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<六> おもいで

『よかったよ、野口君が登る気になってくれて』

携帯越しの先生の言葉に、無意識な愛想笑いが浮かんだ。

「いえ、急に無理を言ってしまって、申し訳ありません」

我ながら肝の小さい……。

今朝のことがなければ、本当は登る気なんてこれっぽっちもなかった。

『じゃあ、先生達は二つ先の山小屋で待っているから、のんびり来なさいよ』

短い別れの挨拶を交わして、早々に電話を切った。

「……さて!」

通話を終えると、すぐに立ち上がる。

のんびり、と先生は仰っていたが、自分の勝手な都合で部員達をそう待たせるわけにはいかない。

大きなリュックサックを背負うと、カタリと小屋の扉を開けた。

二つ先の山小屋までは、まだ大分距離がある。

「山道は急いて登るものではないのだけれど……」

それもこれも全部岩瀬達のせいだ。

怒り任せに歩みを進めていけば、自然と歩調が速くなった。

しかしまったく景色を見る余裕がないわけではない。

「この山に来るのも久しぶりだなぁ……」

感慨深く呟く。

以前はよく遊びに来たものだった。

「僕と、英子と、岩瀬の三人で……」

そして三年と五ヶ月前からはハチがその中に加わった。

「……ハチが人間になるはずないだろう!」

小声で、しかし鋭く吐き捨てる。

今朝の不快なひと時を思い出したのだ。

(二人して僕をハメようとして……!)

この短気さは知っているだろうに、一体なんの真似なのだ。

ぎりり、と奥歯を噛み締める。

「ちくしょう……! 誰だよ、あいつ!」

ポタリと、地面に雫が垂れた。


■■■


「雨だ!」

「嘘っ!? うわ、本当だ! ひゃっほう!」

焦りの声を上げる俺と、なぜか小躍りする英子。

後頭部の強打以降、確実にアホの度合いが増している……。

「ああ、傘を持ってくればよかった……」

天を仰ぎ、悄然と呟く俺。

「でも引き返す訳にもいかないでしょ?」

その言葉に振り返ると、眼下に広がる灰色の町並みが見下ろせた。

ここまで徒歩で登った訳ではない。

野口に言わせると邪道らしいが、ロープウェイを使わせてもらった。

これでかなりの時間短縮に成功したはずである。

「ぐほー! このままじゃ風邪引いちゃう!」

次第に強くなる雨脚に、英子が奇怪な悲鳴を上げた。

確かに、これでは野口どころの騒ぎではない。

「じゃあ、とりあえず雨宿りするか!」

言い果てぬうちに、彼女の手を引いて山小屋を探した。

確かこの辺に第一休憩所があったはずである。

「ハチ! お前小屋とか解らないか?」

傍らに寄り添うハチは、誰にはばかることもなく四つん這いで移動していた。

「???」

俺の言葉に、心底不思議そうな顔をして小首を傾げる。

「駄目だこりゃ!」

程なくして、目当ての山小屋を発見した。

「おっ、貸切みたいだな」

気兼ねなく足を踏み入れる。

しかしまぁ、何処もかしこもぐっしょりだ。山の通り雨は容赦がない。

「寒い季節じゃなくて助かったねぇ」

同じくずぶぬれの英子が笑う。

確かに、雨に濡れた身体は震える程に肌寒い。

これがもし冬だったのなら、命の危険すら感じるところだ。

「それにしても、野口の奴はどこにいるんだろうか……。そうだ! ハチ! おまえ臭いとか解らないのか?」

「うー?」

「野口の臭いだよ! 犬の底力を見せてやれ!」

「???」

「……さっきと同じ。全然伝わってないみたいだね」

「誰か犬語を教えてくれ……」

しかし複雑な気分だ。

三年近く一緒にいたのに、ハチとまったくコミュニケーションが取れてない……。

「ハチぃ、俺おまえになんかしたか?」

「?」

「うう、やっぱり通じてない……」

うな垂れる俺の肩を、英子がぽんと叩いた。

「そんなことないよ、ハチと岩瀬は充分わかり合えてるよ……」

「英子、おまえ……」

不覚にもじーんと来る。やばい、英子がめっちゃ美人に見えてきた!

俺が黙り込んだのにも気付かず、彼女は軽く微笑んだ。

そして両手を頭の位置まで挙げると……、

「例えばさ、岩瀬がよくやってる……何だっけ? ぅう〜わぬな――」

「待たんかアホォッ!」

慌てて頭を叩き、その言葉を遮った。

「また後頭部強打したいのか!」

まさに間一髪である。

こんな障害物の多い小屋で何を考えているのかこの女は!

一瞬感じた甘ったるい感情も消えうせ、俺はハァッと溜息をついた。

「……随分激しいな……」

雨脚は一向に衰える気配を見せない。

窓の外を眺めていると、ふと懐かしい気持ちになって、英子の肩をつついた。

「この辺まで登ったことはないけどさ、この山ではよく遊んだな」

「そうだったねぇ」

「遊ぶ所って言ったら、近所の空き地かここしかなかったからな」

「岩瀬は面倒くさがりだったから、山にはあんまり来たがらなかったよね!」

「あはは、空き地の方が近かったからなぁ……」

そんな他愛もない会話。

他愛もない内容だからこそ、ここに野口がいないことに大きな違和感を感じた。

「どうしてるんだろうなぁ、野口の奴……」

「岩瀬!」

突然袖を捕まれる。

「どうした!? 英子!」

ただならない雰囲気に、慌てて隣を振り返る。

「ハチが、居ない!」

泣き出しそうな声で、英子は言った。


■■■


しくじった……。

そうとしか言いようがない。

雨が降り出した時点で歩みを緩めるか、止めるかすればよかったのだ。

部員を待たせるのを避けたいが為に、もっとも避けなければならない事態に直面してしまった。

「迷った……」

呟く言葉は雨音にかき消される。

一寸先も見えないような、激しい雨の中だった。

(僕らしくない)

こうして立っている場所も、すでに道から外れた茂みの中である。

本当なら、こんな所に入り込むことなんてない。

完全に孤立した不安……。

しかしその反面、独りで居ることの安らぎがあった。

「一人静かに考える時間……」

そう思えば、こうしていることも悪くはない気がした。

「雨はじき止む」

そうすれば道も見つかる。

幸いにして、この山はそんなに複雑な地形でもない。

腹をくくると、僕はまた歩き出した。

もう全身ずぶ濡れで、今更雨宿りする気にもなれない。

草や木の根を踏みしめて、一歩一歩進んでいく。

そういえば、最後にこの山で迷ったのはいつのことだっただろう。

考えてみれば、つい最近も同じようなことがあった気がする。

そう、それは三年と……何ヶ月前だったか……。

僕は立ち止まると、軽く自分の頭を小突いた。

長い間雨に打たれていたせいか、脳の働きがいまいちだ。

「ますます僕らしくない」

叱咤するような声を上げたが、効果をあらわす前に雨粒が攫ってしまった。

「……」

そのうち、だんだんと考えること事態がだるくなってきた。

(これではまるで岩瀬かなにかみたいだ……)

独り自嘲する。

ふと、辺りが明るいことに気がついた。

どうやら雨が止むらしい。

(助かった、これで道に戻れるぞ……)

染み渡るような安堵が全身を包み込む。

しかし、一つだけ気になることがあった。

以前に迷ったときには、僕はどうやって帰ったのだろうか……。

ガサ

背後の草が、揺れた気がした。

雨の雫とは違う、嫌な汗が額に滲む。

もしかしたら深入りしすぎたのかもしれない。

この辺に熊が出たという話は聞かないものの、猪や蛇なら何度も目撃されていた。

「……」

仲間も居らず、道もわからない。

そんな状況での『何か』の接近に、僕の緊張と恐怖は際限なく膨れ上がった。

刹那、何かが足に触れた。

「!」

反射的に駆け出している。

何が居るのかは解らないが、位置的に人間でないことは確かだ。

さらに心胆を寒からしめることには、その何かは僕の後を追っているらしかった。

草を掻き分ける粗雑な音が、すぐ真後ろに付きまとう。

「く、来るなッ!」

思わずそう口走っていた。

しかし相手は人間ではないのだ、そんな言葉が効果を発揮する事は――

「のうち!」

「へ?」

相手が人語を発したのに驚いて、僕は思わず首をめぐらせた。

すぐ後ろに黒い毛、いや、髪があった。

そしてその下には紛れもなく人間の顔……。

こいつは朝の――

「のうち!」

その男が、もう一度僕の名を呼んだ。

次いで伸ばされた腕に、とっさに身体を捻る。

ぞわ

全身の細胞がすくみ上がる音を聞いた。

足を踏み出したその先――

そこに地面はなかった。

「……っ!!」

腑の底から縮み上がる。

反射的に手を伸ばすが、それは虚しく空を切った。

落ちる

収縮しきった頭の中で、ふいにあの時のことを思い出した。

何年か前に山で迷ったとき――

(あの時はハチが迎えに来てくれたんだったなぁ……)

奇妙な安堵感に包まれながら、僕は落ちた。


<続く>

次回の更新で本編はお終いです!

長らくお待たせしました!

本編終了後は後日談をUPしていきますのでよろしくおねがいします!

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