にゃんだふるデイ。
私の掌編十三作目です。
三人称コメディは割と好きです。
スカートの裾を軽くつまみ、姿見の前でくるりとポーズを決める少女。セミショートの黒髪がサラリと踊る。
「完璧だ……にゃん」
倉橋みゆは今をときめく高校一年生。憧れのクラスメイト河野くんに告白し、見事成功。そして今日、彼の家に招待されたのだ。
しかも今日は彼の誕生日、二月二十二日。ペットフード協会の制定により「猫の日」とされている。
そこで、みゆは閃いた。
第六感の導くまま、近所の雑貨屋さんで猫耳ヘアバンドと鈴、そしてメイド服を購入。
そう。彼女はコスプレ姿で彼の家に遊びにいくことにしたのだ。
「これなら、彼をメロメロにできるはず……!」
ちなみに最終目標は、河野くんを膝の上で『ごろにゃーご』させてあげること。何ともオイタな女子高生、倉橋みゆだった。
ただ、やはりこの姿で外を歩くのはちょっぴり恥ずかしい。都会ならまだしも、ここは閑静な住宅街。コスプレで歩くとかなり目立つ。といえど、彼の家で着替えるなんて図々しいことはできない。なるべく人に見つからないように彼の家まで行くしかない。
河野くんの彼女になって初めて知った驚愕の事実――家が同じ地区にあり、しかも二百メートル程の距離にあること。それが、今のみゆにとっては救いだった。
「私なら……いけるにゃん!」
こうして、猫耳メイド倉橋みゆは颯爽と自宅の玄関を抜けた。
◇◇
玄関の扉をあけ、路地に人がいないことを確認。等間隔に立つ電柱に身を隠しつつ、少しずつ目的地へ向かう。後方からは丸見えなのだが、彼女の思考回路では辿り着けない領域だ。
倉橋家と河野家のちょうど中間地点。芝生の生えた空き地にさしかかった所で、ふと視線を感じた。
昔からこの地域に棲みついているブチ猫とドラ猫の二匹組だった。なぜかみゆの方をじっと見ている。
(な、何でこっち見てるの……?)
よく見ると、二匹とも小刻みに震えている。
(まさか、私の格好を見て恐がってるんじゃ……)
一瞬、怯える河野くんの姿が脳裏に浮かぶが、懸命に首を振ってイメージを追い出した。
(……猫の反応なんて信じちゃダメ。今日は絶対、ごろにゃーごしてもらうんだから!)
そう自分に言い聞かせ、みゆは歩を進めた。
空き地を後にし、河野くんの家までもう少し。最後の電柱に身を隠した瞬間、再び違和感を覚えた。
あからさまな視線を感じる。
振り返ると、小柄な少女が立っていた。
見た目からするに中学生くらいか。みゆの知り合いではないが、どこか見覚えのある端正な顔立ち。何をするでもなく、ただこちらを見つめている。
視線の圧力に耐えきれず、みゆは声をかけてみた。
「こ、こんにちは……」
「……」
少女は口を開こうとしない。まるで血の通わない人形のような、そんな表情。
(な、何で無言なのーーっ?)
やはり猫耳メイドはマズかったか。少女の冷たい眼差しと、言いようのない不安がみゆの胸を締め付ける。
今ならまだ、間に合う。帰って着替えてこようか。
でも、私服のごろにゃーごでは効果が半減してしまう……。
みゆの中で葛藤が続く。
「ぶふぅっ!」
静寂を切り裂いたのは、他の誰でもない。目の前の少女だった。
(え? 今の……何?)
少女は相変わらずの無表情で、みゆの横を抜けていく。すれ違いざま、少女の口角がヒクついているのを、みゆは見逃さなかった。
――笑われた。
みゆの中で何かが崩れる。
私の今の格好は、相当ヒドいに違いない。このままじゃきっと、河野くんにも笑われちゃう……。
みゆの思考は、負のらせん階段を猛ダッシュで駆け降りる。
さらに、そこへ追い打ちをかけるように、事態はどんどん悪化していく。
(なな、何で……)
先程の少女が河野くんの家に入っていったのだ。そして、玄関の奥から聞こえる河野くんの声。
「ただいま~」
「おかえり。マミ」
「あのね、家の前に猫耳のメイドさんがいたよ」
「ね、猫の……?」
「うん。口をパクパクさせて、変な人だった」
(あ、あの子、河野くんの家族だったんだ。しかも、いきなり私の事話してくれちゃってるし……!)
このままでは、河野くんに見つかってしまうのも時間の問題だ。
急いで帰ろう。
そう思った時には既に手遅れだった。
「倉橋……?」
「う、うぇっ?」
玄関から河野くんが顔を覗かせていた。
「その格好は……?」
「こ、これは! そのっ……」
みゆは思わず逃げ出しそうになった。
だが、必死に踏ん張ってこらえた。
(今逃げたら、これからどんな顔して河野くんに会えばいいのよ……)
一度深く深呼吸する。そして、意を決して口を開いた。
「今日は河野くんの誕生日だから、その、喜んでくれるかなと思って……。ど、どうかな」
みゆは足が震えて、同時に首の鈴がチャリン、と音を立てる。彼女は立っているのもやっとの状態だった。
永遠にも感じられる数秒のあと、河野くんがふっと顔を緩める。
「か、可愛いよ。にゃんてこったい……」
「あ……」
その一言が、みゆの中に渦巻く不安を一掃した。
ここまでの二百メートルが思い起こされる。
決して平坦な道のりではなかった。ノラ猫には恐がられるわ、少女には笑われるわ、みゆが受けたダメージはかなりのものだった。
だが、河野くんが喜んでくれた。その事実が全ての迷いを掻き消した。
「よ……よかったぁ」
嬉しさのあまり、つい顔がニヤついてしまう。
「まあ、寒いし、あがってよ」
「うん、ありがと。お邪魔しま~す」
みゆは、やっと河野くんの顔を正面から見ることができた。彼の顔は引きつっているようにも見えたが、きっと緊張してるのだろうと直感的に思えた。
河野家の人たちは皆、みゆを温かく迎え入れてくれた。路上では冷たい印象だった妹もすぐに懐いてくれた。
「ささ、河野くん。こちらにいらっしゃいませー!」
「あ、ああ、じゃ……じゃあお邪魔しまーす……」
そして最終目標だった『ごろにゃーご』も堪能。
めでたく、倉橋みゆのドキドキ猫メイド計画は幕を閉じたのだった。
◇◇
帰り道。
(河野くん、緊張して震えてたにゃ~。顔に汗かいちゃって、可愛かったにゃ~)
すっかり上機嫌で猫気分なみゆ。今の彼女には、空き地で震えるブチとドラのやりとりも容易に妄想できた。
――冬はさみぃな……。ブチ。
――そうっすね、ドラさん。体が震えますよ。
――美味い魚が食いてえな。
――いいっすね。白身が食べたいです。特にカレイ。口の中でとろける感じが好きっす。
――何言ってやがる。男ならマグロだ。かたい鎧を突破した後の赤身は最高だぜ。
――僕のアゴじゃ、マグロは無理っす。
――お前なぁ。俺より若いのに、今からそんなんじゃイカンぜ?
みゆは微笑み、心の中で呟く。
(ふふ、私はやっぱり鯉だね。だって私、恋してるから、にゃんちって)
「キャーッ!!」
みゆは両手で顔を覆い、夕日に向かって突っ走る。今の彼女は、心も頭も幸せ色で満たされているのだった。
◇◆
同時刻。
河野マミは二つの感情を抱いていた。
一つは安心。
兄が初めて彼女さんを家に招いた。冷たい人だったらどうしようかと不安だったが、いきなりのコスプレ姿に挙動不審な動き。とても楽しい人だった。
もう一つは、心配。
兄は猫アレルギーかつ、大の猫嫌いだったはず。猫のぬいぐるみを見て震えあがっているのを目撃したこともある。
彼は優しいから、今日も無理して彼女さんとよろしくやっていただけかもしれない……。
嫌な予感を胸にマミは二階へ上る。そして、心配が現実となっていることを確認。
「お、お兄ちゃん……」
「ニャンコが一匹、ニャンコが二匹……なは、なははは……」
六畳一間の和室の真ん中。夕日に照らされ、河野くんは幻影と戯れていた。
「ぐっじょぶ」
優しい兄と楽しい彼女さん。二人の幸せを願い、マミはそっと戸を閉めた。
今作は割と書いていて楽しかったです。
これからも読みやすい三人称を書いていきたいですね。