第零店 経緯
九月の終わりにもなろうと云うのに、三十度を超す猛暑。そんな中、東京大手町のとあるビルの一室で、ある男が群衆に向け、言葉を放ち始めた。
「はっきり言って、昨今の百貨店業界は死に体だ。ショッピングモールの対等で、地方百貨店は相次いで閉店。都心に立地する百貨店は、百貨店同士の潰し合い。この業界は成長せず、ただ衰退の一途のみだ。我が双葉は、そんな流れの中でどういったものをお客様に提供できるか、そして他の百貨店とどう差別を図っていくか。私は、君たち社員と共にこの双葉を立て直していく所存である。」
まばらな拍手。そらそうだ。このスピーチは十年前から同じなのだから。
この双葉と云う会社は、日本一の百貨店だ。二十数年前の話だが。
かつては北は札幌、南は鹿児島、全国各地に数十店舗展開、ロンドン、パリなど海外にも展開する百貨店であった。しかしバブルの崩壊後業績はみるみる悪化し、ついには破綻した。今この会社が在ることが不思議なくらいだが、何とか存続している。しかし、あの頃の勢いはどこへやら。現存する店舗は近くの百貨店に顧客を取られ、池袋にある本店はもはや空気同然の存在である。そしてついこの間テレビ番組が調査し発表した『好きな百貨店ランキング』では、大手百貨店とは思えないほどの順位だった。双葉の名誉のため、順位は敢えて言わないが。)
俺の名前は葉山晃次、三十歳。双葉の社員だ。親父は葉山良明。同じく双葉の社員…ではなく、社長である。そして兄貴は葉山晃。傘下のスーパー『双葉マルシェ』の社長である。
…そう。双葉は、典型的な同族企業なのである。
そもそも俺は中堅大の帝都商科大学を卒業後、百貨店業界最大手の三丸に入社していた。跡継ぎとして兄貴が入社していたし、落ち目の双葉よりも最大手で成長の見込みがある三丸の方がいいと考えたからだ。しかし、いざ働いてみれば三丸の過剰な利益至上主義を目の当たりにし、驚愕した。双葉は昔も今も顧客を一番に、と云うのがモットーであり、幼少からそれを見てきた俺にとっては信じられないことだったからだ。俺は結局三年で会社を辞め、途方に暮れていたところ、見るに見かねた親父がコネで双葉に入れてくれた…と云うのが俺の出で立ちである。
今日は日曜日。たまの休日なので、普段は行かない双葉の店舗に行くことにした。
池袋駅から歩いてわずか、そこに双葉池袋本店が在る。池袋には西鉄と東鉄の二大百貨店がしのぎを削っていて、双葉はその中にも入れない状況だ。(一応、売場面積で云うと一番大きいのだが。)
中に入る。ガラガラだ。休日とは思えない。初めてこの光景を目にした人は、平日の地方百貨店だと錯覚するに違いない。そんな事を心に思いながら、五階紳士服売場に向かう。俺はエスカレーターの近くの店員に声をかける。
「すみません。秋用のコートを探しているんですけど…。」
「はい。それでしたら…って晃次?やめてよ、もう勤務中に…。」
コイツは工藤彩香。俺の彼女だ。
「相変わらず暇そうだな。池袋で服を買うなら、普通は西鉄か東鉄だもんな。」
「そんな事私に言ったってどうしようもないって。何とかしたいんだったら、晃次のお父さんに言いなよ。って話はそれだけ?私はこう見えて忙しいんだから。お客はいないんだけど。」
追い返される俺。情けないのか、当然なのか。
俺は本当にコートを買おうとしたのだが、体裁が悪いため東鉄で買うことにした。
東鉄は私鉄系の百貨店だ。駅に直結しているため、平日休日に関わらずいつも人でごった返している。
なぜここまで差をつけられているのか。東鉄と双葉の決定的な違いは、何と言っても商品の質である。
双葉は「一通りブランドを集めました」と感じられる品揃えだ。良く言えば普遍的、悪く言えばつまらない。
対して東鉄は「流行のブランドも取り揃えてます」と感じられる品揃えだ。昨今の流行に合わせたブランドの入れ替えなど、安定感がないと言われればそうかも知れないが、常に顧客のニーズに合わせた百貨店スタイルである。
俺はそうしていつの日か分からない双葉の復権を願いながら過ごしている。
そんなある日、俺のド肝を抜かれた出来事が起きた…。