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<弐> ひ は せ !

夢を見ていた。

俺が英子の手をとり、英子が野口の手を取って、三人で円を描くように巡り歩いていた。

『かごめかごめ』とかいう、ポピュラーな子供の遊戯である。

しかしこの遊びは三人でやるのには向かない。

だから、七つか八つの時分にも、この遊びはあまり熱心には取り組まなかった。

そもそも、全員が円形になってしまっては、遊び自体が成立しないのではないか?

空から円を眺める俺はその矛盾に気付いていたが、夢の中の自分は楽しげに笑っていた。

かごめかごめ

やがて誰ともなくその調を口にする。

円の中には誰も居ない。

うしろのしょうめんだぁれ

円が止まった。

いつのまにか、俺の視点は夢の中の自分のものと重なっていた。

こちらに背を向けてうずくまる背中が見えた。

英子でも、野口でもない。

じゃあ、誰だ。

(ひはせ?)

唐突に、そう呼ばれた。

聞き覚えのない声。

目の前でうずくまっている男が発したもののようだった。

(俺はひはせじゃない。岩瀬だ)

訂正する声に、男は必死に舌をもつれさせる。

その必死さが妙に鬼気迫っていて、俺は思わず一歩身を引いた。

(いはせ……ひわせ……! いわせ! 岩瀬! 岩瀬!」

声は、現実のものだった。

「ふいっ!?」

裏返った声を上げて、俺は勢いよく起き上がった。

「岩瀬! 岩瀬!」

控えめに、それでもハッキリと、その声は室内に響いている。

傍らの時計を見れば、短針は四時にも届いていない。

「一体誰だ?」

慌てて辺りを見渡すと、見知った顔が窓の向こうにあった。

「英子!?」

思わず素っ頓狂な反応をしてしまったが、無理もないだろう。

まだ日も差さない早朝に、この女は一体何を考えているのか。

しかも見たところ寝巻きのままのようだ。いくらなんでも風邪を引く。

急いで窓を開けてやると、転がるようにして窓枠を乗り越えて来た。

「危ない!こけるぞおまえ!」

反射的に支えてやりながら、俺は直ぐその異変に気付く。

掴んだ肩は小刻みに震えて、頼りない。

英子が泣いている!?

今度こそ度肝を抜かれた。

「どうしたよおまえ! 家が火事にでもなったか!?」

只ならぬ様子を感じ取って、慌てて事情を聞き出そうとするが、彼女は相当混乱しているようで、

鯉のようにぱくぱくと口を開くばかりで、なかなか語ろうとはしない。

いい加減焦れて来た頃になって、彼女はぽつりと呟いた。

「ハチが……」

ハチ!?

その名を聞いて思わず蒼白になる。まさか死んで――……

しかし、次に英子が口にした言葉は、俺の想像をはるかに越えるものだった。

「ハチが人間になっちゃった!!」

叫ぶような声だった。

「はぁ!?」

思わず上がったのはそんな声。

「おま……! 夢でも見たんだろ!」

はぁっ!と頭を抱える。どっと疲れが押し寄せた。

勘弁してくれよ、この文系電波女!

夢見が悪いからって、俺ん家まで押しかけてくるな!

しかし英子は頑なだった。

「本当だって! 本当にハチが人間に……!!」

「おまえ、それ以上アホなこと言っていると気が触れたかと思うぞ?」

右手を英子の額にやりながら、思わず苦笑いをした。

と、

「ひはせ」

あの声が聞こえた。

「!?」

瞬間、俺は何かに張り飛ばされていた。いや、組み敷かれていた。

顔からガッとフローリングの床に叩きつけられる。

「な、なんだ!?」

英子ではない。

立ち位置からしてありえないし、仮に彼女だったとしたら、こんなに力が強いのはおかしい。

全力で暴れたのにも関わらず、俺は身動き一つ取れなかった。

「ひはせ」

耳元であの声が聞こえる。

こ、恐ッ!! 夢ならさっさと覚めてくれェ!!

しかしその願いも虚しく、吹きかかる吐息は信じられないくらいに生々しい。

そして襲撃者は何を思ったか、突然俺の耳に喰らいついてきた。

(か、噛み千切られる!?)

思わず硬直したが、予想に反してそのままべろべろと顔中を丹念に舐めまわされる。

「ぼぎゃー!!」

気持ち悪ぅ!!

「は、や、止めろぉお!!」

渾身の力で襲撃者を押し上げる。

こちらの頑張りが伝わったのか、意外にあっさりとその影は退いた。

「一体なんなんだ!!」

俺は寝転がったままで、寝巻きの袖で滅茶苦茶に顔を拭う。

その隙間から、英子の素足がのぞいた。

「岩瀬に挨拶したんじゃない?」

のほほんとしたその口調までもが、今では腹立ちの種だ。

「どこの国の挨拶だよ! まるで犬だよ! 犬!」

叫んで、はたと気付いた。

さっき英子は何て言っていた?

『ハチが人間になっちゃった!!』

俺は恐る恐る顔を拭う手を退けた。

それは、見たこともないような男だった。

英子の脇に、まさに犬のようなポーズでうずくまり、顔だけこちらに向けている。

年齢は俺達と大差なさそうで、どこか優しげな顔立ちをしており、髪は毛並みと同じ黒色だった。

「ほ、本当にハチ……なのか?」

呆然と呟いた。

だってありえない。非常識にも程がある。

「ひはせ!」

名前を呼ばれたことが嬉しかったのか、ハチ(?)は瞳を輝かせてにっこりと笑いかけた。

しっぽがあれば振り切れる勢いである。

しかし……

「信じられるか!」

俺は声を張り上げる。

「いくらなんでもありえんわい! なんで犬が人間になるよ!」

「そんなのこっちが知りたいよ!」

いつのまにか、英子はまた涙目になっていた。

「夜に目が覚めたら、いきなりハチが裸の男の人になってて……」

ん?裸?

俺は改めてハチ(?)を見やる。

伏せのポーズなので見えはしないが、剥き出しの背中や太ももが逞しい。

「って、ただの変質者じゃないか!」

俺は慌てて英子を引き寄せる。

「なんか変なことされなかったか!? 英子!」

「ハチはそんなことしないよ!」

「このアホ! こいつがハチなわけあるかい!!」

いつのまにか喧嘩腰である。

これが短気な野口だったら、もうとっくにキレているところだろう。

犬のように唸りあう俺達を、ハチ(?)は不思議そうに眺めている。

「ひーひゃん?」

多分英子を呼んだのだろう。

心配気なその声に、彼女は軽く手を振って安心させてやった。

どうやらこいつの中では完全にハチは人間になってしまったらしい。

深い溜息が出る。

「ねぇ岩瀬。どういうことか解らないけど、ハチは人間になっちゃったんだよ。お願いだから協力して?」

甘えるような声で英子は言った。

何に協力すればいいんだ。

そう聞き返す前に、俺にはどうしてもやっておかねばならないことがある。

「本当にこいつがハチかどうか確かめてやる」

俺の真剣な声に、ハチ(?)はぴくりと反応した。

短針は、今やっと四時を回った所である。


<続く>

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