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「……魔法?」
記憶を植え付ける。
異世界で育った人がそんなことをする方法など、この言葉しか思いつかなかった。
「君たちの言葉ではそう言うのだったな。我らの……」
キースが答えようとした瞬間、彼の体の上に、静電気の火花が鎖のように連なって現れる。
はじける音や痛みに不快そうな顔をしながらも、キースは言葉を続けた。
「我らの術は、君たちの世界で物語られる魔術のようなものだ。すべての者が扱えるわけではないが」
言いきった後、火花は消える。けれど火花の熱で溶かされて、キースのジャージの上着が所々解けて穴が開いていた。
「これで済んで幸いか。制約を破ったわりにと言うべきか、こちらの防御が勝っただけか」
そう言いながらキースは上着を脱ぐ。
下に着ていた白っぽいTシャツは無事だったが、代わりに腕や襟元から覗く肌には、インクで描いたような模様が見える。キースの言葉を素直に解釈するのなら、その模様のおかげであの火花に襲われても無事だったということなのだろう。
唐草模様にも文字にも似ているその模様に、私はハッとした。
「まさかその模様を隠すために風邪のふり……」
だからずっとジャージの上着を脱がなかったのか。そしてもう一つ、風邪で休んでいるふりをして、笹原さんの体調を何らかの方法で崩させて、密かに連れ出すためにこんなことをしたのだと、私は気付いてしまった。
「ああ分かってしまったか。そうだ。あちらの世界では最近、この方策を練っては摘発される者が後を絶たないからな。
水に濡れたら落ちる染料で描いているとはいえ、王族や他の騎士どもにでも見られては、慌てて消してもどう追及されるかわからないからな。でも気付いてももう遅い。あと少しで妹の記憶は取り出せるんだ」
キースはそう言って小さく笑った。
私は返す言葉すら浮かばない。
理解できる事象についてはそうして頭が回る。でも、記憶を植え付けるとか魔法についてはだめだ。
こんな本当に理解できないファンタジーで来られては、私には何にも対抗できそうにない。
高校生の浅知恵で、どうやって本物の魔法に立ち向かうというのか。
私に有利な物理法則もない。そして私の知っている世界には魔法なんてないから、どういったメカニズムで発生させているのかもわからないのだ。
でもわかったとして、私に何ができるというのか。
今ぼんやりとしている笹原さんを奪還して、彼女に影響はないのかもわからない。そもそも魔法が使えて自分以上の身体能力を持つ人間相手に、何もかも劣る自分では対抗できないのだ。
と、そこで思い出す。
(そうだ、エド……)
他国からも最強認識されているというエドなら。
ポケットの携帯を握りしめ、笹原さんに呼びかけはじめたキースからそろりそろりと距離をとりはじめる。
しかしすぐに気付かれた。
手に衝撃を受けて我に返った時には、傍にやってきたキースに右手を上げさせられて地面に転ばされ、携帯を取り上げられてしまっている。
座り込んだ態勢になる時に、腕を引っ張り上げられているから膝をすりむいたりしなかったとはいえ、多少は痛かった。
そしていつかの、押さえつけられた時のことを思い出す。けれども私に無体を強いればどうなるかというのは、キースも私もわかっている。
だからこそ今度は、むやみに怖いと思わなくなっていた。
絶対にエドやアンドリューは私にしたことを見逃さない。
そしてキースも、跡が残るような所業はできないだろう。異世界は厳格な身分差があって、王族の意に反したことを起こせばどんな目に遭うかわからないのだから。だからキースは、決して自分を傷つけられない。
――そう信じられるのは、エドとアンドリューが尽力してくれたからだ。
一人じゃない、一人で全て解決しなくていい、と。
だから睨み上げる気力もあった。
「いくら他国とはいえ王族を呼ばれては困るんだ」
そう言ってキースは私の手を離すと、携帯を林の中に投げ捨てる。落ちる音がどこかからかすかに聞こえたが、すぐに捜し出すことなどできないだろう。
「黙って見ていろ。どうせ、後でお前の記憶も消すんだからな」
「消すって……どうやって」
思わず尋ねたところでキースに失笑された。
「さっきの言葉を聞いていなかったのか? 俺たち異世界人は魔法を使う。生まれついての力だから、それぞれに一つの能力しかないが。私の能力は記憶を取り出して自分のものにする、もしくは他者に与えることができる事だ」
「そんな、だって魔法があるなんて今まで聞いたこともない」
私は思わず否定してしまう。
なにせどんな異世界旅行の話でも、今までの在校生の話でも、一切魔法があるなどという話はなかったのだ。
「もちろんそうだろう。異世界の王族達は、全員一致で魔法のことを他世界に漏らさないと決めたのだ。そして自国の民すべてに制約を課した。破れば、先ほどの火花などものともしない負荷がかかって、下手をすると命が危うくなるようなものをな」
火花のことを言われると私も言葉に詰まる。
あの不自然に発生したものを、どうこじつけたらいいのかわからないのだ。静電気でも火花は散る。けれどあんな派手に、鎖のようにつながって戒めているような火花など、ありえないことだ。
「それにお前はおかしいと思わなかったのか? 転生? 前世の記憶だと? それこそ魔法以上に荒唐無稽な代物じゃないのか?」
ぐっと歯を食いしばる。
キースの言う通りだ。転生だってあるかどうか本当にはわからない代物だ。
ただオカルトな話で前世の記憶があったとか、一致したという話を見聞きすることがあるから、転生という話の方が私は受け入れやすかったのだ。また、そうでもなければ、他人の記憶を詳細に覚えていることなどあり得ないからと。
しかしこれだけ色々と見せられては、私も魔法だということは認るしかなくなっていた。
「なんにせよ、もう笹原柚希は使えない……。記憶を消し、新たなフェリシアを手に入れなければな」
「あくまでフェリシアを増やす気なの!?」
被害者を増やす気かと驚けば、キースは何を当然のことをといった表情になる。
「新たなフェリシアを作り出したら、連れて帰るためだ」
「は!? まさか笹原さんがあんたに転んだら、異世界行きにするつもりだったの!?」
「なぜ驚く。記憶を得た新しいフェリシアは、もう私とは兄妹ではないのだ。何をはばかることもなく一緒にいられるのだ。それに心を通じ合わせた相手だというのに、世界が違うからと捨てていくなど、非情なことができるものか」
いや文字通り世界が違うわけですけどね? とツッコミたい気持ちを私は抑える。
今大事なのはそこじゃない。
「フェリシアを作って、結婚するつもり……だなんて」
なんとか被害者拡大は防ぎたい。
けれど妹大好きな末に記憶を他人に植え付けて妹代わりにしようなんて変態、どんな言葉を使えば説得できるだろう。
全ての手段が塞がれた。そうとしか思えない状況の中、第三者の声が耳に届いた。
「全部、うそ……」
地面に寝転がらされたまま、ぼんやりと空を見つめていた笹原さんだ。
その目から流れた涙が、こめかみを伝って落ちる。
「悩んだのも、苦しいと思いながらも決めたことも、過去だと思って忘れようとしたことも、全部全部うそで。私は……他人の記憶を自分のことだと思ってたのなら、私が感じた気持ちも全部嘘なの? わからない、わからないっ」
ぽつりぽつりと涙声でつむがれる言葉に、キースも困惑したように黙り込む。
「笹原さんっ」
私は急いで立ち上がり、駆け寄ろうとした。
一歩・二歩。私が進む間に、意識がはっきりしてきたのだろう笹原さんが立ち上がる。
そうして何をしようと思っていたのかはわからない。けれどキースの術というのは、めまい等を起こさせるようなものだったのだろう。
笹原さんはふらりと倒れそうになった。
後ろは崖だ。
私はとっさに手を伸ばす。
先に走り始めていたのが功を奏した。笹原さんの服に手が届く。
つかんだ。
けれど引っ張られそうになって、私は笹原さんを振り回すようにして崖と反対方向に引っ張ってその服を離した。
代わりに私の体が崖へと放り出される。
けれど不思議と、後悔する気はなかったのだ。なんだ私けっこう上手くやれたと思った。
この瞬間に思ったのは、後でエドが「師匠! 私を置いていくなどどういうことですか!」と嘆き悲しむかなってことだけだった。