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差別とは

作者: 佐々木 龍

 先日、アマゾンにて販売中の、天野佑「デビル・クロニクル(6)魂の孵る場所 (電脳無頼書院) Kindle版」を購読した際、レビューを書かせていただきました。レビュー内容はこちら。



「差別」を書く際、作家の根底にあるものを晒すことになる。この作品では、骨肉の情、というのが何であるか、前半部分でこれでもかと書かれている。優しさは宝、その言葉の意味を考えながら、差別を受ける立場の、恐怖を思い出しました。

 極道という修羅、または悪魔を取り扱った作品ながら、書き手の目線は、優しく誠実であると思いました。



 読書感想エッセイでは無いので、ここでは作品の内容などには触れませんが、私自身が受けた「差別による恐怖」について、書いてみようと思います。


 私は物心ついた頃から高校に入学するまで、「場面かんもく症」でした。かんもく症や失語症との違いは、「ある場面」にいる時だけ話せなくなるからです。ちなみに、場面かんもく症について知ったのは、ここ数年の事で、NHKの「ハートネットTV」で、場面かんもく症が取り上げられているのを観たからです。それまでは、性格の問題だと思っていました。


 場面かんもく症の人たちを見た時、かつての私だ、と思いました。私からすれば、彼らは、何かショックな事があって失語しているのでも無ければ、性格が内向的だから話さないのではなく、単に話せないのです。心では、色んなことを思っています。だけど、声が出てこないのです。番組に登場したある人は、筆談なら大丈夫でした。

 私自身は子供の頃、暇さえあれば絵を描いていました。授業中も。子供の頃の友人は、私の絵や漫画を見て話しかけてくれました。普段は「大人しい」と思われている私が、小学校4年生にしては毒のある表現(浮気性の夫コアラの不貞行為に怒る、女優の妻コアラなどの日常)をするのは面白かったらしく、クラス内の読者は私や友人が作った漫画の冊子が壁に掛けてあると、読んでいた記憶があります。その漫画の交流は、中学に入ってしばらくまで続きました。


 場面かんもく症の何が一番つらいって、家や歩きなれた地域に帰ると、お喋りになる事です。それを見た人から「学校では話さないのに、何で家に帰ると話すんだろう。我がままなのか」とも言われました。その事で不快に感じた人からは、容赦なく攻撃されました。何かと私を目の敵にしていた近所の女の子は、私のクラスにやってきて、座っている私を縄跳びで打ちました。それを見た漫画の共同執筆者の友達が二人、物凄く怒って、教室から、私に暴力をふるった人たちを追い出しました。私はそれを見て思いました。「何も言い返せない自分」と。黙って泣くしかありませんでした。家に帰れば、悪ガキだったし、仲間と袋叩きにしてきた高学年のガキ大将の自転車のブレーキを、ペンチで壊すような、激しい性格でした。だけど、学校に行くと、まるっきりダメなのです。


 大人になってから、「私は学校が嫌いだった」という認識に落ち着きました。だけど、本はいつも読んでいました。学ぶこと自体は、好きなのです。学校が嫌いだった。しかし、冒頭に挙げた小説を読んで、認識を改めたのです。私は、学校が怖かったのだと。いじめもあったのだけど、差別も受けていたのだと。


「あの子は変な子」


 そういう視線や言葉は、大人からも受けました。当時の学校の先生は、発達障害や不安障害など、福祉の分野に明るい人というのは稀だったのかもしれません。話せない・話さない私は保育園に行っても「返事もしない」と折檻されたり、泣いていても説明できないために、聞き取りも出来ない可哀そうな子、頭が弱い子、と見なされていました。ある日の知能テストの結果が他の人より良かったため、担任に呼び出されこう言われました。

「何で点数が高いの?」と。

 そんな事は、聞かれた本人にも分からないのです。一体、こういう事ってどうしたらいいんだろうか。


 小学校の低学年の時です。ある日担任が


「○○さん(私)は、なかよし学級に行ってください」


 と言って、私の机ごと、知的障害者の子たちがいる教室に移動させようとしたことがありました。私はかなり抵抗しました。行ったら最後、戻れなくなると思ったからです。

 当時の「なかよし学級」は、全学年の知的障害を持つ子たちが一個の教室に集められて、一日中大きな積み木をしたり、騒いだり、唾を吐いたり、暴れたりしている場所でした。Оさんというダウン症の大人しい子以外は、全員乱暴だったので、Оさん以外は正直、嫌いでしたし、そこにいても、私の問題が改善されるとは思えなかったのです。たぶん、私を持て余した担任の、苦肉の策だったのかもしれません。今となっては謎ですが。


 話せないというだけで、そこにいてはいけないのだろうか。私には分からない。個別に、付きっ切りで対応しなくてもいいから、出来るところは参加し、障害の特性上出来ない所は、見学でもいいのではないか。何で皆同じように出来ないと怒られるんだろう。出来ない事は、出来ないのに。出来る事は、出来るのに。


 私は、ある人が失敗しても、余程他に大迷惑でもかからない限り、責めたりはしないです。なぜなら、出来ない事は出来ないのだから。出来る事を、やればいいと思うから。だけど、出来る事をやらないのはだめだと思います。出来るのなら、面倒でもやった方がいいと思います。私は、そんな風に思います。

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 『何で皆同じように出来ないと怒られるんだろう』 この辺って最近は真逆ですよね。 できなくても叱られない、宿題やってこなくてもスルー。 テストを間違っても、やり直して90点。 その結果親に…
[一言]  不当な差別に遇ってきたのですね。  それを不倖と嘆くのでは無くて、弱い立場の人へ寄り添う気持ちになったのは素晴らしいと思います。  なった者にしか解らない悩み、苦しみってありますよね。  …
[一言] 私も発達障害があり、人とのかかわり方が下手です。また、衝動性が強く、我慢ができません。気に入らないことがあったら、大声で叫んでしまいます。 それで沢山の人に迷惑をかけ、嫌われてきました。そし…
2020/01/26 11:02 退会済み
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