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地の底のパンデクテス  作者: 彗星無視


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第20話 『第三意志』

 ……そっか。こいつ、洗脳とか効かないんだ。生体遺物(ギフト)だから。


「ギ……フト? え? なに、どういう……だってどう見たって人間——」


 そんな事情を知らないリディアは、理解しがたいとばかりに頭を振る。

 これがふつうの反応なのだ。生きている遺物(ギフト)など、あまりに常識からかけ離れている。発想として頭に浮かぶことすらない。

 パンデクテスは振り向き、決意を思わせるその瞳の色で俺を見た。


「イデア。リディアが動揺している今がチャンスです。——ワタシの能力を使ってください」

「能力? だが俺に適性はない。初めて会った時のこと、忘れたのか? 俺にお前を使うのは……」

「ううん、あの時はまだリディアの洗脳がありました」


 確信を持った眼差し。パンデクテスは俺の目を見つめたまま、言い切る。


「ですが今、イデアは元の形質意志を取り戻しています。であればきっと、イデアはワタシを使える」

「後天的な遺物(ギフト)への適性変化……確かに前例は聞いたことがある、けど」

「大丈夫です、ワタシを信じて! さあ、手を!」


 パンデクテスの細い手が俺へ向けて伸ばされる。俺は黄金の視線に促されるまま、その手を取った。

 そして、その瞬間。俺は『遺物大全(パンデクテス)』を理解した。

 温かな体温とともにその性質、意義、遺物(ギフト)としての理念が伝わってくる。

 この地底世界に存在するすべての遺物(ギフト)について記された一冊の本であり、同時にヒトとしての姿を有する生体遺物(ギフト)遺物(ギフト)の情報をあまねく集積する記録者。

 パンデクテスの言葉はすべて真実だった。彼女はまさしく個人単位の書庫であり、記録者であり、そして再現者だ。


「——ああ。やっぱり」


 つないだ手。指を絡めて、パンデクテスは微笑む。それは迷宮で盗賊たちが立ち去った後に見せたような、心を表す安堵の表情だった。


「イデア。アナタが、ワタシのマスターだった」


 俺はまたしてもその顔に見とれてしまう。

 精巧な人形のように冷たくも窮められた美に象られたその顔が、人らしい感情を露わにする瞬間。その一瞬に、どうしようもなく焦がれてしまう。

 俺はとっさになにを言えばいいのかわからず、ただ小さくうなずくことしかできない。けれどパンデクテスは、それだけで全部の気持ちが伝わったみたいにうなずき返す。

 ……やはり、どうにも喜劇めいている。本物だと思っていた絆が偽物で、偽物だと思っていた絆こそが本物だった。

 けれど今、俺とパンデクテスの間に一切の欺瞞はない。温もりを伝え合う互いの手を阻むものはない。

 ならばそろそろ、この半年にも幕を下ろすとしよう。


「『開巻せよ、天恵の記録者』」


 解放するは青の光。俺が呪文を口にすると、パンデクテスの胸元が淡い輝きを放ち始める。

 それは先ほどのワンド・オブ・フォーチュンなる杖の遺物(ギフト)が見せたものとはまるで違う、部屋中に拡散するような迸る光明。


「ま、まぶしっ……!? なにっ、なんなのよぉ!!」

「来い、フォグメイカー!」


 青色の光芒、その源泉であるパンデクテスの胸元から、球体状のなにかが現れ出る。

 紫の籠としか言いようのない外見。内側で黒いもやのようなものが音もなく渦を巻く。

 遺物大全(パンデクテス)は世に存在する膨大な遺物(ギフト)のすべてを網羅している格別にして唯一の記憶装置である。しかし、彼女は索引を持たない。膨大な情報を自らで引き出すすべはない。

 ゆえに。使用者であり俺が、書庫(アーカイブ)より引き出す情報を指定する。俺の持つ知識が索引代わりとなり、彼女の蔵書を紐解くのだ。


「『隠蔽せよ、最果ての白き常闇』」


 立て続けに発した呪文は、俺の手に渡された遺物(ギフト)、フォグメイカーのものだ。

 だがフォグメイカーの遺物(ギフト)が俺の元にあるはずがない。あれは昨日、迷宮の底へと放り捨ててしまった。

 これはあくまでパンデクテスによって造られた、本物と寸分たがわぬ複製。

 そう、パンデクテスの能力とはあらゆる遺物(ギフト)の再現だった。ゆえにこそ彼女は記録者であると同時に再現者なのだ。

 もっとも使用者の知識を導線とする以上、俺の知らない遺物(ギフト)を再現することは不可能だろうが。


「今度は……煙? いや、霧!? なにが起きて……っ」


 フォグメイカーの能力は霧の生成。籠の内側の渦より解き放たれた真っ白い煙霧はたちまち狭い部屋を包み、一寸先すら見通せぬ状況を作り上げる。


「この霧の中で光を浴びせるための照準を合わせられるはずもない。観念しろ、リディア!」

「ひっ!? く……来るなっ! 来ないで!」


 前が見えずとも家具の位置は覚えている。半年間見慣れた部屋なのだから当然だ。

 霧の中、リディアへと接近する俺の耳元に、ぶんと風切り音が届く。リディアがでたらめに振った杖が近くをよぎったらしい。

 その音が逆に、リディアの正確な位置を教えてくれた。


「そこか。半年間よくもいいように使ってくれたな、おい」

「っ!? げ、幻惑せよ、目をうば——」

「させるか!」

「ぎぃあっ!?」


 こちらへ杖を向けようとするリディアの腕をつかみ、一息に組み伏せる。床のそばでくぐもったうめき声が漏れる。

 相手は女、それも半年間ぐーたら生活をしていたような輩だ。純粋な力比べになれば俺に敵うはずもない。

 俺の手からフォグメイカーは消えていた。能力を使用したことで、再現された遺物(ギフト)は役目を終えて空気に溶けるみたいになくなったのだ。

 そして能力によって生じた深い霧も、その発生源が消えたことで、嘘のように晴れていく。

 残ったのは後ろ手に拘束され、床へ押し付けられるリディアと、それを行う俺。あとは加勢するぞと言わんばかりにちょこちょこ近寄ってくるパンデクテスだけだ。


「は、放して! 放しなさいよ、このっ」

「パンデクテス、そこの遺物(ギフト)を拾っといてくれ」

「合点承知デス!」


 軽くリディアの体を検めたところ、ほかに武器を隠し持っている様子もなかった。

 この状況から俺を押しのける膂力もない。もはや打つ手はないと悟ったのか、リディアは力を抜いてぐったりした。


「……ちぇっ。ずっとこの生活が続くと思ったのに、残念。ここまでかぁ」

「続けられてたまるか。抵抗さえしなければ危害は加えるつもりはない、どこへなりとも行っちまえ」

「あら、お優しいのね? てっきりこの半年、いいように使われた腹いせで乱暴されるくらいのことは覚悟してたのに。この半年で貯蓄もずいぶんとなくなったでしょう? 殺したい程度には憎いと思うのだけれど」

「挑発のつもりなら的外れだぞ。俺は遺物(ギフト)ハンターだ、殺人鬼じゃない。人を殺めるなんてごめんだ」

「……そ。あたしとしてはありがたいわ」

「だが遺物(ギフト)はきっちりもらっていく。半年も養わされた埋め合わせにはならないだろうけどな」


 立ち上がるように促すと、リディアは素直に従った。

 そのまま、連れ立って部屋を出る直前。

 リディアは振り返り、妹だった頃には見せなかった無感動な瞳で、半年間過ごした部屋をしばし眺めた。

 その胸に去来する感情がなんであるか、俺にはわからない。

 そもそも他人の考えなど知れたものではない。それが半年もの間、欺かれ続けていた相手であればなおさらだ。


「——」


 だから。その俺とは違う、宝石のような赤い色の目を細め、そこに寂寥感のようなものを浮かべていたとしても。

 それはきっと、俺の思い違いなのだ。

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