2-16
まだ眠っていたのか、ころんと床で一回転した竜の子供は、それからくああっとあくびをして目を開く。
「ん……もう朝かな? ご飯の時間かな?」
そうつぶやいた竜の子に「なるほどな」とディナン公子がうなずく。
「これでヴィラマインの国も終わりだ。条約違反で国力が落ちた後は、我が公国が竜ごと管理してやろう。なんだ最初からこうすれば良かったのだ。温情をかけたのが間違いだったな。はーっはっはっは!」
楽し気に笑った彼は、騎士と一緒に倉庫から逃げだした。
え!? どうして?
「ご飯だ。これを食べるといいよ」
牧野君が、竜の子に茶色い板を差し出す。離れているから匂いとかわからないけど、あれ絶対チョコレートだ。
するとエドも何かに思い至ったように息を飲んだ。
「移動します、師匠」
短く言ったエドが、急いで走り出す。そして侵入した時に使ったのだろう、天井近くの開け放たれた窓へと飛び上がった。
「ひゃあっ!」
振り落とされるんじゃないかと怯えて、思わずエドにしがみつく。
そうして上がった倉庫の屋根からエドが飛び降りた時、ほぼ同時に倉庫の屋根を打ち破って何かが現れた。
倉庫から少し離れた場所に着地して、私はつぶやいた。
「……映画?」
怪獣映画をほうふつとさせる光景に、エドが冷静に返してくる。
「いえ、師匠。あれは竜ですね」
「え、あの小さいやつが……どうして」
「異世界の食物です」
エドが説明してくれる。
「こちらの世界の食物の中には、私どもの世界の魔獣が過剰に反応する物があるのです。魔獣によってさまざまなのですが……」
「その一つがチョコレートってこと?」
うなずくエドが、私を抱えたままさらに走った。
竜が吠え声を上げる。
ばさりと翼を広げた姿は、間違いなく空想上の竜と同じものだった。
遠くから眺めたらかっこいいかもしれないけど、間近で見るのは恐怖だよ! だって数歩移動しただけで、私を踏み潰せるような大きさだもん。
倉庫周辺は、人を追い払っていたのかもしれない。ほんの数人の動物園のジャンパーを着た人々が、慌てたように倉庫群から飛び出してきて逃げて行く。
ディナン公子自身は道路側の離れた場所にいて、騎士が助け出してきたらしい牧野君も側にいた。
ディナン公子は楽し気にそれを眺めながら、電話をかけている。
どこに? ヴィラマイン……は違うと思う。ディナン公子はさっき、これでヴィラマインの国は条約違反でおしまいだとか言っていなかった?
条約違反……ということは、こちらの世界と異世界との条約だ。
異世界生物が持ち込まれてしまったと、ヴィラマインの国が糾弾されることになったら、たぶん異世界との条約についても色々と折衝が必要になってくる。
違反の代償として、異世界の他の国も何かリスクを負うことになってしまったら、ヴィラマインの国はそちらにも賠償が必要になるだろう。
当然、それを救える国は少ない。ヴィラマインへの求婚者も全員ではないだろうけれど少なくなる。
そこにディナン公子の国がごり押ししたら、たぶんヴィラマインの国は断れない。
「そうか……警察」
ディナン公子は、警察を呼んでことを大々的にすればいいのだ。
大騒ぎになったら、ヴィラマインの国から持ち出された卵だと、簡単に広められる。
もしかすると、ヴィラマインの求婚者を自主退場させるために竜の卵を持ちこむ時に、露見した時にはヴィラマインの国のせいにできるよう、準備されていた可能性もあるんだ。
その前に止めるしかない。
今なら関係者と……うっすら動物園から吠え声と竜の頭が見えるので、それを目撃された程度で済む。
「エド、あの竜を倒せる? ヴィラマインのせいにならないよう、隠したいの」
それをお願いできるのは、エドしかいない。
私は、エドがルーヴェステイン最強の騎士で、魔獣を一人で倒せることを覚えていた。
でもエドにだってできないこともあるだろう。その場合は次善の策を考えるしかない。
エドは驚いた様子もなく答えた。
「できます。剣もありますので」
言われてみれば、エドは腰に剣を下げていた。あれ、でもこちらではずっと帯剣してなかったはず……。
「電話のことを相談したら、殿下が車のトランクに積んであるものを使うよう、許可を下さいましたので」
え、あの黒塗りの立派な車に、いつも剣積んでたの? でもラッキーだった。
それじゃお願い……と言いかけたところで、エドが言葉を遮った。
「一つだけ、願いを叶えて下さるのなら」
その表情がやけに真剣で、妙に引っかかったのだけど。
「うん、何だって聞く」
ヴィラマインを守るためにも、あの大変むかつく公子の陰謀をすりつぶしてやりたい。それにエドにだって戦わせるという負担をかけさせることになるのだ。
その代償なら、エドのお願いを聞くぐらい造作もない。
それにエドは、迷惑なことを思いつきはするけれど、酷いことはしないって信じてるから。
「ではすぐに終わらせます」
剣を抜いたエドは、竜に向かって走り、倉庫の屋根を踏み台にして飛び上がった。
 




