呼び方
「シャーリー様、シャーリー様、そろそろ起きてください」
「う、うーん……ラミ……まだ寝る」
「もうお昼近いですよ? 体調でも悪いんですか?」
「うーん」
ぐずっていると、昔から付いてくれてる母より母らしい侍女、ラミが俺の額に手をあててきた。う。兄にされた記憶がよみがえってきた。全然忘れてないし、夢だったと錯覚もしてない。
「熱はない……いえ、少し熱いですか?」
「だ、大丈夫。だらけてただけだから」
「そうですか。じゃあ早く起きてください。シーツの交換もできませんよ」
「う、うん……あのさ、ラミ」
「何ですか? 食事のリクエストですか?」
「じゃなくて、お、お兄様の様子とか、なんか、変わったとこ、なかった?」
「? 今朝は一度お見かけしただけですが、変わったところはお見受けいたしませんでした」
むむむ。と言うことは、朝のあれは、兄にとっていつもと違う特別なことではないと言うことか。
うーん。うーん……兄のあの態度、どう考えても、ただの義理家族の義務的妻に対するものではない。だから、間違いなく俺に惚れている。……なんで?
いや、自分で言うけど、俺って魅力あるか? そりゃ美人だけど。自分でも、鏡見て可愛いなぁって思うけど。でも女性的な魅力があるかって言ったら、ないだろ? 男だし。うーん。まぁ、蓼食う虫もっていうし、別にこういうのが好みだっていうなら、否定することはないか。
ないけど……う、うーん。なんか、恥ずかしい。
「お嬢様、ほら、ふらふらしない。手をあげてください」
「はーい」
着替えさせてもらって、考えながら食堂へ向かう。
「うーん」
「シャーリー様? 先ほどからご様子が、いつにもましておかしいですが、何かお困りごとですか?」
「あ、ううん。困ってるっていうか、うーん。あのさ、お兄様って、なんか、私のこと、好きなんじゃないかなーって、思ったりして?」
「……今更ですか?」
「え?」
「あ、申し訳ございません。ええ、そうですね。そのように、私共にも見受けられます」
「どもっ!? え。そうなの? みんなそう思ってたの?」
「そう、ですね。あくまで、そのように見えて、個人的にそう思っていたと言うだけですけれど」
「えー……」
や、やばくない? バレバレだったの? そんなにお兄様わかりやすかったの?
じゃあもしかして、それに対して反応せず、普通に結婚した俺もまんざらでもないとか思われてたの? ってか普通に、じゃあ普通に俺って兄と結婚してるの? 義務とかじゃなくて、普通に俺が好きだから結婚したの?
「……」
「シャーリー様、お顔が赤いですよ。念のため聞きますが、体調には問題ありませんね?」
「な、ないよぅ。もういいから、起きたんだから、ラミどっか行ってよ」
「わかりました。食堂までまっすぐ行くんですよ」
「わかってるってば」
全く。朝ご飯の前に寄り道するなんてめったにないんだから、わざわざ注意しなくてもいいのに。ラミは気心知れてるし好きだけど、いつまでも俺を子ども扱いするんだから。
食堂に向かって進む。途中で見えた中庭の奥に何人か侍女がたむろしているのが見えたけど、いい子な俺は寄り道せずに食堂に入った。
「おはようございます、シャーリー様。すぐにご用意いたします」
食堂で待機していた侍女がそう言って合図してから、俺を席につかせて飲み物を用意する。水よりワインが安い世界だけど、俺は水の方が料理の味が分かって好きだし、レモンの入った水である。もちろん冷やしたやつ。
「ぷはぁ」
料理が運ばれてきた、ところで食堂の扉が開いた。あれ、と思う。
この食堂はお客さんが来るわけでもないし、食事以外で使わないのに、こんな時間に来るなんて誰だー? と自分のことを棚に上げて顔を向けた。
「あら? シャーリーじゃない。今日はお寝坊さんなのね」
母だった。確かにこの人とは朝ご飯の時間が一緒になったことはない。でも少なくとも、規則正しい生活はしていなさそうだ。もしかして何度か昼食が一緒になったことはあるけど、あれって普通に、朝食だったのかもしれない。
そして同時より少し早い俺に対してお寝坊と言っちゃうあたり、マジで凄いなこの人。
「おはようございます、お母様。ちょっと色々あって」
「あら、ふふふ。そんなに昨日は大変だったの?」
「? 何も大変なことは……お母様、朝から下ネタはやめてください」
「やぁね、私は何も言っていないじゃない?」
いや、絶対その顔は考えてた。昨日自体は何の変哲もない日だったのに、意味深なことを意味深な顔で母が言うとかそれしかないわー。
「でも、それにしても遅いわよね? 何かあった?」
「んー。なんていうか。兄って、私のこと、その、思っていたより好きだったみたいで、ちょっと、引いてます」
全然気づいてなかったけど、わかりやすかったみたいだしちょっと表現を変えておく。
母は不思議そうに首を傾げて、ワインを飲んでから口を開く。
「そうなの? どの程度に思っていたのか疑問だけど。だけど、別に、困らないでしょう? 夫婦なのだし」
「まぁ、そうですけど……お兄様は、その……」
何といえばいいのか、そもそも自分が何にこんなに困っているのか、うまく言葉にできなくて、俺は料理を口に運んで言葉を切った。
そんな俺に、母は小さく嘆息してから、やれやれと言わんばかりに肩をすくめた。
「あなたが恋をしていないのはわかっていたし、夫婦になった以上、親だからって二人のことに口をつっこむような野暮なことをする気はなかったけど、一つだけ言っておくわ」
「なんですか? アドバイスなら随時募集中ですよ」
「夫婦になったのに、いつまでも兄と呼ぶのは辞めたら? 公式の場では変えるつもりかもしれないけど、あなたにそう上手く切り替えができるとは思えないし」
「え、まぁ……それは私も思いましたけど」
でも結婚してすぐに聞いたら、兄は別に無理に変えなくていいって言ったし。……無理に、だから変えてもいいのか。
「わかりました。では、何とおよびすればいいですか?」
「私に聞く? まぁいいけど。旦那様とかが無難じゃないかしら」
「旦那様、ですか」
う。なんか言葉にすると、むずむずするなぁ。
思わず口元をゆがめる俺に、母は何が楽しいのか、にやっと笑った。
「いいじゃない。どうせ夫婦なんだから、あなたからも、兄妹以上に思えるよう、歩み寄ってみたら? どうしてもできないなら、離縁と言う手もあるけど、そんな気はないんでしょう?」
「う、ありませんけど。というか、簡単に離縁とか、言わないで欲しいんですけど」
「あら、言葉も嫌なんて、ふふ。可愛らしいこと」
「そんなんじゃありません」
この母、すぐ色恋沙汰にするから、嫌だわ。いや、まぁ唯一相談できるし、実際そういう感じの内容ではあるんだけど。
俺は朝食を呑み込みながら、まぁ、一理あるし、俺が恋しちゃうとかないけど、母からしたらわからないし、その方が幸せになるって思って言ってくれてるんだし、まあ、とりあえず言う通りにしてみよう。
○
「あ、お帰り、おに、じゃなくて、旦那、様」
夜になって部屋でだらだらしてると兄が帰ってきて、声をかけながら昼間の母とのやり取りを思い出して、旦那様と呼びかけてみた。
みたけど、めっちゃ恥ずかしい。昼間とだんちだわ。兄の反応見れなくて、顔そらしながらになった。気づかずにスルーしてくれないかな?
「あ? ああ……今、戻ったぞ……妻」
「ぷふぅ! な、何だよ、妻って。そんな呼び方あるか」
予想外すぎる返しに、思わず吹き出してしまった。俺が呼び方変えたから、兄も変えなきゃって? だとしても妻ってなんだよ。
「う、うるさいな。お前が急に、呼ぶからだろうが」
「えっと、嫌だった?」
「……そんなことは、言っていない。ふん。……まぁ、お前にも、この俺の妻と言う自覚が、出てきたようだな。いいだろう」
めちゃくちゃ上から言われた。でも基本、部屋の中での会話、わざわざ兄の反応とか凝視してないから気づかなかったけど……兄、結構顔赤いし、兄も顔背けてるし、照れてるよね? ツンデレだよね?
……俺の方が照れるわ!
兄はタンスの前に行って上着を脱ぐ。これからお風呂に行くのだけど、その着替えを自分で用意している。以前の兄は部屋の中にもずっと男の使用人とかいて、用意もしてもらってただろうけど、私と同室になってからは少なくとも夜は私の入浴の世話を終えてからは誰も入ってこない。
ちょっと申し訳ないって思わなくもないけど、元々夜遅くなったら、いちいち言うのも面倒だし、夫婦の寝室には使用人でも男を入れないのが普通って兄は言ってたから、別にいいらしい。
でも、なんか今ぴんと来たんだけど、もしかして兄の分、ってか夫の分に関しては妻が用意するのが正解なんじゃない?
「あ、あの、旦那様」
「んっ、ああ……なんだ? 奥さん」
「……奥さんも、おかしいと思う。普通に、いつも通り名前で呼んでよ。俺の旦那様は、人前でお兄様って呼べないし、変える必要あるからだし」
「あ、そ、そうか? そうか……その、俺としては、うむ。お前も、俺を名前で呼んでもいいんだぞ?」
「え? あー……クリフォード、様?」
「……ふん。悪くないが、よく考えたら、客人の前でと言うことなら、旦那様の方がいいな。慣れないうちは、お前では使い分けも難しいだろう。旦那様でいい」
「あ、そう……」
自分で言いだしたのに!? とも思うけど、正直、名前呼ぶの、なんか旦那様呼びより言いにくい。なんていうかな。今までずっと兄って役職つけてたのに、急に名前だけってのは、なんか、距離感見誤るっているか。名前自体は、クリフォード兄様って呼んでたのにおかしいなぁ。
旦那様も、あ、この人俺の旦那様なんだ。結婚してるんだ。っていう実感して恥ずかしくってむずがゆいけど、名前だけよりましだ。
「あ、じゃなくて、その、明日から、俺、旦那様の着替えの用意とか、するよ。何がいる?」
ベッドから降りて、兄の隣に立って兄が持ってるお着換えセットを覗き込む。
「……ふん。いいだろう。この衣装入れには、洗濯したものを右から入れている。左から一つずつとればいい」
「うん。わかった。じゃ、明日からね。他にも、最低限、その、つ……妻がするべきなものとかあったら、するけど?」
「……ふ、ふん! お、俺の機嫌をとって、何か企んでいるんじゃないだろうな!」
「そ、そんなんじゃねーよ!」
「ふん! どうだか。だがこれだけは言っておくが、俺が風呂に入っている間に寝るなよ。急いで戻ってからな」
「え?」
兄は勢いよく鼻を鳴らすと、そう言って足音高く出ていった。
え、えー……そんな、念押すほど、嬉しかったんだ? ……ま、まぁ? 俺の職業が妻って感じなんだし、別に、服の用意くらいいいけど? うん。別に、そんな、やる気出したりはしてないけど。
うん。ちょっと真面目に、お仕事しようかな。




