18
人のことを間男同然に扱ったキースのことだ。
ご執心の妹似な笹原さんに男が現れたらどうするのか?
「その実験をしたいと思います」
「えと……実験?」
私の提案に、笹原さんは戸惑いの表情に変わる。
なぜだろう。この上なくいい思い付きだと思ったのに。
「まずこの実験の目的は、キースに笹原さんが『妹ではない』と印象づけること。そのために笹原さんには、誰かと付き合ってもらう『フリ』をしてもらいます……って、好きな人いたりする?」
念のため尋ねると、彼女は首を横に振る。
私は安心して話を続けた。
「えーこの作戦には目的がもう一つあります」
「もう一つ?」
「笹原さん、キースのことを見ると今でもどきどきするでしょう? それは本当にフェリシアの記憶に引きずられてのこと? それとも、あなた自身の気持ちなの? てか、分けて考えられる自信ある?」
言えば、笹原さんは自信なさげに答えた。
「いいえ……。正直、どっちがどっちだか……」
「あのね、笹原さんてついキースのこと切なそうに見ちゃってるのよ」
「えっ!」
笹原さんが顔を真っ赤にする。頬を両手で押さえるなんて、女の子らしくて可愛いなぁ。私なんぞ「ぬぉぉ」と悔しげに呻いてしまうだろう。
「でもそれじゃ、キースも気があるんじゃないかって期待しちゃうと思うのね。だからまず、他の人と付き合ってみようよ」
そしたら、彼女もキースだけが男ではないと認識できるだろう。
なにせフェリシアの記憶に引きずられている笹原さんは、怖くて避けているだけで、キースへの恋心が解消されていないのだ。
一度それをリセットできる一番の特効薬は、恋だろう。
他の人に恋するか、恋愛なんてそう特別じゃないと思わせるか。どちらかができれば、兄妹だっただけという意識が強くなるはず。
そしてキースは、他者とつきあっている笹原さんを見て絶望するという図式である。
正直、その姿を想像するとぞくぞくしそうだ。変な扉を開けてしまいそうで怖い。
だが、なにもキースをいたぶるためだけの作戦ではないのだ。ほんとほんと。
他の人を好きになったのなら、キースも同じ人物だという気持ちや疑いもなくすはずだ。そうしたら、笹原さんへの執着も消滅すると思ったのだ。今朝の反応からして、心底笹原さんを妹と思っているようなので。
……まぁ、うちの妹に何をするんだと突撃してくるかもしれないが。
「問題は相手なのよ……私みたいにつっかかってこられるかもしれないし」
この間の騒ぎを聞いたことのある人なら、まずこんな話は受けない。というか、突然ある女子と付き合ってるフリしてくださいと言われて、すんなり受けてくれる人はいないだろう――約一名、何か勘違いしている人間を除いて。
「では師匠、私にお命じを」
その約一名は、いつものようにカモの子よろしくくっついてきていたので、すぐ後ろにいたのだが、案の定さっと一歩進み出て申し出てくれた。
「あんたにゃ無理」
即刻断った。女の子の心の機微が理解できない男に、昼ドラの後日談みたいな代物を任せられるものか。
状況を引っ掻き回すのには使えるが、相手をかく乱すると同時に私まで混乱させられてしまうというリスクがあるのだ。自分まで負傷しそうな爆弾を投下する勇気は私にはない。
そして私がエドに宣告した途端、アンドリューが苦笑いする。どうやら私の意図を察してくれたようだ。
女心が多少なりと察せられて、しかも状況をある程度理解してくれてる人。それはアンドリューだ。
しかしそれを依頼するには、アンドリューとその邪魔をしないようエドにも事情説明をするしかない。
私は笹原さんに了解を求め、彼女はうなずいた。むしろ自分から説明を買って出た。
「私の問題に巻き込んでしまうんですから」と。
そうして笹原さんにある日異世界人の記憶が甦ったこと、それがキースの妹であったこと。キースが留学してきてしばらく経った頃から、キースが異様なまでに笹原さんを妹認定し、つきまとうようになったことだ。
聞いたアンドリューは、転生かもしれないという話を笑うことはなかった。信じない様子もない。
代わりに、珍しく渋い表情をしていた。
そんな彼の表情は初めて見たように思う。どこか嫌悪を感じているらしい顔なんて。
そんなにいやだったのだろうか。
「えっと、もし嫌なら仕方ないからエドに……」
頼むからといいかけたのを、止めたのはアンドリューだった。
「やってもいいよ」
「うそ!」
個人的にはダメもと、な気分で頼んだのだ。まさかこんなあっさりと受けてくれると思わなかったので驚いた。
「本当だよ。それに、他に当てなんてないんだろう? 沙桐さん」
「確かにそうだけど。嫌がられるだろうなぁと思ってたから……」
「なのに頼んだんだ?」
「反応が悪かったら、エドのお守の件を持ち出して、ついでに一週間の期限限定で校内のみってことで交渉しようかと思ってた」
率直に手の内を明かせば、アンドリューがやれやれと肩をすくめる。
「まぁエドの件を持ち出されたら僕も弱いからね。沙桐さんの作戦はわからないでもない。でも問題ないよ。付き合うふりっていうんだから、朝と昼でも一緒にいて手を繋ぐぐらいで充分なんだろう?」
私はこくこくとうなずいて、作戦を話した。
「そっちにキースが突撃するかもしれないけど、エドもくっつけておけばそういうわけにもいかないでしょ? 指くわえて見てるうちに、キースのクラスのお取り巻きな女の子に、笹原さんを眼中外に置くようエドから働きかけてもらおうと思ってるの」
エドとお話ししていた女の子達の中には、キースのファンが何人もいた。おそらく異世界人に憧れを持っている人達なのだろう。
エドのぽつぽつとした堅苦しい返事を嬉しそうに聞いてくれていたので、アンドリューと交際があることと、それを穏やかに見守ってほしいと言えば、お願いを聞いてくれるに違いない。
「わかった……まぁ、後でこの借り分に関しては、何か返してもらおうかな」
「う、なんかそう言われると怖いけど。いいよ。頼み事してるのは私なんだし」
リスクは背負おう。私はすぐにアンドリューに返事をする。
そこで焦ったのが笹原さんだ。
「沙桐さんだけにそんな負担をかけるわけにはいきません! あの、借りは私が返します!」
勢いよく主張した彼女に、アンドリューはさわやかに微笑んで言った。
「うん、君には君の分だけ、借りを返してもらおうと思ってるよ」
「わ、わかりましたっ」
アンドリューなんでそんな台詞を笑顔で言えるんだ……。結構君は怖い奴だな。
笹原さんは協力してもらう側らしく、敬礼しかねない勢いで返事をしていた。そんな彼女に、アンドリューは釘を刺す。
「でも、笹原さん。君は……この沙桐さんのたくらみを、本当に実行していいの? あまり親しくない僕と、恋人のふりをしても問題ないのかな?」
尋ねる彼に、笹原さんは答えた。
「せっかく沙桐さんが考えてくれた案ですし、私もその方がいいと、そう思うんです。沙桐さんの言う通り、私は記憶に引きずられているとそう思うから。私は……とりあえず過去のフェリシアとしてではなく、今の自分として物事を考えたい。今までどうしていいかわからなくてもがいていたけれど、沙桐さんのおかげで自分がどうすべきか道が見えたような気持ちなんです」
そんな彼女の決意を聞いたアンドリューは、にこりと笑った。
「なら、今からはじめよう」
さっと笹原さんの前に進み出たアンドリューは、その場に膝をついて彼女に手を差し出した。あの日の、エドのように。
「おつきあい頂けますか?」
そう尋ねたアンドリューの表情に、一瞬どきりとする。
見上げる態勢って、熱心に一つのものだけをじっと見ているように見えるんだよ。まるで、君一人しか視界には入っていないと言われてるみたいに錯覚するほど。
アンドリューほどの綺麗な人に、そんな仕草をされたらどうなるか。敬礼しかねないほど緊張していた笹原さんは、もう顔が真っ赤になっている。
あげくその左手をそっと掬い上げるように掴み、口づけるしぐさに、私は胃の奥がきゅっと締まるような不安感に襲われた。
その不思議な感覚にとまどう前に、かき消したのはエドの悲鳴だ。
「で、でででんか!」
なぜ君が焦るんだエドよ。表情がまるで子供が彼女を連れてきた! と戸惑っているお母さんみたいだよ。
しかしおかげで、思考が真っ白になりかけたけど我に返ることが出来た。
「聞いただろうエド。一週間、恋人のフリをすることになった。異世界での男女のつきあい方というのも、国に戻ればいろいろと参考になるかもしれないよ?」
「……なるほど。そのような形でも情報を得ようとする殿下のお考え、承知いたしました。かくなれば私もお二人を守るべく全力をあげ――」
そこでアンドリューと私の声がハモる。
「全力はやめて」
「なぜゆえ!?」
納得がいかないらしいエドに、私が懇々と諭す。
「じゃあ質問するわエド。今までエドが『全力』でアンドリューに相応しい結婚相手を探そうとしていましたが、その成果はありましたか? はい答えをどうぞー」
「いいえ……ですが、それとこれでは……」
「同じよエド」
私はエドの方から視線をそらしつつ、後ろ暗い気持ちを抱えて説得の言葉を口から吐き出す。
「あなたはアンドリューに幸せな結婚を望んでいる。その条件には、きっとアンドリューが恋しいと思える相手であることが含まれてるはず。けれど恋とは繊細なもの。たとえフリであっても、外野がフォローを申し出たがゆえに悲惨な結果を導くこともあるのよ。であれば周囲がするべきことは、生暖かく見守ることのみ」
「沙桐さん、生暖かくってのはちょっと……」
笹原さんが耳に余ると思ってか訂正をもとめてくるが、私にその余裕はなく、これでいいのだと首を横にふってみせるのみにした。
だって自分で言っているのにも関わらず、なんだか鳥肌がたっていたのだ。
恋は繊細とか、どこのポエムだよと思った自分の台詞を思い出すと、恥ずかしくて笑いがこみ上げそうで危ない。しかし、エドを説得するためにこの嘘くさい話を続けなければならないのだ。
ちょっと自分の気持ちを支えるために、おもしろおかしく言うくらいは許してほしい。
「今のエドは、その加減がわからないでしょう。だからこそ、この『お試し』をアンドリューがしている間に、実際にアンドリューに婚約者なりができたときのための予行演習をすると思って、エドは見守る能力を磨くべきなのよ! だけどキースが邪魔してきたら排除していいわ。笹原さんは絶対に守ってちょうだい」
ここまで一気に語ると、エドは目を見開いた。
何か開眼したみたいに、三白眼が縦にかっぴらいている。ちょっとコワイ。
「わ……わかりました。師匠の命に従います」
次にぐっと眉間にしわを寄せる。一体何を苦悩してるんだ……。また何か変な方向に曲解してそうでコワイ。
一方のアンドリューは、さっそく任務を遂行しようとしてくれていた。
「なら、手始めに教室まで送ろうか」
「え! あはいわかりました、演技ですね!」
「ここ以外では、演技だって言っちゃダメだよ」
アンドリューに微笑まれて、さらにカチコチになった笹原さんが手を上げて答える。
「わかりました!」
笹原さん、それじゃなんか先生と生徒みたいだよ……。
しかし彼女のこの対応からして、笹原柚希としては全く誰かとおつきあいをしたことがなかったのだろうと思われる。なので、ある意味フェリシアではない彼女自身の本質を思い出すのにはいいのかもしれない。
アンドリューとの相性も、そう悪くはないようだし。
そこでふと、想像してしまう。
このままアンドリューと笹原さんがくっついてしまったら、と。
そうしたらエドは、もう自分につきまとわなくなるだろう。エドのお守りをしなくても済むだろうし、また静かな学園生活に戻れるだろう。
もちろん友達のままだろうし、寂しくなんてないのだが。
……ほんの少し、何かを無くすような気持ちになるのはなぜだろう。
そんな事を思いながら、私はエドを連れてアンドリュー達を追って教室へ戻ったのだった。