キスをしよう
「んぅ」
目が覚めて、右手で目をこすりながら起き上がると、旦那様が隣にいた。三日間の出張から帰って本日はお休みなんだけど、昨日は一日馬車移動の間に色々とすべきことはまとめておいたらしく、一緒に夕食食べてお風呂も一緒に入って色々早めに済ませたので、時間は何にもない日より早くに眠った。
そのおかげか、平日に起きるような時間に目が覚めてしまったらしい、旦那様がまだ寝ている。
休日でも、旦那様の方がショートスリーパーなのか、いつもは起こされる立場なので、珍しい。
そしてふと思い出すのは、旦那様が俺にキスしたあの日だ。やっぱり、私にとって、ものすごく印象深い、重要なターニングポイントだったしね。
そう、そして、私自身、旦那様にすごくキスしたい。挨拶でしていこうって決めたのもあるけど、そんなのは言い訳だ。
旦那様が目を閉じて無邪気な寝顔を晒しているのを見ると、胸がいっぱいになって、この人のこと大好きだなって凄く思って、キスしたい。抱きしめて頭撫でて、全身でくっついて、頬ずりして顔じゅうにキスしたい。この間ははからずもお休みのキスしたけど、今日はもっとぎゅっとしたい気分だ。
なのでします。
「旦那様、大好きですよ」
起きない程度に声をかけて、顔をよせて頬に軽く口づける。隣に寝転がって、起こさないよう旦那様の額にキスするような位置で抱きしめ、頭を撫でる。
わー、旦那様の頭、形めっちゃいい。髪の毛さらさらー。あ、ちょっとだけ汗臭い。でもなんか、男らしい感じで嫌いじゃない。体も、どこ触ってもがっちりしてる。
なんだか興奮してきた。いやらしい意味じゃなくて、わくわくする。もっと旦那様を猫っ可愛がりしたい。
「よーしよしよし、旦那様はいい子でちゅねー」
おでこに頬ずりしながら、肩や背中を撫でる。片足をあげて旦那様にまきつけぎゅっと密着する。はー、可愛い。可愛い。きゅんきゅんする。私って可愛いけど、もしかしたら旦那様には負けるかも知れない。でも許しちゃうくらい可愛い。
「旦那様可愛い大好きー。んー」
顔をあげて、唇にキスする。もちろん舌とか使わない押し付けるだけだけど、ちょっとぎゅってつよめに押し付ける。ふふふ。唇の皺まで把握できそうだ。こういうのんびりした下心ないキスも、気持ちいいなぁ。
「えへへー。旦那様ぁ、大好きー、いぐえっ!?」
また次は旦那様に頬ずりしようと思ったら、急にぐいって両肩に強い力があってひっくり返った。何が起こったのかわからなくて口を開ける俺に、旦那様がのっている。
あー、今のあれか。旦那様が俺の肩掴んで押して、無理やり寝かされたのか。って、起きたのか! や、やばいよ。怒られ……いやよく考えたら、怒られる必要ある? だって夫婦だし、休みだし、旦那様だって最初俺が嫌だって言ってもしたんだし。
「だ、旦那さんむ!?」
落ちてくるみたいにキスされた。激しいやつ。
息も絶え絶えになるくらいされてから、息を整える俺を見下ろして、旦那様は赤らんだ厳しい顔のまま、口を開いた。
「おい、シャーリー」
「な、なにさ、おこ、怒ってる? 勝手にしたから、怒ってるの?」
「馬鹿か、そんな訳があるか。お前に怒るほど、狭量なわけがあるか」
え? しょっちゅう怒ってない? いや今怒ってないならいいけど。
「じゃ、じゃあ、なに?」
「お前が可愛すぎるせいだが、一言、謝っておこうと思ってな」
「え? 謝る?」
「ああ、さすがに、あんなことをされて、一回二回で終わることはないからな」
「え、あの、俺はその、そういう感じじゃないんだけど」
一回二回どころか、一回もなくて、普通にじゃれあうくらいのつもりだったんだけど? いやこのキスくらいなら許容範囲内だけど、これ以上は趣旨違うっていうか。
「だから、謝っただろうが」
旦那様はむすっとした顔でそういうと、問答無用で俺の口をふさぎ、寝間着に手をかけた。
○
「旦那様さー、俺のこと好きすぎじゃない?」
「ふざけたことを言うな」
「ふざけてないんだけど。だって、すぐ発情するじゃん」
「げ、下品な物言いをするなっ」
だってそうじゃん。俺はそんなつもりないのに、急にそんなつもりにすぐなるんだから。俺はもっと平和に穏やかにいちゃつきたいだけなのに。
ジト目で旦那様を非難する俺に、旦那様は手を伸ばしてきて、乱暴に俺の髪をかき混ぜるように撫でた。
「だいたい、お前があんなことをするからだろうが」
「あんなことって、ちょっとじゃれただけじゃん」
「どこが少しだ。それにお前だって、最中は、一人称も変えて、自分からねだるだろうが」
「や、やめてよ! そういうのはなしでしょ!」
そりゃあさ? 始まったら俺だって、こう、そういう感じになっちゃうけど。受け入れちゃうし、まんざらでもないし、ノリのいい感じの発言しちゃうけど。でもだからって、いつでも本気でウェルカムってわけじゃないんだからね。
朝からとか、考えたくないけど廊下を人が通ることだってあるし、なんなら起こしに来たけど察してやめたってことも十分にありえる。
……部屋から出たくないよぅ。
「そう恥ずかしがるな。そう言うお前も、その、何だ。好ましいぞ」
「……もー、素直に大好きって言えばいいのに」
「馬鹿が。お前は何度言ってもわからんやつだ」
えへへ。旦那様は呆れたようにだけど笑うと、俺の頭を軽く撫でて起き上がる。
「腹も減ったしそろそろ起きるか」
「うん。旦那様のせいでお腹ぺこぺこだよ」
「そうか。では仕方ないな。詫びとして、抱き上げて食堂まで連れていってやろう」
「や、やだよ!」
さらなる羞恥プレイとか、誰得!? 旦那様得なの!?
「遠慮するな。行くぞ」
「やめろーっ。あ、ほら、まだ寝巻きだし」
「む。そうだな。早く着替えろ」
「着替えは侍女がいないと無理」
「……そうか、なら俺がやってやろう。光栄に思え」
「スケベだと思うよ! だからやめ、やめろ!」
やられた。ひどい。しかも着替えながら、もう一回した。もう汗だくで汚いしやだ。お風呂に入りたい。
と言ったらさすがに旦那様も悪いと思ったらしく、素直に侍女を呼んでくれた。システィアに連れられ、大柄の別の侍女におんぶされて運ばれ、ぐったりしたまま綺麗になって、食堂にもそのまま運ばれた。
ああ……本気で疲れた。昨日だってしたのに、朝からあんなにとか、旦那様ってなんでそんな強いの? わけわかんないんだけど。筋肉痛になりそう。
「旦那様、提案があります」
「なんだ、急に。人前で言えることかどうか、考えてから発言しろよ」
はー? 何その言い方。そんなの旦那様こそ考えてほしいっての。俺はいつでも思慮深く考えていると言うのに。どうせ下ネタは言うなってことだろうけど、そんなの言うわけないじゃん。
そりゃ、それ関係の希望もあるけどね。疲れるから一日やったら次の日はお休みにしてほしいとか、でもそんなの人前でいう訳……いや、でもこんな話、二人きりでしたら旦那様発情するかも?
だいたいいつも、こっちは真面目に旦那様に向き合っているのに、すぐそういう気持ちになるのやめてほしんだよね。いやもちろん、全くならなかったらそれはそれで嫌だし、適度に空気読んで欲しいって言うか。あ、まぁそれはいいんだ。
今言いたいのは、これから挨拶のキスを定番化しようよ、と言う別にエロくない提案だから。
「旦那様、真面目な話です」
「そうか。言ってみろ」
「はい、これから、おはようとおやすみの挨拶の時に、キスも行いたいと思います」
「……は?」
「もちろん、いやらしい意味じゃなくて、普通に触れるだけですけど」
「おま、お前は、大真面目な顔をして何を言っているんだ」
旦那様は口元を抑えて呆れたように肩をすくめて一度天を仰いだ。
めちゃくちゃオーバーリアクションじゃない? それは確かに、真面目な話だって前置きしたから構えちゃったのかも知れないけど。でもちゃんと俺は真面目に言ってるんだからね。
「まぁ、そりゃあ私だって、こんなの改まって提案する議題ではないと思いますけど、でもそうじゃなきゃすぐ旦那様勘違いするじゃないですか」
だから、ちゃんとこうして冷静な場で改まって言っているんです、とわかりやすく説明してあげると、旦那様は口元をひきつらせた。そしてそれを誤魔化そうと、カップを手に取った。
「ふん。まぁ、どちらも寝室でのことだ。構わんぞ」
「ありがとうございます。それに慣れたら、もっと、下心なしでイチャイチャしましょうね」
「……そうだな」
お、いつになく素直に了解もらえたぞ。旦那様もイチャイチャしたいってことか。やったね。
でもちょっと苦笑してる感じの顔だ。なんでだろう。もっと鼻の下のばし……のばしたら下心あるか。うん。もっとこう、俺ってまだ15歳なんだから、そういう感じのイチャイチャがしたいんだよね。
あっと。もちろん俺がしたいだけじゃなくて、旦那様への愛情アピールでもあるけどね。いやー、俺ってほんと、健気なんだから。
「じゃあ旦那様、今夜からお願いしますね」
「わかったわかった。わかったから、そろそろその口を閉じろ」
「嫌ですよ。まだご飯の途中ですもん」
何を言ってるんだこの人は。デザートが残っていると言うのに。
「んー瑞々しくていいですね。あ、そうだ、旦那様今日ってこの後何します? デートに行きます?」
「ふん。お前がどこかへ行くなら、付き合ってやろう」
「うーん。疲れてるから、のんびり散歩しましょうか」
一瞬、お部屋デートしよっかって言おうかと思ったけど、何だか朝の二の舞になりそうだったので止めた。室内のベッドはまだ危ない。旦那様がキスしたり抱き付いても流せるくらいになったらしよう。
俺は最後の一口をシスティアに入れてもらいながら、今日のデートに思いを馳せた。




