婚約破棄、承知いたしました。では、私の初恋も本日限りで終了です
恋とは、始まるときには本人の意思など関係なく始まるくせに、終わらせるときには妙な礼儀が必要らしい。
少なくとも、私はそう思っていた。
だからこそ、今日こそはきちんと終わらせようと決めていた。
今までのように、なあなあでこんな関係を続けるくらいなら、きっぱりと終わらせようと思っていた。
たとえ相手が、三年間ずっと好きだった人であっても。
そう思っていたら。
「アデリーヌ・ロシュフォール! お前との婚約を破棄する!」
王立学園の卒業記念舞踏会。
大勢の貴族達が集まる大広間で、婚約者である第二王子エドガーが声高らかに宣言した。
彼の隣には、可憐な顔立ちの男爵令嬢ミレーユが立っている。
「お前は嫉妬深く、ミレーユに嫌がらせを繰り返したそうだな。そんな女を王家に迎えるわけにはいかない!」
……。
なるほど。
私が言う前に彼の方から言ってくるとは。
私はあまり驚いていなかった。
むしろ納得していた。
エドガーは昔から、目の前で泣く女性に弱い。
そしてミレーユは、実に泣くのが上手だった。
自らの顔の良さも相まって、男の懐に入り込むのが以上に上手い女だった。
私が婚約破棄を申し出ようとした理由。
彼女こそが私が彼との関係を終わらせようと考えていた原因であった。
ならば。
言うことは一つ。
「……承知いたしました」
「なに?」
「婚約破棄をお受けいたします、と申し上げました」
私は淑女の礼をした。
エドガーが拍子抜けしたように眉を寄せる。
もっと泣きわめくと思っていたのだろうか。
「ずいぶん物分かりがいいじゃないか。まさか、今さら自分の非を認めたのか?」
「いいえ。殿下のお気持ちが私から離れたことを、ようやく認めただけです。……ずっと前から分かっていたはずなんですけれどね」
「……どういう意味だ?」
「そのままの意味ですわ」
私は微笑んだ。
胸は痛かった。
好きだったのだ。本当に。
初めて会った日のことも、庭園で一緒にお茶を飲んだことも、私の誕生日に不器用な花束を贈ってくれたことも、全部覚えている。
だから、最後くらいは綺麗に終わりたかった。
この暖かな気持ちは忘れたくなかったから。
「殿下。ひとつだけ、お願いがございます」
「なんだ。最後の願いくらいは聞いてやろう」
「今後、私を愛していた頃の殿下を、私の前で演じないでくださいませ」
エドガーの顔から笑みが消えた。
「……何を言っている?」
「殿下は、私が好きだった方です。ですが、今の殿下は、もうお相手がいらっしゃいます。
……私は横恋慕などしたくありませんから」
私はもう一度礼をした。
「ですから、これでお別れです」
踵を返そうとした、そのときだった。
「待ちなさい!」
甲高い声が響いた。
ミレーユがエドガーの腕にしがみついていた。
「殿下、騙されてはいけません! この方はきっと、殿下に未練があるから、そんなことを言っているんです!」
「ミレーユ、落ち着け」
「だって……!」
彼女は私を睨んだ。
「アデリーヌ様は、殿下に捨てられたのですよ? なのに、見て下さいあの寂しそうなお顔を!
きっと自分に追い縋って欲しいのです!」
私は無言で彼女を見た。
確かに未練が無いと言われたら嘘になる。
けれど。
未練を断ち切りたいからこそ、出たのが今の発言なのだ。
それなのに、そんなことをおっしゃるのね。
「では、あなたは私に殿下を取られるかもしれないと思っているのですね?」
「取られるとは思っていないですが、そういう仕草をあなたがしたというのが問題なんです!
私達は愛し合っているんです!私たちを引き裂かないで下さい!」
「そう。それなら、ひとつ忠告を」
私は彼女に近づき、小さな声で告げた。
「エドガー殿下は、誰かに恋をしているときが一番素敵なのよ」
「……は?」
「その人のために花を選び、その人の好きなものを覚え、その人の笑顔を見て喜ぶ。私が好きだったのは、そういう殿下だったの」
ミレーユが勝ち誇ったように笑った。
「なら、今は私がその方を独占しているということですわね!」
「ええ。どうぞ、大切になさって」
私は本心からそう言った。
けれど同時にこう思った。
恋とはいつか冷めるもの。
どんなに愛し合っても、いつかは冷える。
それが真なる愛に変わればいいのですけれど。
変わらなければ、私のようになる。
既にいるのが当たり前になり、贈り物をしなくなり、相手を尊重もしなくなる。
こんなに悲しいことはない。
こんな扱いを受けたら、そりゃあ愛も冷める。
そんなことを考えていると。
「……アデリーヌ」
エドガーが、ひどく困惑した声で私を呼んだ。
「お前は、本当にそれでいいのか?」
私は少しだけ考えた。
「よくはありませんわ。悲しいですもの」
「だったら――」
「でも、殿下」
私は彼の言葉を遮った。
「悲しいからといって、好きでもない方に愛されるよう強要することはできません」
彼は口を閉ざした。
その顔を見て、私はようやく理解した。
この人は、私に愛されていることが当たり前だと、自分から婚約破棄しておいても、そう思っていたのだ。
私が悲しんでも、怒っても、最後には許して側に居続けてくれると思っていたのだ。
けれど、それはもう終わりにする。
「それでは、失礼いたします」
私は今度こそ歩き出した。
背後から、エドガーの声は聞こえなかった。
ただ、広間の出口に差しかかったところで、別の声が私を呼び止めた。
「ロシュフォール嬢」
振り返ると、そこには侯爵令息のルシアンが立っていた。
学園では何度か言葉を交わした程度の相手だ。
「お帰りですか?」
「ええ。少し疲れてしまって」
「でしたら、馬車のところまでご一緒しても?」
「構いませんけれど……どうして?」
彼は少し照れたように頬を掻いた。
「以前、あなたが私の落とした本を拾ってくださったでしょう。そのときのお礼を、まだ申し上げていなかったので」
そんな些細なことを覚えていたのか。
「お礼なんて必要ありませんわ」
「では、これはお礼ではなく、私のお願いということにしましょう」
彼は私に手を差し出した。
「今度、お茶をご一緒していただけませんか?」
私はその手を見つめた。
恋は、始まるときには本人の意思など関係なく始まる。
けれど、次は少しだけ違う始まり方をしてもいいのかもしれない。
まだエドガーへの恋慕は多少ある。
すぐに切り替えることはできないけれど。
「……ええ。喜んで」
私は彼の手を取った。
背後の大広間では、エドガーが何かを叫んでいた気がする。
けれど、もう振り返らなかった。
初恋は、実らなかった。
それでも、初恋に失敗したからといって、私の人生まで失敗するわけではない。
私は今日、ひとつの恋を終わらせた。
そして、まだ名前もついていない新しい気持ちを、胸の中にそっと迎え入れたのだった。




