利用できる。野球のチーム名として、ジャイアンツとか、ホークスとか言い慣れているのでこの方法を一般に広く適用することに違和感はそれほどないと思う。またコンテンツ、パーツのように複数形のほうが日本語になっている例もある。


そこで外来語の名詞が複数であることを示すことが重要な場合には、それを「ス」、「ズ」、「ツ」、あるいは「ヅ」で終わるように記載し発音することを正しい日本語として許すことを提案する。(「東急ハンズ」は、「東急ハンヅ」としたいところだが、これら一切を黙認しよう)


よって、複数であることを明示することが重要である場合には、バットはバッツ、コインはコインズのようにします。この用法の威力は例えば、


In the second column, please enter the sample’s value(s).


を訳すと、「第2列では、サンプルのバリュー(複数可)を入力して下さい。」


というふうにすることが推奨されているようだが、これを


「第2列では、サンプルのバリュー(ズ)を入力して下さい。」


とするほうが手っ取り早く優雅ではないか?


バットの場合はどうするんだ、と言う人がいるかもしれない。この場合私の提案その1とその2を複合して、バット(々)とすればいい。あるいはバッ(ツ)でもいい。


あるいはもう「bat(s)」をそのまま日本語として取り込んでしまおう*。すでに多用されているように、日本語の文章中に、英単語をアルファベットのまま取り込むことにより、日本語が強靭かつ柔軟になっていく。


「その2」は私はすでに仕事でも実用しています(心無いチェック者に直されることはありますが)。


例: コンポーネンツを入力/編集しているときに使用する他のツールズは、マウスをデータグリッドに乗せて、右クリックコンテクストメニューを使いアクセスできます。


結論: 結局、私の提案は、上記その1とその2の提案を適宜選択して併用することです。(ちなみに、前出のドーナツの複数形はドーナツ々)


以上


*英単語をカタカナで表記することの弊害は、日本人をして英単語をことさら誤った発音で記憶することを促すことだ。そのままアルファベットで英単語を日本語文章の中に記載することを一般的にするなら、誤った発音で英語を覚えることの弊害をなくすことになろう。

たとえば、imageを「イメージ」と書くのをやめて「image」にするとimage = イメージ という形で記憶されることが防げられる。どうしてもカタカナで書くならimageはイミッヂとすべきである。

日本人が他国の人に比べて英会話を苦手とするのは、まさに英語の日本語記載を誤ったカタカナ表記で行うことが大きな原因の一つである。



Photos and other works:

amazon.com/author/nagamitz-kazuhiro




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