フラワー・ソング
過去の作品です
至らない点は多々ありますが、どうかご容赦下さい
「かれきにはなをーさかせましょー」
もうすぐ五歳になる娘は最近、この台詞をやたらと繰り返す。
枯れ木に花を咲かせましょう。『花咲かじいさん』の一節だ。
「ねー、おとーさん」
「どうした?」
娘がふいに不安な声で尋ねてくる。
「おかーさん、いつおうちもどってくるの?」
妻は半年程前から、都内の大学病院に入院している。横断歩道を渡っている妻に、信号無視をしたバイクが接触したらしい。それ自体は軽い捻挫で済んだのだが、転倒した際に頭を地面に強く打ち付け、脳に障害が残ってしまった。いわゆる植物状態というやつだ。
「もうちょっとだけ先かな。でも大丈夫だよ」
「そっかぁ」
以前、娘を連れて妻の見舞いに訪れた時の事だ。
自力移動や自力摂食が不可能である妻の鼻には、流動食を取り込む為にチューブが通され、糞・尿失禁により部屋中に蔓延する異臭に、我慢しなくてはならないのにも関わらず、私は思わず顔を歪めてしまった。愛すべき妻の前で、守るべき娘の前で、だ。
そのような私の罪悪感など構いもなしに、娘は妻に話しかける。
反応のない妻に、娘は不安になった。
ほとんど意思疎通は不可能だ。それが娘の声だとしても。
「おかーさん、どうしちゃったの?」
「お母さんは今、枯れ木なんだよ」
「かれき?」
「そう、枯れ木。これからまた、新しい花を咲かすんだ」
それ以来、娘は「枯れ木に花を咲かせましょう」と繰り返した。
私と妻が付き合い始めて間もない頃、妻からプレゼントされたクロッカスを上手に育てられなかった時に、言われた事がある。
「君は与え過ぎなんだよ」
「何が?」
「水も、光も、肥料も、何もかも」
与え過ぎてしまう。だから、腐らせてしまう。希望や、可能性といったものを。だから、枯らしてしまう。しあわせや、未来といったやつを。今なら言葉の意味が分かる。手遅れになった、今なら。
「クロッカスは寒さに強くて、日当たりと水はけの良いとこなら、植えっぱなしでもよく生育するくらい丈夫なんだから」
「そう、なんだ」
「だから、この花の生命力を信じてあげなさい」
遠い遠い、昔の話だ。
妻の生命力は、あのクロッカスのように、丈夫なのだろうか。
それは分からない。でも、どうか、
「かれきにはなをーさかせましょー」
娘の声が、妻に再び花を咲かす養分となる事を、私は祈った。
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