その手のぬくもり
あの日、春が来た。』は――
大切な家族を失った少年・一ノ瀬智也と、異世界から来た不思議な少女・こはくが、出会い、ぶつかり合い、心を通わせながら“生きる意味”を見つけていく物語です。
やがてふたりは、隠された力と世界の真実に触れ、自らの過去と向き合いながら、大きな運命に立ち向かうことになります。
静かで優しい日常の裏に潜む戦いと絆――人と神獣の垣根を越えて、世界が少しずつ色を取り戻していく、青春ファンタジー。
夕暮れの放課後、部活見学も終わって、生徒たちはまばらに帰路についていた。
校門を出て、坂道を歩くふたり。オレンジ色の夕日が背中を押すように、長く影を伸ばしていた。
「……一ノ瀬くん、初めてちゃんと話したけどさ」
不意に、泉がぽつりと口を開いた。
「うん」
隣を歩く村上が相づちを打つと、泉はゆっくりと笑う。
「村上の言う通り、いい子だったね…なんか元気そうで、安心した…」
「……だろ?」
村上も、少し照れくさそうに笑った。
「強いよな、智也は。……でも、それでもさ。ちゃんと、俺たちで支えてやんねーと」
その横顔は、どこか真剣で、少し頼もしく見えた。
泉はそんな村上の横顔をちらりと見て、心の中でつぶやく。
(……村上。あんたが、一ノ瀬くんを笑顔にさせてんのよ。まー、気づいてないか)
「……ほんと、村上ってバカ」
「えっ!? ちょ、なんで!?」
村上が突然の一言にぴょこっと飛び跳ねる。
「ねえ泉さん、今日暴言多くない!? 俺なんかした!? 今した!?」
「んー? 別に暴言じゃないよ?」
「いやいやいや、ぜったいバカって言ったよね!? 暴言だよそれは!」
「それが暴言かどうかは、受け取る側の気持ち次第じゃない?」
「哲学やめろ!? そのすかした顔もやめろ!?」
軽口の応酬に、ふたりの笑い声が坂道に広がる。
少し落ち着いたころ、泉がふと、前を見ながら小さな声でつぶやいた。
「……そういうとこが、さ」
「ん? 今なんか言った?」
「なんでもない。ほんと、バカ」
「はい~、今のは暴言と受け取りました~!!」
「はいはい、うるさい」
──そのころ、夕暮れの道を、僕とこはくは並んで歩いていた。
土手沿いを抜け、住宅街へ入る。
風が少し涼しくなってきて、こはくの白い髪と尻尾がやわらかく揺れている。
(恩返しさせてほしい──って、僕、めちゃくちゃカッコつけたけど……)
(これ、どう説明すんの? 叔母さんに)
(えっと……異世界から来た子で、耳と尻尾があって、でも見えるの僕だけで、家がないから……って無理だ!)
(せめて、せめて現実的に……一人で危なっかしくて、だから助けた? いやいや、じゃあなんで家に連れてきてんだ僕!?)
(終わった……)
内心、頭を抱えながら歩いていると、となりのこはくがちらりと僕を見上げた。
「……無理することないぞ、わらわは一人でも…」
「……ううん、大丈夫。」
僕は、苦笑いを浮かべながら明るく返した。
……そして、思いつかないまま、家の前に着いてしまった。
「叔母さんいるけど……いい人だから……」
「うむ…」
玄関のドアを恐る恐る開ける。
「ただいまー……」
「おかえりー!智也くん! 今日はカレーよー! ……って、えっ…?」
エプロン姿の叔母さんが元気よく迎えてくれたけど、僕の後ろに立つこはくの姿を見て、ぴたりと動きが止まった。
数秒の沈黙。
あ、やばい、って思った。
「と、友達の……こはく、です。両親が、えっと、その……仕事で海外に行ってて……で、あの……一人じゃ危ないから……連れて…きました」
自分でも何を言っているのかわからないほど棒読みだった。
叔母さんはしばらく無言のまま、笑顔を保ったまま、僕に視線を向ける。
「……智也くん。ちょっと来て」
手招きされた僕は、ごくりと唾を飲む。
「こはくちゃん、ちょっとだけここで待っててもらえるかな?」
さっきまでの明るいトーンとはうって変わって、どこか冷たい声。
リビングの扉が閉まると、叔母さんの笑顔はそのままなのに、目だけがまったく笑っていなかった。
背筋が凍る。
「な、なんなのあの子は……!」
叔母さんが声を潜めて目を輝かせる。
「まるでお人形さんじゃない! 顔ちっちゃ! 手足も細いし、髪も真っ白で……えっ、ちょ、智也くん! あんなかわいい子、一体どこで友達になったの!? どこで!? え、どこ!?」
智也は、予想外の反応に一歩後ずさる。
「え……? いや、そこなの……?」
「あんな子、一人にしちゃダメに決まってるじゃない!よくやったわ智也くん、えらい、男ね、うん、うん……よしよし……」
ぶつぶつと感情のままに語り続ける叔母さん。
その勢いのまま息を整える。
──そして、リビングの扉を開ける。
「こはくちゃん!」
声のトーンが、さっきまでとは打って変わって天使のような笑顔付きになっていた。
「いらっしゃい! もうほんっと、きれいな目! 顔小さすぎるし、細いし可愛いし、あ〜〜〜かわいいっ! あれよね? 妖精? 天使? ほんとにいるんだ、こういう子!」
こはくは戸惑ったように笑う。
「……こ、こはくと申す。お、お邪魔するのじゃ……」
もじもじと小さく頭を下げたその仕草に、叔母さんの感情は爆発する。
「なにその語尾~~~~~~かわいい~~~~~~!!!」
その声は、家中に響き渡る勢いだった。
「とりあえずあがってあがって〜!」
叔母さんがこはくを手招きしながら、ぱたぱたとリビングに案内する。
「ご飯もうすぐできるから、こはくちゃん、先にお風呂入っちゃいな〜。女の子は清潔第一!」
ぱんっと手を叩いたかと思うと、くるりと智也の方を向く。
「智也くん、服貸してあげなさいよ~?」
「え、えぇ!? ぼ、僕の!? ていうか叔母さんのってないの?」
「ないない、下着は新品のがあるから大丈夫よっ」
そう言って、誇らしげに新品の下着の袋を掲げる叔母さん。その顔には、妙な達成感が満ちていた。
「ほいっ、あとは頼んだわよ〜、智也くん♪」
エプロンの裾をひらりと翻して、叔母さんは再びキッチンへと戻っていった。
リビングに立ち尽くしていたこはくに、智也は声をかける。
「お、お風呂、こっちだから。案内するね」
こはくは少し戸惑いながらも、こくんと頷く。
風呂場の前まで来ると、智也はバスタオルと服の入った袋を手に渡す。
「服、これ使って。あと、シャンプーはこのボトルで、リンスは隣のやつ。シャワーはここのレバーをひねれば出るから──」
「う、うむ……」
僕は脱衣所の扉を閉めて、ほっと息をつきながらリビングへと戻る。
「ふぅ……」
椅子に腰を下ろすと、エプロン姿の叔母さんが、真剣な声で問いかけてきた
「ねえ、智也くん」
「……な、なに?」
「こはくちゃんに、あとでご両親の電話番号聞いといて。連絡だけでもしておかないと」
「え……なんで……?」
顔が引きつる。
「なんでって……女の子なんだよ?ご両親、きっと心配してる」
「そ、それは……」
頭がぐるぐると回り出す。
(やばい……どうすれば……異世界から来たとか、言えるわけが……)
どのくらいの時間が流れたか、自分でもわからないほど考え込んでいた。
そんな僕を見た叔母さん隣に来るなり、鋭い目つきで言った。
「智也くん……」
声のトーンが、少し低くなる。
「嘘…ついてほしくないな…」
僕は、喉を詰まらせるように言葉に詰まった──鋭くまっすぐな視線。 普段あんなに明るくて優しい叔母さんの、その静かな圧に──
(あ、これ……嘘ついてもダメなやつだ……)
僕は心の中で悟った。
ごくりと唾をのみ、少しの沈黙のあと、覚悟を決めるように口を開く。
「実は、その──」
そのときだった。
「……智也」
後ろから、澄んだ声が聞こえた。
ふり返ると、こはくがバスタオルで濡れた髪を軽く押さえながら、リビングに入ってきていた。 貸したシャツとジャージが少しぶかぶかで、なんとも不思議な雰囲気を醸し出していた。
「嘘をつく必要はない。……すまんかったの」
こはくはまっすぐ叔母さんを見据え、小さく頭を下げる。
「叔母様──少し、話を聞いてはくれぬか?」
その静かな言葉に、少し驚いた表情を見せたが──
すぐに表情を引き締めて、ゆっくりとうなずいた。
「……うん。わかった。座って」
僕とこはくは並んでソファに腰を下ろし、叔母さんは向かいの椅子に座る。
こはくは、膝の上でタオルを折りたたみ、少しだけ目を伏せた。
「わらわには、母がおった。……けれど、幼き頃に、離れ離れになってしまったのじゃ。理由は……わからぬ。生きているかも……」
その言葉に、叔母さんがわずかに眉をひそめる。
「その後、血のつながりはないが、姉上のような存在に拾われ、育てられた」
こはくの声は淡々としていたが、指先がわずかに震えていた。
「けれど、ある日、事情があり──わらわは、その姉上とも離れることになった」
「気づけば、ここ、人間の世界におった。ひとりきりで、どうしてよいかわからぬまま、さまよっていたのじゃ」
その声には、かすかに滲む寂しさがあった。
「人間の世界…って、こはくちゃんは他の世界から来たってこと…?」
「その通りじゃ、証拠も後でみせるのじゃ…」
「智也とは、あの花の咲く場所で……出会った」
こはくは、横に座る僕をちらりと見る。
「話をして、笑って……それだけで、少し、怖くなくなった」
「智也は、こんなわらわを心配して、連れてきてくれたのじゃ…」
「だから、智也は悪くないのじゃ…」
小さく、けれどはっきりとした声だった。
こはくは再び叔母さんに向き直り、静かに一礼する。
「……長々と、すまぬ。信じがたい話とは思うが、これが……わらわのすべてじゃ」
リビングに静けさが戻った。
こはくの話を聞き終えた叔母さんは、しばらく黙っていたが──やがて、静かに息を吸った。
「……にわかには信じがたい話だけど。こはくちゃんが本気で言ってるのは、わかるよ」
優しく、でもまだどこか困惑の色をにじませた声だった。
すると、こはくはゆっくりと立ち上がり、視線をまっすぐに向けた。
「証拠を見せるといったな。わらわが神獣であるという証を…」
叔母さんが目を細める。
こはくはそっと胸の前に手を置く。
「わらわには、耳と尻尾がある。人間には見えぬが、智也には見えておるのじゃ」
智也が「うん」と小さくうなずく。
「今から、少しだけ核を解放する……さすれば、叔母さまにも、見えるようになるはずじゃ」
そして、きゅっと真剣な眼差しで告げる。
「……どうか、驚かないでほしい」
こはくの周囲の空気が、静かに、だが確実に変わった。
柔らかな光が肌を包み、白い髪がふわりと舞う。
リビングの空気がきしむように重くなり──
「──はぁ……」
小さく息を吐いた瞬間、閃光が走った。
まばゆい光がリビングを満たし、まるで空間そのものが軋むように、窓ががたがたと音を立てて揺れ始める。
「な、なに!? うわっ!」
「ひゃっ……!?」
眩しさに目を細める僕と叔母さん。
光の中心に立つこはくの背から、白く輝く九本の尻尾がふわりと揺れた。 頭には、鋭く美しい白い耳。
そこに立っていたのは──確かに、ただの「人間」ではなかった。ただ、そこに佇んでいるだけで、空気が澄んでいくような、そんな神々しさがあった。
「……」
「……」
叔母さんも僕も、言葉を失っていた。 ただ驚いて、強張った顔のまま動けずにいた。
その沈黙のなか、こはくの表情がふと曇る。
「……やはり、怖かったのじゃな。すまぬ。迷惑をかけたのじゃ……」
小さくつぶやきながら、俯いたままゆっくりと背を向ける。
「……お風呂、気持ちよかったのじゃ……。さよならじゃ……」
そう言って、リビングを出ようとした、こはく
「待っ──!」
僕が言いかけた、その声よりも早く、
叔母さんが、こはくの背中にぎゅっと抱きついた。
「……つらかったね……一人で……よくがんばってきたね」
優しい、優しすぎる声だった。
驚いたこはくはその場で固まった。
「な……なに、を……しておるのじゃ……」
叔母さんの頬には涙がつたっていた。
「ごめんね……つらいこと、思い出させちゃって……」
こはくの瞳に、知らぬ間に涙がにじむ。
「なぜ……じゃ……わらわは、怖がらせたのじゃぞ……人では、ないのだぞ……」
ぽろぽろとこぼれ落ちる涙に、こはくの声が震える。
それでも、叔母さんはくしゃくしゃの笑顔で鼻をすする。
「……叔母さんのこと、なめないでほしいな……」
そして、そっと──頭を撫でた。
その瞬間だった。
「母……上……」
「う、ぁ……あぁ……うぁぁぁあああ……!」
こはくは声を上げて、泣いた。 堰を切ったように、子どものように、ただ泣いた。
叔母さんは、それでも黙って── 抱きしめ、撫で続けた……
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。