9 張遼、女の子?
「賈詡様、私の馬に乗りませんか。」
張遼が馬上から申し訳なさそうに訪ねた。
確かに自分の主に対して馬の上から会話をするというのは臣下として決して分を弁えているとは言えないだろう。張遼が賈詡に自分の馬に乗ることを勧めるのは当然のことであると言える。
「張遼さん、私、馬に乗れないのですが。」
賈詡も張遼に対して申し訳なさそうに言った。
賈詡の知略がいかに優れていて普通の七歳よりも人生経験を積んでいるとは言え持つ筋力は七歳児相応のもののはずである。そもそも賈詡はこれまで乗馬の訓練を一切と言って良いほどしていない。
「あっ、賈瞬様の御子である賈詡様の御年を忘れていたとは、真に申し訳ありません。」
張遼が慌てて頭を下げた。その様子は会社でやらかして上司に謝る部下のそれだった。
張遼は今までの賈詡の歳に見合わない程の冷静さと発想力を以って若干7才にして賈家の人間の晋陽への逃亡を指揮してきたわけである。張遼が賈詡の年齢を無意識のうちに忘れていたことは仕方ないことだと言えるかもしれない。
「張遼さん、そんなに気にしなくてもいいですよ。」
賈詡は丁寧過ぎる張遼の口調にやけに違和感を覚えた。今まで自分にとっては時々見る程度の御姉さんの様な存在であった張遼が一歩引いた様な態度で自分と話しているからだ。
いぶかしむ様な、覗き込む様な目で張遼を見た。しかし、賈詡の目の光にはその人の心の内を全て透視しようとしているかのように感じられた。
「張遼さん、先程から態度が妙に丁寧なのですが、どうかしましたか。後、亡き父上への配慮という意味でしたらそんなに気にしないでください。父上はあなたのせいで死んだわけではありませんし、あなたが父上のことを見殺しにして一人だけ逃げてきたなんて露にも思っていませんから。」
逃亡中の賈家一向の空気が急に固くなった。下手したら、一人生き残った張遼に対してのあてつけともとれる言葉である。そもそも逃亡中で皆の空気が御世辞にもいいと言えるものではなく暗い中である。更に自分が主と決めた少年から張遼は言われたのである。張遼が多少なりともショックを受けないはずがない。
賈詡は天才である。それは生前からであるが転生してその頭脳にはさらに切れが掛かった様に感じる。しかし、天才特有の周りの空気が読めないところがある。
賈詡は周りの雰囲気が一気に凍りついたことを感じた。
非常に焦った。さすがの賈詡もこういった事態への対処には慣れていないのか賈詡の現在の心境は周りの人間には手に取るように感じられた。
(この子にもまだ、子供っぽいところがあるのね。こんなにあたふたしたところ初めて見たわ。)
紫遥が慌てている賈詡の姿に初めて年相応の子供っぽさを感じたのか、我が子を見守る様な温かい目で賈詡のことを見ている。
一方、張遼は賈詡が先程の言葉を邪な気持ちで言ったことではないということを知ると安心した。
「ち、張遼さん、僕何かまずいこと言いましたか。」
まだ賈詡は慌てている。
しかし、先程との雰囲気とは明らかに変わった。凍りついたものが朗らかな春の日差しの様な柔らかい雰囲気になった。
「賈詡様、気にしないでください。今、賈瞬様の跡継ぎになる賈詡様が慌ててはもとも粉もありません。」
張遼はそれまでの臣下としての恐縮しきった態度を少し軟化した。同時に弟は見ているかの様な目に変わった。
「解かりました。張遼さんがそう言うのなら。」
賈詡が自分を無理やり納得させた。
「賈詡様、そういえば先程馬には乗れないとおっしゃっていましたが、私と一緒に乗れば問題ありませんか。」
張遼が賈詡に言った。さすがにこのまま臣下の身で馬上から主の賈詡に話しかけるのは良くないと判断したからであろう。しかし、先程の賈詡を忘れていたことを少し恥ずかしがっているところがある。
「いいんですか?それでは御言葉に甘えて。」
既に家を出てから半刻たっている。まだ、7才の賈詡には少々つらいものがある。
賈詡は張遼の乗っている馬にゆっくりと跨る。しかし、実際のところ跨るというよりかその時の様子は登ると言ったほうが正しい。その様子は年齢相応の幼さが垣間見える貴重なワンシーンであると言える。
賈詡は馬に乗ると違和感を覚えた。
頭に何か膨らんだものを感じた。それは、鍛え上げられた男の持つ胸板とは違い女性の持つ特有の丸みを帯びた様な柔らかさの方が近いと言える。しかし、張遼は日々鍛錬しているからか少し筋肉質な硬さも感じられる。故に賈詡は迷うのである。頭に感じられる膨らみは一体何なのかと。
賈詡が混乱している間も馬はゆっくり進む。この逃亡団の様子は一見すると逃亡者のような切羽詰まったところは見られず旅人たちが次の目的地を目指して旅しているような和気藹藹とした様な感じに見える。
「張遼さん?」
賈詡が張遼のほうを振り向いて何やら聞こうとした。
「賈詡様、何でしょうか。」
張遼が一体何の用かといった感じで首を小さく傾げた。
「いやあ、さっきから後ろに膨らんだものを感じるのですが。」
賈詡が言いづらそうに言うと途端に張遼が顔を真っ赤にした。
その様子を見ていた紫遥は「あらまあ。」と小さく微笑んだ。
「も、申し訳ありません。」
張遼が慌てて謝った。その様子は先程までの賈詡の姿そのものであった。
「え、どういうことですか。」
賈詡が張遼の態度に疑問を覚えたのか質問した。
「私、実は、女でして…」
賈詡には最後の方は聞こえなかったようであるがそれでも十分驚きに値する情報である。
しかし、賈詡にはそう言われてみると思い当たる節がないわけではない。西涼の男独特のむさ苦しさを感じさせず、寧ろ西涼の女の慎ましい雰囲気が張遼にはある。賈詡はそれまでそれを張遼が少し変わっているだけだと思っていたのだが実際のところは張遼が本当に女であっただけである。
「そうですか。張遼さんは凄いですね。女性なのに男顔負けに剣も振れるし、部隊の指揮もできる。」
賈詡はこの時張遼の顔を見てこの言葉を言った訳ではない。容易に想像つくことである。何せ張遼に支えられる形で馬に乗せてもらっているからである。
故に張遼の表情も解かるはずがあるまい。
「あ、有難うございます。賈詡様。」
張遼が顔を真っ赤にして俯いていた。
この様子は外から見ていると大変滑稽である。
そもそも張遼が女であることを知らなかったのはこの場には賈詡だけしかおらず、自分が女であることがばれていないと思っているのは張遼だけである。
賈詡の母親である紫遥はその様子を見て静かに微笑んでいた。
張遼から驚愕の事実を知らされた賈詡であったがこの先の逃亡計画にそれは全く影響することではない。
何が問題かと言えば、賈詡たちが逃亡中なのにも関わらず和気藹藹と和やかに会話を進めている間にも李隺、郭汜の追手は着々と近づいているのである。
投稿遅れてしまって申し訳ありません。この先もたびたびこういうことがあるかもしれないのでそれでも読み続けて下さると嬉しいです。