1 賈詡、涼州武威郡に生まれる
紀元167年(建寧元年)当時の涼州武威郡に後に覇帝と呼ばれることになる男が産声を上げた。因みに彼の生まれたところは武威郡の中でも、董卓の故郷である隴西郡に程近い。
実は、この賈詡という男、生まれながらにして常識では考えられないような秘密を抱えている。そのことに関しては、読者である皆さんにこれから、説明しよう。
私は、とても不思議な感覚にとらわれている。
そもそも私は、一度死んだはずである。「その時の感覚は?」と聞かれたら、何か吸い込まれるような感覚であったが、意識を失う寸前に何やら声が聞こえた。しかし、耳を通して聴こえてくるわけではなく、己の頭脳に直接話しかけてくるような今まで体験したこともない珍妙なものであった。にも拘らず、その時の言葉を私は、ぼんやりとしか思い出せない。
私の視界が少しずつ鮮明なものなってきた。同時に耳もよく聞こえるようなってきた。すこし、周りの会話に耳を傾けてみることにしよう。
「奥様おめでとうございます。」
「ふふ。」
この家の侍女と思わしき女性とそれとは違う女の人が何やら話しているようだ。
私は、誰だか特定できない女の人の声がする方向を向いた。
私は、ハッとした。
なんと美しい女性なのだろうか。栗毛色のロングヘアーに少し、垂れている目。其れに、少し高めな鼻、たくさんの水分を含んでいるのかプルンとしているのにもかかわらず、大きすぎず妖艶さばかりか、母性を多分に漂わせてさえいる。
さらに視線を下へとずらしていくと、豊満な胸に引き締まった腰も見えてくる。女性の中では至高の体型に顔を持った美人であるといっても差し支えがないだろう。
ここで、私はあることに気付いた。それ先程から感じている不思議な感覚の正体である。
なんと、私は目の前の美人の抱きかかえられていたのである。
当然これには、少し混乱した。自分は、既に死んでいるはずなのにもかかわらず、生きていることにもだが、生前は180センチはあったはずの自分が抱きかかえることができる人間などほとんどいないはずであるのに其れを、目の前の女の人ができていたのだ。さらには、今、自分のことを抱きかかえている女の人と会話をしていた侍女と思わしき女性も見上げるような高身長なのだ。
そんな人間二人もいるはずがない。
私は、自分の掌を恐る恐る見てみた。驚くべきことに以前では、考えられない位に自分の手は小さくなっていて、若さを取り戻していたのだ。
私は、ここでようやく理解した。「自分はどういうわけだか体が赤子に戻っていた。」ということを。
考えられないが私は、ここである結論を出した。
私は、この世界に二度目の生を受けたのである。いわゆる転生である。
私は、周りの人と意思疎通を図るために声を出そうとした。するとどうであろうか。体が赤子であるためかまともに、意味のある言葉を発することができず、泣き声しか出すことができないのだ。
仕方ない、周囲の観察も同時並行で行うことにするしかない。
私は、再び自分を抱きかかえている女性を見た。
「まあ、よく泣く子だこと。」
私は、その女性がとても幸せそうな笑顔を浮かべていることに気付いた。
私は、この美人が自分を生んだ母親なのではないかという仮説を立てた。
しばらくは、赤子らしく泣いていよう。
「おお、生まれたか。」
いきなり、男の人が入ってきた。ここに来るまで走ってきたようで息切れをしている様子である。
「まあ、あなたったら。そんなに慌てないでくださいね。」
この二人は、夫婦であるのだろうか。
羨ましい。
「これが、我が子か。なかなかに可愛いものだな。」
男の人は、そう言うとごわごわな硬い指で私の頬をツンと突いた。
ついに仮説が証明されたのである。
私の母親は目の前の母性溢れる美人なのである。
大声で叫びたい気持である。実際私は大声で泣いた。
「よ-し、よ-し。」
私の母親はゆりかごのように私を抱いている腕を揺らした。
至福の一時である。
我が父親が話し始めた。
「実はな。この子の名前を決めたんだ。」
私は、緊張した。転生して新しい名前をつけられるのである。
「そうですか。この前まであんなに悩んでいらしたのに。」
先程までの笑顔とは違いこちらには、少しからかっているかのような軽快さを感じる。
「うっ。」
父が呻った。今の父と母の会話に私はこの二人の立位置を垣間見たような気がした。
「それで、どんな名前に決まったんですか。」
母が父の様子を微笑ましそうに眺めつつ会話を進めた。
父が私の顔を少し見つめてニカッと笑ってから口を開いた。
「詡だ。この子の名前は、賈詡だ。字は、文和に決めた。」
その名を聞いて私は驚いた。三国志に登場する有名な謀将賈詡と同じ名である。
三国志を読んだことがある人間が驚かないわけがない。
父が話し始めた。
「今、世の中は乱れている。官は賄賂を公然と取り、民から考えられないほど重い税を搾取しておきながら、政治をまったく行わず、酒池肉林ざんまいで自分のことしか考えてない。そんな時代だ。いつ何が起こるか解からない。だからこそ、この子には生き抜いてもらいたい、誰よりも思慮深く行動してもらいたいんだ。」
転生したときの混乱から抜け、冷静さを取り戻していた私の気分が不意に暗くなった。しかし、嬉しかった先程までは少々頼りなさそうであった父親が自分のことを深く考えて名前を付けてくれたのだ。
母が哀愁を帯びた目で私の顔を見つめた。そして私の頭をなで始めた。
「いい名ですわね。この子は私たちの愛しい子、惨めな最期にだけはなってもらいたくありません。」
母はそう言うと今までのほほ笑みから一転、何かを決意したのか口をキュッと結んだ。
父はそんな母の様子をしばらく眺めていたが、再び私にちょっかいを出し始めた。
いたずらに私が泣いてみると案の定、父が慌て始めた。
すると、母も固い表情からまたほほ笑みを浮かべて囁いた。
「文和の未来が光溢れるものであるように。」
その声が小さかったからなのか、父が流したからなのかは、今の私には、判別がつかなった。しかし、この後の父と母の会話は非常に明るいものであることがなぜだか確信できた私は、泣き疲れもあったのかこの後、安堵と共にねむりへと落ちていった。