4 賈詡、父の想いを胸に晋陽へ ①
李儒は現在、馬上の人となっている。
「ハッハハ、笑いが止まらん。」
李儒は董卓陣営内で敵対関係にあった賈瞬だけでなく賈瞬の率いる精鋭一千を完全に殲滅することに成功した。もはや、董卓陣営において実質李儒が№2であると言える。李儒の地位は董卓の機嫌を損なわなければ盤石なものになったのである。李儒が上機嫌なのも頷けよう。
「後は、口封じだけだ。奴の息子の能力の高さは異常だ、あんなの生かしておいたら、後に禍根になりかねない。奴の一族を皆殺しにしてしまえばその心配もいらない。」
李儒にも懸念材料がある。
賈瞬の息子でありこの物語の主人公の賈詡である。
彼は幼いころから神童と呼ばれていた。
李儒は彼と直接会ったことがある。そして、その時賈詡の持つ才能に震撼した。
百歩譲って、賈詡の持つ知識量や智における才能はもしかしたら、広い中華を探せばもう一人くらいいるかもしれない。しかし、7歳という歳で既に覇気を身につけつつある人間などさすがに中華広しと言えど居ないであろう。
李儒は生来小物である。そんな男が賈詡のような巨大すぎて神がかった才能を持っている少年を生かしておきたいと考えるはずがない。
李儒は部下に命じて500の兵力で賈家を制圧しに行かせた。
「張遼さん李儒の軍はあと何刻で来ますか。」
賈詡が張遼に聞いた。
張遼は賈詡を見て戦慄した。
今まで張遼は賈詡のことを少し周りより頭の回転が速いだけの小僧といった印象しか受けなかった。そればかりか、戦災孤児になってしまい、生きる糧を失って何時死ぬか解からないような自分に目かけて育ててくれた義父にも近い存在であった賈瞬も賈詡の策を採用せずにいつも通り匈奴の討伐を行っていれば死ぬことはなかった賈詡のことを少なからず憎んでいただろうことは確かなことである。
しかし、今の賈詡はどうであろうか。
彼の眼にはそれまでにはない熱が宿っていた。いや、熱どころではない。例えるのならば、炎を纏った龍であろう。それだけのものがまだ少年とも言えないような年齢の賈詡が見せたのである。
張遼は気付いた。賈瞬が自分を生き残らせた理由は実は目の前にいるこの若干七歳の覇気を纏った少年のためなのではないかと。
張遼は今まで重く重く圧し掛かり自分を蛇のように縛っていた自責の念から賈瞬の息子である賈詡を守らなければならないという熱い闘志へと変わった
そして目の前の少年に生涯忠誠を誓うこと静かに誓った。
「はっ、後二刻といったところでしょうか。」
因みに一刻とは現代でいう二時間くらいである。
ここで説明をしておこう。賈瞬の討たれたところと現在賈詡の住んでいる地域は馬でとばしていけば三刻くらいの距離である。
「解かりました。こうしては居られません、急ぎ晋陽へ発ちましょう。」
しかし、晋陽へ行くと言っても当時は現代のように自動車や自転車などのハイテクな乗り物はない。馬が一番素早く移動できる交通手段ではあるが賈家の人間全員に用意できるだけの数を今この家には揃えていない。そのうえ賈家に務める侍女や賈詡の母である紫遥、そして賈詡も含めて馬に乗れるのは張遼一人しかいない状況である。
そもそも騎馬に乗れないのであれば騎馬隊で追ってくる相手から逃げ切れるはずがない。
賈詡は思考の海に沈む。
と、そんなときである。
「持てるだけ持って速くにげましょう。」
母である紫遥が皆に呼び掛けていた。
張遼が賈詡に何か言おうとしていた様子であったが紫遥の言葉で掻き消された。
賈詡は思いついた。
そして、口を開いた。
「晋陽に着くまでに必要な食糧だけ持って逃げましょう。それ以外は全て放棄しましょう。それと、母上、この家にはどれだけの金目になりそうなものありますか。」
賈詡が母である紫遥に聞いた。
「そうね、あの人は董卓様にとても気に入られていたようでたくさん褒美を貰っていたけど、それをほとんど使っている感じはなかったわ。」
紫遥が賈詡に答えた。
賈瞬が董卓から貰った褒美は賈瞬の今まで挙げてきた武功そのものであり紫遥はそれを大変誇らしく思っていた。
すると賈詡は強く頷いた。
「ではそれら全部道にばらまきましょう。」
ついに賈詡が大胆極まりない発言をした。
しかし、理にかなっている。一番生き残れる可能性が高いものがこれであったのであろう。
「どうしてですか。一つ一つがどれもあの人が生きた証ではないですか。それをなぜ仇同然の奴らにくれてやらなければならないのですか。」
母上は涙を浮かべながら縋るような眼で私の顔を見た。
しかし、私には義務がある。母上、家に務める三人の侍女と使用人、そして父上から託された張遼さん、皆の命を助けなければいけない。例え、今は泥水を啜らなくてはならなくてはならない様な状況になったとしても。それが一番の父上へのたむけだ。だから、死に物狂いで生き残ってみせる。
「母上、それは違います。父の生きていた何よりの証、それは私たちです。もし父上が張遼さんを逃がさなかったら私たちの人生を今日ここで終わり迎えました。しかし、今張遼さんはここに居る。そうまでして、父は私たちを守りたかったのではないのですか。その上、勝ち目のない戦を最後の最後まで戦って私たちの逃げる時間を作って下さってくれたのではないのですか。それに晋陽に着けばとりあえず生活には困りません。それから考えましょう。」
賈詡はボロボロ涙を零しながら紫遥に訴えた、しかし、最後はわらってみせた。
紫遥は自分の浅はかさに気付いた。自分は冷静さを取り戻していたつもりだったのだが、実際は、夫である賈瞬の遺影を引きずっており、賈瞬の残したかった一番大切なものが自分たちの命であることを忘れていた。そして、酷く先程の言葉を悔いた。同時に親として賈詡の飛躍的な成長は涙が出るほど嬉しいものであった。
「ごめんなさい、文和。母さん大切なこと忘れていたわ。文和良く成長したわね。」
母の表情は実に晴れ晴れとしたものであった。その様子はまるで何かの憑き物が落ちた様な明るさと生命感、そして優しさに溢れていた。
「大丈夫です。母上、それより晋陽への支度を早く進めましょう。後父の遺産を集めてきて下さい。音に聞こえる賈瞬将軍の持っていたものとなれば追手も取り合いになるでしょう。」
そう言うと、賈詡は少し悲しげな表情になった。
いくら転生していて年齢の不相応の精神年齢で大人びている彼でも自分のそれまでの暗雲としていた孤独の人生を光を与えてくれた恩人であり、父親である賈瞬の死には耐えがたい重さがあることは確かなのである。しかし、彼はこれから先も止まることなく突き進み続けるであろう。亡き父親の想いを胸に抱きながら。
賈詡はこの時知らなかった。
まさか李儒が500までの追手を自分たちに割いていることなど。
しかし、結果としてこの後誰ひとりとして被害者がでることはなかった。
それも正に天運とも呼べる奇跡が起こることによって。
賈詡の人生はこれから軍師として人生から大きく分かれていくことになる。そして、その道のりは決して平坦なものではないであろう。それでも彼の未来が光溢れるものであること私は強く願う。