37
あの事件から一か月が経った。
放課後、以前オディール王女が連れてきてくれた河原に、私やエド達、笹原さんやオディールと……震えるキースが集まっていた。
「こ、こ、こわいっ……」
「でも貴方が前に出ないと話が始まらないでしょ」
キースは、おどおどと笹原さんに訴えている。こちらの視線から隠れようと猫背気味になって笹原さんの背後に潜みながらも、ちらちらと私の方を見る。
人慣れしていない、怯えた野生生物状態だ。
そんなキースは、あの時救急車で運ばれてから、一週間後に退院してきた。
なんとか新たな記憶と折り合いをつけたらしく、医師に『あの時の自分は、どうしてか錯乱していた』と言い訳して、ようやく釈放となったらしい。まぁその辺は、予想通りだ。
更に私のもくろみ通り、完全に人が変わってしまった。
ベースは間違いなくあのキースなのだが、
「こ、怖い……私は、あの悪魔のような女に近づくのは嫌です」
まず、怖ろしく丁寧な言葉になった。
これは女言葉が口から飛び出してしまうのを直した結果らしい。丁寧語ならばフェリシアの記憶も抵抗がないようで、自然と話せるようだ。
それでも退院直後は、女の子言葉が頻繁に口から飛び出したようだ。
『大丈夫だったのか』
教室に入ってすぐに男子達に気遣われたキースは、
『う、うん。平気だったわ……ありがとう松原クン』
とおしとやかに返して、クラス中がドン引きしたらしい。
……とてもとても見たかった。
それからずっと、異世界で心労が祟ったんじゃないかと、クラスの人々は腫れ物を扱うようにキースに接しているとか。
これらは全て笹原さん情報である。
その笹原さん曰く、ドン引きされたのは、内股だったのも原因の一つだろうという話だ。
フェリシアの記憶がなぜそこに癖付けをする結果になったのかは、誰も想像しようがないが、キースの内股は、未だに治りきっていない。
気持ち悪いのでオディール王女も直そうと注意しているようだが、笹原さんの背後に身を潜めているキースの足先は、今日もしっかりと内側を向いちゃってる。
「あれ、どうしてもすぐには治せなかったのよ…ちょっとしたフェリシアの呪いですわね」
オディール王女が生ぬるい表情で、内向きのつま先を眺めている。
「それにしても笹原さんは本当に菩薩のような人だわ……」
彼女はしみじみとそうつぶやいた。
あれほど酷い目に遭ったというのに、キースが背後に隠れるのを許容してやっているのだ。教室の中では、事情を知っているだけに黙って居られなかったのか、仏心を出してキースの女言葉のフォローをしているらしい。
うん、間違いなく私なら遊び倒してる。
今もちょっかいをかけたくてたまらない。ついつい我慢できずに話しかけてしまう。
「ちょうど良く大人しくなってよかったわーキース子ちゃん。でもこれでほら、いつでも大好きなフェリシアちゃんと一緒でしょ? 望み通りなんじゃないの?」
話しかけながら一歩近寄ると、キースが「きゃっ」としゃがみ込む。
……うん、キモイ。
元からキモかったけど、今度は別なベクトルに向かってキモさが大爆走している。
笹原さんの方は、げっそりした表情で言う。
「なんかそれフェリシアさんが可哀想……。よもや兄がこんな変態だと思わなかったでしょうに」
「それもそうね。でもまぁ、フェリシアさんが自ら天罰を下し、兄の性格を立て直してくれたんだと思えば……そもそも、彼女の願いはこれで叶ったも同然だし」
「願い?」
首をかしげる笹原さんに、私は微笑む。
……私から記憶が引きはがされる時、最後に浮かんだ言葉。
それはフェリシアが願ったことだろうと思うのだ。
――浮気者のお兄様なんて!
その言葉は、間違いなく私の考えたものじゃない。
だが兄にも見捨てられて死に、当のキースがオディールと別れた事も、他の人を妹の代わりにしようとしたことも知らないはずのフェリシアが、そんなことを考えられるものだろうか?
もともと私は、記憶そのものを取り出すということに、違和感があった。
ただ異世界の魔法なのだから、パソコンからデータを取り出すように、そういうことができるのかもしれないと思っていたのだが、その言葉を思い浮かべた後で一つの仮説を思いついた。
彼女の記憶とは、彼女の魂の欠片だったのだと。
魂なら、笹原さんの中で新しい記憶を得て、新たに何らかの感情を持つことだってあるのではないか?
そしてキースが妹の記憶に浸食されながらも、ただのナルシストな変態にならなかったのは、多分同じ言葉を彼も聞いたからだと思ってる。
一度「浮気者」って言ったら、めちゃくちゃびびってたので間違いないだろう。
私が思索を終える頃、アンドリューが声を掛けた。
「さ、そろそろフェリシアを解放してあげよう」
皆がうなずく。キースも一拍遅れてうなずいた。
そう、今日はフェリシアの魂を解放するために来たのだ。
一か月もあれば記憶はキースの脳細胞に記憶されるはず。そう考えて、この日を選んだのだ。フェリシアごめん、と思いながら。
アンドリューに呼ばれたキースが、私を警戒しながら傍へと移動する。
その場でひざまずいたキース。
まずオディール王女が彼の額に指先を当てた。
『我が制約を一部解く。術の使用を許可する』
オディール王女の指先に、パチッと小さな火花が散る。キースが顔をしかめたので、静電気が走るような痛みがあったようだ。
指を離せばキースの額には赤い痕がついていた。どこか文字のように見えるその痕は、やがてすっと消えていく。
アンドリューも同じようにした。今度は青あざのように痕がつき、やはり消えていく。
二度も静電気でデコピンされたキースは、やや涙目になっていた。
「では、記憶を」
オディール王女に促されて、キースは自分の中からフェリシアの記憶を取り出す。
いつか見たのと同じ、火の玉のようなものが掲げたキースの掌の上に現れた。
フェリシアの記憶……そしてたぶん、魂のかけら。
「記憶は大地に、魂は空へ、いつかその二つが結びあわされる日まで……」
異世界の葬儀に唱えると言う聖句をアンドリューが口にする。その言葉とともに、キースは緩やかな動きで記憶の光を放り上げた。
記憶の光は浮かび上がって、細かな光の粒子になって拡散し、空に溶けるようにして見えなくなっていった。
「終わった……んですね」
しみじみとした口調で言った笹原さんは、少しだけ涙目になっていた。
ずっと自分のものだと思ってきたフェリシアの記憶が、ようやく解放されたのだ。感慨深いものがあるのだろう。
一瞬だけの付き合いだった私でさえ、ひどくほっとするものを感じる。
ややあってから、オディール王女に背中をつつかれて、キースが謝罪してくる。
「この度は……私事でご迷惑を……おかけしまして」
記憶が無くなっても、まだ内股だ。
それを見てると、私としても苦笑いをするしかない。
いろいろ大変な目には遭ったし、ただその分、私はきっちりやり返してしまっている。
最も被害を受けたのはフェリシアと笹原さんだが、フェリシアは完全にお空の星になってしまった。なので、自然と笹原さんに視線を向けていた。
彼女は小さくため息をついて、言った。
「退院してきた後、すぐに謝罪をされた時に約束してもらったので、私はそれが破られなければいいということにしました」
「約束?」
「二度と他人に術を使って迷惑をかけない」
笹原さんの言葉に、キースがうなずいて肯定した。
「もう、妹のことは思い切り……切れました。術については、使えることは他の方には明かさず、王女が命じられたときだけ、としたいと思っておりますの……あっ」
しおしおとうなだれながら語ったキースは、最後が女言葉になって、お淑やかに手で口を押さえる。
アンドリューとオディールが、遠い目をした。
笹原さんが頭に手をやる。
エドですら、多少頬がひきつっていた。
うん、この調子なら大丈夫だなと、私は妙に安心した。
またしてもキースが変に恋愛でもしない限り、笹原さんとの約束は破られはしないだろう。
「じゃあ、帰ろうか」
アンドリューの言葉に皆が動きだす。
「待ち合わせに遅れちゃうわ。一端マンションに戻るわよ」
オディール王女がキースを指先で呼んで言った。
立ち上がったキースは、困り顔で両手をもみながら進言した。
「本当に行かれるのですか? だって、他の見知らぬ人も多いのですよね、合コンって」
「合コン!?」
とんでもない単語に、私は思わず目を見開いた。
だってオディール王女が合コン! 確かに、他国から婿を迎えるつもりだという話は聞いていたが、こんな急に!? と驚くしかない。
「ていうか、一体誰と?」
「主に留学している皆さまと、そのお知り合いの……少し年上の、こちらの世界の方々もいらっしゃるそうですよ」
すらっと答えてくれたので、なるほどと納得した。
それなら他国の年が合う王子なり公子なりと交流できるだろう。意外に積極的だなオディール王女と思っていたら、横からエドが勢い込んで頭を下げた。
「お待ち下さい! ぜひうちの殿下も飛び入り参加させて下さい!」
「っ!?」
アンドリューも入れてくれ。その言葉に驚いたが、すぐに「エドならばそう言ってもおかしくなかったか」とも思った。
彼は最初からアンドリューの嫁探しをする気満々だったのだ。最近は私の後をついて歩いてたし、ヴィラマインにもそうそう迷惑をかけなくなったので、すっかりその話を忘れそうになっていたが。
しかし合コンの飛び入り参加ならば、エドにしては良い思い付きだ。そういう目的で皆集まっているのだし、誰にも迷惑はかけないだろう。なにせ参加者はエドではなくアンドリューなのだから。
「……げ」
後ろで珍しくアンドリューが呻いている。
あれ、君はもしかして結婚相手を探したくないのか?
しかしオディール王女は楽し気にエドに答えていた。
「飛び入り参加でも大丈夫だと思います。立食形式だと聞いておりますし。主催に連絡しておきますね」
「立食?」
合コンに似つかわしくないような単語に首を傾げた。
普通の高校生の合コンといえば、せいぜいカラオケだろうと思っていたのだが。一体どこで立食形式での合コンができるというのか。
「パレスティンホテルですわ。3F蘭の間と聞いています」
「あ……ホテル」
さすがは異世界の王侯貴族。合コンは有名ホテルでやるんですか。
久々に、ちょっと王女様達との育ちの差というやつを感じる後ろで、アンドリューがエドを制止している。
「僕は今日用事が……」
「そこまで重要人物と会うような予定はないはずです! こんな引き気味ではいけません殿下! もっと押していかなければ!」
「引き気味ってわかってるなら、もう少し察してくれないかなエド」
そこでエドを援護したのはオディールだ。
「アンドリュー殿下、リーケ様達もいらっしゃいますし、出会いの場というよりは交流のつもりで一度お試しになってはいかが?」
「いかが? って、まさかオディール様、もう何度か開催及び参加済み?」
妙に慣れた様子から推測して言えば、彼女の一歩後ろでキースがうんうんとうなずいていた。
「今月でもう三回目です」
積極的だな、オディールさん!
私をびっくりさせたオディール王女は、いいことを思いついたとばかりに手を打つ。
「そうだわ、アンドリュー殿下は初めていらっしゃるから不安なのでしょう? でしたら沙桐さんも一緒に来ていただいては? お二人でお話しながら、今日は会場の様子を眺めるくらいにしてもいいと思うの。いい思いつきだと思いません?」
自分の思いつきに、オディール王女が満面の笑顔を浮かべて自画自賛する。
「全くもって、大変素晴らしい提案です」
エドがよいしょした。きっとアンドリューの花嫁探しが一歩前進するのならば、問題ないと判断したのだろう。
私はその二人からそろりそろりと離れようと後ずさる。
「いや~、別に私は相手とか探してないし。そうだ笹原さん、この後一緒にマイスタードーナツにでも……」
笹原さんは巻き込まれまいとして、両手を振って「ごゆっくり、沙桐さん」と早々に戦線離脱した。
するとエドが私へと一歩詰め寄り、両肩に手を置いた。
「大丈夫です師匠。あくまで師匠はアドバイザー。虫がつくことを厭われるのであれば、私が傍についてしっかりと警護いたします」
「いや、その……」
断ろうとするが、エドではきっと言葉が通じないに違いない。
だからアンドリューがんばれよと思ったのだが、
「仕方ないな……。居るだけだからね? あと沙桐さんと一緒なら同行するよ」
ため息をつきつつ了承した! なんでだ!?
「うれしいわ! 人が増えるのって楽しいじゃないですか。後で合コンのお話が沙桐さんともできるのがいいですわね」
「いや困る! そうだ私ホテルに着ていけるような服がない! ああどうしよう~やっぱり行けないわ~」
「そんなもの、私が貸しますとも」
「いえでもサイズが……」
「フリーサイズのものもありますし、調節ならば侍女がしますわ」
私の口を封じたオディールは、早速どこかへ電話をかけ始める。
いや、待ってと手を伸ばしたが、その指先をエドに掴まれてしまった。
「ご観念下さい、殿下のためです師匠」
さらにはその主が、疲れたような笑みを浮かべて言った。
「……いろいろ手伝った御礼に、僕のことも助けてくれるよね?」
そうして私は、ルーヴェステインの王子の車に乗せられて、異世界人同士の合コンの場へ連れていかれることになった。
まずはオディールのマンションへ、買われた牛のごとく移送中だ。
逃げないように両脇を主従に固められ、白い化粧大理石も美しい高級マンションの前で降りたところで、アンドリューが囁いてくる。
「そうだ、沙桐さんに言わなくちゃいけないことがあるんだ」
「え、何?」
言わなくちゃいけない、ってすごく不穏な言葉だなと思いながらアンドリューの方を向けば、彼はにっこりと微笑んでいる。
「制約なんだけど」
「あ……」
そこで私はハタと思い出す。知識はフェリシアから拝借しながらも、意識は完全に日本人だったから、制約が自分に対しても有効な代物だなんて考えもしなかったのだ。
異世界人だし、言わなきゃいいよね? みたいな感じで。
「あ……その。私も制約受けなきゃいけない……のかな」
異世界人達が秘密にしたかったもの。
それは『術』だ。
何かのために、敵になりうるかもしれない相手に、奥の手を隠したいと望むのは当然のことだろう。いずれなにかの拍子にバレるにしても、遅ければ遅い方がいい。だから異世界の王達は協議の上、国民に制約を課したのだ。
決して『術』のことを口外しないよう。
そして異世界で『術』を使わないように。
とても大変な作業だったようで、様々な形で簡略化しながらも王族総出での作業に疲弊したようだ。けれどおかげで、同じ秘密を作り上げたのだからと、国同士の親密さは上がったらしいが。
さて、日本人の日本生まれな私は、当然制約の範囲外である。
ただし想定外の事態のおかげで秘密を知ってしまったのだから、口外しない制約をかける必要が発生してしまった。
ただ、私はアンドリューの国の民ではない。記憶をのぞき見たものの、笹原さんほど浸ってはいない私は、ちょっと誰かの自伝を読んだような気分でいるのだ。
制約を課せられるのは抵抗があったのだが……。
「ああ、別に大丈夫だよ」
「え?」
「制約を改めてかける必要はないと思う」
「い……いらないの?」
確認すると、アンドリューがあっさりとうなずいて言った。
「君に、制約の代わりになるものを持たせているんだ。それさえ手放さなければ別にいいよ」
「え? そんなものあるの? って何か持たされ……」
そこで私は思い出す。
ルーヴェステインの慣習。子供に親が送る青い石。
「え!?」
思わずシャツの中から引っ張り出す。
これ!? と声も出せずに指させば、アンドリューが「それそれ」と肯定した。
しかしこの石が制約の代わりとはこれいかに!? 相変わらず声もないまま石を見つめていると、エドが言いにくそうに告げた。
「師匠……それは親が子を保護するためでもあり……使いようによっては、お守り以上のこともできるわけでして」
エドの言葉に、アンドリューが続けた。
「君にあげたものについては、僕の制約もつけているんだ。持っていれば、本人に制約をかけずとも、持ち主がそれに反した行動をしようとした時に、なんらかの注意が君に与えられるはずだよ」
私はぽかんと口を開け、ややあって絞り出すように尋ねた。
「注意って、ナニ?」
「ちょっと静電気でびりっとするのに似た感じになるかも。あと僕にもそれがわかるようにしてある」
更なる説明に、ようやく私は理解した。
てことは、私はお守りだと思って、ペナルティ用の弱スタンガン的な機能までついた代物を、知らずに持たされていたってことだ。
「お守りと偽って罠しかけられたような気分なんだけど……」
「僕が禁止したいと思っている事をしたときのみだよ? 君は何も言わないだろうし、フェリシア嬢の記憶を見て、言ってはいけないことだとわかっているだろうけど、無理やり言わされる状況っていうのもあると思うんだ。その時に助けに行けるようにと思って」
「助けるって、どうやって」
「そもそもこのお守り、子供の迷子用だから」
なんと、迷子になった我が子を探せるようになっているらしい。
「何それ、GPS付き?」
しかし、私の居場所までわかるのかよと呆れていると、エドが落ち着かない様子でとりなし始めた。
「えと、師匠。そのおかげで今回、師匠の居場所がすぐわかって、救出にかけつけられたわけでして。一応守り石というのも嘘では……」
必死で言い訳しようとするエドを遮るように、マンションの自動扉が開いてオディールが呼んだ。
「早くいらっしゃい沙桐さん! 準備が間に合わなくなってしまうわ。殿下方は現地でお会いしましょうね」
そのままオディールは私をマンションの中に引っ張り込み、話はそこで途切れてしまう。
とりあえず、なんでこんなものを渡されたのかは分かったが……。
再び服の下に下げた青い石を上から手で押さえて、私はため息をついた。
なんでだろう。捕獲された獲物にされた気分になったのだった。