その5
「初めまして、あなたがシオリ? 僕はイルム・シェンツァ。一応、今のところエンティア中央塔の筆頭魔術師してます」
立ち上がって、明後日の方向に挨拶をするイルムの袖を引っ張る。
すると、あれ? とでもいうようにイルムがくるりと反転した。
「イルム、ちょっとしゃがみなさい」
はあ、と溜息を吐き出して目線を合わせてもらう。
とはいえ、その瞳はまだ長い前髪に阻まれて確認できていない。
服を着てる身体はいいけど、肌が剥き出しの鼻の頭には擦り傷ができている。ほんとに残念な子だわ相変わらず。
また吐き出しそうになった溜息を今度は飲み込んで、ポケットから取り出したヘアピンを使ってイルムの前髪を留めてやる。
前髪のせいで周囲を認識できないんなら、切っちゃえばいいのに。
やわらかな濃紺の髪を邪魔にならないように避けると、そこに現れた顔を見たしおりちゃんが息を飲むのがわかった。
うん、そうなの。無駄に美形なんですよこの子。
初めて会った時、イルムは18歳で、まだまだ少年って感じも残ってたんだけど、さすがに21歳ともなるとね……。
美青年! なんですよ、見た目だけなら。
何度でも言いますよ。
見た目だけなら美形、動いたり口開いたりしたらアウト。
つまりあれだ。残念なイケメンってやつですね。はー……私の周りそんなのしかいないのか。
「ありがとう、リコさん。明るくなった」
「思うんなら前髪切るとか、自分で留めるとかしなさい」
ぺしんと背中を叩くと、イルムは苦笑しながら、改めてしおりちゃんに向き直った。
「改めまして、イルムです……シオリ、リコさんよりおっきいね。僕らより年上なの?」
瞬間、場の空気が凍る。
凍らせたのは私だが、そんな空気にさせたのはイルムだ。
さすがにしばらく一緒にいるしおりちゃんは、身長のことを言われると私の機嫌が悪くなるってわかってる。
だから、しおりちゃんは引き攣った笑顔を浮かべてた。
私に至っては完全に無表情になってるだろう。
けど、イルムは何も気づかない様子でにこにこ笑っている。
うん、言いたくはないけどね、ほんとにね……空気読まないんですこの子!
読めないじゃなくて、読もうとしないんです。ちょっと考えたらすぐにわかるぐらい頭は良いはずなのに!
「はじめまして、河原しおりです……えっと、15歳です」
「えっ15歳!? ほんとに!? 僕がリコさんに会ったの、リコさんが20歳の時だったけど、この大きさだったのに!!」
引き攣った笑顔のまま自己紹介してくれたしおりちゃんに、イルムはものすごい勢いで驚いた。
私が自己紹介した時……っていうか、年齢伝えた時も驚いたよね。
はあ、と何度目かの溜息を吐き出すけれど、もうつっこまない。
だって、これがイルムだからね、寛容なのは大事ですよね。
――あの時の翠子さん、逃げ出そうかと思うぐらい怖かったです、ごめんなさい。
と、しおりちゃんが申し訳なさそうに私に言うのは、もう少し先の話である。
イルムに案内してもらって、エンティアの街を散策中です。
私は何度か来ているので別に案内は必要ないんだけど、ひとりで歩いていると子供と間違われて親切な大人たちが集まってくるのだ。
……ローブの人が多いんで、ほんと怖いんですけどね、囲まれた時とか。
ちなみに、21世紀に生きてた日本人的感覚でいうと、エンティアが一番過ごしやすい。
ちょっと距離のあるところに向かうのは、ここでは馬車ではなくて魔術で動く車だ。運転手のいないタクシーみたいな感じかなあ。
転移ゲートや携帯通信魔術石みたいに、短い言葉で起動する術式が組み込まれてるそうだ。
なので、目的地を告げればそこへ連れて行ってくれる。
それ以外にもエンティアはこの世界の中でも少し特殊な部分がたくさんある。
たとえば、家の作り。
クルークや(しおりちゃんを連れてってないけど)ラヴィーナ帝国は、映画とかで出てくるような中世のヨーロッパみたいな感じの一戸建てが多い。
煉瓦とか石壁の、暖炉と煙突があるようなこぢんまりしたおうちね(こぢんまりしてないお城みたいな屋敷もあるんだけれども)。
エンティアにも一戸建てはもちろんあるんだけど、それ以上に多いのが、まるでマンションみたいな縦に長い建物。
防御術式って、重ねれば重ねるほど強力になるそうで、そのためにひとつの建物の面積を増やしてるみたいだ。
そして、中央塔――イルムも"中央塔"って言ってたけど、これ私が最初にしおりちゃんに説明した、中央魔術学校のことだ――を中心に、放射状に建物が並んでいる。
どうやらそれも魔術的に大事な意味があるらしいんだけど、例によって例のごとく、説明されてもよくわからなかったのでそういうものだと思うことにしました。
――わ、私がバカなんじゃないよ、専門用語が多すぎてわけわからなくなるだけなんですよ!! ほんとに!!
「クルークと違って、エンティアはお店もテナントみたいになってるんですね」
頬を紅潮させながら、きょろきょろとお店を見比べて、しおりちゃんがイルムを見上げる。
「テナ……?」
「ひとつの建物に、いくつかのお店が入ってるってことです」
「ああ、そういうこと。うん、エンティアはクルークとは違ってそういう風にしてるね……」
楽しそうにしているふたりを確認してから、反対方向へと視線を巡らせた。
道を行く人の半数はローブを着ている。魔術関係の仕事に就いている人と、魔術学校に在学中の学生だろう。
ちょっと特殊な部分も多いけど、それ以外はエンティアも他の国と変わらない。
野菜は畑で採れるし、肉が欲しければ獣を狩るし、海のある地区へ行けば魚だって釣れる。
視界に映る建物は総じて濃くて暗いけど、白とかカラフルな布とか壁に飾って、店内を明るく見せようとしてるし、ちゃんとそう見えてる。
食堂やカフェにはたくさんお客さんが入ってるし、笑い声も聞こえてくる。
――そうか。これが、私が選んだ結果なんだ。
ふと脳裏に浮かんだ言葉に、妙に動揺してしまう。
思わず右手で口許を抑えたら、ふたりが同時に私を呼んだ。
「リコさん?」
「翠子さん?」
弾かれたように顔を上げると、不思議そうなしおりちゃんと、どこか不安そうなイルムの顔があった。
「ごめんごめん、ぼーっとしてた。そろそろお腹空いてきたからごはんにしない? イルム、女の子に人気のお店に連れてってよね!」
笑顔になってふたりに笑いかけると、しおりちゃんは「私もお腹すきました!」と同意してくれて、イルムは妙に緊張感を孕んだ様子で「頑張る……!」と空を見上げていた。
見上げた先に何があるんだろうか。
いや、いいんだけど。
そんなこんなで16日目は過ぎて行った。