2-8
戸惑っていると、今度は階下の玄関扉が開く音と「ただいまー」というお母さんの声が響いた。
当然、私の部屋から漏れ出る子竜の鳴き声が聞こえたんだろう。
「ちょっと沙桐? 猫拾ってきたんじゃないわよね?」
お母さんの声が、ちょっと危険な雰囲気が漂う低さになる。
う、まずい。
ずっと昔に猫を拾ってきたことがあるんだけど、飼ったはいいけれど元々病気にかかってたらしくて、すぐに死んじゃったんだよね。
そうしたら私じゃなくて、お母さんがすごいペットロスになっちゃって、以来絶対にうちで動物は飼わないという決まりができたのだ。
拾ったわけじゃないけれど、動物がいると思われたらまずい。
「わわ、わたし! 気分が乗って動物の真似してたの!」
「頭大丈夫? 誰に似たのかしら……」
そう言いながらも、お母さんは納得したようだ。
……なんだろう。ほっとしたような、すごく打ちのめされたような複雑な気分だ。
だって自分の娘が、唐突に動物の真似をしてても不思議に思わないとか。どういうこと。
いや、そもそもこんなことになったのは、わけのわからない荷物を玄関前に置かれたせいだ。
「貴様、我が母上とどうやって話をしておった? まさか母上をどこかに隠しておるのではないだろうな?」
しかも置き去り子竜は、私に変な疑惑をかけて部屋の中をまた走り回り始めた。
「母上、母上、どこにいらせられます!」
「ちょっと! 壁蹴らないでよ!」
「引き離そうとするとは、ますます怪しい!」
トカゲをようやく捕まえたものの、物音と声でお母さんが不審に思ったようだ。また階下から尋ねられてしまった。
「沙桐ー。まさか誰か家に来てるの?」
「ち、ちがうよー。ちょっと教科書の朗読の練習してるの!」
お母さんにとっさの嘘をついた私は、ひっつかんだトカゲの頭の側で、ささやき声で絶叫した。
「ちょっ、小さな声で話なさいよぉぉぉ!」
「主以外に従う気はない。我を意のままにしようとする不届き者など、人飲みに――」
私の意見など全く聞く気がないトカゲに、私もぷちっとキレそうになる。
「……私の友達はあなたが母上と呼んでいたヴィラマインさんです。カッコイイ! と心酔してくれてます。そんな私を丸呑みすると、非常にヴィラマインさんの恨みを買うでしょう。捨てられたいの?」
「す……捨てるわけがなかろう! 我は希少な飛獣ぞ!」
でも声が揺らいでいるということは、自信が少しないようだ。
そういえば、留学前まで世話をしていたようなことをヴィラマインが言ってたっけ。ということは、ヴィラマインが留学後、この子竜は置いて行かれたとか、捨てられたというような気持ちになっていたようだ。
可哀想かもしれないが、私の状況を改善するためにも、遠慮なくそこをつつかせてもらおう。
「ふうん? ちなみにここは異世界なのよ。こっちではあなたみたいな魔獣のたぐいは、一切持ち込み不可なのよ。あまり言うこと聞いてくれないようなら、ヴィラマインに再会させることなく、どこかの路上に放置してあげる。見つかって速やかに処分されるでしょうよ。ヴィラマインも自分の国に迷惑がかかるとなれば、あなたのことを知らぬ存ぜぬで通すでしょうね」
「ぐぉぉぉ。貴様、我を苦しめるため異世界から来た悪鬼か!?」
「あーここ異世界だからー」
トカゲの抗議は、左手で耳ほじほじしながら聞き流す。
「で、お返事は?」
「くうぅぅっ」
「わかったら『にゃー』と鳴いてみてくれる?」
「……に、にゃー」
子竜が敗北し、私が勝利したその瞬間だった。
がらりと窓が開き、そこから入ってきた人物がいた。
二階の窓からあっさり侵入、なんて幽霊レベルの真似をしたのは、エドだ。ご丁寧に窓枠から降りる時に、きちんと靴を脱いでくれた。
「あらいらっしゃい。でも玄関から入ってよ」
呼びつけることになったのは私のせいでもあるので、あまり言いたくはないが、やはり女性の部屋に窓から侵入というのはどうなのか。
やんわりとひそめた声で抗議すると、エドは大きな声は出されたくないということを察したのか、小声で反論した。
「殿下から、あまり周囲にわからぬように接触し、素早く目的物を輸送するよう命じられましたので」
「日本で二階の窓から侵入とか、ものすごく目立つ気がするんだけど……」
気になって窓の外を確認するが、家周辺の路地には幸いなことに人通りも車も全くない。
ほっとして部屋に視線を移すと、他人に猫の鳴きまねを聞かれた子竜が、絨毯の上でうつぶせてじたばたしていた。
「ぐぉぉぉ。誇りある竜の子が、他の動物の鳴き真似を他の人間にまで聞かれるなど、恥で死ねる!」
「大丈夫だって。子供の頃の失敗は、みんな黒歴史として抱えているわけだから。成長したら、おいたしない限りは言及しないであげるから、ね?」
ここぞとばかりに、子竜に自分の指示に従うよう、脅しをかけておく。
何度もお母さんに不審がられてはたまらない。きっちりとわからせておかなければ、このカオスな部屋に突撃されてしまう。
ただでさえエドがいる今……そうなったら、もう私にはどう言い訳していいのかわからなくなる。
「ううぅぅう」
子竜が苦悩する様を見ていると、側にやってきたエドが質問してきた。
「師匠、何か秘密をお持ちなのですか?」
「秘密っていうか、子供の頃の他人に知られたくない失敗とか、あるでしょう? てか、女の子の秘密を暴いちゃだめにきまってるじゃない。聞くのも禁止!」
そこを突っ込まれても困るので、適当な返事をした私だったが、後で考えてみれば、こんな言い方をするべきではなかったのだ。
「女性特有の秘密ですか? 一部だけでもお聞かせいただくことはできないのでしょうか」
「なんでそんなもの聞きたがるの?」
「女性について深く理解したなら、王子の伴侶を探すにも有効と言ったのは師匠です。なのでぜひ情報が欲しいのです。ご協力を」
……確かにそんなことを言ったような気がする。けれどその対象は、個々人の黒歴史のことではない。
そして私の黒歴史といえば、異世界の留学生と漫画かおとぎ話かという恋愛をするというあれだ。とてもじゃないが、留学生であるところのエドなんかに言えるわけがない。
「い、言えないっていうか。私の秘密なんて、女の子を理解するのに関わりない代物だから」
恥ずかしさに顔を背けて嫌がると、エドが何かピンときてしまったようだ。
「師匠のお考えを笑う気はございませんよ。だからどうぞ、心を安らかにして私に打ち明けて……」
そう言いながら、エドは私の腕を掴む。
「腕を掴まれて、心を安らかにできるもんですか」
「師匠が逃げようとなさるので。聞きだそうと思ったら、こうするしかありませんが」
「もうっ、今はそれどころじゃないってば! アンドリューからこれを持って行ってって言われてるんでしょう?」
「…………使命は果たさねば」
ようやくエドが腕を離してくれたので、私はまだ「うぐーうぐー」と言っている子竜に言い聞かせ、元の箱の中に入れ、もう一度包装紙で包んでテープでしっかりとめ、エドに渡した。
受け取ったエドは窓枠に足をかけて靴を履きなおしたところで、ふいに私を振り返った。
「そういえば」
「そういえば?」
何か言い忘れたことでもあったのかと思ったが、
「師匠の部屋を見て思ったのですが……師匠は、女性だったのですね」
「は!?」
「それでは御前、失礼」
エドは言い置いて、忍者のごとく窓から近くの路地へ飛び降りると、恐ろしい速さで走り始めた。すぐにその姿が見えなくなる。
「……一体、何?」
急に何を言い出すんだあの騎士は。
最初こそ面食らったものの、あとからじわじわとむかついてきたのだった。