19
二年三組のアンドリューが女の子と付き合いだした。
他クラスの女子と、手を繋いで登校してきたのだから間違いない。
その話は学年中を吹き荒れた。
彼が異世界の王子様だったせいもあるが、あと半分は傍若無人なエドのせいだ。
噂の最後の方は、
――あんな騎士がそばにいるのに、その女子は平気なのか!?
という内容だったのだから。
「ほほほほほ、ほんとですのっ! その方エドさんに絡まれたりしていません!?」
このうわさを聞いて、ヴィラマインは顔を青くして笹原さんの安否を気遣ってくれたが、
「面白いことになりましたわね。……で、どういった企みなんですの?」
初っぱなから私が計画した事だと決めつけたのは、リーケ皇女だ。その後ろにはエンマ姫と、彼女にひっぱられてきたらしいユリア嬢とソフィー嬢までいた。
やぁ華やかだな。きれいどころに囲まれて私は幸せだ。
ほらクラスの男子達も、お姫様達が集結しているのを見て嬉しそうに口元がゆるんでいる。ふふふうらやましかろう。
ちょっと現実逃避しかけた私を、リーケ皇女が現実に引き戻した。
「はい」
手を差し出され、私はぽんと紙袋で包装したブツを載せた。
中身は件の品。
なぜか戦術シミュレーションという色気のないゲームをしていた彼女のため、秘蔵のゲームを貸すことにしたのだ。
まごうかたなき女の子向けの乙女ゲームである。
実は、今流行のネタは『現実にありそうでない』異世界の王子様たちとの恋愛だ。けれどリーケ皇女には面白くないだろうと、流行を外したオーソドックスでファンタジーの関係ない学園物を用意した。
これが秘蔵の品である理由は、ゲームしてると「ああ、異世界なんて関係ない世界こそが、自分の生きる場所なんだな」と戒められるからである。
なので発売して一年たつが、三ヶ月に一度くらいの頻度で、このゲームにはお世話になっていた。
リーケ皇女は「楽しみですわ」と少し頬を上気させている。しかし次の瞬間には、口元をにやりと笑みの形に変えて迫ってきた。
「さ、どんなことを企んでいらっしゃるのかそろそろ教えて下さらない? 沙桐さん」
「なななな、なーんにもですよリーケ様。うふふふ。あれは年頃の男女であれば自然ななりゆきでして。アンドリューが穏やかで優しい女の子に出会って、彼女もアンドリューのことが好きになって、おつきあいいたしましょうと言った結果でありまして……」
「その口調、うさんくさいわね……」
エンマ姫がずばり切り込んでくる。
「特に誰かを気にした様子もなかったアンドリュー殿下が、唐突におつきあいを始めたのですもの。疑って当然じゃない?」
「そんなこと言われても、男女の間のことなんて、一目惚れとかいろいろあるわけで。私にはさっぱり」
なんとか逃げを打とうとするが、エンマ姫は逃してくれない。
「アンドリュー殿下がおつきあいしている方、沙桐さんが最近随分と親しくしていたようですわね? なんでも騎士エドまで使って連れ出したりしていたと聞きましたわ」
「え、そうなんですか?」
事情をよく飲み込めてなかったソフィー嬢が驚き、ユリア嬢が目をきらきらさせた。
「まさかまさかっ、思い悩む彼女を見てアンドリュー殿下が物憂い表情にひかれたとか!? かわいそうな彼女に最初は同情を感じていたけれど、会う度にひかれていく気持ちが芽生えたとかっ!」
「そんな恋愛をするようには見えないでしょ。アンドリュー殿下の異性に興味がなさそうな草食系を装った感じからして、か弱い女の子が好みなら、邪魔な男を陥れてからじっくり落とす手で来ると思うわ」
エンマ姫がユリア嬢の妄想を一刀両断した。そして私はちょい気の毒になる。
その評価では、あんまりにもアンドリューがかわいそうだよ。乙女みたいな恋に憧れてたらどうするんだい。
とはいえ、どう考えたってこんな教室の中で、あれこれと話せるわけもない。問題が片付いた後にだったら、お茶会で協力してくれたみんなには少しアレンジしてあたりさわりなくした形で、事情を説明しようとおもっていたのだが。
「勘弁して下さいよぉ~。人の恋愛に頭つっこみすぎると、馬に蹴られるんですよー」
あくまで自分は交際動機を作り出していないと主張してみる。
するとソフィー様が賛同してくれた。
「そうよね……人の恋愛ごとですもの、そっとしておく方が……」
「確かにそうですわね。たとえ沙桐さんが計画したものでも、アンドリュー殿下だって嫌でしたらそんな真似などなさらないでしょうし」
……ヴィラマインさん。さりげに私が計画したって疑ってないんですね。
そこからどんどんお姫様達の会話の方向性がずれていく。
「そもそもアンドリュー殿下の好みってどんな方?」
「お国でも大人しくしていらっしゃるみたいで、あまりお噂を聞かないのですわ。ただお若いのに国の防衛に関してはとても強い決定権をお持ちだとか」
「私もそう聞いたわ。騎士エドもあのような人ですけれど、能力が高いようですし、そんな騎士が側に居るのも殿下のお力ゆえのことのようですし」
どうやらお姫様たちは、エドが能力だけはあるということを知っているらしい。
「では、国防に関連した貴族の家から娶られる可能性もありますわね」
「異世界で選ぶなら、物事に動じない方ではないと難しそうですわね。あまりたおやかすぎても、大規模な討伐の際は殿下も出られるでしょうし、生きたここちがなさらないのでは?」
「どうせなら剣道などたしなんでいらっしゃる方が……」
「そもそも魔物の矢面に立つわけではないのだから、武は必要ないでしょう?」
「では王宮でサロン運営ができる能力が優先?」
「社交力はあった方がいいでしょうけれど、無くても殿下がどうにかなさるでしょう?」
人の好みを推測するのが楽しくなってきたのか、お姫様達の議論は収まる様子がない。
しかしそのおしゃべりは、次の授業を知らせるチャイムの音で制止させられた。
「ではまたごきげんよう沙桐さん」
口々にそう言って、大人しく教室から立ち去るお姫様達。
それを残念そうに見送るクラスの男子達。
ほっとしながら彼女達の背に手を振った私は、入れ替わりに教室に戻ってきたアンドリューの姿をみてはっとする。
みんななぜ本人に尋ねなかったのだろう。
疑問を口にするとヴィラマインが答えてくれた。
「沙桐さんはアンドリュー殿下といつも一緒にいるんですもの。きっと沙桐さんに聞けばすぐに教えてもらえると思ったんですわ」
「そんなにしょっちゅう……一緒か」
特に最近は、エドが私の後ろを歩いているので、エドを探してアンドリューも自然と私の所にやってきて、そのまま一緒にいるのだ。
「それに好きなんですかって直接聞くのもはしたない感じですし、策謀ですかと聞くのはもっと問題がありますでしょう?」
ヴィラマインに言われて深く納得する。
他人とつきあってるのを『何かたくらんでるの』とか、確かに聞けない。そして私が計画立案者だとすれば、私に尋ねる方が気安くて角が立たない。
理由は理解できたが、なんだか疲れてしまったのだった。
◇◇◇
しかし私の元気は、昼休みに復活する。
アンドリューと笹原さんのイベントがあるのだ!
つきあっているなら当然、お昼を一緒に食べるべしという私の指導により、アンドリューと笹原さんは目立つ中庭にてお食事をするのだ。
その時のキースの様子を見れば、これで一件落着にできるかどうかが判定できるはず。
私はスキップしながらアンドリューのことが見える場所へ配置につく。
クラスに誘いに来られるのは恥ずかしいという笹原さんの頼みにより、現地集合である。
笹原さんは、既に待ち合わせているベンチに場所取りをしており、遅れてアンドリューが現れて隣に座る。
恥ずかしそうはにかみながらアンドリューにうなずく笹原さん。優しげな笑みを浮かべて何かを話すアンドリュー。
見てるこっちまで、かゆくなってきそうな光景だ。
それなのになんだか……胃の中が重苦しい。
人の恋愛模様は見ていて楽しいはずなのに。だから喜んで観察しに来たのに。
低木の生け垣に隠れるようにその様子を見ながら、やだなぁ、と言葉がつい口をついて出そうになる。そんなつもりはなかったのに、いつの間にかアンドリューの側にいるのが自分だけだと勘違いでもしていたのだろうか。
変な独占欲を持っていたから、笹原さんと二人きりで仲良くしている姿を見ると、複雑な気持ちになるのかもしれない、と思う。
「長く一緒にいすぎたのかな……。でも友達ってそういうものだよね」
友達に男女の別がないのなら、これがヴィラマインでも私は嫉妬に似た気持ちを抱くのだろうか。
だからヴィラマインの隣に男子がいる図を想像してみた。
「師匠、ご要望の品です」
そこにエドがやってきたので、ついフルーツ牛乳を受け取りながら、ヴィラマインの隣にエドがいる姿を思い描いてしまう。……だめだ。ヴィラマインが怯えて気の毒にしか思えない。
ちなみにこの作戦のため、私はエドとランチということになったが、これはやむをえまい。
腹が減っては万が一に対応できない。そしてキースが予想外な行動にでた時のために、押さえのエドが必要で、彼も配備する必要があったのだ。
とにかく、こんな変な事を考えてしまうのは、お腹が空きすぎてるせいに違いない。
私はえいやっとヤキソバパンにかぶりついた。うん、このソースがうまい。炭水化物×炭水化物で太りそうなパンだけど、大好きだ。
そして心の中も幸せがふわりと体積を増して埋めてくれる。
すると同じように生け垣の影に体育座りをしたエドが質問してきた。
「師匠、あれこそが恋人同士のあるべき姿という奴ですか?」
「え、見たことるでしょ?」
いくらなんでもと思ったが、エドは眉間にしわを寄せる。恋愛の話をしているはずなのに、なんて形相をしているんだ君は。
「見たこと……あるんでしょうか。あまり記憶にないような」
「え! だってほら、故郷でも同じ騎士団に似た年の男子とかいるでしょ! 思春期を越えて異性への情熱に目覚めてるだろう年頃だらけのはず! 一緒に女の子をナンパしにいくとかなかったの?」
男が集まれば、一度は下ネタの話が出てくるはず。
そう思っていた私はエドにそう言ったが、彼は渋面のまま曖昧に首をかしげる。
「ナンパとは女性を誘うという意味でしたよね? それはありませんでした。確か皆が言っていました『一匹魔物を仕留めるだけで女が寄って来るんだから、わざわざ誘いに行く必要はない』と」
「……半端ないわー」
さすがファンタジックな異世界。魔物を一匹倒せば『なんで強い人なの! 惚れちゃう!』という感じで女の子が寄って来るらしい。魔物退治は命がけの作業だが、成功すると金銭以外の実入りが大きいようだ。
思えばフェリシアの話でも、キースが名声を上げるために魔物退治をしていたと書いていた。
なるほど、強ければいろいろな名声が一気にあがるのだから、オディール王女を振り向かせたかったキースがすぐに討伐に向かったのもうなずける。
しかし待て。確かアンドリューはエドがルーヴェステイン最強と言っていなかっただろうか。
てことは、エドは両手に花束状態を経験していてもおかしくないはずだ。
「まさかエド。あなたってば他人がモテる姿は見たことないけど、魔物を討伐した後はいつも自分はウハウハだったとか言わない!?」
「ウハウハとは?」
「女の子がエドに殺到して『素敵ー』とか叫ぶこと」
端的に言うとそんな感じだと思う。
しかしエドは首を横に振った。
「いや……むしろ、討伐に出た後は先輩達に囲まれて護送された上、王宮内で丁重に高級料理でもてなされた後、人目を忍ぶように布をかぶせられ、馬車にて家へ帰還していますが」
「は?」
なんだそれ! まるで料理が無ければ犯罪者のような扱いじゃないか。
討伐した功労者としての扱いが一部『もてなし』であるものの、世を忍ばなくちゃいけない行程は一体なんなのだろう。
するとうーと唸っていたエドが、はっとしたように何かを思い出した。
「いえ、確かそのウハウハに近いものが、うっすら記憶にあります」
「え! やっぱり両手に花!? 囲まれてキスの嵐みたいな?」
訳の分からない犯罪者扱いだけじゃなく、ちゃんとエドにはご褒美があったのか!
ほっとした私だったが、エドは首を横に振った。
「確かあれは十歳になった頃でしょうか。初めての討伐に参加して、戻ってきた時のことです。子供から成人過ぎの女性まですごい人数が我が騎士隊めがけて走ってきて、そのまま前にいた先輩騎士と共に踏みつぶされそうになったのです。
きっとあれは、誰かを目当てにした人の群だったのでしょうが、巻き込まれた私は心底怖ろしかったのを覚えています。なにせ相手は人ですので、反撃するわけにいかないのですから」
「…………」
絶句した。
そしてなぜ世を忍んでエドが帰還するのかを私は正確に理解したと思う。
ようするに、エドを保護する為なのだ。十歳にして女性達の『将来の有望株』と思われたエドを守るため、仕方なく人の目を避ける措置がとられたのだろう。
しかしそのおかげで、エドは普通に女の子に騒がれる経験ができなかったようだ。
それでは、先輩達やらに女性が殺到するのを眺めている場合ではない。おそらくエドがいれば、ミーハーな人達はエドに突撃を行うだろう。ゆえに先輩達も話はするものの、女性をエドがいる場所へは連れて来られないのだ。
万が一に備えて。
「てことは、人工純粋培養か……」
身の危険を優先した結果、エドは女性との接触が少なくなったのだろう。そうして彼は……思春期男子が経験する男女の機微を学び損ねたのだ。
だんだんエドがかわいそうになってきた。
思わずマヨネーズパンを口に入れたエドの肩にぽんと手を置き、つぶやいた。
「せめて留学中ぐらいは、女の子と交流できるようにしてあげるからね……」
「? はいありがとうございます?」
意味がわからなかったものの、アンドリューの花嫁獲得のための勉強だと思ったのだろう。エドは素直に礼を言ってくれた。そこがまた不憫だ。
と、そこでエドが私の注意をアンドリューへと向けさせる。
「師匠、敵がやって参りました」
私は生け垣にはりつくようにして向こう側を伺う。
アンドリューはこのイベントを成功させるため、笹原さんが作ってきたお弁当のおかずを分けてもらったようだ。
それだけでも仲が良さそうに見えるが、笹原さんがハッとした表情になる。
視線の先、遠くではあるがキースが通りがかったのだ。
それは作戦実行の合図でもある。
笹原さんの様子に、それを悟ったのだろうアンドリューが小さくうなずく。
笹原さんは決意を固めたように、ぎゅっと一度目を閉じてからお弁当箱の厚焼き卵を箸の後ろで取り上げ、アンドリューに差し出した。
これぞ恋人達のイベント。お昼時にあーん作戦だ。
実行したら、まず間違いなく恋人同士だと認定される代物である。
案の定キースはぎょっとした表情で目を見開いている。
しかし箸が震えてる、震えてるよ笹原さん! しかも手の動きがスローモーションのごとくゆっくりすぎる!
それに表情が結構必死だ。これでだませるのか不安で、こっちがハラハラする。
このままでは、先に箸から卵が落っこちそうだと思った時、アンドリューがさっさとお迎えに行ってくれた。
箸の先を加えた瞬間は、なんでか私まで恥ずかしくて顔を背けてしまった。
「おいしいよ」
と感想を言うアンドリュー。
もう一度そちらに目を向けると、そこには顔を真っ赤にしてうつむいちゃう笹原さんがいた。
よし、と思いながらも、まだ胃の中がもやもやしてきた私は、残りの焼きそばパンを無理矢理口の中に詰め込んだ。
そしてキースは――。
顎が外れるかと思うほど口を縦に開き、頬に手を当てていた。
君はムンクか。
しかし次の瞬間、口をへの字にぐっと引き結び、ハンカチを噛みしめそうな表情に変わる。
まるで、浮気現場を見た妻のような有様だったが、笹原さんは君の夫じゃないんだと言いたい。
そしてキースはふるふると肩をふるわせた後、だっとその場から走り去った。
「……よし」
見ていたこちらは「してやったり」とばかりに胸がすっとした。食べても解消しなかった胃の異変も、どこかへ飛んでいく。
私は機嫌良く生け垣から顔を出し、二人に手を振って成功を伝えた。
笹原さんはまだ顔が紅潮してるものの、ほっとしたようにほほえみ、アンドリューは小さくうなずいてみせてくれた。
後ろではエドが「人に物を食べさせると恋人認定される……」とメモしている。
そして翌日、笹原さんからキースがお葬式のような表情で哀しそうに見つめてきてはため息をついていたと報告が来た。
けれど笹原さんに接触しようとはしなかったらしい。
五組のキースを囲んでいる女子達はとても喜んでいたし、敵ではなくなったせいか、彼女達の中から更に数人が、この間のようなエド交流会は再度開催されないかと笹原さんに打診があったらしい。
「まぁ……これで一件落着?」
携帯画面を閉じながら呟く。
しかし今まで変に苦労したせいか、あっさりと決着がつくと拍子抜けしてしまう。
だからアンドリューには予定通り一週間の間、計画を続行してもらうことにした。
笹原さんには、妹扱いしてこないことを毎日確認した。
そうして日々が過ぎていき、四日目。
変態はやはり想定外な人間だったと私は思い知るのだった。