2-19
翌日、新聞にもネットのニュースにもディナン公子のことは載らなかった。
ネットに載らないのはある程度理解できる。
あの場にいて竜を撮影できたのは、動物園関係者と私達だけだ。エドが早々に竜を小さく戻してくれたので、撮影機会もほんのちょっとの間だけだった。
しかも平日なので、一番近い動物園にも人がほとんどいなかったはず。
そのため情報が拡散しにくかったんだと思う。
動物園の従業員側も、潰れて解雇されたら困るのは自分達だからと控えたんだろう。
あとは、大々的にニュースになって、異世界との交流に支障が出るのはとても困る政府等の関係者も、抑えにかかったんじゃないだろうか。
異世界との出入り口があるおかげで、日本はとても景気が良いわけだし。
私としても、ヴィラマインの国の名前が出て、明後日の方向に議論をされたりするのは嫌なので、大変結構なことだと思っている。
ただ、その日から牧野君は数日休み。
ディナン公子も急きょ国に帰ったということで、学校には現れなくなった。
どうなったのか気になったけれど、それについては放課後にヴィラマインが教えてくれた。
「強制送還でした」
話したヴィラマインは、喉を潤すためにお茶のカップに口をつける。
ただしここは喫茶店ではない。
異世界の話は漏れては困るものもある。そのため学校内に、放課後に使える防音の喫茶室があり、そこで学生同士で話をすることができるようになっている。
給湯設備が使える上、ティーカップも常設しているので、自分達でお茶やお菓子を持ち込んで長時間おしゃべりをする人も多い。
今回はそこで、いつもの女子会メンバーと協力者のアンドリュー、エドを交えて話をしていた。
「強制送還とは、ずいぶん甘い処置だったのね」
赤い髪のエンマ様がそう評した。
竜の密輸と誘拐と脅しと、かなり色々重なっていたことを話したからだろう。
「ヴィラマインの国が矢面に立つのは嫌だったので、私はそれでいいと思っていますよエンマ様」
私がそう言うと、エンマ様はにこりと微笑む。
「さすが沙桐さんね。ヴィラマインにもそうだけど、結果的にはディナン公子に対しても優しい判断だと思うわ」
「優しいでしょうかね……。正直、ここで皆さんに隠していたことも洗いざらい話して、ついでにお国の人にも広めてもらえればと、思っているのですけれど」
ディナン公子には口止めしたものの、こちらは言わないなどとは約束していない。
ということで、積極的に広めて行こうとヴィラマインと相談した結果、仲間内のお茶会で経緯の詳細を話したのだ。
ディナン公子の話は、こうして各国に広まっていく予定だ。
彼はお嫁をもらうどころか、お婿の宛ては国内にしかなくなったようだね……ふふふ。これでもうヴィラマインに付きまとうことなどできまい。
お茶に口をつけながら、心の中でほくそ笑む。
竜は正規ルートでヴィラマインの国に送還されたし、しっかりと異世界にも悪評を広めておけると思うと、爽快な気分だ。
「もちろん悪評はそうでしょうけれど。はっきりと表で糾弾されたら、故国にも居場所が無くなったことでしょう。継承権も失った上で国内で隅に追いやられるぐらいで済めばいい方だと思うわ」
「そうね、少し優しすぎるかもしれないわ」
エンマ様の言葉に、リーケ皇女も微笑んで同意する。
「でも変に恨みを買いすぎると面倒ですし、国内で管理されるならその方が安全ではないでしょうか」
アンドリューがそう言うと、皆が納得したようにうなずいた。
「どちらにせよファン・ベルクスはしばらく大きな顔ができなくなるでしょうね。うちの国としてもやりやすくて結構だわ。それで表向きはどうなったの?」
リーケ皇女に問われたヴィラマインが答えた。
「ディナン公子はお友達と仲良くなりたいがために密輸をしたのは、隠しようがありませんからそのままです。その後は、卵状の竜を手に入れて喜んでいたら竜が起床。お腹を空かせた竜が、お友達の持っていたチョコレートを食べてしまった……という筋書きになったみたいです」
ヴィラマインは微笑んだ。
「ファン・ベルクスも大慌てでしたから。それで収める代わりに、騎士の派遣など、色々と条件を飲んでいただきました」
ヴィラマインの国としても予想以上の好条件を引き出せて、ほくほくらしい。
その後は和やかに話が続き、お茶会が終わる。
片づけが終わった後は、帰るだけだ。
ヴィラマインはアンドリューにちょっと話がと呼び止められたので別れ、私は玄関へ向かったのだけど、エドに呼び止められた。
「師匠、お話がございます」
そうして他人の耳をはばかることなのでと、先ほど出たばかりの会議室へ二人で戻る。
「例のお願いのことなのですが……」
エドが切り出したのは、竜と戦ってもらう時にした約束の件だった。
「そうだ。あれ一体何のお願いがあったの?」
エドは少し逡巡し、言った。
「殿下も前から計画されていたのですが、普通に言うと師匠に断られそうだとお悩みになっていたことで……」
「え、一体何?」
そんな難しい問題を突きつけられるのかと怯えていると、エドが言った。
「師匠に、我が国での役職をお受けいただきたいのです」
まさかのヘッドハンティングだった!!
呆然とする私に、エドは語り続ける。
「その役職の認定には、どうしても我が国へおいでいただく必要がありまして。もちろん送り迎えは私がしっかりとお守りさせていただきますし、交通機関も全てこちらで用意しますので、ほとんど身一つで来ていただければ」
しかもルーヴェステイン行き!?
「ていうか何の役職? 日本の無力な高校生に何の仕事をさせる気なの?」
「そこはあまり大変なものではありません。殿下も、ご家族に了解が必要だろうからと、後で書状をお送りした上でお願いに行くとのことでした。ただ、師匠にもできることだと言っておりましたので、そう無理は申し上げないかと」
アンドリューが無理じゃないと言うのなら、そうかもしれないけど……。
でも仕事をしないかと言われて困惑してしまう。つい黙っていると、エドは表情を曇らせた。
「だめでしょうか? お約束をしていただいたので、受けていただけると思ったのですが……」
「う……」
そうだ。ルーヴェステインの役職を受けるのは、約束だから断れない。魔獣なんかと戦わせたあげくに断るだなんて非道すぎる。
「ええと、はい、わかりました……」
エドに怪我をする危険を冒させたのだから、私も命を賭けるぐらいのことをせねばならない。うなずけば、エドはほっとしたようにうなずいた。
「良かった。ありがとうございます師匠」
しかし役職って何だろう……不安になる。
異世界に関わる学校に来ているんだし、いずれは異世界関連の仕事をとは思っていた。
でも港の職員とか、一時的に行ったり来たりするくらいのものを想定してて。役職なんてもらっちゃったら、なんかそれ以上のことになりそう……。
お母さん驚くだろうな。そもそも異世界旅行をしなくてはならない。その許可ももらわないと。
ため息をついた私は、なにげなく耳の下を擦る。
ディナン公子の一件から、なんか気になってつい指でこする癖がついてしまった。こう、見えない場所に出来た傷が気になるみたいに。