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のら犬  作者: 田村弥太郎
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始まり

 今では誰でも持っている携帯電話。市街の何処でもいい、ビルを見上げれば、それ用のアンテナが目に入る。郊外や山間部には電波塔と呼ばれる鉄塔やコンクリート製のポールが日本中くまなく建っている。

携帯電話の黎明期、自動車電話として幹線道路を通話エリアとしながら、人の多い市街地へのエリア確保に転換した。さらに山間部にも順次進攻し、公衆電話、固定電話を駆逐せんばかりに至っている。

エリア拡大はすなわち電波塔の数の拡大であった。それに伴い、景観や健康への影響が懸念され始めたが生活必需品となった現在、法整備もあり騒がれる事も少なくなった。

さて、その黎明期に専門の建設部門を持たなかった事業者は日本有数の建設各社から技術者を出向させ、鉄塔を含む設備建設の管理にあたらせた。

当然、建設各社はその工事を請け負う。

しかし、管理だけに本当の技術者を出向させる会社は少なかった。下請けから人を出させる。下請けも何処からか人を集め、送り込む事も少なくなかった。元をたどれば派遣会社からということもある。事業者からは出向元にそれ相応の額が支払われ、末端では時給いくらに変換される。それでも、まだ高い部類に入る業界だった。

中田は田舎で工事現場の日雇いをしていた。勤めていた工場が潰れ、知り合いのつてで手伝っていた。電力会社の通信設備の工事だった。毎日あるわけではないが日当は土木作業員よりよほどいい。

ある日、また別の所から広島へ行かないかと誘われた。何処にも属していないから、動きは軽い。一週間後だそうだ。聞けば今いる者が辞める代替だそうだ。中田は「いいよ」と返した。ただ、金額等の紙が欲しいとだけ伝えた。前任のアパートをそのまま使い、引き継ぎを受け、出向先に勤務することになる。

 出向先は携帯電話の事業者だそうだ。中田は社名を聞いても知らなかった。携帯電話はまだ高く、自分は使う事もないと思っていた。後にテレビCMを見て(ああ、ここか)と気付いた。

空港の二階にある喫茶店で担当という男と待ち合わせた。出された名刺には人材派遣云々と書かれていた。紙を見た。金額欄に目を通した。間をおかず、中田は立ち上がった。かっとなった。そもそも人材派遣という言葉が気にいらない。

「ダメだね」

そのまま、荷物を持ち店を出た。相手は慌ててコーヒー代を払い中田を追った。

「中田さん、搭乗券買ってるんですよ」

中田は振り向かなかった。

一階に降りるのに、昇りのエスカレーターに足を掛けてしまった。そのまま、強引に下りた。

「何、この人」

近くで女が喚いた。

エントランスを出て、停まっていたバスに乗り込んだ。

外を眺めていると、男が出てきて左右を見回した。

バスは静かに発車した。

バスは市街中心のJR駅行きだった。映画を見て帰った。

家に戻ると、電話の留守電ランプが点滅していた。二桁の件数があったが聞かずに消去した。

また、日雇いに戻った。広島の件はすっかり忘れていた。 半年程たったある日、郵便受けに封筒が一通入っていた。

 差出人は派遣会社に依頼した会社だった。

紙には契約書の文面が案として書かれてあった。事細かに書かれた定型文ではなかった。

文面はA4に半分程、出向先と金額、締めと支払日のみだった。

出向先は広島と同じ社名だが後が中田のいる地方名に変わっていた。

金額は以前の三倍近くになっていた。

もう一枚には、先般の後日談(中田は追突事故に遭い、行けなくなった事になったらしく、今回、話がでたら合わせて欲しい)と、もし、良ければ連絡して欲しいと書かれていた。

中田は狂っていると思った。基本的に悪いのは自分である。 あの時は文面にいやらしさを感じ、金額にも不快感を感じ、直感的に反応した。三十歳も後半の後半になってとる態度ではなかった。

少なくとも、それは良く伝えられてはいないだろう。相手が何を考えたのか判らないが、懲りないものだ。

中田は連絡をとった。隣県にある小さな工場で相手と会った。長身の老人は原野と名乗った。名刺には専務取締役と書かれていた。

「この前はどうも、悪いことをした」

謝るのは、中田の方だが聞き流した。

「あなたが似合うと思う。行って貰えるかな」

何を根拠としているのか判らない。前回の履歴書が回っているぐらいだ。内容もたいしたものではなく、一般的な行程からは大きく外れたものだ。

「ええ」

中田は話す事は苦手である。

原野は嬉しそうに笑顔になった。

数日後、中田は原野と建設会社に顔を出す事になる。そこが最終的に出向元となるらしい。

中田と原野は、JRの駅で待ち合わせ、建設会社の事務所に出向いた。原野は馴染みのようで、出てくる社員に手を挙げていた。

事務所で軽く挨拶を交わした。

中田は「よろしくね」と言われただけであった。相手も嬉しそうであった。

事務所を出て、駅に向かい構内の飲食店に入った。原野はトイレに行き、中田は適当に席に座った。

まだ帰宅時前の夕方で、店内に客は少なかった。店は広く、メニューを眺めると和食と宴会がメインのようだ。

原野はなかなか戻らなかった。

ふと、レジを見遣ると女が中田に小さく手を振っていた。

中田は目を見開いた。

「お貞」

中田が工場勤めをしていた時の部下であった。中田も小さく手を挙げた。

ちょうど原田が戻って来た。

お貞が注文を取りに来た。

「お久しぶりです」お貞が中田に言った。

「なんだ、知り合いか」と言いながら、注文をした。

原田は日本酒といくつかのつまみ、中田は定食を頼んだ。

原田は終始、機嫌が良かった。

酔いも回り「良かった。良かった」と繰り返している。

原田は、電車で帰った。帰りがけには、よほど嬉しかったのか中田の頭を撫でて行った。

「この街で働くようだ」

「顔を出して下さい」

中田は店を出る時、お貞と話した。 二月初め、中田は携帯電話会社に勤め始めた。スーツを着るのも久しい。

所属は建設部、肩書は主任。渡された名刺の記載であった。

携帯電話の設備を建設していた。出向者たちは各県を割り振られ、施工会社との管理調整、事業者として行政、個人との折衝をしていた。

出向者たちは主に施工会社やその系列の商社から来ていた。また、幹部たちは親会社からの出向が殆どだった。何れも株式欄に名のある会社だった。

 田舎者の中田には日本のトップ3に入る商社からの出向と聞けば、相手を畏怖してしまう。

今回も中田は同じ出向元会社から来ていた者が辞めるための代替だった。

一月程、机を並べた後に前任者は辞めて行った。特に引き継ぎらしいものはなかった。

特に冬で雪の多い県が多く、工事の進行も停滞または停止していた。

年度が明けるまで、退屈な日々が続いた。過去の資料を眺めながら、仕事を把握していった。

回りも似たようなもので、思い思いに過ごしていた。

定時に来て、定時に帰る。残業代が欲しい者は、適当に残っていた。もちろん、中田は定時に帰った。

たまに、別の担当者に付いて出張に行った。設備の納品会社、鉄塔の施工現場などであった。立場はこちらが客であった。

中田は心中、心苦しい。

(ド田舎者に、頭を下げて大変だなぁ)と常に思った。

年度が変わり、計画が決まった。前年比、二倍以上の設備を増強するようだ。 中田も、おおよその流れは把握した。さして難しいものではないようだ。打ち合わせ、会議にも出るが、話す事はなかった。

ただ、親会社から転籍した若い担当者が数の増加に不満を言う事が多くなっていた。

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